2014年2月25日火曜日

17.アイキャ(ऐक्यम् [aikyam] )- 一つであること

ऐक्यम् 
[aikyam]


neuter - 一つであること





ナマステ、
ただ今リシケシです。

日本語で「ひとつであること」と書くと、なんか寂しい感じがしますが、

英語で言うと、"oneness"(ワンネス)って聞こえがいいですね。


サンスクリットをはじめ、他の言語でも、

名詞の後ろに、接尾語を付けることにより、新しい名詞を作ることが出来ます。

名詞 + 接尾語 = 新しい名詞

「一つ」という名詞に、「~であること」という意味の接尾語を付けると、

「一つであること」になりますね。

英語でも、「one」という名詞に「~ness」という接尾語を付ければ、

「oneness」になります。


サンスクリット語で「1」「一つ」は、「エーカ एक [eka]」という名詞です。

「ष्यञ् [ṣyañ]」という接尾語は、「~であること、~ness」という意味です。

「エーカ एक [eka] +「ष्यञ् [ṣyañ]」=「アイキャ ऐक्य [aikya]」

となるわけです。

音がえらく変わりましたが、何が起きているかというと、

1.最初の母音に「ヴリッディ(वृद्धिः [vṛddhiḥ])」 が起きた。

「ヴリッディ(वृद्धिः [vṛddhiḥ])」 とは、आ [ā], ऐ [ai], औ [au] の3つの音を指します。

  • अ [a]  ⇒ आ [ā]
  • इ [i]   ⇒ ऐ [ai]
  • उ [u]   ⇒ औ [au]
  • ऋ [ṛ]  ⇒  आर् [ār] (आ [ā]に र् [r] がくっついた)
のように変わります。


2.最後の音がドロップして、接尾語の「य [ya]」がくっつく。

接尾語は「ष्यञ् [ṣyañ]」でしたが、「ष् [ṣ] 」と「ञ् [ñ]」が落ちて、「य [ya]」だけ残るんですね。

ここなへんは、パーニニ文法勉強会を参考にして下さい。

このように、2つの変化が起きて、

「エーカ एक [eka]」(ひとつ)が、「アイキャ ऐक्य [aikya]」(ひとつであること)

になるわけです。

同じように、

सवर्णः [savarṇaḥ ]  ⇒ सावर्ण्यम् [sāvarṇyam ]
समानाधिकरणम् [samānādhikaraṇam ]  ⇒ सामानाधिकरण्यम् [sāmānādhikaraṇyam ]
विरागः [virāgaḥ ]  ⇒ वैराग्यम् [vairāgyam ]
विलक्षणम् [vilakṣaṇam ]  ⇒ वैलक्षण्यम् [vailakṣaṇyam ]
निश्चल [niścala ]  ⇒ नैश्चर्यम् [naiścaryam ]
सुखम् [sukham ] ⇒  सौख्यम् [saukhyam ]
दुर्बलम् [durbalam ] ⇒  दौबल्यम् [daubalyam ]
कृत्स्नम् [kṛtsnam ]  ⇒ कार्त्स्न्यम् [kārtsnyam ]

おっと文法の話が長くなってしまった。


「ひとつであること」 とわざわざ言うからには、

2つ以上のものがある事が前提にある訳です。

この世界には、無数のものが存在していますね。

無数のものも、突き詰めると2つになります。

私と、それ以外のもの全てです。

「私 VS(対) 世界」の世界観で、私達は戦いながら生きています。

ヴェーダーンタは教えます。

私も、世界も、本質的には一つなのだと。

例えるなら、私も世界の全ても、真っ白の画用紙に描かれた絵のようなものです。

どんな図柄でも、本質は、ただただ真っ白は一つのキャンパスなのです。

本質的には一つだけど、その上に無限に広がる様々な色や形があり、

その中の、小さな小さな点のような存在が、この私。。。

いやいや、その小さな点が私じゃなくて、それに存在を与えている画用紙が本当の私。

だって、色や形は、画用紙無しには存在出来無いでしょう。

無限に広がる色や形の全てが、イーシュワラ

それは私と、本質的にも、表現的にも、全く離れていない。

在るのはただ一つ。

もし、そうなら、私が手に入れるべくして追いかける対象、

今ここにいる私以外の、2つ目のものなど、もう何も無い。

満たされるべき望みは、「在るのはただ一つ」という知識によって、

いっぺんに満たされてしまった。


== ऐक्यम् [aikyam] - アイキャ  が使われている文献 ==

जीवेश्वरैक्यम्
jīveśvaraikyam

ジーヴァ(個人)とイーシュワラ(全体)が本質的には、ひとつであること
を解いているのがヴェーダーンタです。



<< 前回の言葉 16.ओष्ठः [oṣṭhaḥ] - オーシュタ <<

くちびると言う意味のサンスクリット語です。

   


>> 次回の言葉 18.アイシュワリヤ(ऐश्वर्यम् [aiśvaryam] )>>




2014年2月22日土曜日

16.オーシュタ(ओष्ठः [oṣṭhaḥ] )- くちびる

ओष्ठः
[oṣṭhaḥ]


masculine - くちびる




サンスクリット語の発声法


「オー」や「ウ」の音を出す時は、唇をすぼめますね。

また、「パ」や「バ」、「マ」という音を出す時にも、唇を使います。

これらの音を出す前には、両唇を一回キュッと閉じて、

それから、唇を開ける時に、これらの音が発声されるのです。

サンスクリット語では、言語の中で使われる音のひとつひとつにおいて、

どこの場所から、どのようにして発声されるかが、

事細かに分類されて、それがスートラ形式で教えられています。


上で紹介した「オー」「ウ」「パ」「バ」「マ」などの音が作られる場所は、

「唇(ओष्ठः [oṣṭhaḥ] - オーシュタ)」と分類されます。

普通は唇は2枚なので、スートラの中では、

「ओष्ठौ [oṣṭhau] - オーシュタウ」と両数の形で表現されます。



伝統的に、正しいサンスクリット語を勉強する際には必ず、

まず、発声法から勉強します。

このことについては、タイッティリーヤ・ウパニシャッドではっきりと述べられています。

ウパニッシャッドの冒頭から、

「シークシャー(発声法)について勉強しましょう」

と始まるのです。

さらに、シャンカラーチャーリアは、この部分のマントラについて、

まず一番に発声法を学ぶ重要性について記述しています

サンスクリット語が使われている学問の全ては、

先生から生徒へ、口伝によって引き継がれているのです。

正確に聞き取れる耳と、正確に発音出来る発音器官が頼りですから、

まず、きちんとした発声方法についての科学について、精通していなければならないのです。

ヴェーダを学ぶ際には、ヴェーダの理解を補助する目的で、

ヴェーダの他に6つの教科を学ぶ事になっています。

6つの教科の中で、一番最初にあるのが、発声法です。

発声法については、現在執筆中です。

近いうちに、ウェブでUPして、更新をしながら執筆をしようかな、と考えています。

日本や西洋の大学での勉強の進め方は、発声法という一番大事な部分が欠けています。

有名大学の有名教授でも、サンスクリット語の発音に関しては、

耳も(?)当てられません。


たかが発音、されど発音です。

先生から生徒へ、絶え間なく引き継がれた音には、

学ぶ人への愛情と、幸福を願う気持ちが込められています。


19世紀に、ヒンドゥーの文化を破壊する為にサンスクリットを勉強した学者達

(アントワン、マックス・ミュラー、モニエル、etc.)が残した教科書の中には、

反ヴェーダ文化の作為が、至る所に見られるので、

それらを勉強する事が、正しい方向へ導いてくれるかどうかには、疑問があります。



== ओष्ठः [oṣṭhaḥ] - オーシュタ  が使われている文献 ==

シクシャー(発声法)スートラ
उपूपध्मानीयायाम् ओष्ठौ ।
upūpadhmānīyāyām oṣṭhau ।

  • 長短含めた「ウ」の音
  • (サンスクリットの)パ行(प्, फ्, ब्, भ्, म् [p, ph, b, bh, m])
  • ウパッドマーニーヤ(प्,फ्の前のヴィサルガの音)

が作られる場所は、唇(ओष्ठौ [oṣṭhau] - オーシュタウ)です。





 << 前回の言葉 15.ओम् [om] - オーム <<
 
最重要単語なのに、最も間違って発音&理解されている言葉です。

伝統に沿ってきっちり学びましょう。

  
  

         >> 次回の言葉 17.ऐक्यम् [aikyam] - アイキャ >>

2014年2月21日金曜日

15.オーム(ओम् [om])- 全て(ブランマン)の音のシンボル

ओम्
[om]


indeclinable - 全て(ブランマン)の音のシンボル





この言葉は、「神」という言葉と並んで、

「一番大事な言葉なのに、一番誤解されている言葉」でしょう。

単なる誤解だけではなく、正しい認識への扉を閉ざしてしまう弊害のある、

間違った認識がはびこっている言葉とも言えます。

この大事な言葉にこびり付いているサビを、少しずつ落として行きましょう。


よくある間違い その1:伸ばしすぎる


表記から分かるように、「オー」の音は、2拍の長音です。

インドでは、ヨガスクールのみならず、どこのアシュラムでも、

「オーーーーーーーーーーーーム」と息の続く限り伸ばすようですが、

それは間違いです。

伸ばしたかったら、3拍まではOK。その場合は、「ओ३म् [o3m] 」と表記します。

何で伸ばしちゃいけないの?と思われるかもしれません。

それには、しっかりした文法的な意味があるのです。

それは、下記の、文法的意味の展開で勉強しましょう。



よくある間違い その2:「アウム」になっている



「ओम् [om] - オーム」の音は、

「A」「U」「M」の3つの音から成ります。

そこまではいいのですが、「A」「U」を続けて言うと、

発声学的法則に従って、「O」になります。

それぞれ離して「A」「U」と発音する事は許されていません。



よくある間違い その3:表記の形に意味があると思われている



「ओम् [om] - オーム」はよく、「ॐ」と表記されます。



この表記自体には問題はありません。

しかし、この言葉は、音として意味を成す言葉です。

特に、独自の表記法を持たない、口伝のみによる伝承を守るサンスクリット語では、

どのような表記文字の形にも、意味を持たせる事はありません。

少なくとも、正統な知識の伝承の中には、そのような事は有り得ません。


では、伝統で教えられている、正しい「ओम् [om] 」の意味を見て行きましょう。

意味の展開には、3種類あります。


1.文法的意味:


अवति रक्षति इति ओम् ।
avati rakṣati iti om |

अव् [av] to protect (守る)という動詞の原形から派生したとされます。

そこに、मन् [man] (~する人)という接尾語を足します。

あわせると、「守る人」となります。

最終的に守ってくれる人、頼りになる人、それは全てであるブランマン。

それ以外のものは、無常で、頼れるようには出来ていない、ってことです。

ちなみに、मन् [man] (~する人)は、ブランマンや、アートマンの「マン」です。

ここでは、「man」の「an」の部分が落ちてしまいます。

そして、「av」も「au」となり、さらには「o」となって、

「o」+「m」で、「om」となるわけです。


こちらも:サンスクリットを習い始めた人に、どうか知って欲しいあれこれ

2.音声学的意味


「ओम् [om] - オーム」の音は、

「A」「U」「M」の3つの音から成ります。

「A」に「U」が続くと、サンディで「O」になりますね。

この世に在る全ては、名前と形のみ、すなわち、知識のみであり、

全ての言語の全ての名前は、始まりの音「A」と、終わりの音「M」の間にある。

すなわち、「A」と「M」の間に、全てがあるので、

「ओम् [om] - オーム」は、宇宙にある全てのものの名前の略語、総称に等しい、

というわけです。

これって、パーニニ文法のブラッティヤハーラみたいですね。

日本やアジア圏全般の寺院で見られる狛犬の口の形も、

一方が「ア」と開けていて、他方は「ン」で閉じている。

(日本語の「ン」には、MとNの区別が無いんですね。)

それにも、同じような意味が与えられていると聞きました。


3.マーンドゥーキャ・ウパニシャッドで教えられている意味


「ओम् [om] - オーム」の音は、詳しく言うと、

「A」「U」「M」「無音」の4つから構成されます。

4つ目の無音は、最初の3つにも共通して存在しますね。

無音と言うベースがあって、そこに、「A」「U」「M」の3つが表現されているのです。

個人の立場から見ると、

「A」が起きている世界。感覚器官を使って、外にある物理的な世界と関わり、経験している個人。

「U」が夢の世界。物理的ではなく、心理的に認識し、経験している個人。

「M」が、熟睡している世界。物理的にも心理的にも、何も認識できず、

ただただ、自分を個人たらしめている個別性の不在を経験している個人。

人間の経験というものは、生きている間ずっと、毎日、毎秒、

この3つの内のどれかに属しています。

これらの経験は、私達が通常言う「現実」です。

しかし、これら3つの現実は、互いに共存出来ず、1つがあれば、もう1つはない、

互いに否定しあっている存在です。

ということは、この内のどれも、絶対的な存在では無いのです。

なのに、私達は、これら3つを「現実」と呼んでいるのです。

じゃあ、私って、誰なのか?本当の「現実」とは?

この3つの経験している個人を、最終的に傍観している、存在。

それが、「無音」で示されている、個人の本質なのです。

繰り返しますが、経験というものは全て、先の3つのどれかに属しています。

「トゥリーヤ」と呼ばれる4つ目は、経験ではありません。

本当は、4つ目など無いのです。

なぜなら、先の3つのうちのどれも、絶対的な存在は持ち合わせていないからです。

1、2、3と数えられるステータスさえ、本当の意味では、持ち合わせていないのです。

シャンカラーチャーリアは、この4番目を「मायासङ्ख्या [māyāsaṅkhyā]」,

直訳すると、「マジック・ナンバー」と呼んでいます。


3つの音、あるいは3つの経験の、どれでもない、

それらに共通する「無音」が自分の本質であることを「知る」ために、

4つ目に「無音」を持ってきて、私達を分からせようとしているのです。


== ओम् [om] - オーム   が使われている文献 ==


ヴェーダマントラは全て、「ओम् [om] - オーム」から始まります。

全ての文献が伝えようとしている事は、この「ओम् [om] - オーム」の意味に他なりません。

でも、しいて言うなら、、、

カタ・ウパニシャッド 1章2節15句

少年ナチケータに真剣にせがまれて、死神ヤマ・ラージャーが、
ブランマヴィディヤーを教えているところ。

सर्वे वेदा यत्पदमामनन्ति । तपाँसि सर्वाणि च यद्वदन्ति ।
यदिच्छन्तो ब्रह्मचर्यं चरन्ति । तत्ते पदं सङ्ग्रहेण ब्रवीमि । ओमित्येतत् ॥
sarve vedā yatpadamāmananti | tapām̐si sarvāṇi ca yadvadanti |
yadicchanto brahmacaryaṃ caranti | tatte padaṃ saṅgraheṇa bravīmi | omityetat ||

”その達成すべきものについて、全てのヴェーダは語っている。
それを得るための手段として、タパス等を(ヴェーダは)教えている。
それを切望している人々は、ブランマチャリアの生活(先生の下での生活)をする。
それについて、手短に教えよう。それは―――「ओम् [om] - オーム」。”

手短過ぎる!

16句から、一音節であるオームについての説明が始まります。


バガヴァッド・ギーター 17章23節

ओं तत्सदिति निर्देशो ब्रह्मणस्त्रिविधः स्मृतः ।
ब्राह्मणस्तेन वेदाश्च यज्ञाश्च विहिताः पुरा ॥
oṃ tatsaditi nirdeśo brahmaṇastrividhaḥ smṛtaḥ |
brāhmaṇastena vedāśca yajñāśca vihitāḥ purā ||

”「Om Tat Sat」は3語から成る、ブランマンの表し方である。
ブランミン(儀式をする人)、ヴェーダ、儀式は、
この3語によって(始まり、終わるように)教えられている。”

この章の中で、サットヴァなカルマとは何かというのを説明しているところです。
この3語(オーム、タット、サット)に関するカルマは、全てサットヴァである、
と教えられているのです。


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<< 前回の言葉 14.एषः [eṣaḥ] - エーシャハ <<

サンスクリット語の代名詞、エータドの男性形、第一格、単数形です。

文献で、それが表すものは、とても近いもの、例えば自分です。





>> 次回の言葉 16.オーシュタ(ओष्ठः [oṣṭhaḥ])>>

「くちびる」というサンスクリット語の言葉です。

発声法においてとてもよく出てくる言葉ですよ。


オームといえば、、
サンスクリットは発音が大事!第2弾 
「ハリオ~ム」は「ハリヒ・オーム」

2014年2月20日木曜日

14.エーシャハ(एषः [eṣaḥ])- これ

एषः 
[eṣaḥ]


masculine - これ



サンスクリット語の代名詞の使い分け


サンスクリット語には、35種類の代名詞があります。

こう書くと偉く難しく聞こえますが、文法上の分類で35種類であって、

実際にサンスクリット語を使う時は、35個とかを意識する必要はありません。

35個ある代名詞の中で、「これ」「それ」という意味で、

頻繁に使われる代名詞は4つです。

4つの使い分けはどうなっているのでしょうか。

話す人と、代名詞によって指される言葉との間の距離によって、4つの代名詞を使い分けるのです。

1.話す人から見えない場所にある「それ」
तत् [tat]

2.話す人から見える場所にある「それ」
अदस् [adas]

3.話す人から近い場所にある「これ」
इदम् [idam]

4.話す人から最も近い場所にある「これ」
एतत् [etat]

4つとも、3つの性(男性形、女性形、中性形)で活用します。

今日のボキャブラリー、「एषः [eṣaḥ] - エーシャハ」は、

4番目の「これ」の男性形/単数/第一活用です。って漢字で書くと難しく見えますね。


より分かり易いサンスクリット文法書の必要性


しかし、日本語のサンスクリット文法の参考書を幾つか見たことがあるのですが、

すごく解かりづらいですね!これで勉強するのは不憫だとも感じてしまいます。

サンスクリット語は、パーニニ文法も含め、そんなに難しいものではありません。

難しいのは既存の参考書だけです。

なんでそんな解かりにくい形で説明するの?
本当にコミュニケートする気があるの?
自分の博学を見せびらかしたいだけじゃないの?

なんて勘ぐってしまいます。19世紀に英・仏・独語で書かれた参考書もしかりです。

日本語の教科書は、それらを訳して書かれているから、余計に難しくなるのでしょうか。

愚痴ってしまいました。

ここまで書いてしまったら、自分の書いてる参考書が本当に解かり易いのかどうか、より深く見直さないといけませんね。


本題に戻りましょう。

これら4つの代名詞が、ヴェーダーンタで使われる時は、

それぞれの代名詞には、ヴェーダーンタ的な意味が含まれています。

तत् [tat] は、ブランマンを、

इदम् [idam] の中性形は、対象化できるもの全て、ジャガット(世界・宇宙)を、

इदम् [idam] の男性形は、अयम् [ayam] となり、アートマン(個人、個人の本質)を、

एतत् [etat] は全ての性の形で、今議論中のトピックを、

指しています。

これを知っているだけで、随分とヴェーダーンタの文献が解かり易くなります。

「एषः [eṣaḥ] - エーシャハ」は、एतत् [etat] から来ているので、

「今議論されいるトピックです」と知らせるために使われます。

トピックって、議論を展開している間に、なんとなく、どこか遠くにいってしまう様です。

「この」アートマンの話をしているのに、「あの」アートマンの話になってしまうのです。

どこか遠くにあるトピックは、「あれ तत् [tat]」ですね。

話している側が、聞いている側の頭の中で、

「これ  एतत् [etat]」が「あれ  तत् [tat]」になってしまった、と気づいたら、その都度

”「あれ तत् [tat] 」って「これ  एतत् [etat]」の話ね。”

と言って、聞き手のアテンションを、「これ  एतत् [etat]」に引っ張って戻してやるのです。

このテクニックは、マントラでも、コメンタリーでも、よく使われる手段です。

下で実際の例を見てみましょう。


== एषः [eṣaḥ] - エーシャ   が使われている文献 ==

タイッティリーヤ・ウパニシャッド

第2章1節

तस्माद्वा एतस्मादात्मन आकशः सम्भूतः।
tasmādvā etasmādātmana ākaśaḥ sambhūtaḥ|
「その」ブランマン、すなわち「この」アートマンから、空間が生まれた。

「この」を使ってるから、聞き手は、「この私、アートマンの話をしている」と認識できる。

आकाशाद्वायुः । वायोरग्निः।..... अन्नात् पुरुषः ।
ākāśādvāyuḥ | vāyoragniḥ|..... annāt puruṣaḥ |
空間から風、風から火(が生まれた。).... 人の種から人間(が生まれた。)

しかし、ここまで来ると、聞き手は、「生まれた人間って、どこか遠くにいる人、例えばアダム?」という感覚を持ってしまっている。

そこで、
स वा एष पुरुषोऽन्नरसमयः ।
 sa vā eṣa puruṣo:'nnarasamayaḥ |

「その」人間は、「この」人間、食べ物から作られた、この身体をもった、人間、あなたですよ!
と、トピックを自分に引き戻してくれているのです。


バガヴァッド・ギーター 

3章37節

काम एष क्रोध एष रजोगुणसमुद्भवः ।
kāma eṣa krodha eṣa rajoguṇasamudbhavaḥ |
महाशनो महापाप्मा विद्ध्येनमिह वैरिणम् ॥
mahāśano mahāpāpmā viddhyenamiha vairiṇam ||

アルジュナが、
「やりたくないのに、やっちゃいけないって分かっているのに、
やってはいけないことを、やってしまう。あたかも付き動かれているように。
原因は何か?」と訊ねます。
その答えが、このシュローカです。

”これ(एषः [eṣaḥ] )こそが欲望、これ(एषः [eṣaḥ] )こそが怒り。
ラジャスから生まれた、欲望は尽きることなく、怒りは一線を越えさせる。
これらを、敵(自分を良くない立場に立たせる原因)と知りなさい。”

欲望や怒りはどこにあるのか?誰が持ってるのか?
「एषः [eṣaḥ] - エーシャ 」ここにあるでしょう。
と、聞き手を引き込むために、この代名詞が使われているのです。



<< 前回の言葉 13.エーヴァ(एव [eva])<<

~だけ、ONLY、と限定するときに使うサンスクリット語の言葉です。
   






>> 次回の言葉 15.オーム(ओम् [om] )>>

とても重要な言葉でありながら、
とても間違って認識されている言葉でもあります。

きっちりと正しい知識を得ましょう。

2014年2月19日水曜日

デーヴァナーガリー練習帳が出来上がりました!

「サンスクリット語 一日一語」とあわせて勉強できる、
デーヴァナーガリー(サンスクリット語のアルファベット)の練習帳です。

この本が出来るまで


今まで、いろんな国の、いろんなバックグラウンドを持っている人達に、

サンスクリット語を教えてきた中で、いつも、

「アルファベット(デーヴァナーガリー)を教える、ちょうどいい教材が無い!」

という現実に直面していました。


大人、特に外国人で、既に高い教養を持っている人、の為に、

丁度いい、デーヴァナーガリーの教材を作る!

と決めたら、皆さんの応援に、奇跡のようにどんどん恵まれて、

とても素敵な形に出来上がりました。

皆さん、ありがとうございます!


プージャ・スワミジのサンカルパ


プージャ・スワミジが、私に「write books.」と言われて以来、

いろんなアイデアがするすると湧いて出て来て、

必要なサポートは、いつも天から降ってくるように、与えられています。

プージャ・スワミジのサンカルパは、本当に実現するのだな、

と私の身体や考えを通して実感しています。


実は今日、プージャ・スワミジに会って、この本を手にとって見てもらいました。

「You made it easy for people to pick up.」と喜んでおられました。

「Is it good?」と訊くと、「Very good.」と言ってくれました。


本の内容


この本の中身は、デーヴァナーガリーの練習帳です。

Vol 1は、初級編です。

アルファベット表に、きちんと論理立てて、デーヴァナーガリーが紹介されています。

各母音、各子音+母音の組み合わせ、に例になる言葉を2つずつ載せています。

その、例の言葉の説明が、このブログになっているのです。

文献を読む上でよく出てくる言葉を選んでいるので、

「ああ、これね」と、繋がりを感じながら、快適に勉強を楽しむ事が出来ます。

子音と母音の組み合わせを、とてもシステマティックに紹介しながら進めているので、

本の流れのまま進んでいくと、自然にアルファベットが網羅出来ます。

Vol 2は、中級編です。

「良く使う」子音と子音の組み合わせを、これまたきちんと理論立てたチャートにして紹介しています。

これにも、よく見かける例の言葉を2つずつ載せています。

そして、よく使うチャンティングを、練習用に載せました。

デーヴァナーガリーだけでなく、トランスリタレーションにも慣れることが出来ます。


印刷代は、有志の方々に寄付していただきました。

出来上がった本は、全て、アシュラムのブックストアに寄付されます。

アナイカッティでは今週、リシケシでは来週に、アシュラムのブックストアで購入可能になります。


沢山の人の暖かい好意によるサポートの賜物です。

皆さん、本当に、ありがとうございました!



サンスクリット/ローマ字 対応表 (母音編)

サンスクリット/ローマ字 対応表 (子音編)

サンスクリット/ローマ字 対応表(子音+母音)



サンスクリット語の表記について

サンスクリット語の入力について

2014年2月17日月曜日

13.エーヴァ(एव [eva])- ~だけ、~のみ

एव 
[eva] 

indeclinable - ~だけ、~のみ




エーヴァ(एव [eva] )は、とても頻繁に使われる言葉のひとつです。

この言葉は活用変化しません。

活用変化しない言葉は、アッヴャヤ(अव्ययम् [avyayam] )

と呼ばれます。

これは、一番最初の、अथ [atha] で見ましたね。

日本語では表現しにくい言葉ですが、意味は、英語の「only」に近いと言えます。

日本語だと、~だけ、~のみ、となりますが、

強調の意味も含まれています。

カテゴリカリーには言えませんが、

エーヴァ(एव [eva] )には3つの意味があると言われています。

その音自体が吉兆とされる、ほら貝

1.それしかあり得ない



よくある例:

「ほら貝(शङ्खः)は白色(पाण्डुरः)と決まっている」
शङ्खः पाण्डुर एव
śaṅkhaḥ pāṇḍura eva |

白色以外の可能性を打ち消すために、エーヴァ(एव [eva] )が使われています。
(अयोगव्यवच्छेदबोधक एवकारः)


2.同じ種類のものが沢山ある中で、これこそが


よくある例:

「アルジュナ(पार्थः)こそが、弓を持つ者(धनुर्धरः)と呼ばれるべき」
पार्थ एव धनुर्धरः ।
pārtha eva dhanurdharaḥ |

アルジュナとは、バガヴァッド・ギーターの主人公で、
クリシュナから教えをもらう戦士です。

アルジュナでなくても、誰でも弓を持つことが出来ます。
弓を持つ者が大勢いる中で、アルジュナこそが「弓を持つ者」という名にふさわしい、
ということです。
(अन्ययोगव्यवच्छेदबोधक एवकारः)


3.なかなか起き得ない事が起きている


よくある例:

「青い(नीलं)蓮の花(सरोजं)は有ります」
नीलं सरोजं भवति एव
nīlaṃ sarojaṃ bhavati eva |

「聞く人の考えでは、青い蓮の花など有り得ない」ということを、
話す側の人は知っているのです。
「いえ、そんな事はありません。青い蓮の花はありますよ!」
という時に、エーヴァ(एव [eva] )が使われます。
(अत्यन्तायोगव्यवच्छेदबोधक एवकारः)

コインバトールのアシュラムにはよく咲いています。青い蓮。

「エーヴァ(एव [eva] )には3つの種類がある」という知識が、

直接役に立ったと思える機会がまだないのですが。

これは、プージャ・スワミジに教えてもらった知識では無いので、そのせいかも知れません。


また、エーヴァ(एव [eva] )は、पादपूरणम् [pādapūraṇam] といって、

文字数の決まった詩節を完成させる為に、足りない数の埋め合わせにもよく使われます。

この知識はよく役に立っています。

プージャ・スワミジから教わった知識だからでしょう。

無駄な事を教えないスワミジってやっぱりすごい!


== एव [eva] - エーヴァが使われている文献 ==

チャーンドーギャ・ウパニシャッド 

6章2節1句

एकमेवाद्विटियम् ।
ekamevādviṭiyam |

ひとつ(एकम् [ekam])のみ(एव [eva])、

ふたつ目は無い(अद्वितीयम् [advitīyam])。

とても有名な一句です。

ひとつしか無くて、何かいいことあるの?

世の中には無数の形や色や出来事があるのに、なんで、ひとつしかないって言えるの?

ふたつ目は無くても、三つ目はあるの?

単純な質問なようですが、その答えには人間として知るべき、重大な事実があるのです。

答えについては、何かの機会にゆっくりお話出来たらいいです。


バガヴァッド・ギーター 13章8節


इन्द्रियार्थेषु वैराग्यम् अनहङ्कार एव च ।
indriyārtheṣu vairāgyam anahaṅkāra eva ca |

感覚器官の対象物への興味や執着は、精神的成長によって無くなり、
我こそがというエゴも無く、、、

ここでの「エーヴァ(एव [eva] )」は、先ほどのपादपूरणम् [pādapūraṇam] というテクニックで、詩節の文字数を満たすために有るだけで、意味はありません。







<< 前回の言葉 12. リク(リグ)ऋक् [ṛk] <<

ヴェーダのマントラという意味のサンスクリット語です。
   







>> 次回の言葉 14.エーシャ(एषः [eṣaḥ])>>

12.リク(リグ)(ऋक् [ṛk] )- マントラ、韻文

ऋक् 
[ṛk]

feminine - マントラ、韻文


ヴェーダのマントラを指す言葉です。

パームリーフに書かれた文献

リグの語源


ऋच्छति स्तौति इति ऋक् । ṛcchati stauti iti ṛk |
「賛美する」のが「リク」、すなわちマントラです。

誰を賞賛しているのかと言うと、デーヴァター達です。


ヴェーダに登場するデーヴァターとは


デーヴァター達とは、重力や、生理機能や、心理機能という形で、

宇宙全体で働き続けている、様々な法則のことです。

「ヴァルナ」と言う名ののデーヴァターは、浄化作用を主に担当しています。

「ヴァーユ」と言う名の風のデーヴァターは、動力を担当しています。

知識のデーヴァターは、「メーダー」と言う女神です。

彼女の担当は、3つ。

1.知識の正しい把握と理解、
2.その記憶、
3.そして、記憶した事を必要な時に取り出せる力
です。

ちなみにこれは、プージャ・スワミジが、私にくれた名前です。

太陽神「スーリヤ」は視覚担当、火の神様「アグニ」はメッセンジャー。

光に関わる原理、つまり視覚、言語伝達、
間違った認識を燃やし尽くし、正しい理解を照らす、
太陽神「スーリャ」
火の儀式で、捧げられたものを燃やし、
各デーヴァターに向けて届けて回るのがアグニのお仕事。
走るのが速いことになっているのだけれど、迅速感あふれる絵はみつかりません。
誰か描いてください!

デーヴァター達との正しい関わりあい方を教えるのが聖典ヴェーダ


皆、365日休み無く、宇宙全体で、私達の身体の中でも、働き続けてくれているのです。

私達の身体や心、家族や社会が健康に機能し、

雨風や森や海や星が、私達の幸せを支えてくれるように機能しているのは、

全て、デーヴァター達の働きのおかげです。

そんなデーヴァター達に、「有難うございます。これからも何かとどうかよろしくお願いします。」

という気持ちの表現が、「デーヴァター達への賞賛・賛美」なのです。

誰だって、「あなたって素敵!出来る人ね!」と褒められると、やる気が出てくるものです。

ましてや、贈り物を捧げられたり、特別に優待されたら、もう、何が何でも張り切ってしまうものです。

それは、人間はもちろん、動物だって、植物だって、そしてデーヴァターだって同じ事です。

生きているものは全て、褒められたいものだっていうのは、面白い事実ですね。

褒め方にもいろいろあって、下手な事を言って、カチンとこられては大変ですから、

「こういう風に賛美すればよい」と教えてくれているマニュアルが、ヴェーダなのです。


デーヴァへの賛美とは?


こう書くと、おべっかを使って、自分の思うように物事を動かそうとしているように見えますが、

もし、動機がそうであっても、最初はそれで構わないのです。

デーヴァターへの賛美の言葉や贈り物を捧げているうちに、

全ての中にデーヴァターを見られるようになるのです。

普通誰もが持っている、「自分が頑張ってやっている!」という態度や、

「世界VS自分」という、緊張とストレス、アップ&ダウンの人生観から、

「全てはデーヴァターによって動かされている」

「自分の能力も、功績も、全てはデーヴァターの働き」という、

謙虚で、視野の広い世界観にシフトして行くのです。

この世界観のみが、本当の意味で平和で、客観的な心を作ってくれるのです。

それは、一日にして成るものではありません。

毎日の生活の中で、デーヴァターと正しく関わり続ける為の生き方を、

ヴェーダは教えてくれているのです。

ヴェーダは、言葉から成る文章によって構成されています。

ヴェーダの中の、韻文の一句の単位を、ऋक् [ṛk] (リク)と呼びます。


子供の幸せを願い続け、「こうすればいいのよ」と教え続ける母、シュルティ(ヴェーダ)


「シュルティ(ヴェーダのこと)」や「ウパニシャッド」が

女性名詞であるように、「リク」もやはり女性名詞です。

前回の「ウマー」でも見たように、知識を授ける役割の象徴は、女性なのですね。

Compassion(救いたいと願う深い思いやり)に溢れる、

母のような存在が、知識の女神、サラスヴァッティーです。

「シュルティ」は、「あなた自身の幸せを願う母親の100倍の存在」という言葉で説明されます。

幸せの追求において、無知や混乱にまみれているが故に、人々は奔走を続けます。

その中で稀に、「自分ではどうにもならない」ことを見極め、助けを求める人がいます。

助けを求めに来た人に対して、

「お馬鹿な事ばっかり繰り返してるから、こんな事になるんでしょ!もう知らない!」

と見捨てる事をせず、

「仕方ないわねぇ」と、

何回でも解かるチャンスを与えてくれるのが、

Compassion溢れる母親である、「シュルティ」なのです。

そして、シュルティの中にある、マントラ(韻文)の部分が「リク」と呼ばれるのです。


== ऋक् [ṛk] - リク(リグ)が使われている文献 ==

バガヴァッド・ギーター9章17節


वेद्यं पवित्रमोङ्कार ऋक्साम यजुरेव च ॥
vedyaṃ pavitramoṅkāra ṛksāma yajureva ca ||

私(バガヴァーン)は、知られるべきもの(vedyaṃ)である。

それは、全てであり(oṅkāraḥ)、その知識は知る人を清める(pavitram)

(つまり、知る人の本質が、何からも影響を与えられないブランマンだと分かる)。

そして、私はリグヴェーダであり、サーマヴェーダ、ヤジュルヴェーダである。

(知識を教える知識体系である。)





<< 前回の言葉 11.ルタ(ऋतम् [r̥tam])<<

真実という意味のサンスクリット語。

ルタとサッティヤ、2ステップの真実の意味を説明します。

   

>> 次回の言葉 13.エーヴァ(एव [eva])>>

「~だけ」と限定するサンスクリット語です。

インド哲学では限定にも何種類もあるのですよ。

お知らせ: 私事ですが。

久々のUPです。
先日、次の3年半コースを担当するアーチャーリアのミーティングがあり、そこで、
公式のサンスクリット語クラスの担任として、正式に任命されました。
さらに、私が作り溜めてきたテキストブックが、共通の教則本として採用されたので、
それの編集に、寝食忘れるほどに没頭していました。

プージャ・スワミジの元での3年半コースにおいて、
クラスを受け持つというのは、とても光栄なことです。
知識の伝承という伝統の中で、外国人でしかも女性である私が、
微力ながらでも一員として機能できるチャンスが与えらたということは、
文字通り、とても有難い事です。

ちなみに、サンスクリット語の教科書ですが、
タイトルは「Sanskrit for Vedanta Students」です。
今までのサンスクリット語の教科書の歴史を塗り替える、革命的な教科書です。
何が革命的かと言うと、まず、解かる様に書かれています。
人間の「認識の構造」に着目し、今までの教科書から、混乱や曖昧さを一掃しました。
すぐに文献を読めるようになり、すぐにパーニニ文法を始められるように構成しています。
自身の著書でありながらも、「革命的な教科書」と呼ぶのにためらいはありません。

教科書は4冊になります。
「Sanskrit for Vedanta Students Volume 1」基本編 ルールやチャートだけをまとめた。
「Sanskrit for Vedanta Students Volume 1 - Exercise Book」基本編の練習問題集。
「Sanskrit for Vedanta Students Volume 2」パーニニと平行して勉強する教科書。
「Sanskrit for Vedanta Students - Sandhi Handbook」超便利!世界一解かり易いサンディの本。システマティックな練習問題も沢山あります。

全ての例文、練習問題は、ヴェーダーンタの文献を元にしています。

2014年2月13日木曜日

11.ルタ(ऋतम् [r̥tam])- 真実

ऋतम् 
[r̥tam] 

neuter - 真実


この言葉には様々な意味がありますが、

ヴェーダーンタ・シャーストラ(文献)で使われている意味を見てみましょう。



「ऋतम् [r̥tam] - ルタ」と聞いてまず思い出すのが、

タイッティリーヤ・ウパニシャッドの最初の章のシャーンティ・パータです

あの有名な、शं नो मित्रं शं वरुणः... śaṃ no mitraṃ śaṃ varuṇaḥ... というマントラです。

このシャーンティ・パータの中で、

ऋतं वदिष्यामि । ṛtaṃ vadiṣyāmi |
「私は真実(ルタ)を話します」

と出てきます。そして、間髪をいれずに、

सत्यं वदिष्यामि ।satyaṃ vadiṣyāmi |
「私は真実(サッティヤ)を話します」

と続きます。

ルタ(ऋतम् [r̥tam] )と サッティヤ(सत्यम् [satyam])は両方とも

「真実」という意味です。

同じ意味の言葉が同時に使われている場合は、

双方の意味の違いを探さなくてはなりません。

これは、文献を読む伝統の中のテクニックのひとつです。

意味の違いは、下でゆっくり見ていきます。

वदिष्यामि [vadiṣyāmi] は「(私は)話します」という意味なので、

合わせてると、どちらも「私は真実を話します」になります。

しかし、マントラの前の行から「त्वाम् [tvām] あなた(ブランマン)」が降りてくるので、

「私は、あなたである真実を話します」となります。

それってどういう意味なのでしょうか?

言葉を一つずつ見て行きましょう。


真実のステップ1 裏を取る


ここでの真実、ऋतम् [r̥tam] (ルタ)は、

特に「何をすべきか」「何を言うべきか」に関して、

自分が正しいと思っているだけではなく、文献や伝統を参考にして、

しっかり正しい事を確認するステップを踏んだ真実です。

人間は無知を持って生まれてくる訳ですから、

自分が正しいと思っていることが間違っていても当然なのです。

そこを、面倒くさがらずに、頼れる情報源に頼り、自分でもしっかり思考して、

きっちり責任を持って「正しい」と言える真実です。


インテレクチュアル・レージネス(思考のだらしなさ)を捨てる


「私は、あなたである真実(ルタ)を話します」とは、

「だらしない考え」を持たない、と言う誓いです。


物理的にだらしない人はあまりいません。

みんな、朝から晩まで、いろんな事に走り回りながら「時間が無い」と言っています。

しかし、なぜそんなに忙しいのか、しっかり考える事を人はしません。

「幸せになりたい」事と、「忙しく走り回る」事との関係を深く検証しないのは、

「思考的だらしなさ」です。


サットサンガ(サポートシステム)があってこそ


何をするべきか、するべきでないか、何を言うべきか、何を言うべきでないか、

それらをはっきりさせるには、様々なサポートシステムが必要です。

サポートシステムとは、

正しい考えに導いてくれる人が周りにいること。

サンスクリット語で「サット(善い人達の)・サンガ(集まり)」です。


グレース(恩恵、幸運)があってこそ


ヴェーダなどの文献は、それらをはっきりさせるための文献ですが、

その文献の理解ににアクセスがあること。

正しい考えが出来る、執着や嫌悪から自由な、客観的理論的な思考が持てること。

これらを持つには、多大なグレース(幸運さ)が必要です。

無知を持って生まれた自分独りではどうにもなりません。

「助けが必要」と認めた時初めて、「助けを受け取る」事が出来るのです。

何をするべきか、何が正しいのか、何が真実なのか、

の正しい理解は、全てがうまくアレンジされてこそなのです。

だから、全てがうまくいくように、全てであるあなた(ブランマン)が、

全てを私の為にうまくアレンジして下さい。=(イコール)グレースを与えてください。


グレースは何処にでもある。それを受ける態勢に自分がなっているか?


バガヴァーン(=ブランマン)は、全てなので、

24時間何処にいても、サポートが受けられます。

その24時間365日のサポートを受け取る準備が自分に出来ているでしょうか?

祈りは、助けを受け取る準備を、自分の中で整えてくれます。

この祈りが「私は、あなたである真実(ルタ)を話します」に含まれているのです。

「思考的だらしなさ」を克服し、正しく考える習慣を持つ事が、

ゆくゆくは、人生の意味を見抜く事につながるのです。


真実のステップ2 話す。


考えや理解のレベルでの真実が「ऋतम् [r̥tam](ルタ)」である時、

それを言動に移すのが「सत्यम् [satyam] (サッティヤ)」です。

自分が何をすべきかについて、正しい理解が持てる事、

そして、それを言葉や行動に移せる事、

そのためのグレース(幸運さ)への祈りが、

このタイッティリーヤのシャーンティ・パタにこめられているのです。


== ऋतम् [r̥tam] - ルタ が使われている文献 ==

カタ・ウパニシャッド 1・3・1

ऋतं पिबन्तौ सुकृतस्य लोके ...
ṛtaṃ pibantau sukṛtasya loke ...

ここでの意味も、ऋतम् [r̥tam] = सत्यम् [satyam] (サッティヤ)ですが、

「必ず実を結ぶ」という意味で、カルマの結果を指しています。
(シャンカラ・バーシャ:ऋतं सत्यम् अवश्यंभावित्वात् कर्मफलं पिबन्तौ।)

カルマの結果とは、つまるところ、

自分の身体や心理も含めた、この宇宙の現在過去未来の全てです。

タイッティリーヤの中で「ऋतम् [r̥tam](ルタ)」と呼ばれている

ブランマンが全てである事と、ここで繋がっているのです。








>> 次回 12.ऋक् [ṛk] - ルク(リグ)>>    



2014年2月11日火曜日

10.ウマー(उमा [umā])- ウマー(パールヴァティの別称)

उमा 
[umā]


feminine - ウマー(パールヴァティの別称)






このブログ初の女性名詞です。

シヴァの伴侶、と言うよりもシヴァの半分、

と言うよりもシヴァと全く離れていない存在の女性です。



「ウマー」の語源 その1:



「ウ」は、シヴァ、パラメーシュワラを指します。

「マー」は、シャクティを表します。

「ウ」の「マー」で、「ウマー」です。

ओः मा, इति उमा। [oḥ mā, iti umā|]


シャクティ


女性というのは、シャクティ(शक्तिः [śaktiḥ] )の象徴です。

ここに在るもの全てを生み出し、動かし、

そして破壊する事により可能性の形に変えていく、

その「力」を、シャクティと呼びます。

存在するものは、あらゆる属性も持たない、

それゆえに、たった一つのアートマンだけなのに、

無数の事象が表現され続けているのは、

このウーマン・パワー、シャクティの仕業です。


シャクティの存在は、シヴァに頼っている


しかし、このシャクティは、それ自体の存在を有していません。

彼女の存在は、完全にシヴァという存在に頼っているのです。

それゆえに、シヴァと全く離れていないのです。

シヴァ自体では何も表現することも、知ることも出来無いので、

シャクティは、シヴァの「Better Half」です。

そして、この2人が揃って、この宇宙が生まれるので、

シヴァとシャクティは、この宇宙の両親です。

ヒンドゥーの神様が皆既婚者なのは、この事に所以しているのです。

シャクティには様々な側面があり、それに従って、

「カーリー」、「パールヴァティ」等、様々な名前で呼ばれます。

この「ウマー」という名前は、

シャクティの中でも、「知識のシャクティ」としての側面を代表しています。


知識の象徴、女神ウマー


ケーナ・ウパニシャッドの最後の方に、ウマーが登場します。

ウマーは知識の象徴として、光り輝く女性という姿で、

インドラ神の前に現れて、ブランマンの知識を乞う彼に、教えを与えます。

サンスクリット語では、知識、特にブランマンの知識を表す言葉は、

ヴィッディヤー、ウパニシャッド、シュルティ、etc...

ほとんどが女性形です。

反対に、知識を必要としている個人を表す言葉は、

ジーヴァ、プルシャ、アートマン、ムムクシュ、

そうですね、ほとんどが男性形です。

何だか象徴的ですね。


「ウマー」の語源 その2:


まだうら若い少女パールヴァティが、

シヴァのハートをゲットして、お嫁さんになりたいと強く願うようになり、

日中日夜、身体を酷使する苦行に励み出します。

それを心苦しく見守っている母親が、

「ウ(もう)、マー(止めて)!」

と言ったのが、彼女の名前になったそうです。



「ウマー」の語源 その3:



「ウマー」を分解して書くと、

「U」「M」「A」

ですね。

これを、並べ替えると、

「A」「U」「M」

になった!

3つ合わせて表記すると「ॐ」。それは、ブランマンの名前です。


= उमा [umā] (ウマー)が使われている文献 =

ケーナ・ウパニシャッド3章12節
これは、上でみました。

3章の話はとても面白く、深いので、また機会があれば、意味を紹介したいです。


ちなみに、「ウマー」を使ったシヴァの名前集:


उमा [umā] (ウマー)の ईशः [īśaḥ] (イーシャ、司る人)で、उमेशः [umeśaḥ](ウメーシャ)
グナのサンディが掛かってますね。

उमा [umā] (ウマー)の पतिः [patiḥ] (パティ、主人)で、उमापतिः [umāpatiḥ](ウマーパティ)

उमा [umā] (ウマー)の कान्तः [kāntaḥ] (カーンタ、愛されてる人)で、उमाकान्तः [umākāntaḥ](ウマーカーンタ)

なんか素敵ですね。。。




<< 前回の言葉 9.उदकम् [udakam] - ウダカ

水の神様「ヴァルナ」、お風呂のマントラなど。






次回の言葉11.ルタ(ऋतम् [ṛtam])>>
               
真実という意味のサンスクリット語の単語です。

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