2015年12月15日火曜日

不動明王 & シヴォーハムとは 仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(3) 


不動明王(ふどうみょうおう)


これは、サンスクリット語の音ではなく、

サンスクリット語の意味から訳された言葉です。

サンスクリット語では「アチャラ・ヴィッディヤー・ラージャ」となるそうで、

シヴァ神の別名だそうす。

1.アチャラ(अचल [acala])  = 不動 
2.ヴィッディヤー(विद्या [vidyā]) = 明 
3.ラージャ(राजः [rājaḥ]) = 王

サンスクリット語の意味はもう、完全にヴェーダ・ヴェーダーンタの世界です。

ひとつひとつの言葉の意味を見て行きましょう


国宝 不動明王 坐像 平安時代 木造彩色

不動=「アチャラ」=動かない者、とはどういう意味?


 「アチャラ(अचल [acala])」とは、「動かないもの」という意味です。

「チャル(चल् [cal])」が「動く」 という意味の動詞の原型です。

最初の「ア」 は否定を表しています。

न चलति [na calati] 動かないものが、「アチャラ(अचल [acala])」。

何で動かないの?

動くには、自分の存在しない場所が必要です。

この世もあの世も全部含めた世界の全てが、神の名に相応しい、シヴァ神です。

まぁ、ヴィシュヌ神でも、ブランマージーでも、ガネーシャでも何でもいいんですけどね。

宇宙の果てまであますことなく、世界の全てがシヴァ神なら、

彼が動いて行くことの出来る場所などあるでしょうか。

あるわけがありませんね。

だから、「アチャラ(अचलः [acalaḥ])」なのです。

そんな知識って、たとえ知ったとしても、

「ふーん、シヴァ神様ってすごいんだねー。

いいよねー、シヴァ神は!

でも私と来たら、こんなちっぽけで惨めで、コンプレックスだらけで。。。」

ちょっと待った!

この世の全てだったら、あなたも含まれています。

他人事ではありません。

あなたがシヴァ神なのです。

「シヴォーハム、シヴォーハム(私がシヴァだ。私がシヴァだ。)」 ですね。



シヴォーハムの意味



この詩の中では、「私は思考でも知性でもアハンカーラでもない。


私は体でも、五大要素でも、何でも、かんでも、ない」

と続けながら、「シヴォーハム、シヴォーハム」と繰り返しますが、

シヴァは、この世もあの世も全ての全てなのだから、

私の思考も姿勢もアハンカーラも、体も何でもかんでも、全部シヴァなのです。

「あれでもない、これでもない」 と全てを否定(というよりは止揚ですね)して、

シヴァと自分の本質において、一つであることを教えたら、

きちんと「あれも、これも、全ては私から存在を得ているのだ」と、

もう一歩進んで教えるのが、責任のあるヴェーダーンタの教え方です。

 「シヴォーハム、シヴォーハム」の詩はシャンカラーチャーリヤによるもので、

内容はもちろん正しいのですが、

シャンカラーチャーリヤの伝統の中で、正しく教えられないと、

とっても危険で無責任な解釈のされ方になってしまいます。

そして、間違った解釈の方が一般的なのも事実です。トホホ。


不動明王 立像 ドーティはいてますね。



明王=「ヴィッディヤー・ラージャ」=「知識の王様」とはどういう意味?



「へぇー。全てはシヴァで、それは私か。そりゃ知らなんだ!」

そう、知らなかっただけなのです。

だから、知るしかないのです。

違いはひとつ、知識だけなのです。

知識はサンスクリット語で「ヴィッディヤー」 ですね。

「ヴィデッィヤー」は光に例えられます。だから「明」なのですね。

自己に関する無知と混乱である「アヴィッディヤー」は、闇に例えられます。

光が来たら、闇は消えます。完全に相反するもので、同居出来ないのです。

知っているときに、知らない、とは言えません。

少し知ってる、なんとなく知ってる、知ってたけど忘れた、

というのは、部分的に知っていて、別の部分は知らないのです。


知ったのなら、経験は要らない



知ってから、「じゃ、シヴァになるように実践するね!」はありえません。

だって「アチャラ(動かないもの)」 ですから。

どれだけあがいても暴れても、ヒマラヤに行こうが、深い瞑想に入ろうが、何をしようが、

シヴァになったり、シヴァを経験することなど、絶対に不可能なのです。

だって、今ここのあなたが既にシヴァ神なわけで、

あなたがシヴァ神でなかった時など無かったわけなのですから。


知ることが私の幸福にどう貢献するのか?


「オッケー。じゃあ、私はこの宇宙の全てであるシヴァ神です。

でも、そんなこと知って、何かいいことあるの?」

逆に訊ねますが、なぜ人類は皆、

今ここの自分とは別の自分になろうとし続けて、

今ここの自分から逃げ続けているのでしょうか?

自分にかけられた制限、環境的、身体的、心理的、なんでもかんでも、

制限が気に入らないからですね。

制限の無い完全な私が「幸せ」の意味なのです。

幸せは、自分の外にある何かではなく、自分の中にしかないのです。

全てであるシヴァの本質は、制限のない、幸せの意味である、

私の本質に他なりません。

その事実は、知ることでしか手に入りません。

自分の意味が、制限のない、幸せの本質であり、

この宇宙の全てであるとき、もう満たされるべき隙間はありません。

その知識を理解したとき、人間として生まれて来た意味の全てが、完全に満たされたのです。




ヴィッディヤー・ラージャ(明王)とは 1


最後の言葉「ラージャ」は、~の王様という意味です。

この知識(ヴィッディヤー)を与えてくれる王様(ラージャ)。

つまり、知識を得るために必要な、先生、環境、それまでに積んだ経験、、、

そして、知識を理解できる、成熟した心を与えてくれるもの。

さらに、この知識の伝承の最初の先生は、サダーシヴァ、つまりシヴァ神です。

人間が経験によって知ることの出来る知識ではないからです。


ヴィッディヤー・ラージャ(明王)とは 2


「全ての知識の(ヴィッディヤー)王様(ラージャ)」と取ることも出来ます。

世の中には様々な知識があれども、このヴェーダーンタの知識だけは特別です。

なぜかというと、自分が完全な存在だと知ってしまえば、

完全ゆえに、それ以上知ることが出来ないからです。

ヴェーダーンタ以外の知識は全て、知れば知るほど、知らないことが出てきます。

ヴェーダーンタの知識は、完全ゆえに、あなたを完全に、足りないところなどあり得ない、

満たされた存在なのだと教えてくれるのです。



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シリーズになっています。


仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(1)阿吽(あうん)、阿伽/閼伽(あか)、阿闍梨(あじゃり)、阿修羅(あしゅら)


仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(2)

阿僧祗(あそうぎ)、尼(あま)、阿羅漢(あらかん)、刹那(せつな)僧伽(さんが)



仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(4)

2015年12月14日月曜日

73.ニャーナ(ज्ञानम् [jñānam]) - ちなみに発音について

ज्ञानम् 
[jñānam]


私自身は、人のことなので、あまり気にしませんが、

多くの生徒から聞かれるので、書き留めておきました。


ニャーナ(ज्ञानम् [jñānam])の発音


ज्ञानम् [jñānam]はよく、「ギャーナ」と発音されますが、

表記をご覧の通り、「G」の音は見受けられません。

「G」の音は、喉から出す音です。

「j」も「ñ」も、舌の中央辺りが、上顎に押し付けられている音です。

「ñ」は、日本語の猫の鳴き声「ニャ」とほぼ同じです。

最初の「j」を考慮し、「ジニャーナ」と言いたくなるところでしょうが、

複合子音の場合、特にこの組み合わせの場合、

最初の音は殆んど聞こえずに、「ッニャーナ」と聞こえます。

こういうことは、生まれ育ちからヴァイディカ(ヴェーダの伝統文化)に沿って生きている、

ブランミンの純粋なパンディット達に囲まれて生活していないと分からないことかもしれません。

もともと、サンスクリット語をカタカナ表記しようとすること自体に無理があるので、

これ以上の議論は避けます。

カタカナ表記に悩んだ末の結果なのでしょう。


しかし、喉の音「G」を使って、「ギャーナ」と発音するのは、

完全な「ブラマ(混乱して道から反れる事)」です。

現代のインド人たちの殆んどが犯しているブラマですが。

ヴェーダに関る文献に触れるのなら、改めたい点ですね。


喉から出す音について


カ行の音(क्  k ख् kh ग् g घ् gh ङ् ṅ )と、ハ行の音(ह् h )は全て、

「カンティヤ(कण्ठ्यः [kaṇṭhyaḥ])」と呼ばれ、

喉(カンタ कण्ठः [kaṇṭhaḥ]) を意識して、喉から出す音です。

喉とは、首の真ん中辺りくらいです。

そこに意識を置いて、日本語のカ行よりはもっと深いところから出す音です。

しかし、ネットでざっと画像検索してみると、喉から出すはずのカンティヤの音が、

舌の付け根をくっつけて発声すると解説した図ばかりが出てきます。

これは間違いです。

出典元は全て、西洋のサンスクリット研究と、

それに完全に頼っている日本のサンスクリット研究でした。

多くの人に知恵の光が灯りますように。

植民地化精神+手探りの西洋式サンスクリット研究



西洋のサンスクリット文法書もいろいろ目を通しましたが、

植民地化精神が根底に貫かれていて、インドの伝統を尊重しないで(というか軽蔑して)、

自分達の分かる範囲で手探りで勉強してきた結果があちこちで見つかります。

つまり、西洋のインド哲学研究や、サンスクリット文法研究は、

「高飛車でお門違い」と結論した方が安全です。

日本の大学のサンスクリット研究は、そんな西洋の研究を基礎としています。

ゆえに、「大学こそがアカデミックなオーソリティー(学術的権威)」と思い込むのは、

サンスクリット語やヴェーダーンタに関しては、とても無意味で危険です。

私自身が、ハーバード大学でサンスクリット語のPhDを取った人を始め、

北米、欧州各国、豪州、そしてBHUを始めとするインドの大学で、

サンスクリット語科の修士や学士を取った人々に、

本場のサンスクリット語文法を教えてきた経験から言えることです。




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http://sanskrit-vocabulary.blogspot.com/2015/12/triputi.html72.トリプティー(त्रिपुटी [tripuṭī])- 
主体・客体・その手段といった、3つ組




http://sanskrit-vocabulary.blogspot.com/2015/11/jnanam.html
71.ニャーナ(ज्ञानम् [jñānam])- (意味1:) 知る手段











2015年12月2日水曜日

72.トリプティー(त्रिपुटी [tripuṭī])- 主体・客体・その手段といった、3つ組

त्रिपुटी
[tripuṭī]

feminine - 主体・客体・その手段といった、3つ組



カタカナで書くと、「幸せ、満足」という意味の「トリプティ(तृप्तिः [tṛptiḥ])」に見えますね。

しかし今回は「3つのモノの集まり」という意味の「トリプティー(त्रिपुटी [tripuṭī]」です。

ローマ字やデーヴァナーガリーで書くと全く違うのに、

カタカナで書くと同じに見えてしまいます。

それゆえに、サンスクリット語をカタカナ表記をする時はいつも、なんとも心苦しくなり、

横にデーヴァナーガリーとローマ字表記をせっせと付けているのです。


カタカナ表記の限界


日本語の仮名は、子音と母音が既に1つになっていて、

子音だけで独立して表記は出来ません。

さらに、日本語にある音の種類は、他のどの言語に比べても、

かなり少ない方です。

母音は5つだけ。

子音は、14??

サ行の中にでも、「S」と「SH」が混じっているし、

ワ行はアとしか合わさらないので、どう数えていいのかも曖昧です。

日本語は、音声学的にかなりシンプルな言語です。

サンスクリット語は、母音が9、子音は33、

さらに日本語には殆んど無い複合子音がいっぱいあります。

そんな訳で、サンスクリット語はもとより、どんな外国語でも、

カタカナ表記してしまうと、本来の発音とはほど遠くなってしまうことは多々あります。


文字習得は、日本人にとっては難しいことではない


日本語は、発音の種類がシンプルなゆえに、会話は学び易いけど、

書き言葉となると、世界一難しい言語かも知れません。

音の少なさゆえに、同音異義語がとてつもなく多く、

漢字表記に大きく頼っているので、学習は大変です。

しかし一方で、使用する文字の種類の多いことから、

デーヴァナーガリー文字など、新しいアルファベットを学習するスピードは、

西洋人に比べて、ぐんと速いのも、日本人の特徴です。

というわけで、何が言いたかったかというと、

そんなに難しいことではないけど、効果は絶大なので、

カタカナ表記の横に添えてある、ローマ字やデーヴァナーガリーにも目を通すくせをつければ、

思っている以上に早く、正しい発音の表記法が習得出来ますよ!

ということでした。

ローマ字は、ヘボン式ローマ字とほぼ同じです。

ちなみに、ヘボンは、ヘップバーンです。ヘボンの方が発音近い?



何でこんな話になったのかというと、

「トリプティ(तृप्तिः [tṛptiḥ])」と

「トリプティー(त्रिपुटी [tripuṭī]」の違いですね。

「トリ(त्रि [tri])」とは、英語のthreeと一緒ですね。3です。

「プタ(पुट [puṭa])」は「~種類」という意味です。

それらが複合語として合わさって「トリプティー(त्रिपुटी [tripuṭī]」です。

何かを説明するときに、その主要な構成要素が3つの場合、

「3つ揃え」として紹介するのに使われます。


「知る」という認識行動に関わるトリプティー


今回なぜ「トリプティー(त्रिपुटी [tripuṭī]」を取り上げたかというと、

「The Value of the Values」の本の中でよく登場するからです。

文法的に説明しなければ、すっきり理解出来ないので、

今回のトピックとして取り上げました。

カタカナよりは、ローマ字やデーヴァナーガリーを見たほうが、

分かり易いかもしれません。


「ニャー(ज्ञा [jñā])= 知る」のトリプティー

1.「ニャーター(ज्ञाता [jñātā])」(知る人、知る主体

2.「ニェーヤム(ज्ञेयम् [jñeyam])」(知られる対象

3.「ニャーナム(ज्ञानम् [jñānam])」(知る手段、認識


「プラマー(प्र + मा [pra + mā])= 知る」のトリプティー

1.「プラマーター(प्रमाता [pramātā])」(知る人、知る主体

2.「プラメーヤム(प्रमेयम् [prameyam])」(知られる対象

3.「プラマーナム(प्रमानम् [pramānam])」(知る手段、認識


それぞれの言葉を良くよく観察してみてください。

前の部分は、動詞の原型(ニャーとかプラマーとか)です。

それぞれのトリプティーに共通にありますね。


一方、後ろの部分(色つき)が、接尾語と呼ばれる部分(ターとか)で、

言葉全体が、動詞の主語なのか、目的語なのか、手段なのか、

はたまた動詞で示されている行為そのものなのかを表しています。


これは、「知る」という認識のプロセスにおいて、

最低必要な要素を表しています。


3つに分けて説明する理由


「知る人」、「知られる対象」、「知る手段」、

これらは全て、当たり前の事ばかりですが、

これらをきっちりした言葉できっちり把握する必要があります。


「知る人」という主体が無ければ、始まらない。

そして、知るからには、「知られる対象」がなければ話にならない。


この世界を体験している私にとって、全宇宙とはこの2つだけです。

いろいろあるように見えるけれども、煮詰めると、

「私」という認識と、「私以外」という対象物の認識しかありません。


「知る人」と「知られる対象」があっても、

「知る手段」が適当でなければ、知ることは出来ません。

さらに、「知られる対象」が「知る手段」によって、

知りうる範囲になければ、それを知ることが出来ない。


サンスクリット語の学習は、ボンヤリ認識していた世界や宇宙を、

構造的にすっきり理論的に把握するのを手伝ってくれます。




五感、推論、言葉などの「知る手段」を使っても、最終的に「心」という

「知る手段」が適当な状態でなければ、うまく知る事はできない。


「知るべき対象」の性質によって、適当な「知る手段」を使わなければ、

知ったことにはならない。


「知る主体」が自身の本質を知ろうとするとき、その「知るべき対象」とは?

その場合の「知る手段」は?

それが全てはヴェーダーンタにつながるのです。



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53.プラマーナ(प्रमाणम् [pramāṇam])- 知る手段、情報源






<< 前回 71.ニャーナ(ज्ञानम् [jñānam])- (意味1:) 知る手段 <<










= 文法に興味がある人へ =

ज्ञा + तृच्     3.1.133 ण्वुल्तृचौ । 動詞の主体を表す接尾語तृच्が付与される
ज्ञा + तृ        अनुबन्धलोपः  取扱説明書的な文字が取り除かれる
ज्ञातृ  
ज्ञाता, ज्ञातारौ, ज्ञातारः... 名詞の活用(男性形)

ज्ञा + यत्      3.1.97 अचो यत् । 動詞の目的語を表す接尾語यत्が、
             母音で終わる動詞の原型に付与される
ज्ञा + य         अनुबन्धलोपः  取扱説明書的な文字が取り除かれる
ज्ञी + य         6.4.65 ईद्यति । यत्の前の長いआはईに変わる
ज्ञे + य          7.3.84 सार्वधातुकार्धधातुकयोः । グナが起きる
ज्ञेय
ज्ञेयम्, ज्ञेये, ज्ञेयानि...  名詞の活用(中性形)

ज्ञा + ल्युट्       3.3.117 करणाधिकरणयोश्च । 動詞の手段や場所を表す接尾語ल्युट्の付与
ज्ञा + यु            अनुबन्धलोपः  取扱説明書的な文字が取り除かれる
ज्ञा + अन         7.1.1 युवोरनाकौ । 接尾語のयुはअनに変わる
ज्ञान
ज्ञानम्, ज्ञाने, ज्ञानानि...  名詞の活用(中性形)



प्र + मा + तृच्     3.1.133 ण्वुल्तृचौ । 動詞の主体を表す接尾語तृच्が付与される
प्र + मा +  तृ        अनुबन्धलोपः  取扱説明書的な文字が取り除かれる
प्रमातृ
प्रमाता, प्रमातारौ, प्रमातारः...  名詞の活用(男性形)

प्र + मा + यत्         3.1.97 अचो यत् । 動詞の目的語を表す接尾語यत्が、
               母音で終わる動詞の原型に付与される
प्र + मा + य           अनुबन्धलोपः  取扱説明書的な文字が取り除かれる
प्र + मी + य           6.4.65 ईद्यति । यत्の前の長いआはईに変わる
प्र + मे + य            7.3.84 सार्वधातुकार्धधातुकयोः । グナが起きる
प्रमेय
प्रमेम्, प्रमेये, प्रमेयानि...  名詞の活用(中性形)

प्र + मा  + ल्युट्       3.3.117 करणाधिकरणयोश्च ।
प्र + मा  + यु           अनुबन्धलोपः  取扱説明書的な文字が取り除かれる
प्र + मा  + अन        7.1.1 युवोरनाकौ । 接尾語のयुはअनに変わる
प्रमान
प्रमानम्, प्रमाने, प्रमानानि...  名詞の活用(中性形)

2015年11月9日月曜日

71.ニャーナ(ज्ञानम् [jñānam])- (意味1:) 知る手段

ज्ञानम् 
[jñānam]

<意味1> 知る手段 (करणे व्युत्पत्तिः)


サンスクリットの言葉は派生の仕方で意味が変わる


「ニャーナ(ज्ञानम् [jñānam])」には、下に述べる文法的な理由から、

様々な意味を持たせることが出来ます。

今回は、バガヴァッド・ギーター13章11の中で、

「एतज्ज्ञानमिति प्रोक्तम् [etajjñānamiti proktam] ...」と言われている、

「ニャーナ(ज्ञानम् [jñānam])」について取り上げます。


バガヴァッド・ギーター13章7~11のシュローカで教えられている、
ウパニシャッドの理解に先立つ「心の成熟」について、
じっくり解き明かした一連のレクチャーです。

毎週木曜日に開催しているThe Value of Values のクラスのトピックでであり、

重要なポイントなので、今回の言葉にしました。


ニャーナの語源


「知る」という意味の動詞の原型「ニャー(ज्ञा [jñā])」に、

接尾語「リュット(ल्युट् [lyuṭ])」を付加します。

「リュット(ल्युट् [lyuṭ])」は「アナ(अन [ana])」に形を変えます。

これは突然変異のようなもので、理屈はありません。

「リュット(ल्युट् [lyuṭ])」は「アナ(अन [ana])」なる。

そして、「ニャー(ज्ञा [jñā])」+「アナ(अन [ana])」で、

「ニャーナ(ज्ञानम् [jñānam])」になる訳です。


サンスクリット語の中で最もよく見かけられる接尾語、「リュット(ल्युट् [lyuṭ])」


接尾語「リュット(ल्युट् [lyuṭ])」は、動詞を名詞に変化させる接尾語です。

サンスクリット語の単語の中で最頻出と言ってよいくらい、

「リュット(ल्युट् [lyuṭ])」つまり「アナ(अन [ana])」で終わる言葉は沢山あります。

ヨガのポーズとして知られる「アーサナ(आसनम् [āsanam])」、

座布団や座る場所も、アーサナと言いますね。

瞑想は「ディヤーナ(ध्यानम् [dhānam])」、

達成手段は「サーダナ(साधनम् [sādhanam])」、

見ることは「ダルシャナ(दर्शनम् [darśanam])」、

結びつけるものは「バンダナ(बन्धनम् [bandhanam])」ですね。

結ぶバンダナと、ムリッティユンジャヤ・マントラに出てくるバンダナは、

同じ言葉ですね。

どれも全部、「アナ」 で終わっていますね。


さまざまな意味を持つ、接尾語「リュット(ल्युट् [lyuṭ])」


接尾語「リュット(ल्युट् [lyuṭ])」の意味には、何でもありと言っていいくらい、

沢山あります。

主に使われるのが、「バーヴェー(भावे [bhāve])」と呼ばれる、

動詞そのものを示す意味で、「~すること」という意味の名詞を造ります。

例えば、「ニャー(ज्ञा [jñā])」の後ろに、

「バーヴェー(भावे [bhāve])」の意味において「リュット(ल्युट् [lyuṭ])」を足して出来た言葉、

「ニャーナ(ज्ञानम् [jñānam])」 は、「知ること」という意味の単語になります。


また、「カルマニ(कर्मणि [karmaṇi])」と呼ばれる、

動詞の対象物や目的語を示す意味でも「リュット(ल्युट् [lyuṭ])」は使われます。

この場合の 「ニャーナ(ज्ञानम् [jñānam])」は、「知る対象、知識」という意味になります。

同じ形でも、違う意味になるのです。


そして、「カラネー(करणे [karaṇe])」 と呼ばれる、

動詞の手段、方法を示す意味で「リュット(ल्युट् [lyuṭ])」を使えば、

同じ 「ニャーナ(ज्ञानम् [jñānam])」でも、「知る手段、知る為に必要な道具」となります。


バガヴァッド・ギーター13章11で言われている 「ニャーナ(ज्ञानम् [jñānam])」は、

この「カラネー(करणे [karaṇe])」という意味で取られます。

ウパニシャッドの知識を得るために必要な、心のあり方です。

それはつまり、人間として成長をした心のあり方です。

結局人生のゴールというのは何なのか、を明らかにし、

その達成に必要な、成長した心のあり方とは何か、を明らかにすることによって、

成長した心のあり方という価値(value)に、価値(value)を見出す必要があります。

それらは、仕事や子育てといった、その人それぞれに与えられた

家庭や社会の責任と義務を果たすことによって、意識して培かっていくものなのです。


次回は、「知る主体」「知る対象物」「知る手段」といった、

ヴェーダーンタのディスカッションに必要不可欠な、

トリプティー(त्रिपुटी [tripuṭī]) という概念について、文法的な説明しますね。




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2015年10月29日木曜日

サンスクリット語の数字をまとめました カウントのしかた

サンスクリット語で数字は「サンキャー(सङ्ख्या [saṅkhyā])」です。

カウントするとき


特に何かを形容するわけではなく、単にカウントするだけなら、中性形を使います。

0.シューンニャム(शून्यम् [śūnyam])०

1.エーカム(एकम् [ekam])१
2.ドヴェー(द्वे [dve])२
3.トリーニ(त्रीणि [trīṇi])३
4.チャットヴァーリ(चत्वारि [catvāri])४
5.パンチャ(पञ्च [pañca])५
6.シャット(षट् [ṣaṭ])६
7.サプタ(सप्त [sapta])७
8.アシュタ(अष्ट [aṣṭa]/अष्टौ [aṣṭau])८
9.ナヴァ(नव [nava])९
10.ダシャ(दश [daśa])१०
11.エーカーダシャ(एकादश [ekādaśa])११
12.ドヴァーダシャ(द्वादश [dvādaśa])१२
13.トラヨーダシャ(त्रयोदश [trayodaśa])१३
14.チャトルダシャ(चतुर्दश [caturdaśa])१४
15.パンチャダシャ(पञ्चदश [pañcadaśa])१५
16.ショーダシャ(षोडश [ṣoḍaśa])१६
17.サプタダシャ(सप्तदश [saptadaśa])१७
18.アシュターダシャ(अष्टादश [aṣṭādaśa])१८
19.ナヴァダシャ(नवदश [navadaśa])१९
20.ヴィムシャティヒ(विंशतिः [viṃśatiḥ])२०


19までは男性形、女性形、中性形と3つの性を持つことが出来ますが、
20は女性形の単数形しかありません。面白いですね。

サンスクリットの数字の表。
便利かなと思って作ってみました。
ご活用ください。


サンスクリット語の数字は、どこまで行っても名詞です。ゆえに活用します。
さらに性や数が絡み合って活用するので、きっちり系統立てないとごっちゃになります。
さらに序数もあるし。

でも、複合語の場合は活用しないので、簡単です。

それぞれの数字の説明

1~5 
6~10

序数の場合

その次回に書きますね。


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2015年10月27日火曜日

70.サラッスヴァティー(सरस्वती [sarasvatī])ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:4

सरस्वती
[sarasvatī]

1. 芸術と学問を司る女神


2. サラス(水)を持つもの


ナヴァラトリーの間に全ての女神の記事を
上げるつもりでしたが、新刊の入稿に追われておりました。
でも、無事にアマゾンで公開されました
同じ師を持つ心強い人々に助けてもらい、
いろんな意味でドキドキ、ワクワクしながら本作りが出来ました。
本当に皆様、ありがとうございます。
紙の書籍ももうすぐ発刊されます。楽しみです。

では、本題に入りましょう。

本来の発音に近いのは「サラッスヴァティー」ですが、
日本語では「サラスワティ」として広く知られていますね。

1.芸術と学問を司る女神


「サラッスヴァティーは、日本では弁財天という名で知られています」

とサラリと説明して「そーなんだー」と言ってもらうことも出来ますが、

私はそういう説明はどうかな?と思います。


なぜなら、日本人は学校でも家でも塾でも、勉強する前や楽器を弾く前に、

毎日毎回、必ず弁財天様にお祈りなんてしませんね。

インドでは、クラスの始まりごとにサラッスヴァティーに祈りを捧げ、

マントラ、シュローカ、ストートラ、スークタムなどを唱えたり、

ジャパをしたりして、一日に何回もサラッスヴァティーを思い出す習慣があります。


本や楽器をサラッスヴァティーそのものの表れとして拝み、

ナマスカーラをしたり、クンクマをつけたりし、

本を床に置かない、足に触れたり上に座ったり絶対しない、

食べ物や飲み物を触った手で絶対に触らない、

という規律を守って尊敬を表します。

もし誤って、足で触れてしまったり、落としてしまったりしたら、

本に対して頭や目を付けて謝罪します。

インドのサラッスヴァティーは、毎日このように扱ってもらっています。

それほど、サラッスヴァティーと、私達の毎日の生活、

そして私達の知識に対する態度とが密接に、

深く深く個人的に関っているのです。

神社やお寺の中ではなく、

私の舌の上に、私の頭の中に居てください、

と毎日お願いし、

私が話したり書いたり考えたり出来るのは、

全てサラッスヴァティーのおかげ、

と毎日認識する習慣を幼い頃から植え付けるのがインドの文化です。


一方、日本の弁財天様はどうでしょうか。


「弁財天」と言ってしまうと、ちょっと遠いイメージになってしまうので、

私はインドの神様を、日本の神様を通して説明するのには抵抗があるのです。


オン・ソラソバテイエイ・ソワカ


ちなみに、弁財天様の真言「オン・ソラソバテイエイ・ソワカ」は、

もちろんですが、サラッスヴァティーのマントラ

「ॐ सरस्वत्यै स्वाह [om sarasvatyai svāha]」が訛ったものですね。

「スヴァーハ(स्वाह [svāha] )」はデーヴァターに対して

捧げものをする時に発する言葉です。それが「ソワカ」と訛ったのですね。

ちなみにご先祖様に対しては「スヴァダー(स्वधा [svadhā])」です。

デーヴァターの名前は第4格で表されます。

「サラッスヴァティー」の第4格は、

「サラッスヴァッティヤイ(सरस्वत्यै [sarasvatyai])」です。

それが「ソラソバテイエイ」と訛った。わかりやすいですね。

「オン」は「オーム(ओम् [om])」ですね。

「ॐ」という書き方は、単なる風習で、その形自体に意味はありません。

ヴェーダの伝統では、「オーム(ओम् [om])」は音のシンボル(プラティーカー)であり、

形のシンボル(プラティマー)では無いからです。

「ॐ」の形について薀蓄を言うのは、伝統の外にある人達です。


サンスクリット語の単語の2種類の意味


辞書に載せられているような、よく使われるサンスクリット語の名詞には、

通常2種類の意味があります。

ひとつは「ヨーギカ・アルタ(योगिकार्थः [yogikārthaḥ])」といって、

文法的な語源を元にした意味です。

もうひとつは「ルーディー・アルタ(रूढ्यर्थः [rūḍhyarthaḥ])」と呼ばれる、

一般によく知られて通用している意味です。


ヨーギカとルーディーが同じでない場合は、

ルーディーの意味が優先されます。

サラッスヴァティーのヨーギカ・アルタは「水を持つ者=川」ですが、

ルーディー・アルタは「学問の神様」です。

ラクシュミーを真ん中にして、
ガネーシャとサラッスヴァティーという構図が
よく見かけられます。
世間一般の優先順位なのでしょうか。

2. サラス(水)を持つもの


サラッスヴァティー川は、現在のインドとパキスタンの国境辺りにあったとされています。

衛生写真で見ると、地形や古い町の分布から、

その存在が明らかだとする研究をしている人の発表を見たことがあります。

物理的にどうであれ、それに対する個人の態度が、

その人の学問に対する姿勢、

そしてその学問が教えてくれる知識に対する姿勢に影響するのです。


サラッスヴァティーの絵の意味


両手に持っているのは、「ヴィーナー(वीणा [vīṇā])」と呼ばれる

古くからある弦楽器です。現在でもいくつかの種類が残っています。

中でもルッドラ・ヴィーナーという種類のヴィーナーは特に珍しく、

現在それを演奏できる人はごく僅かです。

伝説の故ヴィーナー・マハラージ
ルッドラ・ヴィーナーを轢くことが出来た最後の一人、
とリシケシで誰かに教えてもらいましたが、
南インドにはまだいます。
ちなみに、弁天さんが持っている琵琶(びわ)は、

ヴィーナーが訛ったものみたいですね。今回初めて気付いた!

バラモンがブラーンマナが訛ったものであるということも、ごく最近気付きました。


右手に持っているのは、スパティカ・マーラー、水晶の数珠です。

スパティカは、その透明性から、明瞭な思考・理解を象徴しています。

左手に持っているのは、ヴェーダですね。

ちなみにサラッスヴァティーの伴侶は、

4つのヴェーダを象徴する4つの顔を持つ、ブランマージーですね。

サラッスヴァティーは普通、蓮の上に座っています。

乗り物(ヴァーハナ)は、ハムサ(हंसः [haṃsaḥ])白鳥です。

白鳥は、水の混じったミルクが与えられても、

ミルクだけを飲むことが出来る、という言い伝えがあり、

それが「ヴィヴェーカ(विवेकः [vivekaḥ])」を表しています。

ヴィヴェーカとは、見た目は似ているけど、本質は違う、

二つのものが混じっているとき、それを見分ける能力です。

人間が人間として生まれて来た意味を満たすために、

一番大事で、必要不可欠な能力が、ヴィヴェーカなのです。

ヴィヴェーカについては、また今度ゆっくり説明しますね。



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関連記事:

 67.カーリー(काली [kālī]) 
ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:1


 68.ドゥルガー(दुर्गा [durgā])
ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:2

69.ラクシュミー(लक्ष्मीः [lakṣmīḥ])
ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:3










人生の豊かさを決定する2人のレディース 
ラクシュミーとサラスワティ










या देवी सर्वभूतेषु मातृरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu mātṛrūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||

या देवी सर्वभूतेषु शक्तिरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu śaktirūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||

या देवी सर्वभूतेषु लक्ष्मीरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu lakṣmīrūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||

या देवी सर्वभूतेषु बुद्धिरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu buddhirūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||

2015年10月25日日曜日

新刊のお知らせ:祈りの本を出版しました



私は日本でも、お祈りをしにお寺や神社、

ご先祖様のお墓を訪れることはありましたが、

毎日の習慣として、そして自己成長の手段として

お祈りを教えてもらったのはインドに来てからでした。

そして、祈りが、私の手をとって正しい方向へ導き、

時間を掛けながら私の人生を変えてくれました。

でも、祈りはインドにいなくても、どこに居ても出来ます。

私がインドに来る前、日本やアメリカで働いていたときに、

祈りについてもっと知るきっかけがあったら、

誰かに教えてもらっていたら、

祈りという、もうひとつの幸せになる手段、自己成長の手段があることを、

知っていたら良かっただろうな、と思います。

そういう思いでこの本を著しました。

とても縁起の良いヴィジャヤ・ダシャミー(विजयदशमी [vijayadaśamī])の日に、アマゾンで電子書籍を出版しました。

追記: 紙の書籍版もアマゾンで発売開始しました。

最初の理論の部分は、祈りを日本語で紹介することについて、
プージャ・スワミジに相談した際にいただいたアドヴァイスを反映させました。

私がプージャ・スワミジの元で学んだ、ヴェーダの伝統のスピリッツが、
端々にまで浸透している一冊です。

ヴェーダーンタやサンスクリット語に興味を持たれたて来た方が、
まず一番に習うプレーヤー(祈りの句)を、学び易いレイアウトでまとめました。



 こちらはKidle版です。(iPod, iPad, Androidでも読めます。)

追記: 紙の書籍版もアマゾンで発売開始しました。

それぞれのシュローカについて、祈りの目的の紹介、サンスクリット語の単語一語一語に関しての対訳、そして全体の訳、さらに発音のポイントを説明しています。

さらに、「祈りって何?」「誰に祈るの?」「神様を信じる必要はある?」といった、祈りの疑問に関しても、現代人の腑にすっきり落ちるよう、全て理論的に答えています。

幸せの意味、ヨーガの意味、といったコラムも挿入しました。

内容紹介

祈りは、幸せになりたいという望みを表現する行為です。
行為であるがゆえに、必ず結果を生みます。

第一部祈りの理論では、
「祈りとは何か」「誰に祈るのか」といった疑問対して、現代人の腑にすっと落ちる理論的な回答・解説をしています。

第二部サンスクリット語の祈りのシュローカ(詩句)では、
古来インドにおいて口伝で受け継がれてきたサンスクリット語の祈りの詩句を、一語一語ていねいに、伝統に沿って解説しました。

(印刷書籍版ページ数:108ページ)

目次

第一部 
祈りの理論
一、 祈りについて
1) 祈りとは 8
2) 行為とは 14
3) 自由意志とは 16
4) 自由意志が最も自由な行為、祈り 21
5) 祈りは必ず結果を生む 22
6) 祈りによって得られるもの(ベネフィット) 22
7) 祈りについて知ることが、祈りの効果を高める 25
8) 誰に対して祈るのか 25
9) 何を祈るのか 28
10) どうやって祈るか 32
11) 集合的な皆の祈り 36
12) 祈りのある生活 36

二、 サンスクリット語の祈りについて
1) ヴェーダとは 37
2) 祈りに関する知識 37
3) デーヴァターとは 38
4) デーヴァター達の姿かたち 38
5) ナマハ、ナマスカーラ 39
6) サンカルパ 40
7) マントラとは 41
8) シュローカとは 41
9) シュローカの意味 41


本書の発音と表記について 43


第二部 
サンスクリット語の祈りのシュローカ

1. ガネーシャへの祈り 48
2. サラッスヴァティーへの祈り 50
3. 先生への祈り 52
4. 文献の勉強の前にする祈り 54
5. 平和を願う祈り 60
6. 朝起きたときの祈り 68
7. お風呂に入るときの祈り 70
8. 食事の前の祈り 72
9. 一日を通しての祈り 74
10. 就寝前の祈り 78
11. 祈りの最後に唱えるシュローカ 80

付録1: ガネーシャへの祈り 88
付録2: ヨーガ・クラスの始まりの祈り 91
付録3: スーリヤ・ナマスカーラ・マントラ 96

全シュローカ集 99


= コラム目次 =
コラム – 1: 生まれてきた意味 67
コラム – 2: 幸せの意味 84
コラム – 3: ヴェーダが教える幸せの意味 86
コラム – 4: ヨーガの意味 87
コラム – 5: 人助けは自分の成長を助ける 90
コラム – 6: 思いやり、アヒムサー 94
コラム – 7: 祈りの作法と習慣 98


より多くの人の幸福と平和に貢献できますように。
祈りを込めて。

Medha Michika


アマゾンでのMedha Michikaの著書一覧

Medha Michikaの著書

も参照ください。



2015年10月20日火曜日

69.ラクシュミー(लक्ष्मीः [lakṣmīḥ])ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:3

 लक्ष्मीः
[lakṣmīḥ]


1.ヴィシュヌの伴侶、ラクシュミー


2.努力する人に恩恵を与えるもの



あらゆる形の富の象徴


ラクシュミーは、あらゆる形の富の象徴です。

金銀財産はもちろん、権力、勝利、家族や食糧といった、

人間が持てる豊かさの全ては、ラクシュミーの表れです。

ケララ人のスワミ曰く、

ケララ州では、どんな家庭にでも、家の中に

「この家族は、ラクシュミーの恩恵によって成り立っている」

と書いたお札を奉っているそうです。

酔っ払って、「この家はな~誰のおかげでな~」と説教する&されるよりも、

より視野が宇宙に向けて広く、 客観的で謙虚な姿勢ですね。


アシュタ・ラクシュミー


ラクシュミーの八つの姿を合わせて、

アシュタ(8)・ラクシュミーと呼びます。


ダナ(財産)・ラクシュミー、

サンターナ(子孫繁栄)・ラクシュミー

ジャヤ(勝利)・ラクシュミー

ダーンニャ(穀物)・ラクシュミー

アイシュヴァリヤ(統治力)・ラクシュミー

ヴィーリャ(力)・ラクシュミー

ガジャ(象)・ラクシュミー

など、いろいろあって、何が8なのか、特に決まっていないみたいです。

豊かさを表すものなら何でもラクシュミーってことなのです。


1.ヴィシュヌの伴侶


विष्णोःपत्न्याम् अमरः

シヴァの伴侶はパールヴァティー、

ブランマージーの伴侶はサラッスヴァティー、

ヴィシュヌの伴侶は、ラクシュミーです。



ラクシュミージーは、手に蓮の花「パッドマ(पद्मम् [padmam])」を

持っている姿で描かれることが多いので、

「蓮の花を持つ者(女性)」という意味の

「パッドミニー(पद्मिनी [padminī])」もしくは

「パッドマヴァティー(पद्मवती [padmavatī])」

という名前で呼ばれます。

「パッドマ(पद्मम् [padmam])」に「~を持つ者」という意味の

「イン(इन् [in])」もしくは「マット(मत् [mat])」という接尾語を付けると、

「パッドミン(पद्मिन् [padmin])」「パッドマヴァット(पद्मवत् [padmavat])」

となります。

「ヨーガ」が「ヨーギン」に、「バガ」が「バガヴァット」になるのと、

全く同じ要領です。

そして、それらを女性形にしたければ、女性形の接尾語「イー」を付ければよいだけ。

それぞれ「パッドミニー」、「パッドマヴァティー」に、そして

「ヨーギニー(योगिनी [yoginī])」「バガヴァティー(भगवती [bhagavatī])」

となるわけです。


2.ラクシュミーの文法的語源


「印をつける、定義する、見つける」といった意味を持つ、

「ラクシュ(लक्ष् [lakṣ])」という動詞の原型に、

「ミー(मी [mī])」という、動作の主格を表す接尾語を付けて、


「ラクシュミー(लक्ष्मी [lakṣmī])」 となります。

これで、「見る人」となるわけですね。


「神様がこっちを見てくれる」ってどういう意味で取ればよい?



ヒンドゥーでは、「神様がこっちを見てくれる」、というのは、

「贔屓にしてもらえる=思い通りに事を運んでくれる=幸運を与えてくれる」

という意味として捉えられます。

ラクシュミーの御眼鏡に適うのは、どんな人?

लक्षयति पश्यति उद्योगिनमिति।
lakṣayati paśyati udyoginamiti|

「努力する人を見るもの、ラクシュミー」 という定義があります。

努力と運(ダイヴァ)は、車輪に例えられます。

「右側だけでも、左側だけでも駄目で、

両方無いと前に進めない」、という意味です。


ラクシュミーの活用


「ラクシュミー」は名詞の原型です。

「イー」で終わる女性名詞ですが、活用するときは注意が必要です。

上でも見たように、「ラクシュミー」の「イー」 は、

動作の主格を表す接尾語であって、

女性形を作るために足される接尾語では在りません。

(カーリーを参照のこと)

女性形の単語を作るための「イー」という接尾語で終わる単語は、

第一格・単数においては、「ナディー」と、名詞の原型と同じ形になりますが、

「ラクシュミー」の場合は、「ラクシュミーヒ」と、最後にヴィサルガが付くのです。

第一格・単数以外の形は、「ナディー」「ラクシュミー」とも、全て同じです。

なぜそんなことが起きるのかと言いますとね、

第一格・単数を表す接尾語は「S」 の音であり、

ヴィサルガの元となります。

女性形の単語を作るための「イー」という接尾語で終わる単語の場合、

その「S 」が落ちてしまいます。

それで、「ナディー(Sが落ちてヴィサルガが聞こえない)」となるわけです。

しかし、「ラクシュミー」の「イー」は、女性形の接尾語ではないので、

「S」 が落ちず、「ラクシュミーヒ」となるわけですな。

同じような単語は、ラクシュミーと同じ意味の「シュリー(श्रीः [śrīḥ])」や、

知能・知性といった意味の「ディー(धीः [dhīḥ])」などがあります。

文法が好きな方は、このシュローカを覚えると良いでしょう。

अवीतन्त्रीतरीलक्ष्मीधीह्रीश्रीणामुणादितः ।
अपि स्त्रीलिङ्गवृत्तीनां सोर्लोपो न कदाचन ॥
(これら7つの女性形の単語は、उणादि-प्रत्ययで終わっているので、
सुँ-लोपが起きません、という意味です。)


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今日のシュローカ
या देवी सर्वभूतेषु लक्ष्मीरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu lakṣmīrūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||

この宇宙の全てのものの中で、ラクシュミー(富、豊かさ)という形で存在する、

そのデーヴィー(女神)へ、私の感謝と尊敬の念を表します。
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http://sanskrit-vocabulary.blogspot.com/2015/10/kali.html67.カーリー(काली [kālī]) 
ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:1








http://sanskrit-vocabulary.blogspot.in/2015/10/durga.html


ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:2  ドゥルガー(दुर्गा [durgā])

2015年10月19日月曜日

68.ドゥルガー(दुर्गा [durgā])ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:2

दुर्गा 
[durgā]

1.ドゥルガー女神、創造と破壊の力(シャクティ)


2.理解されにくいもの



まず一つ目の意味から。


1.ドゥルガー女神、創造と破壊の力(シャクティ)


昨日のカーリーと同じように、創造と破壊を象徴する女神です。

カーリーはその名の通り、青黒い色で描かれていますが、

ドゥルガーは白くて、ライオンに乗っています。

マヒシャースラ・マルディニーとしても知られています。

その名の通り、マヒシャースラという魔物を殺したからことから由来している名前です。


アイ ギリナンディニ ナンディタメーディニ ヴィシュヴァヴィノーディニ ナンディヌテ~~

ギリヴァラヴィンディヤシローディニヴァーシニ ヴィシュヌヴィラーシニ ジシュヌヌテ~

私の好きな、『マヒシャースラ・マルディニー・ストートラム』です。

一見難しそうだけど、一度口に出すと、スラスラ出てきて、止まらない。しかも長い。

いかにもシャクティ!っという感じで力の湧き出るストートラムです。

バガヴァティ へー シティカンタクトゥンビニ ブーリクトゥンビニ ブーリクリテ~~

ジャヤ ジャヤ へー マヒシャースラマルディニ ランミャカパルティニ シャイラステ~

ここまでで1つのシュローカ。これが20番まで続きます。


なぜ武器を持った姿で描かれているのか


ドゥルガーはもちろん、カーリーも、ラーマも、ヴィシュヌも皆、

武器を持った姿で描かれています。

「守ってあげる準備はいつでも出来てるよ!」という意味です。

頼りにしたいから祈っている訳です。

何をどうもってして、頼りになるのか、本当のところを考え出したとき、

それに答えるのがヴェーダーンタです。

そして、二つ目の意味。


2.理解されにくいもの


दुर्दुःखेन गम्यते प्राप्यते
[durduḥkhena gamyate prāpyate]


「ドゥル(दुर् [dur])」=難しい

「ガム(गम् [gam])」は「行く」以外にも「理解する」という意味でも使われます。

「ガム(गम् [gam])理解」+「ダ(ड [ḍa])~されるもの」

この「ダ(ड [ḍa])」は、「ड् [ḍ]」の部分が取扱説明書で、

「अ [a]」の部分が中身です。

中身である「अ [a]」をどうやって取り扱うべきか、「ड् [ḍ]」が教えているのです。

「ड् [ḍ]」が教えるメッセージは、、

「前にある言葉の中の、最後の母音から始まる音を全て消して下さい」

(文法が好きな人の為に:डित्त्वसामर्थ्यादभस्यापि टेर्लोपः । という有名なपरिभाषाです。)

ということは、「गम् [gam]」の「am」の部分を消してしまうということですね。

そうすると、「ग् [g]」+「अ [a]」=「ガ(ग [ga])」だけになります。

女性名詞なので、女性接尾語「アー(आ [ā])」を付けて、

「ガー(गा [gā])」ですね。

「अ [a]」+「आ [ā]」=「アー(आ [ā])」、ディールガ・サンディです。

そこに、「ドゥル(दुर् [dur])」を付けて、

「ドゥルガー(दुर् [dur])」、理解し難いもの(女性)となるわけです。



どうしてドゥルガーは理解し難いのか?



ドゥルガー・デーヴィー(女神)は、シヴァ(イーシュヴァラ)と一心同体です。

離れて存在は出来ません。

アルダ・ナーリーシュワラの姿は、それを理解しやすい形ですね。


アルダ(半分)・ナーリー(女性)・イーシュヴァラなのです。

जगतः पितरौ वन्दे पारिवतीपरमेश्वरौ ।
jagataḥ pitarau vande pārivatīparameśvarau |

これは、カーリダーサ(昨日見ましたね)のラグ・ヴァムシャの

有名な、最初の祈りのシュローカです。

私が教えている3年コースのサンスクリット語のクラスでも、

毎日皆で唱えています。

「ジャガット(この宇宙の全て)の父母である、

パールヴァティーとパラメーシュヴァラに、

尊敬の念を表します。」

イーシュヴァラは、シャクティと、不離一体なのです。

だからこそ、その本質はひとつ。アドヴァイタです。


ひとつしか無いのだから、しかもそれはあなたでしかあり得ないのだから、

これほど分かりやすい事は無いのに!と思うのですが、

「ドゥルガー(理解され難いもの)」なのです。


理解に必要なもの



「理解」というからには、マインド(心、頭脳)が必要です。

マインドが準備されていなければ、理解は出来ません。

掛け算をまだ習っていないマインドが、

「8X9=72」を理解できないのと同じです。


ヴェーダーンタの「イーシュヴァラはあなたです」のヴィジョンも、

準備の出来ていない心=人間として成熟していない心

では理解出来ません。


それゆえに、こんなに明解な真実も、

「そういう意見って面白いよね。分かる分かる!

でも僕は違うと思うけど。」で片付けられてしまうのです。


心の準備、つまり人間として成熟した心とは、

出来るだけ短い言葉で言うと、客観的で、コンパッションのある心です。

当たり前と言えば、当たり前のことですが、

客観性やコンパッションというものは、

それの価値を充分理解し、意識して培っていくものです。


そして、そんな人間として成熟した心は、

自分のすべきこと「スヴァダルマ(स्वधर्मः [svadharmaḥ])」

に徹した生き方でしか得られません。


何が人間として成熟した心なのか?


上で示したように、プラマーナのはっきりしているインドでは、

人間としての成熟とはなにかも、はっきり定義され、詳しく説明されています。


一方、プラマーナの無い国、日本では、それははっきりしていませんね。

何でも「個人の問題」で片付けられて、さまよい続けています。

もちろん個人差はありますが、

日本人ほど、全体的にダルマのレベルが高い国も珍しいのに、

「何がダルマか」というのを、はっきりしたがらずに、

「個人」「感覚」「好きなことを!」という傾向が強く、

せっかく真面目に生きているのに、方向性が与えられていないのは、

インドから見ていて面白いです。っていうか、もったいない!ですね。


インドは元祖「ダルマ」の国で、

揺れ動かない普遍的な「成熟した心」の価値感が、

何千年と伝えられている国なのにも関らず、

全体的に「君たち自由過ぎるよ~!!」のように感じることが多いです。


どちらにせよ、ウパニシャッドでもギーターでも、

アドヴァイタは、「理解され難いものである」と何度も言われています。

宇宙の創造がそういう風に出来ているのですね。


ハッピー・ナヴァラートリー!

2015年10月18日日曜日

67.カーリー(काली [kālī]) ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:1

काली
[kālī]
カーリー


1.カーラ(シヴァ)の伴侶

2.黒い色をした女神




ナヴァ・ラートリーとは


カールティカ月の新月の次の日から、九夜続けて、

女神に祈りを捧げる期間が、ナヴァ(9)・ラートリー(夜)です。

どの日にどの女神に祈りを捧げるかは、地方によって異なります。

女神はサンスクリット語で「デーヴィー (देवी [devī])」です。

デーヴィーは全て、「シャクティ(शक्तिः [śaktiḥ])」と呼ばれる、

創造する力、可能性を象徴しています。



今日はまず、パールヴァティーの姿のひとつである、

カーリーを紹介しますね。

「カーリー(काली [kālī])」の定義のひとつめ、

1.カーラと呼ばれる、シヴァの伴侶が、カーリー。


कालस्य शिवस्य पत्नी ङीष्

「カーラ」に女性形の接尾語「イー」がついて、

それが原因で「カーラ」の最後の「ア」がとれて、

「カーリー」と成るわけです。

カーラ(कालः [kālaḥ])」とは、「時間」という意味。

破壊を象徴するシヴァの名前のひとつです。

時間は、全てのものを破壊に導きますね。

微生物も、巨大な恒星も、全ては時間の中に存在します。

毎秒、時間に蝕まれ続けているのです。

ゆえに、カーラは死神の名前でもあります。


しかし、シヴァは死神よりももう一歩上を行きます。

「カーラカーラ」は、もうひとつのシヴァの名前です。

意味は「カーラ(時間の)カーラ(破壊者)」。

時間ってどうやって破壊できるの?

ふたつの切り口から説明できます。

時間も創造の一部。作られては消えていくものです。

時間は絶対的な存在ではありません。

最近の物理学もそれに気付き始めています。

では、時間はどこから表れて、時間はどこへ消え去るのか?

それが、シヴァです。

創造が始まり、創造が維持され、創造が幕を閉じる、

創造が存在できているのは、存在とは離れていない、

でも独立した存在。

もうひとつの切り口は、

「自分は時間の範囲内にある」という、

サムサーラの根源となる、無知からくる考えにピリオドを打つ、

「私は時間の範囲内にはいない」というウパニシャッドの知識です。

アムリタのところで見ましたね。

2Dの絵を見るためには、自分はもうひとつ別の次元にいなければならない。

この世界は3D。ってことは、この世界を見ているあなたは、何次元にいるの?

時間をもうひとつの次元と数えるなら、

時間を対象化しているあなたは、時間と言う次元からも、

もうひとつ別の存在であるはず。

こんなにシンプルなのに、誰もまともに受け入れられない、

ウパニシャッドの知識です。

その知識の理解が、カーラを破壊してしまう、という意味です。


知識の宿る、人間として成熟した心


ちなみに、なぜまともに受け入れられないかというと、

心の準備ができていないからです。

心の準備は、アヒムサーに代表される、ダルマの生き方を

生きることによってのみ、培われます。

ダルマの生き方とは、家族・社会・環境(デーヴァター)へ

奉仕・配慮・貢献といった、義務を果たす生き方です。


シヴァの伴侶とは?


そんなシヴァと、ひとときたりとも離れていない存在。

2人別々に存在出来てしまうのなら、それはドヴァイタですからね。

「ブランマン+マーヤー=イーシュワラ」といった、

ヨーガ界にまかり通っている、危険な方程式です。

そんなことを教える人は混乱していますし、

混乱している人に限って、多くのデヴォーティーを抱え、

さらにその混乱を広めているのです。まぁ、世の中そんなものですが。


デーヴィーはシヴァから存在を得ているけど、

シヴァは独立した存在です。

それを表しているのが、これらの絵なのです。

2.黒い色の者(女性形)



「カーラ」は「黒」という意味もあります。

そこに女性形をつくる接尾語「イー」が付いて、「カーリー」です。


謎めかしい絵の意味


カーリー女神を表す絵は、怖いですね。

しかし何で、こんな恐ろしい形相で、しかも伴侶のシヴァを踏みつけているのでしょうか。

この絵の象徴するものは一体何なのでしょうか。



創られたものは全て、破壊の道を辿る。

それが創造のあり方です。それが創っては破壊し続ける女神のあり方です。

それに私達は目を奪われて、時間の範囲の中で一生ジタバタして、

彼女の思う壺、ペロンと食べられます。

彼女を支えているシヴァも、彼女の創造のパワー(シャクティ)に

圧倒されているかのよう。私達の目には入ってきません。

当の本人のシヴァは、彼女を支えているにも関わらず、

血なまぐさい光景に巻き込まれず、シャーンティです。

変わり続ける現象を、変わらない意識という存在で見続けている、

絵のこちら側、現象のこちら側の、自分と言う意味の意識なのです。


この絵に関して、いろいろ薀蓄を言う人々はいるでしょうが、

つまらない薀蓄に心を奪われて、大事な点を逃し、

カーリーの絵の中に飲み込まれないように、気をつけて下さいね。



カーリー信仰


マハラーシュトラでは、ガネーシャ、

グジュラートではクリシュナ、

タミルではムルガンが人気であるように、

ベンガル地方では、カーリーが人々の信仰を集めています。


かの有名な、パラマナムサ・ラーマクリシュナも、カーリーの信仰者でした。

ラグ・ヴァムシャを著した、カーリダーサも、「カーリーの召使・信仰者」という意味です。


毎日、デーヴィーの祈りの句を紹介しますね。

या देवी सर्वभूतेषु शक्तिरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu śaktirūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||


この宇宙にある全てのものの中で、

シャクティという形で表現される、

デーヴィー(女神)に対して、

繰り返し、尊敬と感謝の認識を表現(ナマハ)します。



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ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:2  ドゥルガー(दुर्गा [durgā])
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