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2016年11月18日金曜日

81.ヨーガ、ヨガ(योगः [yogaḥ])得ること、精神集中、得る手段

サンスクリット語の発音


もう日本語になったかもしれない、「ヨガ」という言葉。

既に日本語になったとして、日本語の発音としてなら、「ヨガ」という発音でいいと思いますが、

サンスクリット語として発音するのなら、「ヨーガ」と伸ばすべきですね。

なぜなら、サンスクリットには、短い「エ」や「オ」の音は無いからです。

「エー」と「オー」は、二拍分の長い音なので、「yoga」は「ヨーガ」となります。

発音についての記事も、さらに読みやすく・分かり易くアップデートしておきました。

サンスクリットは発音が大事!「ヨガ」は「ヨーガ」、「ヨギ」は「ヨーギー」、「ヨギーニ」は「ヨーギニー」です。 

伸ばしてね。

ヨーガの語源


サンスクリットの言葉は全て、

「原型+接尾語」

という枠組みで説明できます。


「ヨーガ(योग [yoga])」 という言葉は、

動詞の原型「ユジ(युज् [yuj])」に、接尾語「ガンニュ(घञ् [ghañ])」を付加して出来た言葉です。

「ユジとは、つながること、、」と、

サンスクリット語文法を全く知らないヨガの先生でも教えていますが、

動詞の原型ユジには「つながる」という意味以外にも、いくつかの意味があります。

そして、接尾語にもいくつかの意味があります。

動詞の原型の意味と、接尾語の意味を、ひとつずつ組み合わせて、

「ヨーガ(योग [yoga])」というひとつの言葉になるのです。

ゆえに、一言でヨーガといっても、その使われ方によって、様々に意味が異なります。

庭の池に咲く蓮たち。

では、動詞の原型である「ユジ(युज् [yuj])」の意味、

そして、接尾語の「ガンニュ(घञ् [ghañ])」の意味を、

それぞれ見て行きましょう。


動詞の原型「ユジ(युज् [yuj])」の意味


「ユジ(युज् [yuj])」という動詞の原型には3種類あり、

それぞれが別の意味を持っています。

1.「得る、繋げる、など」 という意味 (第7グループのयुज् योगे)

2.「心を集中させる」 という意味  (第4グループのयुज् समाधौ) 

3.「制御する、締め付ける、など」」 という意味 (第10グループのयुज् संयमने) 


いろいろありますね。似てるようで、違う。

ムルガン・テンプルにて。ムルガンの乗り物は、孔雀。

接尾語「ガンニュ(घञ् [ghañ])」の意味


こちらにも様々な意味があります。

・ 「~すること」という、動詞の意味そのものを表す(भावे)

・ 「それによって~するもの」という、動詞の意味である動作を達成するための手段を表す(करणे)

・ 「~されるもの」という、動詞の目的語を表す(कर्मणि)

などなど、、、


3通りの意味のある「ユジ(युज् [yuj])」に、

これまた様々な意味のある「ガンニュ(घञ् [ghañ])」を

組み合わせて作ることが出来るゆえに、

 「ヨーガ」という言葉には使い方によって様々な意味がある


のです。

意味は、「どこで、どのような意図で使われているのか」を見て決定します。


では、「ヨーガ」という言葉がどのように使われているのか、

いくつか例を見てみましょう。


インドの山奥で、野生の孔雀達と共に暮らしています。

一般的な「ヨーガ」の意味


ここでの「一般的」とは、「普通に言語で使われる」、ということで、

「専門用語や固有名詞ではない」、ということです。

一般的に言語の中で「ヨーガ」という言葉は、

「(何か持っていないものを)得ること」として使われる場合が多いです。

「ヨーガ(得ること)・クシェーマ(それを維持すること)」と、

ペアで使われることもあります。

ギーターでも何度かそのようにして出てきますね。

有名なシュローカに、

श्रीभगवानुवाच ।
अनन्याश्चिन्तयन्तो मां ये जनाः पर्युपासते ।
तेषां नित्याभियुक्तानां योगक्षेमं वहाम्यहम् ॥
śrībhagavānuvāca |
ananyāścintayanto māṃ ye janāḥ paryupāsate |
teṣāṃ nityābhiyuktānāṃ yogakṣemaṃ vahāmyaham ||

バガヴァーンは教えました
私と離れた存在ではなく、それを知り、認識し続ける人々、
常に私とひとつである人々のヨーガ(得ること)とクシェーマ(保持すること)を私は与えます。


インドの最大手保険会社のロゴにも使われています。

これです。手の下の文字が読めますか?

ヨーガ・スートラの「ヨーガ」の意味


ヨーガ・スートラと聞いた途端、前のめりになる人は多いのではないでしょうか。

昨今では、ヨガ(アーサナ)を始めて、少しすると、

「体を曲げ伸ばしするだけがヨガじゃない!もっと深い意味があるはず!」

「頭は、ヘッドスタンドするためだけに身体にくっついているのではない!

もうちょっと別の使い方をしなければ!」

と気づき始めた人が、最初に手に取る文献が「ヨーガ・スートラ」である場合が多いようです。





さて、ヨーガ・スートラで使われている「ヨーガ」という言葉の意味は、、

ヨーガ・スートラでの、ヨーガの定義は「योगश्चित्तवृत्तिनिरोधः [yogaścittavṛttinirodhaḥ] 」 ですね。

ヨーガ・スートラの有名な解説書のひとつである、भोज्-वृत्तिः を見てみると、

「योगो युक्तिः समाधानम् [yogo yuktiḥ samādhānam]」とあります。

つまり、、、


2.「心を集中させる」 という意味  (第4グループのयुज् समाधौ) 

という動詞の原型の意味に、

・ 「~すること」という、動詞の意味そのものを表す(भावे)

という接尾語を足した、「心を集中させること」ですね。

ヨーガ・スートラの教える心の集中のテクニックは、様々な面で役に立ちますが、

バガヴァッド・ギーターの教える、カルマ・ヨーガの代替になるようなものではありません。

同じヨーガでも、混同しないように注意しましょう。



ギーターの教えるヨーガ


バガヴァッド・ギーターでも、ヨーガという言葉が繰り返し使われます。

使われる場所・コンテクストによって、意味が大きく変わるので、

単に流通している訳本を読んで自分流に納得するのは危険です。

ギーターもウパニシャッドも全て、その意味を受け継いだ先生から教えてもらうようになっている、

ということは、ギーターとウパニシャッドそのものの中で教えられています。


2章にあるヨーガの二つの定義

समत्त्वं योग उच्यते । २.४८॥ [samattvaṃ yoga ucyate ] と、

योगः कर्मसु कौशलम् । २.५०॥ [yogaḥ karmasu kauśalam] では、

自分に与えられた義務をこなすこと、つまり自分の人生そのものを、

ヨーガへとするために必要な、理解と姿勢が教えられています。

ここで、パタンジャリのヨーガで得た知識を引きずっていると確実に混乱するので、

先にヨーガを勉強してしまった人は、別物として、真っ白な心で向かう必要があります。

そして、3章でも二つのヨーガの定義があります。

लोकेऽस्मिन् द्विविधा निष्ठा पुरा प्रोक्ता मयाऽनघ ।
ज्ञानयोगेन साङ्ख्यानां कर्मयोगेन योगिनाम् ॥३.३॥
loke'smin dvividhā niṣṭhā purā proktā mayā'nagha |
jñānayogena sāṅkhyānāṃ karmayogena yoginām ||3.3||

ここでは二つのライフスタイルが、ヨーガという言葉で教えられています。

6章でもヨーガの定義がされています。

तं विद्याद् दुःखसंयोगवियोगं योगसंज्ञितम् । ६.२३॥
taṃ vidyād duḥkhasaṃyogaviyogaṃ yogasaṃjñitam | 6.23||

その、悲しみによる自己認識(サンヨーガ)から離れること(ヴィヨーガ)が、
ヨーガであると、知りなさい。

世の中にはサンスクリット語だけでも、数え切れないほどの文献がありますが、

人生の意味を完全に満たす文献は、ギーターが包括的で、ギーターだけで充分です。


「○○・ヨーガ」「△△・ヨーガ」のヨーガ

 

最近は、いろいろな名前のヨーガが溢れていますね。

それは、より多くの人が、

消費という市場で推奨されている「幸せになる手段」の限界を見抜きはじめ、

それらとは別の、もっと精神的な、物質的なものに頼らない、

根本的な解決法を探りはじめた証拠です。


ありとあらゆる衣食住の形、快楽の形が提供されているこの消費社会で、

「それもいいけど、私はそれだけの為に生まれてきたわけではない」

「それらは本質的とは言えない。 一時的な気分の良さしかもたらさないから」

「お金やスキル、結婚や家族、地位や名声は手段であり、それ自体がゴールではないのでは?」

という、ものごとの限界の見極めが出来るようになった人も、

「ヨーガ」と名前のつくものに惹かれ、

そして最終的には、

インドの文献で教えられている知識に、おのずと惹かれていくものです。




ここでは、いろいろな「ヨーガ」の中で、どのように「ヨーガ」という言葉が使われているのか、

という点にのみに着目してみましょう。


どうやら、何か目指すものやゴールがあって、それを「得る為の手段」のようですね。

そのような意味の取り方をするなら、

動詞の原型「ユジ」の意味は、「得る」という意味で、

接尾語の意味は、「~する手段」ということになりますね。



もしそうなら、「ヨーガを通して何を得るのか?」

「自分が本当に得るべきものは何か?」

そして、「得るべきものと、その手段は、ちゃんとマッチしているか?」

「手段が目的になっていないか?」

というポイントを明確にするために、常に問いかけ続ける必要があります。

シャンカラーチャーリヤ

なぜなら、人は往々にして、忙しさゆえに、

自分が本当に欲しいもの、求めるべきものに関して混乱しがちで、

混乱ゆえに、「次はこれが私を幸せにしてくれるだろう」と、

手当たり次第に、次から次へと新しいものを追い求め続け、

さらに忙殺され、自分が本当に何を求めるべきか、なんてことを考える暇もなくなってしまう。。。

という、根本的な矛盾に陥ったまま、一生を終えるのが、人間の普通のありかたです。
 
このように、生きて、死に、また生まれては、、、と繰り返すのがサムサーラです。

 (だいぶ前に、人生の目的(プルシャ・アルタ)についてコラムを書きました。)




頭のヨーガ、サンスクリット語の勉強!


どさくさに紛れて、サンスクリット文法の推奨もさせてもらいますね。

サンスクリットの文法を少しでも知ると、

あらゆるサンスクリット文献の理解の深みが一気に増します。

そして、頭のヨガにもなります!脳細胞がプチプチ・パチパチして活性化しますよ!

身体は適度に曲げ伸ばして血流を良くしてあげないと凝り固まってしまうように、

脳みそも、きちんと正しい使い方・考え方を日頃から心掛けておく必要があります。

考えない人などはいませんが、正しく考えるスキル・訓練を受ける機会は少ないですね。。。

サンスクリットはその面で、とても役に立ちます。
 

サンスクリット語の本来の有用性


サンスクリット語の勉強は、頭の細胞の活性化には非常に強力に役立ちますが、

サンスクリット語がこの世界の中で存在している、本来の役目はただ一つです。

サンスクリットは、創造のあり方と人間との間のコミュニケーションの言語として、

人間の幸せの追求の為に役立つ知識を教えるために存在しています。

人間として生まれて来て、満たすべきあらゆる望みを満たすための手段を教える、

言葉の集まりがヴェーダです。

ヴェーダの教える、幸せの追求の手段は、単に望みを満たすだけの手段ではなく、

望みを満たしながら、人間として精神的に成長できる手段です。

精神的に豊かな人生を過ごす中で、成長した心を持つ人に向けて、

ヴェーダの最後の部分であるヴェーダーンタは、

人間の根本的な問題に関して、根本的な解決を教えます。

自分が人間として生まれて来た意味を、完全に満たすために必要な知識は、

この宇宙の仕組みでは、サンスクリット語というヴェーダの言葉で教えられる、

というようになっているのです。




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2016年3月12日土曜日

75.アーサナ(आसनम् [āsanam]) - 座法、座布団

アーサナの語源


動詞の原型「アース(आस् [ās])」は、「座る」という動作を表します。

そこに、「アナ(अन [ana])」という、サンスクリット語によく出てくる接尾語がついて、

आस् [ās] + अन [ana] = आसन [āsana]

となります。

「アナ(अन [ana])」の意味は、実に様々です。

現在の世間一般で、「ヨガ」という言葉の意味となっている、

ポーズをとることによる健康法という意味での「アーサナ」という場合、

「アナ」 は、座るという動作をするための「方法、やり方」となります。

ゆえに、座法という漢訳(?)は正しいですね。


また、 「アナ」 を、座るという動作をするための「場所」とすると、

それは、座る場所、つまり座布団とか、椅子とかになります。



アーサナとは単なる健康法か?


先ほどアーサナを健康法と説明しましたが、

アーサナに思い入れのある人なら、単なる健康法なんかではない!

と思われるかもしれません。

しかし、ヴェーダの文化の全体構成をぐるりと見回す立場から見ると、

アーサナはあくまで、健康法です。


全ては、その限界を知ることから



ヨガでも、瞑想でも、美味しい食べ物でも、お金でも、物でも、地位でも、

どんなに素晴らしい人間関係でも、何でも全て、

それらの限界を知っておくことはとても大事です。

所有物や人間関係、仕事などにおいて、

「これこそが!」と絶対的価値を夢見てしまい、

全人生をかけて没頭してしまうのは、よくあることで、

そのような人に対して、横から囁くようなことはしてはなりませんが、

ヨガや瞑想に入れ込んで、そこで止まってしまうのは、

もったいないなぁ、と思います。

しかし、これもプラーラブダですが。


限界の見極めがつくまでは、人生は何回でも繰り返します。


全てを手に入れ成功する方法を教えてくれるのと同時に、

それらの限界もきっちり教えてくれるのが、ヴェーダなのです。





ここまで言いましたが、しかし、

アーサナが単なる健康法ではない、と言うことも出来ます。


なぜなら、ヴェーダの文化の全体構成に組み入れられているからです。


単なるポーズだけでなく、それを受け継いできた文化に尊敬の態度を持って目を向けると、

全体像が少しずつ見えてきて、ヨガ・アーサナの全体像の中でのポジションが自ずと見えてきます。



伝統の意味



現代の日本やアメリカのみならず、本場インドでも、

○○ヨガ、××ヨガ、、、とかなり現代風にアレンジされています。

私は、伝統を厳格に守るブランミンに囲われて生活しているので、

それらのヨガを、たまに垣間見たときには、絶句してしまいますが、

そのようなものが世界的に主流となっているのが現実です。


アーサナでも、音楽でも、ダンスでも、アーユルヴェーダや占星術、サンスクリット語も全て、

遠い日本で生まれ育った私達が、それらを始めるに至った背景には、

その知識を教え継いでいた先人の存在があります。

まず、その知識の伝承に感謝できるようになって、全てが始まります。

そして、「この伝統文化とは?」ということに興味を持って、

調べたり、実践したりすることは、現代まで伝承してくれた先生方につながり、

全体像につながり、そして自分が正しい知識を得ることにつながります。


こうして、全体像が見えてきて、本当のゴール、本当に手に入れるべきものは何か、

というプルシャ・アルタ・ニスチャヤが出来てくるのです。



馬車の例え



ヴェーダでは、人間の身体は馬車に例えられます。

馬車は走らせて、目的地に辿り着く為にあります。

馬車をチューンナップすることばかりに専念しても意味がありません。

車でも体でも、完全完璧は無理です。当たり前のことですが。

いかに少ない投資で、いかに多く働けるか、のバランスが必要です。

アーサナで造り上げた、しなやかで強く美しいボディで、

どこに向かって走るのですか?




インドの伝統では、プルシャ・アルタという人生の目的の見据え方がはっきりと教えられています。

それをインド人がちゃんと理解しているかどうかは全く別の話ですが!

しかし、日本ではプルシャ・アルタという概念が全く紹介されませんね。

アルタとカーマしか教えられない社会で生きていたら、

そりゃ不安と混乱に満ちた心になるよな、、、、

とインドの山奥で恐ろしく感じます。

交通網も、情報網も、医療機関も、何もかにも「発展」 しているのに、

何の為の発展なのか、その答を教えられるものが無く、

とりあえず楽しく!美味しいもの食べて!

出来るだけ多くのものを消費して!

出来るだけ多くの経験をして!長生きして!

ということぐらいしか教えられないのが現代日本社会です。

当然、空しくなりますね。



長時間座って、何をするべきなのか。


「アーサナ」 という言葉の意味からも分かるように、

結局は、長時間座っていられる身体を造るための実践されるべき智慧が、

ヨガ・アーサナという名前で一般的にしられている言葉の、あるべき意味です。


ヴェーダを基調とした伝統的・文化的な生活規範の全ては、

人間としての成長のためにあります。


自分のするべきこと、社会や家庭での役割・責任を果たすことによってのみ、

人間は成長できます。

これを、ダルマに基づいた生活と言います。

そのために機能できる身体を造り、心をサットヴァにするために、

アーサナのプラクティスは役に立ちます。


ダルマの生活を続けて、人間として成長した人は、

自ずとモークシャに向かうようになります。

最終的にはモークシャを見据えて、

シュラヴァナ、マナナ、二ディッティヤーサナという、

基本的には座りっぱなしの生活を続ける為の身体作りに、

アーサナは最も有効なのです。




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