ओम्
[om]
この言葉は、「神」という言葉と並んで、
「一番大事な言葉なのに、一番誤解されている言葉」でしょう。
単なる誤解だけではなく、正しい認識への扉を閉ざしてしまう弊害のある、
間違った認識がはびこっている言葉とも言えます。
この大事な言葉にこびり付いているサビを、少しずつ落として行きましょう。
表記から分かるように、「オー」の音は、2拍の長音です。
インドでは、ヨガスクールのみならず、どこのアシュラムでも、
「オーーーーーーーーーーーーム」と息の続く限り伸ばすようですが、
それは間違いです。
伸ばしたかったら、3拍まではOK。その場合は、「ओ३म् [o3m] 」と表記します。
何で伸ばしちゃいけないの?と思われるかもしれません。
それには、しっかりした文法的な意味があるのです。
それは、下記の、文法的意味の展開で勉強しましょう。
「ओम् [om] - オーム」の音は、
「A」「U」「M」の3つの音から成ります。
そこまではいいのですが、「A」「U」を続けて言うと、
発声学的法則に従って、「O」になります。
それぞれ離して「A」「U」と発音する事は許されていません。
「ओम् [om] - オーム」はよく、「ॐ」と表記されます。
この表記自体には問題はありません。
しかし、この言葉は、音として意味を成す言葉です。
特に、独自の表記法を持たない、口伝のみによる伝承を守るサンスクリット語では、
どのような表記文字の形にも、意味を持たせる事はありません。
少なくとも、正統な知識の伝承の中には、そのような事は有り得ません。
では、伝統で教えられている、正しい「ओम् [om] 」の意味を見て行きましょう。
意味の展開には、3種類あります。
अवति रक्षति इति ओम् ।
avati rakṣati iti om |
अव् [av] to protect (守る)という動詞の原形から派生したとされます。
そこに、मन् [man] (~する人)という接尾語を足します。
あわせると、「守る人」となります。
最終的に守ってくれる人、頼りになる人、それは全てであるブランマン。
それ以外のものは、無常で、頼れるようには出来ていない、ってことです。
ちなみに、मन् [man] (~する人)は、ブランマンや、アートマンの「マン」です。
ここでは、「man」の「an」の部分が落ちてしまいます。
そして、「av」も「ū」となり、さらには「o」となって、
「o」+「m」で、「om」となるわけです。
こちらも:サンスクリットを習い始めた人に、どうか知って欲しいあれこれ
「ओम् [om] - オーム」の音は、
「A」「U」「M」の3つの音から成ります。
「A」に「U」が続くと、サンディで「O」になりますね。
この世に在る全ては、名前と形のみ、すなわち、知識のみであり、
全ての言語の全ての名前は、始まりの音「A」と、終わりの音「M」の間にある。
すなわち、「A」と「M」の間に、全てがあるので、
「ओम् [om] - オーム」は、宇宙にある全てのものの名前の略語、総称に等しい、
というわけです。
これって、パーニニ文法のブラッティヤハーラみたいですね。
日本やアジア圏全般の寺院で見られる狛犬の口の形も、
一方が「ア」と開けていて、他方は「ン」で閉じている。
(日本語の「ン」には、MとNの区別が無いんですね。)
それにも、同じような意味が与えられていると聞きました。
「ओम् [om] - オーム」の音は、詳しく言うと、
「A」「U」「M」「無音」の4つから構成されます。
4つ目の無音は、最初の3つにも共通して存在しますね。
無音と言うベースがあって、そこに、「A」「U」「M」の3つが表現されているのです。
個人の立場から見ると、
「A」が起きている世界。感覚器官を使って、外にある物理的な世界と関わり、経験している個人。
「U」が夢の世界。物理的ではなく、心理的に認識し、経験している個人。
「M」が、熟睡している世界。物理的にも心理的にも、何も認識できず、
ただただ、自分を個人たらしめている個別性の不在を経験している個人。
人間の経験というものは、生きている間ずっと、毎日、毎秒、
この3つの内のどれかに属しています。
これらの経験は、私達が通常言う「現実」です。
しかし、これら3つの現実は、互いに共存出来ず、1つがあれば、もう1つはない、
互いに否定しあっている存在です。
ということは、この内のどれも、絶対的な存在では無いのです。
なのに、私達は、これら3つを「現実」と呼んでいるのです。
じゃあ、私って、誰なのか?本当の「現実」とは?
この3つの経験している個人を、最終的に傍観している、存在。
それが、「無音」で示されている、個人の本質なのです。
繰り返しますが、経験というものは全て、先の3つのどれかに属しています。
「トゥリーヤ」と呼ばれる4つ目は、経験ではありません。
本当は、4つ目など無いのです。
なぜなら、先の3つのうちのどれも、絶対的な存在は持ち合わせていないからです。
1、2、3と数えられるステータスさえ、本当の意味では、持ち合わせていないのです。
シャンカラーチャーリアは、この4番目を「मायासङ्ख्या [māyāsaṅkhyā]」,
直訳すると、「マジック・ナンバー」と呼んでいます。
3つの音、あるいは3つの経験の、どれでもない、
それらに共通する「無音」が自分の本質であることを「知る」ために、
4つ目に「無音」を持ってきて、私達を分からせようとしているのです。
ヴェーダのマントラは全て、「ओम् [om] - オーム」から始まります。
全ての文献が伝えようとしている事は、この「ओम् [om] - オーム」の意味に他なりません。
でも、しいて言うなら、、、
カタ・ウパニシャッド 1章2節15句
少年ナチケータに真剣にせがまれて、死神ヤマ・ラージャーが、
ブランマヴィディヤーを教えているところ。
सर्वे वेदा यत्पदमामनन्ति । तपाँसि सर्वाणि च यद्वदन्ति ।
यदिच्छन्तो ब्रह्मचर्यं चरन्ति । तत्ते पदं सङ्ग्रहेण ब्रवीमि । ओमित्येतत् ॥
sarve vedā yatpadamāmananti | tapām̐si sarvāṇi ca yadvadanti |
yadicchanto brahmacaryaṃ caranti | tatte padaṃ saṅgraheṇa bravīmi | omityetat ||
”その達成すべきものについて、全てのヴェーダは語っている。
それを得るための手段として、タパス等を(ヴェーダは)教えている。
それを切望している人々は、ブランマチャリアの生活(先生の下での生活)をする。
それについて、手短に教えよう。それは―――「ओम् [om] - オーム」。”
手短過ぎる!
16句から、一音節であるオームについての説明が始まります。
バガヴァッド・ギーター 17章23節
ओं तत्सदिति निर्देशो ब्रह्मणस्त्रिविधः स्मृतः ।
ब्राह्मणस्तेन वेदाश्च यज्ञाश्च विहिताः पुरा ॥
oṃ tatsaditi nirdeśo brahmaṇastrividhaḥ smṛtaḥ |
brāhmaṇastena vedāśca yajñāśca vihitāḥ purā ||
”「Om Tat Sat」は3語から成る、ブランマンの表し方である。
ブランミン(儀式をする人)、ヴェーダ、儀式は、
この3語によって(始まり、終わるように)教えられている。”
この章の中で、サットヴァなカルマとは何かというのを説明しているところです。
この3語(オーム、タット、サット)に関するカルマは、全てサットヴァである、
と教えられているのです。
<< 前回の言葉 14.एषः [eṣaḥ] - エーシャハ <<
サンスクリット語の代名詞、エータドの男性形、第一格、単数形です。
文献で、それが表すものは、とても近いもの、例えば自分です。
>> 次回の言葉 16.オーシュタ(ओष्ठः [oṣṭhaḥ])>>
「くちびる」というサンスクリット語の言葉です。
発声法においてとてもよく出てくる言葉ですよ。
オームといえば、、
[om]
indeclinable - 全て(ブランマン)の音のシンボル
この言葉は、「神」という言葉と並んで、
「一番大事な言葉なのに、一番誤解されている言葉」でしょう。
単なる誤解だけではなく、正しい認識への扉を閉ざしてしまう弊害のある、
間違った認識がはびこっている言葉とも言えます。
この大事な言葉にこびり付いているサビを、少しずつ落として行きましょう。
よくある間違い その1:伸ばしすぎる
表記から分かるように、「オー」の音は、2拍の長音です。
インドでは、ヨガスクールのみならず、どこのアシュラムでも、
「オーーーーーーーーーーーーム」と息の続く限り伸ばすようですが、
それは間違いです。
伸ばしたかったら、3拍まではOK。その場合は、「ओ३म् [o3m] 」と表記します。
何で伸ばしちゃいけないの?と思われるかもしれません。
それには、しっかりした文法的な意味があるのです。
それは、下記の、文法的意味の展開で勉強しましょう。
よくある間違い その2:「アウム」になっている
「ओम् [om] - オーム」の音は、
「A」「U」「M」の3つの音から成ります。
そこまではいいのですが、「A」「U」を続けて言うと、
発声学的法則に従って、「O」になります。
それぞれ離して「A」「U」と発音する事は許されていません。
よくある間違い その3:表記の形に意味があると思われている
「ओम् [om] - オーム」はよく、「ॐ」と表記されます。
この表記自体には問題はありません。
しかし、この言葉は、音として意味を成す言葉です。
特に、独自の表記法を持たない、口伝のみによる伝承を守るサンスクリット語では、
どのような表記文字の形にも、意味を持たせる事はありません。
少なくとも、正統な知識の伝承の中には、そのような事は有り得ません。
では、伝統で教えられている、正しい「ओम् [om] 」の意味を見て行きましょう。
意味の展開には、3種類あります。
1.文法的意味:
अवति रक्षति इति ओम् ।
avati rakṣati iti om |
अव् [av] to protect (守る)という動詞の原形から派生したとされます。
そこに、मन् [man] (~する人)という接尾語を足します。
あわせると、「守る人」となります。
最終的に守ってくれる人、頼りになる人、それは全てであるブランマン。
それ以外のものは、無常で、頼れるようには出来ていない、ってことです。
ちなみに、मन् [man] (~する人)は、ブランマンや、アートマンの「マン」です。
ここでは、「man」の「an」の部分が落ちてしまいます。
そして、「av」も「ū」となり、さらには「o」となって、
「o」+「m」で、「om」となるわけです。
こちらも:サンスクリットを習い始めた人に、どうか知って欲しいあれこれ
2.音声学的意味
「ओम् [om] - オーム」の音は、
「A」「U」「M」の3つの音から成ります。
「A」に「U」が続くと、サンディで「O」になりますね。
この世に在る全ては、名前と形のみ、すなわち、知識のみであり、
全ての言語の全ての名前は、始まりの音「A」と、終わりの音「M」の間にある。
すなわち、「A」と「M」の間に、全てがあるので、
「ओम् [om] - オーム」は、宇宙にある全てのものの名前の略語、総称に等しい、
というわけです。
これって、パーニニ文法のブラッティヤハーラみたいですね。
日本やアジア圏全般の寺院で見られる狛犬の口の形も、
一方が「ア」と開けていて、他方は「ン」で閉じている。
(日本語の「ン」には、MとNの区別が無いんですね。)
それにも、同じような意味が与えられていると聞きました。
3.マーンドゥーキャ・ウパニシャッドで教えられている意味
「ओम् [om] - オーム」の音は、詳しく言うと、
「A」「U」「M」「無音」の4つから構成されます。
4つ目の無音は、最初の3つにも共通して存在しますね。
無音と言うベースがあって、そこに、「A」「U」「M」の3つが表現されているのです。
個人の立場から見ると、
「A」が起きている世界。感覚器官を使って、外にある物理的な世界と関わり、経験している個人。
「U」が夢の世界。物理的ではなく、心理的に認識し、経験している個人。
「M」が、熟睡している世界。物理的にも心理的にも、何も認識できず、
ただただ、自分を個人たらしめている個別性の不在を経験している個人。
人間の経験というものは、生きている間ずっと、毎日、毎秒、
この3つの内のどれかに属しています。
これらの経験は、私達が通常言う「現実」です。
しかし、これら3つの現実は、互いに共存出来ず、1つがあれば、もう1つはない、
互いに否定しあっている存在です。
ということは、この内のどれも、絶対的な存在では無いのです。
なのに、私達は、これら3つを「現実」と呼んでいるのです。
じゃあ、私って、誰なのか?本当の「現実」とは?
この3つの経験している個人を、最終的に傍観している、存在。
それが、「無音」で示されている、個人の本質なのです。
繰り返しますが、経験というものは全て、先の3つのどれかに属しています。
「トゥリーヤ」と呼ばれる4つ目は、経験ではありません。
本当は、4つ目など無いのです。
なぜなら、先の3つのうちのどれも、絶対的な存在は持ち合わせていないからです。
1、2、3と数えられるステータスさえ、本当の意味では、持ち合わせていないのです。
シャンカラーチャーリアは、この4番目を「मायासङ्ख्या [māyāsaṅkhyā]」,
直訳すると、「マジック・ナンバー」と呼んでいます。
3つの音、あるいは3つの経験の、どれでもない、
それらに共通する「無音」が自分の本質であることを「知る」ために、
4つ目に「無音」を持ってきて、私達を分からせようとしているのです。
== ओम् [om] - オーム が使われている文献 ==
ヴェーダのマントラは全て、「ओम् [om] - オーム」から始まります。
全ての文献が伝えようとしている事は、この「ओम् [om] - オーム」の意味に他なりません。
でも、しいて言うなら、、、
カタ・ウパニシャッド 1章2節15句
少年ナチケータに真剣にせがまれて、死神ヤマ・ラージャーが、
ブランマヴィディヤーを教えているところ。
सर्वे वेदा यत्पदमामनन्ति । तपाँसि सर्वाणि च यद्वदन्ति ।
यदिच्छन्तो ब्रह्मचर्यं चरन्ति । तत्ते पदं सङ्ग्रहेण ब्रवीमि । ओमित्येतत् ॥
sarve vedā yatpadamāmananti | tapām̐si sarvāṇi ca yadvadanti |
yadicchanto brahmacaryaṃ caranti | tatte padaṃ saṅgraheṇa bravīmi | omityetat ||
”その達成すべきものについて、全てのヴェーダは語っている。
それを得るための手段として、タパス等を(ヴェーダは)教えている。
それを切望している人々は、ブランマチャリアの生活(先生の下での生活)をする。
それについて、手短に教えよう。それは―――「ओम् [om] - オーム」。”
手短過ぎる!
16句から、一音節であるオームについての説明が始まります。
バガヴァッド・ギーター 17章23節
ओं तत्सदिति निर्देशो ब्रह्मणस्त्रिविधः स्मृतः ।
ब्राह्मणस्तेन वेदाश्च यज्ञाश्च विहिताः पुरा ॥
oṃ tatsaditi nirdeśo brahmaṇastrividhaḥ smṛtaḥ |
brāhmaṇastena vedāśca yajñāśca vihitāḥ purā ||
”「Om Tat Sat」は3語から成る、ブランマンの表し方である。
ブランミン(儀式をする人)、ヴェーダ、儀式は、
この3語によって(始まり、終わるように)教えられている。”
この章の中で、サットヴァなカルマとは何かというのを説明しているところです。
この3語(オーム、タット、サット)に関するカルマは、全てサットヴァである、
と教えられているのです。
【新刊のお知らせ】
インドのアシュラムや家庭で
日常的にチャンティング(朗唱)されている
数々のサンスクリットの祈りの詩節(シュローカ)の中から、
日本の読者に向けて選び集め、
サンスクリット語の原文からの日本語訳と解説を付けました。
祈りの理論&サンスクリット語の祈りのことば Medha Michika 著 祈りの理論&サンスクリット語の祈りのことば Kindle版 (音声付) | |
わかりやすいサンスクリット語の正しい発音と表記 - 詳しい理論解説 発音矯正指導 Medha Michika著 わかりやすいサンスクリット語の発音と表記 Kindle版 (動画・音声付き) |
<< 前回の言葉 14.एषः [eṣaḥ] - エーシャハ <<
サンスクリット語の代名詞、エータドの男性形、第一格、単数形です。
文献で、それが表すものは、とても近いもの、例えば自分です。
>> 次回の言葉 16.オーシュタ(ओष्ठः [oṣṭhaḥ])>>
「くちびる」というサンスクリット語の言葉です。
発声法においてとてもよく出てくる言葉ですよ。
オームといえば、、
サンスクリットは発音が大事!第2弾 「ハリオ~ム」は「ハリヒ・オーム」 |