काली
[kālī]
カーリー
カールティカ月の新月の次の日から、九夜続けて、
女神に祈りを捧げる期間が、ナヴァ(9)・ラートリー(夜)です。
どの日にどの女神に祈りを捧げるかは、地方によって異なります。
女神はサンスクリット語で「デーヴィー (देवी [devī])」です。
デーヴィーは全て、「シャクティ(शक्तिः [śaktiḥ])」と呼ばれる、
創造する力、可能性を象徴しています。
今日はまず、パールヴァティーの姿のひとつである、
カーリーを紹介しますね。
「カーリー(काली [kālī])」の定義のひとつめ、
कालस्य शिवस्य पत्नी ङीष्
「カーラ」に女性形の接尾語「イー」がついて、
それが原因で「カーラ」の最後の「ア」がとれて、
「カーリー」と成るわけです。
「カーラ(कालः [kālaḥ])」とは、「時間」という意味。
破壊を象徴するシヴァの名前のひとつです。
時間は、全てのものを破壊に導きますね。
微生物も、巨大な恒星も、全ては時間の中に存在します。
毎秒、時間に蝕まれ続けているのです。
ゆえに、カーラは死神の名前でもあります。
しかし、シヴァは死神よりももう一歩上を行きます。
「カーラカーラ」は、もうひとつのシヴァの名前です。
意味は「カーラ(時間の)カーラ(破壊者)」。
時間ってどうやって破壊できるの?
ふたつの切り口から説明できます。
時間も創造の一部。作られては消えていくものです。
時間は絶対的な存在ではありません。
最近の物理学もそれに気付き始めています。
では、時間はどこから表れて、時間はどこへ消え去るのか?
それが、シヴァです。
創造が始まり、創造が維持され、創造が幕を閉じる、
創造が存在できているのは、存在とは離れていない、
でも独立した存在。
もうひとつの切り口は、
「自分は時間の範囲内にある」という、
サムサーラの根源となる、無知からくる考えにピリオドを打つ、
「私は時間の範囲内にはいない」というウパニシャッドの知識です。
アムリタのところで見ましたね。
2Dの絵を見るためには、自分はもうひとつ別の次元にいなければならない。
この世界は3D。ってことは、この世界を見ているあなたは、何次元にいるの?
時間をもうひとつの次元と数えるなら、
時間を対象化しているあなたは、時間と言う次元からも、
もうひとつ別の存在であるはず。
こんなにシンプルなのに、誰もまともに受け入れられない、
ウパニシャッドの知識です。
その知識の理解が、カーラを破壊してしまう、という意味です。
ちなみに、なぜまともに受け入れられないかというと、
心の準備ができていないからです。
心の準備は、アヒムサーに代表される、ダルマの生き方を
生きることによってのみ、培われます。
ダルマの生き方とは、家族・社会・環境(デーヴァター)へ
奉仕・配慮・貢献といった、義務を果たす生き方です。
そんなシヴァと、ひとときたりとも離れていない存在。
2人別々に存在出来てしまうのなら、それはドヴァイタですからね。
「ブランマン+マーヤー=イーシュワラ」といった、
ヨーガ界にまかり通っている、危険な方程式です。
そんなことを教える人は混乱していますし、
混乱している人に限って、多くのデヴォーティーを抱え、
さらにその混乱を広めているのです。まぁ、世の中そんなものですが。
デーヴィーはシヴァから存在を得ているけど、
シヴァは独立した存在です。
それを表しているのが、これらの絵なのです。
「カーラ」は「黒」という意味もあります。
そこに女性形をつくる接尾語「イー」が付いて、「カーリー」です。
カーリー女神を表す絵は、怖いですね。
しかし何で、こんな恐ろしい形相で、しかも伴侶のシヴァを踏みつけているのでしょうか。
この絵の象徴するものは一体何なのでしょうか。
創られたものは全て、破壊の道を辿る。
それが創造のあり方です。それが創っては破壊し続ける女神のあり方です。
それに私達は目を奪われて、時間の範囲の中で一生ジタバタして、
彼女の思う壺、ペロンと食べられます。
彼女を支えているシヴァも、彼女の創造のパワー(シャクティ)に
圧倒されているかのよう。私達の目には入ってきません。
当の本人のシヴァは、彼女を支えているにも関わらず、
血なまぐさい光景に巻き込まれず、シャーンティです。
変わり続ける現象を、変わらない意識という存在で見続けている、
絵のこちら側、現象のこちら側の、自分と言う意味の意識なのです。
この絵に関して、いろいろ薀蓄を言う人々はいるでしょうが、
マハラーシュトラでは、ガネーシャ、
グジュラートではクリシュナ、
タミルではムルガンが人気であるように、
ベンガル地方では、カーリーが人々の信仰を集めています。
かの有名な、パラマナムサ・ラーマクリシュナも、カーリーの信仰者でした。
ラグ・ヴァムシャを著した、カーリダーサも、「カーリーの召使・信仰者」という意味です。
毎日、デーヴィーの祈りの句を紹介しますね。
या देवी सर्वभूतेषु शक्तिरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu śaktirūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||
この宇宙にある全てのものの中で、
シャクティという形で表現される、
デーヴィー(女神)に対して、
繰り返し、尊敬と感謝の認識を表現(ナマハ)します。
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ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:2 ドゥルガー(दुर्गा [durgā])
ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:3 ラクシュミー(लक्ष्मीः [lakṣmīḥ])
前の記事 セートゥ・サーマ(सेतुसाम [setusāma])
[kālī]
カーリー
1.カーラ(シヴァ)の伴侶
2.黒い色をした女神
ナヴァ・ラートリーとは
カールティカ月の新月の次の日から、九夜続けて、
女神に祈りを捧げる期間が、ナヴァ(9)・ラートリー(夜)です。
どの日にどの女神に祈りを捧げるかは、地方によって異なります。
女神はサンスクリット語で「デーヴィー (देवी [devī])」です。
デーヴィーは全て、「シャクティ(शक्तिः [śaktiḥ])」と呼ばれる、
創造する力、可能性を象徴しています。
今日はまず、パールヴァティーの姿のひとつである、
カーリーを紹介しますね。
「カーリー(काली [kālī])」の定義のひとつめ、
1.カーラと呼ばれる、シヴァの伴侶が、カーリー。
कालस्य शिवस्य पत्नी ङीष्
「カーラ」に女性形の接尾語「イー」がついて、
それが原因で「カーラ」の最後の「ア」がとれて、
「カーリー」と成るわけです。
「カーラ(कालः [kālaḥ])」とは、「時間」という意味。
破壊を象徴するシヴァの名前のひとつです。
時間は、全てのものを破壊に導きますね。
微生物も、巨大な恒星も、全ては時間の中に存在します。
毎秒、時間に蝕まれ続けているのです。
ゆえに、カーラは死神の名前でもあります。
しかし、シヴァは死神よりももう一歩上を行きます。
「カーラカーラ」は、もうひとつのシヴァの名前です。
意味は「カーラ(時間の)カーラ(破壊者)」。
時間ってどうやって破壊できるの?
ふたつの切り口から説明できます。
時間も創造の一部。作られては消えていくものです。
時間は絶対的な存在ではありません。
最近の物理学もそれに気付き始めています。
では、時間はどこから表れて、時間はどこへ消え去るのか?
それが、シヴァです。
創造が始まり、創造が維持され、創造が幕を閉じる、
創造が存在できているのは、存在とは離れていない、
でも独立した存在。
もうひとつの切り口は、
「自分は時間の範囲内にある」という、
サムサーラの根源となる、無知からくる考えにピリオドを打つ、
「私は時間の範囲内にはいない」というウパニシャッドの知識です。
アムリタのところで見ましたね。
2Dの絵を見るためには、自分はもうひとつ別の次元にいなければならない。
この世界は3D。ってことは、この世界を見ているあなたは、何次元にいるの?
時間をもうひとつの次元と数えるなら、
時間を対象化しているあなたは、時間と言う次元からも、
もうひとつ別の存在であるはず。
こんなにシンプルなのに、誰もまともに受け入れられない、
ウパニシャッドの知識です。
その知識の理解が、カーラを破壊してしまう、という意味です。
知識の宿る、人間として成熟した心
ちなみに、なぜまともに受け入れられないかというと、
心の準備ができていないからです。
心の準備は、アヒムサーに代表される、ダルマの生き方を
生きることによってのみ、培われます。
ダルマの生き方とは、家族・社会・環境(デーヴァター)へ
奉仕・配慮・貢献といった、義務を果たす生き方です。
シヴァの伴侶とは?
そんなシヴァと、ひとときたりとも離れていない存在。
2人別々に存在出来てしまうのなら、それはドヴァイタですからね。
「ブランマン+マーヤー=イーシュワラ」といった、
ヨーガ界にまかり通っている、危険な方程式です。
そんなことを教える人は混乱していますし、
混乱している人に限って、多くのデヴォーティーを抱え、
さらにその混乱を広めているのです。まぁ、世の中そんなものですが。
デーヴィーはシヴァから存在を得ているけど、
シヴァは独立した存在です。
それを表しているのが、これらの絵なのです。
2.黒い色の者(女性形)
「カーラ」は「黒」という意味もあります。
そこに女性形をつくる接尾語「イー」が付いて、「カーリー」です。
謎めかしい絵の意味
カーリー女神を表す絵は、怖いですね。
しかし何で、こんな恐ろしい形相で、しかも伴侶のシヴァを踏みつけているのでしょうか。
この絵の象徴するものは一体何なのでしょうか。
創られたものは全て、破壊の道を辿る。
それが創造のあり方です。それが創っては破壊し続ける女神のあり方です。
それに私達は目を奪われて、時間の範囲の中で一生ジタバタして、
彼女の思う壺、ペロンと食べられます。
彼女を支えているシヴァも、彼女の創造のパワー(シャクティ)に
圧倒されているかのよう。私達の目には入ってきません。
当の本人のシヴァは、彼女を支えているにも関わらず、
血なまぐさい光景に巻き込まれず、シャーンティです。
変わり続ける現象を、変わらない意識という存在で見続けている、
絵のこちら側、現象のこちら側の、自分と言う意味の意識なのです。
この絵に関して、いろいろ薀蓄を言う人々はいるでしょうが、
つまらない薀蓄に心を奪われて、大事な点を逃し、
カーリーの絵の中に飲み込まれないように、気をつけて下さいね。
カーリー信仰
マハラーシュトラでは、ガネーシャ、
グジュラートではクリシュナ、
タミルではムルガンが人気であるように、
ベンガル地方では、カーリーが人々の信仰を集めています。
かの有名な、パラマナムサ・ラーマクリシュナも、カーリーの信仰者でした。
ラグ・ヴァムシャを著した、カーリダーサも、「カーリーの召使・信仰者」という意味です。
毎日、デーヴィーの祈りの句を紹介しますね。
या देवी सर्वभूतेषु शक्तिरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu śaktirūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||
この宇宙にある全てのものの中で、
シャクティという形で表現される、
デーヴィー(女神)に対して、
繰り返し、尊敬と感謝の認識を表現(ナマハ)します。
ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:2 ドゥルガー(दुर्गा [durgā])
ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:3 ラクシュミー(लक्ष्मीः [lakṣmīḥ])
前の記事 セートゥ・サーマ(सेतुसाम [setusāma])