लक्ष्मीः
[lakṣmīḥ]
ラクシュミーは、あらゆる形の富の象徴です。
金銀財産はもちろん、権力、勝利、家族や食糧といった、
人間が持てる豊かさの全ては、ラクシュミーの表れです。
ケララ人のスワミ曰く、
ケララ州では、どんな家庭にでも、家の中に
「この家族は、ラクシュミーの恩恵によって成り立っている」
と書いたお札を奉っているそうです。
酔っ払って、「この家はな~誰のおかげでな~」と説教する&されるよりも、
より視野が宇宙に向けて広く、 客観的で謙虚な姿勢ですね。
ラクシュミーの八つの姿を合わせて、
アシュタ(8)・ラクシュミーと呼びます。
ダナ(財産)・ラクシュミー、
サンターナ(子孫繁栄)・ラクシュミー
ジャヤ(勝利)・ラクシュミー
ダーンニャ(穀物)・ラクシュミー
アイシュヴァリヤ(統治力)・ラクシュミー
ヴィーリャ(力)・ラクシュミー
ガジャ(象)・ラクシュミー
など、いろいろあって、何が8なのか、特に決まっていないみたいです。
豊かさを表すものなら何でもラクシュミーってことなのです。
विष्णोःपत्न्याम् अमरः
シヴァの伴侶はパールヴァティー、
ブランマージーの伴侶はサラッスヴァティー、
ヴィシュヌの伴侶は、ラクシュミーです。
ラクシュミージーは、手に蓮の花「パッドマ(पद्मम् [padmam])」を
持っている姿で描かれることが多いので、
「蓮の花を持つ者(女性)」という意味の
「パッドミニー(पद्मिनी [padminī])」もしくは
「パッドマヴァティー(पद्मवती [padmavatī])」
という名前で呼ばれます。
「パッドマ(पद्मम् [padmam])」に「~を持つ者」という意味の
「イン(इन् [in])」もしくは「マット(मत् [mat])」という接尾語を付けると、
「パッドミン(पद्मिन् [padmin])」「パッドマヴァット(पद्मवत् [padmavat])」
となります。
「ヨーガ」が「ヨーギン」に、「バガ」が「バガヴァット」になるのと、
全く同じ要領です。
そして、それらを女性形にしたければ、女性形の接尾語「イー」を付ければよいだけ。
それぞれ「パッドミニー」、「パッドマヴァティー」に、そして
「ヨーギニー(योगिनी [yoginī])」「バガヴァティー(भगवती [bhagavatī])」
となるわけです。
「印をつける、定義する、見つける」といった意味を持つ、
「ラクシュ(लक्ष् [lakṣ])」という動詞の原型に、
「ミー(मी [mī])」という、動作の主格を表す接尾語を付けて、
「ラクシュミー(लक्ष्मी [lakṣmī])」 となります。
これで、「見る人」となるわけですね。
ヒンドゥーでは、「神様がこっちを見てくれる」、というのは、
「贔屓にしてもらえる=思い通りに事を運んでくれる=幸運を与えてくれる」
という意味として捉えられます。
ラクシュミーの御眼鏡に適うのは、どんな人?
लक्षयति पश्यति उद्योगिनमिति।
lakṣayati paśyati udyoginamiti|
「努力する人を見るもの、ラクシュミー」 という定義があります。
努力と運(ダイヴァ)は、車輪に例えられます。
「右側だけでも、左側だけでも駄目で、
両方無いと前に進めない」、という意味です。
「ラクシュミー」は名詞の原型です。
「イー」で終わる女性名詞ですが、活用するときは注意が必要です。
上でも見たように、「ラクシュミー」の「イー」 は、
動作の主格を表す接尾語であって、
女性形を作るために足される接尾語では在りません。
(カーリーを参照のこと)
女性形の単語を作るための「イー」という接尾語で終わる単語は、
第一格・単数においては、「ナディー」と、名詞の原型と同じ形になりますが、
「ラクシュミー」の場合は、「ラクシュミーヒ」と、最後にヴィサルガが付くのです。
第一格・単数以外の形は、「ナディー」「ラクシュミー」とも、全て同じです。
なぜそんなことが起きるのかと言いますとね、
第一格・単数を表す接尾語は「S」 の音であり、
ヴィサルガの元となります。
女性形の単語を作るための「イー」という接尾語で終わる単語の場合、
その「S 」が落ちてしまいます。
それで、「ナディー(Sが落ちてヴィサルガが聞こえない)」となるわけです。
しかし、「ラクシュミー」の「イー」は、女性形の接尾語ではないので、
「S」 が落ちず、「ラクシュミーヒ」となるわけですな。
同じような単語は、ラクシュミーと同じ意味の「シュリー(श्रीः [śrīḥ])」や、
知能・知性といった意味の「ディー(धीः [dhīḥ])」などがあります。
文法が好きな方は、このシュローカを覚えると良いでしょう。
अवीतन्त्रीतरीलक्ष्मीधीह्रीश्रीणामुणादितः ।
अपि स्त्रीलिङ्गवृत्तीनां सोर्लोपो न कदाचन ॥
(これら7つの女性形の単語は、उणादि-प्रत्ययで終わっているので、
सुँ-लोपが起きません、という意味です。)
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今日のシュローカ
या देवी सर्वभूतेषु लक्ष्मीरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu lakṣmīrūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||
この宇宙の全てのものの中で、ラクシュミー(富、豊かさ)という形で存在する、
そのデーヴィー(女神)へ、私の感謝と尊敬の念を表します。
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67.カーリー(काली [kālī])
ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:1
ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:2 ドゥルガー(दुर्गा [durgā])
[lakṣmīḥ]
1.ヴィシュヌの伴侶、ラクシュミー
2.努力する人に恩恵を与えるもの
あらゆる形の富の象徴
ラクシュミーは、あらゆる形の富の象徴です。
金銀財産はもちろん、権力、勝利、家族や食糧といった、
人間が持てる豊かさの全ては、ラクシュミーの表れです。
ケララ人のスワミ曰く、
ケララ州では、どんな家庭にでも、家の中に
「この家族は、ラクシュミーの恩恵によって成り立っている」
と書いたお札を奉っているそうです。
酔っ払って、「この家はな~誰のおかげでな~」と説教する&されるよりも、
より視野が宇宙に向けて広く、 客観的で謙虚な姿勢ですね。
アシュタ・ラクシュミー
ラクシュミーの八つの姿を合わせて、
アシュタ(8)・ラクシュミーと呼びます。
ダナ(財産)・ラクシュミー、
サンターナ(子孫繁栄)・ラクシュミー
ジャヤ(勝利)・ラクシュミー
ダーンニャ(穀物)・ラクシュミー
アイシュヴァリヤ(統治力)・ラクシュミー
ヴィーリャ(力)・ラクシュミー
ガジャ(象)・ラクシュミー
など、いろいろあって、何が8なのか、特に決まっていないみたいです。
豊かさを表すものなら何でもラクシュミーってことなのです。
1.ヴィシュヌの伴侶
विष्णोःपत्न्याम् अमरः
シヴァの伴侶はパールヴァティー、
ブランマージーの伴侶はサラッスヴァティー、
ヴィシュヌの伴侶は、ラクシュミーです。
ラクシュミージーは、手に蓮の花「パッドマ(पद्मम् [padmam])」を
持っている姿で描かれることが多いので、
「蓮の花を持つ者(女性)」という意味の
「パッドミニー(पद्मिनी [padminī])」もしくは
「パッドマヴァティー(पद्मवती [padmavatī])」
という名前で呼ばれます。
「パッドマ(पद्मम् [padmam])」に「~を持つ者」という意味の
「イン(इन् [in])」もしくは「マット(मत् [mat])」という接尾語を付けると、
「パッドミン(पद्मिन् [padmin])」「パッドマヴァット(पद्मवत् [padmavat])」
となります。
「ヨーガ」が「ヨーギン」に、「バガ」が「バガヴァット」になるのと、
全く同じ要領です。
そして、それらを女性形にしたければ、女性形の接尾語「イー」を付ければよいだけ。
それぞれ「パッドミニー」、「パッドマヴァティー」に、そして
「ヨーギニー(योगिनी [yoginī])」「バガヴァティー(भगवती [bhagavatī])」
となるわけです。
2.ラクシュミーの文法的語源
「印をつける、定義する、見つける」といった意味を持つ、
「ラクシュ(लक्ष् [lakṣ])」という動詞の原型に、
「ミー(मी [mī])」という、動作の主格を表す接尾語を付けて、
「ラクシュミー(लक्ष्मी [lakṣmī])」 となります。
これで、「見る人」となるわけですね。
「神様がこっちを見てくれる」ってどういう意味で取ればよい?
ヒンドゥーでは、「神様がこっちを見てくれる」、というのは、
「贔屓にしてもらえる=思い通りに事を運んでくれる=幸運を与えてくれる」
という意味として捉えられます。
ラクシュミーの御眼鏡に適うのは、どんな人?
लक्षयति पश्यति उद्योगिनमिति।
lakṣayati paśyati udyoginamiti|
「努力する人を見るもの、ラクシュミー」 という定義があります。
努力と運(ダイヴァ)は、車輪に例えられます。
「右側だけでも、左側だけでも駄目で、
両方無いと前に進めない」、という意味です。
ラクシュミーの活用
「ラクシュミー」は名詞の原型です。
「イー」で終わる女性名詞ですが、活用するときは注意が必要です。
上でも見たように、「ラクシュミー」の「イー」 は、
動作の主格を表す接尾語であって、
女性形を作るために足される接尾語では在りません。
(カーリーを参照のこと)
女性形の単語を作るための「イー」という接尾語で終わる単語は、
第一格・単数においては、「ナディー」と、名詞の原型と同じ形になりますが、
「ラクシュミー」の場合は、「ラクシュミーヒ」と、最後にヴィサルガが付くのです。
第一格・単数以外の形は、「ナディー」「ラクシュミー」とも、全て同じです。
なぜそんなことが起きるのかと言いますとね、
第一格・単数を表す接尾語は「S」 の音であり、
ヴィサルガの元となります。
女性形の単語を作るための「イー」という接尾語で終わる単語の場合、
その「S 」が落ちてしまいます。
それで、「ナディー(Sが落ちてヴィサルガが聞こえない)」となるわけです。
しかし、「ラクシュミー」の「イー」は、女性形の接尾語ではないので、
「S」 が落ちず、「ラクシュミーヒ」となるわけですな。
同じような単語は、ラクシュミーと同じ意味の「シュリー(श्रीः [śrīḥ])」や、
知能・知性といった意味の「ディー(धीः [dhīḥ])」などがあります。
文法が好きな方は、このシュローカを覚えると良いでしょう。
अवीतन्त्रीतरीलक्ष्मीधीह्रीश्रीणामुणादितः ।
अपि स्त्रीलिङ्गवृत्तीनां सोर्लोपो न कदाचन ॥
(これら7つの女性形の単語は、उणादि-प्रत्ययで終わっているので、
सुँ-लोपが起きません、という意味です。)
----------------------------------------
今日のシュローカ
या देवी सर्वभूतेषु लक्ष्मीरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu lakṣmīrūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||
この宇宙の全てのものの中で、ラクシュミー(富、豊かさ)という形で存在する、
そのデーヴィー(女神)へ、私の感謝と尊敬の念を表します。
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67.カーリー(काली [kālī])
ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:1
ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:2 ドゥルガー(दुर्गा [durgā])