仏教用語になったサンスクリット語シリーズの2回目です。
前回と同様に、サンスクリット語の言葉の意味は全て、
ヴェーダの伝統に基づくもので、仏教の概念は全く考慮していないので、
ごっちゃにしないで下さいね。
ヴェーダーンタが教える真実は、
理論的な検証・討論を勝ち残った最終的な真実=シッダーンタ
と呼ばれます。
それに対して、各種ブッディストの世界観は、
ヴェーダーンタの教えの正しさを証明するために登場する、
理論的検証に耐えない欠陥のあるもの、
混乱して間違った考え、という立場です。
仏教について学んだことがなくても、仏教国の国民として、
仏教にアイデンティティーを持っている人には、
仏教の教えを否定されるのには違和感を感じるかも知れません。
しかし、ヴェーダーンタの論議は、仏教の文化や信者を否定している訳ではありません。
ヴェーダの文化には「改宗」はありません。
真実を知りたい人には教える。
世界中のあらゆる思想や宗教、生活様式を尊重し、干渉などはしない。
これがヒンドゥー本来のありかたです。
他の宗教もそうであってくれれば、世界は平和なのですが。
インドでは、クリスチャン・ムスリム・仏教徒による、
ヒンドゥー文化潰しと改宗戦争が日々行われています。
そんな中でもヒンドゥーの立場は「互いの信仰を尊重し、
干渉しない(破壊・改宗活動をしない)で共存しましょうよ」です。
島国日本ではあまり実感の湧かない話かもしれませんが、
インドのこのような一面も日本や世界の人に是非知ってもらいたいと願います。
前置きが長くなりましたが、、
サンスクリット語では「アサンキャ(असङ्ख्यः)」です。
「キャー(ख्या [khyā])」は動詞の原形で、「呼ぶ、言う」という意味です。
それに「サム(सम् [sam])」という接頭語を付けると「数える」という意味になります。
動詞を名詞形にして「サンキャー(सङ्ख्या [saṅkhyā])」にすると、「数」となります。
それに、否定の接頭語「ア(अ [a])」を組み合わせた複合語にすると、
「数えられないもの」という意味の「アサンキャ(असङ्ख्यः)」となります。
「お母さん」を表すサンスクリット語「アンバー(अम्बा [ambā])」から来たそうです。
私自身も出家尼僧の一歩手前のような立場ですが、
自分よりも年上の僧からも「マタジ」「アンマー」(どちらも「お母さん」という意味)
と呼ばれることがあります。
「あなたを女神=母親として見ていますよ、女性として見てる訳ではないですよ」
という姿勢を表しているのだろうけど、別にわざわざ、、、って複雑な心境ですね。
「アルフ(अर्ह् [arh])」とは、「資格がある、素養がある」という意味の動詞の原形です。
そこから派生した言葉「アルハ(अर्हः [arhaḥ])」は、
ある物や知識を受け取る資格のある者、という意味です。
目の前にどんなに素晴らしい物や知識があっても、
それを受け取ることの出来る素質がなければ、自分のものには出来ません。
バガヴァッド・ギーターの中で教えられている知識は、
「最高の秘密」として教えられています。
なぜ秘密かと言うと、準備の出来ていない人に教えても理解されないからです。
知識を受け取る為の準備・資格とは?
感情に影響されない知性を持ち、客観的にこの世の限界を見極めている人、
自分が何が欲しいのか、ある程度分かっている人、思いやりのある行動をいつも取れる人、
などいろいろありますが、一言で言うと、人間として成長している人、ですね。
「クシャナ(क्षणः [kṣaṇaḥ])」というサンスクリット語が語源です。
「クシャナ」とは短い時間の単位。
「ムフールタ」48分間。その半分が「ダンタ」で24分間。
その15分の1である1.6分間が「ラグ」、さらにその15分の1が「カーシュター」、
そしてその5分の1が「クシャナ」で、1.28秒です。
その3分の1が「ニメーシャ(まばたきの)」で、0.43秒です。
これはまた別の項を設けて説明しますね。
「サンガ(सङ्गः [saṅgaḥ])」というサンスクリット語そのままですね。
「サンジ(सञ्ज् [sañj])」という動詞の原形は「くっつく、しがみつく」という意味なので、
「サンガ」は、「心理的依存」という意味で使われることもあります。
人とのつながりや、集まりという意味でも使われます。
詳しくはサット・サンガを参照してください。
今回はこのくらいで、、、
<< 目次へ戻る <<
仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(1)
阿吽(あうん)、阿伽/閼伽(あか)、
阿闍梨(あじゃり)、阿修羅(あしゅら)
不動明王 & シヴォーハムとは
仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(3)
仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(4)
前回と同様に、サンスクリット語の言葉の意味は全て、
ヴェーダの伝統に基づくもので、仏教の概念は全く考慮していないので、
ごっちゃにしないで下さいね。
ヴェーダーンタと仏教の関係
ヴェーダーンタが教える真実は、
理論的な検証・討論を勝ち残った最終的な真実=シッダーンタ
と呼ばれます。
それに対して、各種ブッディストの世界観は、
ヴェーダーンタの教えの正しさを証明するために登場する、
理論的検証に耐えない欠陥のあるもの、
混乱して間違った考え、という立場です。
仏教について学んだことがなくても、仏教国の国民として、
仏教にアイデンティティーを持っている人には、
仏教の教えを否定されるのには違和感を感じるかも知れません。
しかし、ヴェーダーンタの論議は、仏教の文化や信者を否定している訳ではありません。
インドの宗教事情
ヴェーダの文化には「改宗」はありません。
真実を知りたい人には教える。
世界中のあらゆる思想や宗教、生活様式を尊重し、干渉などはしない。
これがヒンドゥー本来のありかたです。
他の宗教もそうであってくれれば、世界は平和なのですが。
インドでは、クリスチャン・ムスリム・仏教徒による、
ヒンドゥー文化潰しと改宗戦争が日々行われています。
そんな中でもヒンドゥーの立場は「互いの信仰を尊重し、
干渉しない(破壊・改宗活動をしない)で共存しましょうよ」です。
島国日本ではあまり実感の湧かない話かもしれませんが、
インドのこのような一面も日本や世界の人に是非知ってもらいたいと願います。
前置きが長くなりましたが、、
阿僧祗(あそうぎ)
サンスクリット語では「アサンキャ(असङ्ख्यः)」です。
「キャー(ख्या [khyā])」は動詞の原形で、「呼ぶ、言う」という意味です。
それに「サム(सम् [sam])」という接頭語を付けると「数える」という意味になります。
動詞を名詞形にして「サンキャー(सङ्ख्या [saṅkhyā])」にすると、「数」となります。
それに、否定の接頭語「ア(अ [a])」を組み合わせた複合語にすると、
「数えられないもの」という意味の「アサンキャ(असङ्ख्यः)」となります。
尼(あま)
「お母さん」を表すサンスクリット語「アンバー(अम्बा [ambā])」から来たそうです。
私自身も出家尼僧の一歩手前のような立場ですが、
自分よりも年上の僧からも「マタジ」「アンマー」(どちらも「お母さん」という意味)
と呼ばれることがあります。
「あなたを女神=母親として見ていますよ、女性として見てる訳ではないですよ」
という姿勢を表しているのだろうけど、別にわざわざ、、、って複雑な心境ですね。
阿羅漢(あらかん)
サンスクリット語の「アルハ(अर्हः [arhaḥ])」から来た言葉です。「アルフ(अर्ह् [arh])」とは、「資格がある、素養がある」という意味の動詞の原形です。
そこから派生した言葉「アルハ(अर्हः [arhaḥ])」は、
ある物や知識を受け取る資格のある者、という意味です。
それを受け取ることの出来る素質がなければ、自分のものには出来ません。
バガヴァッド・ギーターの中で教えられている知識は、
「最高の秘密」として教えられています。
なぜ秘密かと言うと、準備の出来ていない人に教えても理解されないからです。
知識を受け取る為の準備・資格とは?
感情に影響されない知性を持ち、客観的にこの世の限界を見極めている人、
自分が何が欲しいのか、ある程度分かっている人、思いやりのある行動をいつも取れる人、
などいろいろありますが、一言で言うと、人間として成長している人、ですね。
刹那(せつな)
「クシャナ(क्षणः [kṣaṇaḥ])」というサンスクリット語が語源です。
「クシャナ」とは短い時間の単位。
「ムフールタ」48分間。その半分が「ダンタ」で24分間。
その15分の1である1.6分間が「ラグ」、さらにその15分の1が「カーシュター」、
そしてその5分の1が「クシャナ」で、1.28秒です。
その3分の1が「ニメーシャ(まばたきの)」で、0.43秒です。
シッダールタ(सिद्धार्थः [siddhārthaḥ])
これはまた別の項を設けて説明しますね。
僧伽(さんが)
「サンガ(सङ्गः [saṅgaḥ])」というサンスクリット語そのままですね。
「サンジ(सञ्ज् [sañj])」という動詞の原形は「くっつく、しがみつく」という意味なので、
「サンガ」は、「心理的依存」という意味で使われることもあります。
人とのつながりや、集まりという意味でも使われます。
詳しくはサット・サンガを参照してください。
今回はこのくらいで、、、
<< 目次へ戻る <<
仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(1)
阿吽(あうん)、阿伽/閼伽(あか)、
阿闍梨(あじゃり)、阿修羅(あしゅら)
不動明王 & シヴォーハムとは
仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(3)
仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(4)