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2015年3月10日火曜日

43.ナマステー(नमस्ते [namaste])- 尊敬の対象としてあなたを認識しています

नमस्ते
[namaste]

my salutations to you(尊敬の対象としてあなたを認識しています)



訳語だけ見て理解出来る言葉ではありません。

まず大きなヴィジョンを展開してもらって、

そして生活のなかで、見るもの全てにその意味を見ながら、

意味の理解を深めていく。

そのようなとてもスケールの大きい言葉です。



ナマステとは


「ナマステー」は1つの単語ではなく、2つの単語からなる言葉です。

「ナマハ(नमः [namaḥ])」と「テー(ते [te])」の2つの単語です。

「ナマハ」の原型は「ナマス(नमस् [namas])」です。

単品で使われる時は、連音変化によって「ナマス」が「ナマハ」になります。


ナマステの意味


「ナマハ」は、「尊敬や畏怖を持って認識しています」という意味です。

「テー」は目の前にいる「あなた」。

話し手が聞き手を指すときの代名詞です。

バガヴァーン(この宇宙全ての存在の名前)にも「ナマステー」と挨拶。

目の前の子供にも「ナマステー」と、同じように手を合わせて挨拶。

「神と子供が同じなんて、何と節操の無い!」と怒られそうですね。

多神教に見えて、実は「ここにある全てが1つのバガヴァーン」というヴェーダの教えでは、

全てのありとあらゆるものに「ナマハ」と言えるのです。

一神教も多神教も、個人が教えを飲み込むかどうかに委ねられた「信仰」です。

しかし「全てがバガヴァーン」というのは、個人が自分の頭で理解されるべき命題です。

「神」とか「バガヴァーン」とか呼ばれるにふさわしい存在は、

全ての知識と全ての能力でなければなりません。

限られた知識と限られた能力の持ち主なら、

「そこなへんのおっさんよりはもっとレベル高い人」ぐらいの存在なのですから、

そんな限られた個体を「神」として仰ぐのには、、、信仰が必要ですね。


バガヴァーンとは


全ての知識と全ての能力がバガヴァーンなら、

私の知識も勘違いも物忘れも、優れた能力もドンくささも、全てはバガヴァーンです。

全ての生物も無生物も、敵も見方も、全宇宙を一つにまとめて、バガヴァーンです。

バガヴァーンから切り離された存在など無いのです。

だから、バガヴァーンにも、目の前の子供にも、同じ神性を見出して、

両手のひらを合わせて、同じ「ナマステー」で挨拶出来るのです。





ナマステーでいっぱいのマントラ、ルッドラ(ナマカ)


ヴェーダのマントラの中で、特に強力で人気のある「ルッドラ・プラシュナ」。

北インドでも南インドでも、シヴァリンガのアビシェーカに毎朝使われているマントラです。

前後併せて早口で唱えても40分くらいかかる大きなマントラですが、

最初から最後まで、バガヴァーンに対して「ナマハ」を繰り返しています。

それゆえに、「ナマカ(ナマハを多く含むマントラ)」としても知られています。

ナマステー、アストゥ、バガヴァン、、、」

マントラの中でルッドラ(シヴァ)は、

泥棒の長、追いはぎの長、騙す者、完全に騙す者、醜い形、全ての形、、、

恐ろしくて、不快で、目を背けたくなるものも含め、

300以上続くルッドラの名前のひとつひとつに「ナマハ」と言って神性を見出すのです。

ハワイのビーチで夕日を眺めながら「全てはバガヴァーン!」というのは簡単ですが、

渡る世間の中で、「全てバガヴァーン!」と言い切れるには、

相当のバガヴァーンの知識の理解が必要です。

そのバガヴァーンの知識を教え、さらにその理解を深める生活を教えるのが、

ヴェーダとそれに関する文献(ギーターなど)です。


普遍的な意味のナマステー


そこまで知らなくても、もっと一般的な「ナマハ」の意味は、

「へりくだって尊敬を示すこと、(प्रह्वीभावः [prahvībhāvaḥ])」です。

へりくだるとは、何かを授かり受ける態勢を整えるということです。

そこで、誰に対してへりくだって、何を授かろうとしているのか?

伝統で勧められてる「この人達にナマハしたらいいよ!」のリストです。

1.バガヴァーンに対して「ナマハ」を示し、恩恵(グレース)を受ける態勢を整える。
  
  一億円欲しければ、一億円を持っている人に頼まないと意味が無い。
  
  この宇宙の全ての知識、能力、無尽蔵の資源を一つにまとめて、

  名前をつけたのが「バガヴァーン」です。

2.サンニャーシー(伝統知識文化の象徴)に「ナマハ」でも同じです。

3.ブラーンマナ(学識者)に「ナマハ」をして、自分の知識の受け入れ態勢を整える。


わざわざ勧めないと、大多数の人間は、お金や権力に「ナマハ」に走って行きます。

人間とは愚かなものですね。


結局は自分が何において価値を見出して、尊敬出来るかです。

伝統や知識に対して尊敬する姿勢を持ててこそ、知識が得られるのです。


= ナマステ関連 お楽しみコーナー =


私のお気に入りのNamasteプリーチ
とっても素敵で、純粋に笑えます!
お勧め!


有名人ナマステ・ショット集


スティーヴ・ジョブズ
この人はヴィーガンだったんですね。

オプラ・ウィンフリー
ナマステが似合ってる

パリス・ヒルトン!!
パリスちゃん、インドに来てたのね。
けっこうスピリチュアルに飛ばしてますね。
そんなところがやっぱりパリス。

ブラッド・ピット
ナマステを狙ったのかは不明。ヨーギーっぽい?

フランス大統領夫人、元スーパーモデルのカルラ・ブルーニ。
確か訪印したときはまだガールフレンドで、
インド政府は彼女を夫人として扱うべきかどうかで悩まされたらしい。

なぜかジョニー・デップのナマステ・ショットが多数見つかる。
なにゆえ?
パメラ・アンダーソンってヴェジタリアンなんですよ。
「彼女でも出来るなら、俺にも出来る」
と言ってヴェジタリアンになった人の話を聞いたことがあります。
最近訪印されたオバマ大統領夫妻

今回はこのくらいで、、、。


サンスクリット用語一覧 目次へ 


42.カウラヴァ(कौरवः [kauravaḥ] )



サンスクリット語を学び始めた人に、どうか知って欲しいあれこれ

サンスクリットは発音が大事!
「ヨガ」は「ヨーガ」、「ヨギ」は「ヨーギー」、
「ヨギーニ」は「ヨーギニー」です。

2014年5月22日木曜日

25.キム(किम् [kim])- 何

किम्
[kim] 

neuter - 何



このサイトのラベル分けでは、中性名詞としましたが、

किम् [kim] - キム という名詞は、ありとあらゆる形に七変化します。


1.不活用名詞として、活用せずに使う 


किम् [kim] - キム という、活用しない形で肯定文の中で使われると、

「?」が付いた、疑問文になります。

किं त्वं गच्छसि। [kiṃ tvaṃ gacchasi|]  君、行くの?


2.疑問代名詞として、3つの性で活用して使う 


疑問の対象となる名詞の性に合わせて、さらに格と数にも合わせて使います。

=男性形の活用例=

सः 1/1 कः 1/1 [saḥ kaḥ] 彼は誰?

रामः  1/1 कान् 2/1 वदति III/1 [rāmaḥ kān vadati] ラーマは誰に話しているの?

रामः केन गच्छति [rāmaḥ kena gacchati] ラーマは誰と行くの?

=女性形の活用例=

सा 1/1  का 1/1 [sā kā] 彼女は誰?

रामः 1/1  कया 3/1 गच्छति III/1 [rāmaḥ kayā gacchati] ラーマは誰(女性)と行くの?

=中性形の活用例=

तत् 1/1 किम् 1/1 [tat kim ] あれは何?

कानि 1/3 फलानि 1/3 [kāni phalāni] 何の果物(複数)ですか?



3.複合語(サマーサ)にして使う



疑問詞を複合語にするなんて、英語や他のインドの言語でさえも、考えられない事だから、

インド人にも、外国人にも、これを教えるのには、ちょっと苦労と時間が必要なのです。

さすが、サンスクリットならでは!と思いきや、、、

日本語にも、「其奴、何奴?」とか「お前、何者?」などという、

疑問詞が含まれた複合語ありました!

日本語の場合だと、「何」と「奴」とか「者」は同格で解かり易いですね。

サンスクリット語の場合だと、

त्वं किमभिधानोऽसि । [tvaṃ kimabhidhāno'si]

意訳だと、「あなたの名前は何ですか?」
直訳だと、「あなたは、あなたの名前は何か、という人です。」

となります。

以下のふたつの言葉が複合語になっています。

1.किम् [kim]  何

2.अभिधानम् [abhidhānam] 名前

ふたつ併せると、「その人の名前は何?と言う人」という複合語になるのです。

日本語で書くとなんとなくチンプンカンプンですが、

英語もしくはサンスクリット語で書くともうちょっとすっきりします。

英語:The one whose name is "what"

サンスクリット語: किम् अभिधानं यस्य सः  किमभिधानः (बहुव्रीहिसमासः)

になります。


== किम् [kim] - キム が使われている文献 ==

バガヴァッド・ギーター4章16節

किं कर्म किमकर्मेति कवयोऽप्यत्र मोहिताः ।
तत्ते कर्म प्रवक्ष्यामि यज्ज्ञात्वा मोक्ष्यसेऽशुभात् ॥ ४.१६॥
kiṃ karma kimakarmeti kavayo'pyatra mohitāḥ |
tatte karma pravakṣyāmi yajjñātvā mokṣyase'śubhāt || 4.16||

何(kiṃ)がカルマ(行い)で、何(kiṃ)がアカルマ(行いの無い事)なのか、
詩人(知識層の人々)でさえも、このことについて混乱している。
それを知ったら、サムサーラから自由になるという、
そのカルマというものを、あなた(アルジュナ)に教えましょう。






<< 前回の言葉 24.कालः [kālaḥ] - カーラ <<

時間という、とても深い意味のサンスクリット語です。
ヤマという死神のお話、そして永遠について考えます

   
 

>> 次回の言葉 26.किरणः [kiraṇaḥ] - キラナ >>

2014年2月21日金曜日

15.オーム(ओम् [om])- 全て(ブランマン)の音のシンボル

ओम्
[om]


indeclinable - 全て(ブランマン)の音のシンボル





この言葉は、「神」という言葉と並んで、

「一番大事な言葉なのに、一番誤解されている言葉」でしょう。

単なる誤解だけではなく、正しい認識への扉を閉ざしてしまう弊害のある、

間違った認識がはびこっている言葉とも言えます。

この大事な言葉にこびり付いているサビを、少しずつ落として行きましょう。


よくある間違い その1:伸ばしすぎる


表記から分かるように、「オー」の音は、2拍の長音です。

インドでは、ヨガスクールのみならず、どこのアシュラムでも、

「オーーーーーーーーーーーーム」と息の続く限り伸ばすようですが、

それは間違いです。

伸ばしたかったら、3拍まではOK。その場合は、「ओ३म् [o3m] 」と表記します。

何で伸ばしちゃいけないの?と思われるかもしれません。

それには、しっかりした文法的な意味があるのです。

それは、下記の、文法的意味の展開で勉強しましょう。



よくある間違い その2:「アウム」になっている



「ओम् [om] - オーム」の音は、

「A」「U」「M」の3つの音から成ります。

そこまではいいのですが、「A」「U」を続けて言うと、

発声学的法則に従って、「O」になります。

それぞれ離して「A」「U」と発音する事は許されていません。



よくある間違い その3:表記の形に意味があると思われている



「ओम् [om] - オーム」はよく、「ॐ」と表記されます。



この表記自体には問題はありません。

しかし、この言葉は、音として意味を成す言葉です。

特に、独自の表記法を持たない、口伝のみによる伝承を守るサンスクリット語では、

どのような表記文字の形にも、意味を持たせる事はありません。

少なくとも、正統な知識の伝承の中には、そのような事は有り得ません。


では、伝統で教えられている、正しい「ओम् [om] 」の意味を見て行きましょう。

意味の展開には、3種類あります。


1.文法的意味:


अवति रक्षति इति ओम् ।
avati rakṣati iti om |

अव् [av] to protect (守る)という動詞の原形から派生したとされます。

そこに、मन् [man] (~する人)という接尾語を足します。

あわせると、「守る人」となります。

最終的に守ってくれる人、頼りになる人、それは全てであるブランマン。

それ以外のものは、無常で、頼れるようには出来ていない、ってことです。

ちなみに、मन् [man] (~する人)は、ブランマンや、アートマンの「マン」です。

ここでは、「man」の「an」の部分が落ちてしまいます。

そして、「av」も「ū」となり、さらには「o」となって、

「o」+「m」で、「om」となるわけです。


こちらも:サンスクリットを習い始めた人に、どうか知って欲しいあれこれ

2.音声学的意味


「ओम् [om] - オーム」の音は、

「A」「U」「M」の3つの音から成ります。

「A」に「U」が続くと、サンディで「O」になりますね。

この世に在る全ては、名前と形のみ、すなわち、知識のみであり、

全ての言語の全ての名前は、始まりの音「A」と、終わりの音「M」の間にある。

すなわち、「A」と「M」の間に、全てがあるので、

「ओम् [om] - オーム」は、宇宙にある全てのものの名前の略語、総称に等しい、

というわけです。

これって、パーニニ文法のブラッティヤハーラみたいですね。

日本やアジア圏全般の寺院で見られる狛犬の口の形も、

一方が「ア」と開けていて、他方は「ン」で閉じている。

(日本語の「ン」には、MとNの区別が無いんですね。)

それにも、同じような意味が与えられていると聞きました。


3.マーンドゥーキャ・ウパニシャッドで教えられている意味


「ओम् [om] - オーム」の音は、詳しく言うと、

「A」「U」「M」「無音」の4つから構成されます。

4つ目の無音は、最初の3つにも共通して存在しますね。

無音と言うベースがあって、そこに、「A」「U」「M」の3つが表現されているのです。

個人の立場から見ると、

「A」が起きている世界。感覚器官を使って、外にある物理的な世界と関わり、経験している個人。

「U」が夢の世界。物理的ではなく、心理的に認識し、経験している個人。

「M」が、熟睡している世界。物理的にも心理的にも、何も認識できず、

ただただ、自分を個人たらしめている個別性の不在を経験している個人。

人間の経験というものは、生きている間ずっと、毎日、毎秒、

この3つの内のどれかに属しています。

これらの経験は、私達が通常言う「現実」です。

しかし、これら3つの現実は、互いに共存出来ず、1つがあれば、もう1つはない、

互いに否定しあっている存在です。

ということは、この内のどれも、絶対的な存在では無いのです。

なのに、私達は、これら3つを「現実」と呼んでいるのです。

じゃあ、私って、誰なのか?本当の「現実」とは?

この3つの経験している個人を、最終的に傍観している、存在。

それが、「無音」で示されている、個人の本質なのです。

繰り返しますが、経験というものは全て、先の3つのどれかに属しています。

「トゥリーヤ」と呼ばれる4つ目は、経験ではありません。

本当は、4つ目など無いのです。

なぜなら、先の3つのうちのどれも、絶対的な存在は持ち合わせていないからです。

1、2、3と数えられるステータスさえ、本当の意味では、持ち合わせていないのです。

シャンカラーチャーリアは、この4番目を「मायासङ्ख्या [māyāsaṅkhyā]」,

直訳すると、「マジック・ナンバー」と呼んでいます。


3つの音、あるいは3つの経験の、どれでもない、

それらに共通する「無音」が自分の本質であることを「知る」ために、

4つ目に「無音」を持ってきて、私達を分からせようとしているのです。


== ओम् [om] - オーム   が使われている文献 ==


ヴェーダマントラは全て、「ओम् [om] - オーム」から始まります。

全ての文献が伝えようとしている事は、この「ओम् [om] - オーム」の意味に他なりません。

でも、しいて言うなら、、、

カタ・ウパニシャッド 1章2節15句

少年ナチケータに真剣にせがまれて、死神ヤマ・ラージャーが、
ブランマヴィディヤーを教えているところ。

सर्वे वेदा यत्पदमामनन्ति । तपाँसि सर्वाणि च यद्वदन्ति ।
यदिच्छन्तो ब्रह्मचर्यं चरन्ति । तत्ते पदं सङ्ग्रहेण ब्रवीमि । ओमित्येतत् ॥
sarve vedā yatpadamāmananti | tapām̐si sarvāṇi ca yadvadanti |
yadicchanto brahmacaryaṃ caranti | tatte padaṃ saṅgraheṇa bravīmi | omityetat ||

”その達成すべきものについて、全てのヴェーダは語っている。
それを得るための手段として、タパス等を(ヴェーダは)教えている。
それを切望している人々は、ブランマチャリアの生活(先生の下での生活)をする。
それについて、手短に教えよう。それは―――「ओम् [om] - オーム」。”

手短過ぎる!

16句から、一音節であるオームについての説明が始まります。


バガヴァッド・ギーター 17章23節

ओं तत्सदिति निर्देशो ब्रह्मणस्त्रिविधः स्मृतः ।
ब्राह्मणस्तेन वेदाश्च यज्ञाश्च विहिताः पुरा ॥
oṃ tatsaditi nirdeśo brahmaṇastrividhaḥ smṛtaḥ |
brāhmaṇastena vedāśca yajñāśca vihitāḥ purā ||

”「Om Tat Sat」は3語から成る、ブランマンの表し方である。
ブランミン(儀式をする人)、ヴェーダ、儀式は、
この3語によって(始まり、終わるように)教えられている。”

この章の中で、サットヴァなカルマとは何かというのを説明しているところです。
この3語(オーム、タット、サット)に関するカルマは、全てサットヴァである、
と教えられているのです。


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<< 前回の言葉 14.एषः [eṣaḥ] - エーシャハ <<

サンスクリット語の代名詞、エータドの男性形、第一格、単数形です。

文献で、それが表すものは、とても近いもの、例えば自分です。





>> 次回の言葉 16.オーシュタ(ओष्ठः [oṣṭhaḥ])>>

「くちびる」というサンスクリット語の言葉です。

発声法においてとてもよく出てくる言葉ですよ。


オームといえば、、
サンスクリットは発音が大事!第2弾 
「ハリオ~ム」は「ハリヒ・オーム」

2014年2月17日月曜日

13.エーヴァ(एव [eva])- ~だけ、~のみ

एव 
[eva] 

indeclinable - ~だけ、~のみ




エーヴァ(एव [eva] )は、とても頻繁に使われる言葉のひとつです。

この言葉は活用変化しません。

活用変化しない言葉は、アッヴャヤ(अव्ययम् [avyayam] )

と呼ばれます。

これは、一番最初の、अथ [atha] で見ましたね。

日本語では表現しにくい言葉ですが、意味は、英語の「only」に近いと言えます。

日本語だと、~だけ、~のみ、となりますが、

強調の意味も含まれています。

カテゴリカリーには言えませんが、

エーヴァ(एव [eva] )には3つの意味があると言われています。

その音自体が吉兆とされる、ほら貝

1.それしかあり得ない



よくある例:

「ほら貝(शङ्खः)は白色(पाण्डुरः)と決まっている」
शङ्खः पाण्डुर एव
śaṅkhaḥ pāṇḍura eva |

白色以外の可能性を打ち消すために、エーヴァ(एव [eva] )が使われています。
(अयोगव्यवच्छेदबोधक एवकारः)


2.同じ種類のものが沢山ある中で、これこそが


よくある例:

「アルジュナ(पार्थः)こそが、弓を持つ者(धनुर्धरः)と呼ばれるべき」
पार्थ एव धनुर्धरः ।
pārtha eva dhanurdharaḥ |

アルジュナとは、バガヴァッド・ギーターの主人公で、
クリシュナから教えをもらう戦士です。

アルジュナでなくても、誰でも弓を持つことが出来ます。
弓を持つ者が大勢いる中で、アルジュナこそが「弓を持つ者」という名にふさわしい、
ということです。
(अन्ययोगव्यवच्छेदबोधक एवकारः)


3.なかなか起き得ない事が起きている


よくある例:

「青い(नीलं)蓮の花(सरोजं)は有ります」
नीलं सरोजं भवति एव
nīlaṃ sarojaṃ bhavati eva |

「聞く人の考えでは、青い蓮の花など有り得ない」ということを、
話す側の人は知っているのです。
「いえ、そんな事はありません。青い蓮の花はありますよ!」
という時に、エーヴァ(एव [eva] )が使われます。
(अत्यन्तायोगव्यवच्छेदबोधक एवकारः)

コインバトールのアシュラムにはよく咲いています。青い蓮。

「エーヴァ(एव [eva] )には3つの種類がある」という知識が、

直接役に立ったと思える機会がまだないのですが。

これは、プージャ・スワミジに教えてもらった知識では無いので、そのせいかも知れません。


また、エーヴァ(एव [eva] )は、पादपूरणम् [pādapūraṇam] といって、

文字数の決まった詩節を完成させる為に、足りない数の埋め合わせにもよく使われます。

この知識はよく役に立っています。

プージャ・スワミジから教わった知識だからでしょう。

無駄な事を教えないスワミジってやっぱりすごい!


== एव [eva] - エーヴァが使われている文献 ==

チャーンドーギャ・ウパニシャッド 

6章2節1句

एकमेवाद्विटियम् ।
ekamevādviṭiyam |

ひとつ(एकम् [ekam])のみ(एव [eva])、

ふたつ目は無い(अद्वितीयम् [advitīyam])。

とても有名な一句です。

ひとつしか無くて、何かいいことあるの?

世の中には無数の形や色や出来事があるのに、なんで、ひとつしかないって言えるの?

ふたつ目は無くても、三つ目はあるの?

単純な質問なようですが、その答えには人間として知るべき、重大な事実があるのです。

答えについては、何かの機会にゆっくりお話出来たらいいです。


バガヴァッド・ギーター 13章8節


इन्द्रियार्थेषु वैराग्यम् अनहङ्कार एव च ।
indriyārtheṣu vairāgyam anahaṅkāra eva ca |

感覚器官の対象物への興味や執着は、精神的成長によって無くなり、
我こそがというエゴも無く、、、

ここでの「エーヴァ(एव [eva] )」は、先ほどのपादपूरणम् [pādapūraṇam] というテクニックで、詩節の文字数を満たすために有るだけで、意味はありません。







<< 前回の言葉 12. リク(リグ)ऋक् [ṛk] <<

ヴェーダのマントラという意味のサンスクリット語です。
   







>> 次回の言葉 14.エーシャ(एषः [eṣaḥ])>>

2014年2月8日土曜日

6.イハ(इह [iha])- ここ、この場所、これにおいて

इह
[iha]


ind. ここ、この場所、これにおいて




この世が永遠でないように、天国も永遠ではない。


前回見た「イダム(इदम् [idam])」から派生した言葉です。

普通は、「別の場所/あの世/天国etc」とかと比較して、

「この場所/この世」、つまり今生きている世界を指す言葉です。

また、この体において、この生きている身体において、

つまり、「生きているうちに」、という意味でも使われます。

「人生のゴールは生きている内に達成するべき」

「死んでから行く天国は、ゴールじゃない。

だって、またこっちに帰ってくることになるだけだから。

1週間のハワイ旅行みたいに。」

この世の天国も、あの世の天国も、天国の定義は同じ。
「行っても、また元の世界に戻ってこないといけない場所、それが天国。」
यथा इह, तथा अमुत्र।
yathā iha, tathā amutra|

「ここ(इह [iha] )で通用するロジックは、あちら側(अमुत्र [amutra])でも通用する。」

という時などに使われます。


サンスクリット文法的説明


ここからは文法のお話。===

इदम् という代名詞を第7格(~において)で活用すると、

अस्मिन् 7/1 , अनयोः 7/2 , एषु 7/3  

と原形からはとてもかけ離れた形になります。

覚えるのが大変ですね。

もっと簡単な方法があります。

それは、「त्र [tra]」という接尾語を、代名詞の後ろにくっつけてしまえば、

第7格の意味はそのままに、活用しなくていい形(indeclinable)になるのです。

इदम् + त्र [tra]
= इह

って、これも原形を留めずに形が変わっているのですが。。。

そんなもんなんです。

以下のように、

代名詞+त्र [tra] 

で、様々なindeclinable(活用しない、簡単な名詞)が作れるのです。

サルヴァ(सर्व [sarva]) 代名詞. 全て
サルヴァットラ(सर्वत्र [sarvatra] indeclinable.) 全てにおいて

エーカ(एक [eka]) 代名詞. ひとつ
エーカットラ(एकत्र [ekatra] indeclinable.) 一箇所で

アンニャ(अन्य [anya]) 代名詞. 別の
アンニャットラ(अन्यत्र  [anyatra] indeclinable. )別の場所等において

タド(तद्  [tad]) 代名詞. それ
タットラ(तत्र [tatra] indeclinable.)そこ

ヤド(यद्  [yad]) 代名詞. それ(関係代名詞)
ヤットラ(यत्र  [yatra] indeclinable.) そこ (関係代名詞)

エータド(एतद्  [etad]) 代名詞. これ
アットラ(अत्र  [atra] indeclinable.) ここ
 
=== お勉強になりました。

全て頻出単語なので、サンスクリット語を勉強されている方は、メモっとくと良いですよ!




=== इह [iha] が使われいる文献 ===

タットヴァボーダ


इहामुत्रार्थफलोपभोगविरागः।
ihāmutrārthaphalopabhogavirāgaḥ|

”この世においても、あの世においても、

享楽や快適さといった結果を楽しむことについて

それらは、一時的なものであって、

本質的なものは与えてくれない、

ということを見抜いている事”

世界中の、天国に行くためにがんばってる人達は皆、

この本質が見抜けていないんですね。

科学や文学などで活躍している知的な人も沢山いるのに、、、。

明晰な頭脳に、天国行きを願うgullibleさが共存できるのは、

とても不思議です。



ケーナ・ウパニシャッド2章5節


इह चेदवेदीदथ सत्यमस्ति न चेदिहावेदीन्महती विनष्टिः ।
iha cedavedīdatha satyamasti na cedihāvedīnmahatī vinaṣṭiḥ |

”この世で(人間として生きている間に)(それを)知ったならば、

人間としてのゴールは達成された。

もし知ることが出来なければ、失うものは巨大だ。”


<< 前回の言葉 5.इदम् [idam] - イダム <<

この宇宙全て、私の身体も心も含めて、ここにある全ては、
「これ」と指をさせる対象物。
私はそれを対象化している、永遠の意識的主体。



>> 次の言葉 7.ईशः [īśaḥ] - イーシャ >>

唯一、絶対確実で信頼できるもの、
それは、この宇宙の法則。

その宇宙の法則に安心して委ねて生きる智慧を
教える為の言葉が、イーシャです。

2014年2月3日月曜日

1.アタ(अथ [atha])- まず初めに、そして

अथ
[atha]


ind. まず初めに、そして



吉兆、さいさきの良い始まりを表す言葉。

文献の中で、新しいトピックのの最初に使われる言葉です。

この言葉は格変化しません。

サンスクリット語で「अव्यय [avyaya]」、英語では「indeclinable」です。

「格変化」と日本語で言うと、なんともないように聞こえますが、

サンスクリット語や英語で言うと、それぞれ「व्यय」「decline」となり、

どちらも、朽ち果てて行く、削られて小さくなって行く、という意味になります。

それは、この世にあるもの全てですね。

しかし格変化しない「अव्यय [avyaya]」は、永遠を表すので、

とてもおめでたい言葉なのです。

でもなぜ永遠がおめでたいのでしょうか。

誰だって、どんな生き物だって、存在し続けたいと願うものです。

私達が毎日毎日、一生の間にしている行動は、

自分と自分が大切にしているものの永続の為にあるといっていいようなものです。

私達は、自然と永遠というものに惹かれるように出来ているのです。


もう一歩踏み込んで考えてみましょう。

この世にあるものは全て、自分の身体も含めて、

朽ち果てて無くなって行くものです。

しかし、その変化を、今も昔も眺め続けけている、

変化しない私がいます。

その私こそが、永遠である「अव्यय [avyaya]」なのです。

リシケシ、ダヤーナンダ・アシュラムからのガンガーと日の出。


===「अथ  [atha]」が使われている文献 ===


ブランマ・スートラ(ब्रह्मसूत्रम्/brahmasūtram)
अथातो ब्रह्मजिज्ञासा। १.१।
athāto brahmajijñāsā| 1.1|


「अथ」 そして、人間としての成熟・成長を遂げたら、
ブランマを知る事を望みなさい。




バガヴァッド・ギーター(भगवद्गीता/bhagavadgītā)
अथ प्रथमोऽध्यायः।
atha prathamo'dhyāyaḥ|
「अथ」 これから、第一章が始まります。

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