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2016年8月3日水曜日

ガネーシャへのお祈りのシュローカ


ア(不)・ガ(動)・ジャー(娘)・アーナナ(顔)・パッドマ(蓮)・アルカム(太陽)

これらを全部足して一語にすると、その意味は何になるでしょうか?

答えは本文中にあります。


ものごとを始めるときには必ず、滞りのない達成を願い、

障害物を司るデーヴァター(法則)であるガネーシャに、

祈りが捧げられます。

ガネーシャへの祈りのシュローカには、いくつか良く知られたものがありますが、

その中で、わたくしの朝のクラスで使っているシュローカを紹介します。


अगजाननपद्मार्कं गजाननमहर्निशम् ।
agajānanapadmārkaṃ gajānanamaharniśam |

अनेकदन्तं भक्तानाम् एकदन्तमुपास्महे ॥
anekadantaṃ bhaktānām ekadantamupāsmahe ||

似たような音の繰り返しが、謎かけのようなっていて、

面白いシュローカです。

では、一語一語見ていきましょう。


1.ウパースマヘー (私たちは祈ります)


文章の基幹は、動詞によって決まります。

動詞は、उपास्महे upāsmahe 「私たちは、心に描きます、認識します、瞑想します、祈ります。」

そうすると、「何を?」という疑問が湧いてきます。

「~を」という目的語を表す言葉は、サンスクリット語では大体

「m」で終わる単語を見つければOK、です。本当に大体ですが。

あ、でもこのシュローカでは、目的語以外の単語もすべて 「m」で終わってる。。。

そんなこともあるさ。


2.ガジャーナナ(象の顔をした)


このシュローカには、目的語が全部で4つあります。


目的語の中で一番わかりやすい言葉は、

गजाननम् gajānanam 「象の顔をした」 ガネーシャのことですね。

ガジャ गज gaja が「象」で、アーナナ आनन ānana は「顔」という意味です。

「象のような顔を持った」という複合語(サマーサ)になります。


3.長い複合語


このガネーシャを説明するのが、その前の長い複合語(サマーサ)です。

アガジャーナナパッドマールカム अगजाननपद्मार्कम् agajānanapadmārkam

まず、「ガ」 ग ga とは、動詞の原型「gam (行く)」から派生した、「動く者」という意味です。

「ガ」に否定の「ア」を付けると、「アガ」 अग aga となり「動かない者」となります。

動かない者とは何でしょうか? ここでは「山」という意味です。

「山から生まれたもの(ज ja)」は、「アガジャー」 अगजा agajā です。女性形です。

山(パルヴァタ)から生まれた娘は、、、パールヴァティーですね。

シヴァの奥さんです。

ガネーシャのお母さんでもあります。
 

パールヴァティー(अगजा agajā)の顔(アーナナआनन ānana)は、

アガジャーナナとなります。
 
अगजा agajā + आनन ānana = अगजानन  agajānana



パールヴァティーの輝く顔は、大きく開いた蓮の花に例えられます。

蓮の花は、「パドマ पद्म padma」ですね。

蓮の花は、太陽が昇って初めて満開になります。

曇りの日は咲きません。

太陽の名前にはいろいろありますが、その一つに、「アルカ अर्क arka」があります。

パールヴァティーの顔を、満開の蓮の花のように輝かせる、太陽のような存在とは、、、

ガネーシャですね。

ゆえに、これらの言葉を全部ひとつにつなぎ合わせた複合語(サマーサ):

ア(不)・ガ(動)・ジャー(娘)・アーナナ(顔)・パッドマ(蓮)・アルカム(太陽)

अगजाननपद्मार्कम् agajānanapadmārkam は、ガネーシャを指しているのです。

サンスクリット語って面白いね~。

じゃあ次行きましょうか。



4.エーカダンタ(一本の牙を持つ者)



ガネーシャの名前として、もうひとつ良く知られているのは、

エーカダンタ एकदन्तम् ekadantam 「一本の牙を持つ者」 

エーカ एक eka が「1」で、ダンタ दन्त danta は、「歯」ですが、ここでは「牙」と解釈されます。

ガネーシャは、ヴャーサがマハーバーラタを口述したとき、

それを書き取るために、牙を一本折りましたね。それ故にです。

場所は、バドリナートのちょっと上にある、洞穴の中です。

画像検索したら、屋外の絵ばっかりでした。洞窟って言われているのに~。


5.アネーカダンタム?


「エーカダンタム」と対照的に、その前の言葉は「アネーカダンタム」です。

そのまま理解しようとすると、「一本以上、つまり沢山の牙を持つ者???」

になってしまします。

これがひっかけなのですね。

本当は、「アネーカダム」と「タム」に分けられます。

あ~おもしろ。

エーカ एक eka が「1」なら、アネーカ अनेक aneka は「沢山」です。

ここで「ダ」と言うと、「与える」という意味の「ダー दा dā」という動詞の原型からきた、

「与える者」という意味の単語になります。


「アネーカ(沢山のものを)」「ダ(与える者)」で、「アネーカダ」になります。


ガネーシャは、願えば願っただけ、沢山のもの、いや全てのものを与える力があります。

しかし、それは誰にでも、という訳ではありません。誰にとってでしょうか。

 

6.バクターナーム(認識する人々にとって)

 
バクターナーム भक्तानाम्  bhaktānām 「(ガネーシャを)認識する人々にとっての」

バクタとか、バクティという言葉は、一般的にとても誤解されている言葉です。

信奉とか、神への愛、とか、良く分からない言葉が上滑りしているだけだからでしょう。

信奉の対象について、神について、どういう理解をしているのか?


その前提がまったくないまま、信仰しろとか、愛を捧げるとか言っても、それは難しいでしょう。

人それぞれ適当にファンタジーいっぱいで思い描かれている対象が、

普通の信仰の対象の「神」であり、それに命や人生をかけることが出来るのも、

人間の、、、何と言いましょうか、ワンダフルなところです。

「神」とか言った瞬間、頭のボルトが外れて、無責任な考えになる。

勝手に思索するだけでなく、理論詰めで考えつくすのが、ヴェーダーンタです。



障害物といえども、何が障害で、何がそうでないかは、その場面によって変わります。

結局は、この全てを司っているのがガネーシャなのです。

司るとは?物理学や量子物理学や心理学やなんでもいいですが、

そのような、宇宙のミクロにもマクロにも見られる様々な法則と言う形で、

ここにあるもの全てを司っている、それがガネーシャです。

このようなガネーシャの理解があるとき、ここにある全てのものに、ガネーシャを認識している。

そのような人を、「バクタ」と呼ぶのです。


7.アハルニシャム(昼夜を通して)



全てにおいて、つまり、いつでも、どこにおいても、ガネーシャを認識しています。

ゆえに、「アハルニシャム」 अहर्निशम् aharniśam 「朝も夜も」という副詞が使われています。

バクタにとって、ガネーシャを、この全てを、正しく認識することに専念した人々にとって、

ここにあるもの全ては、正しい認識の為に、「与えられている」のです。

ゆえに、ガネーシャは、「アネーカダ(沢山のものを与える者)」と呼ばれるのです。


「その」、という代名詞である「タム(तम् tam)」、

つまり、障害を取り除き、全てを与える、ガネーシャを、

私たちは常に認識しています。

という意味でした~。


अगजाननपद्मार्कं गजाननमहर्निशम् ।
agajānanapadmārkaṃ gajānanamaharniśam |

अनेकदन्तं भक्तानाम् एकदन्तमुपास्महे ॥
anekadantaṃ bhaktānām ekadantamupāsmahe ||

こちらも:
55.バクティ(भक्तिः [bhaktiḥ])- 深く関わること、献身的に努めること

56.バクタ(भक्तः [bhaktaḥ])- バクティを持っている人
 




<< サンスクリット語一覧(日本語のアイウエオ順) <<

2015年2月19日木曜日

「ハリオ~ム」は「ハリヒ・オーム」

今日のプージャスワミジのクラスで浮上したトピック、「ハリオーム」を、

サンスクリット語は発音が大事!シリーズ第2回として紹介しますね。


リシケシを始め、インド中のヨーガ界、スピリチュアル界のいたるところで耳にする、

「ハリオーム!」という言葉。


インドでは、アシュラムに出入りする人を中心に、

話す前に「ハリオーム」、話し終わったら「ハリオーム」

道端で人に出会ったら「ハリオーム!」

電話に出るときも「ハリオーム!」

と、いつでもどこでも使えて便利な言葉です。


「ハリ」は神様の名前。「オーム」も同様です。

どちらも神様の名前なので、神様という言葉の意味を知ろうが知るまいが、

一日に何回も口に出して言って、自分や相手の心に神様を持ってくるのは良いことです。

この世界を動かしているのは自分や周りの人間だけじゃない。

お金や権力は、それ以上でもそれ以下の存在でもない。

そんな客観性を持たせてくれるのが、神様の名前です。

主観を通り越した妄信・迷信や、理屈の通らない天国行きをプロモートするような、

そんな神様像を教える宗教は、人間にせっかく与えられた知能を台無しにしてしまいます。

ヒンドゥーの神様とは、本当の意味では、信仰の対象ではなく、理解の対象なのです。

人間として生まれた目的を達成するには正しく論理的に考えられる知性が必要です。

なぜかというと、人間を人間たらしめているのは、論理的に考えられる知性だからです。



ここにあるもの全ての名前が「オーム」で、それが神様なのだから、

宇宙にある全ての名前と意味は「オーム」に包括されています。

ちょうど、日本の神社の入り口にある狛犬の「あ」と「ん」のように。

日本語の最初の「ア」と最後の「ン」の間に全てが存在する。
日本語の50音表も梵語(サンスクリット)が起源だから、
やっぱり全てはインドから来たのだ!(インド人が好きなセリフ)

全ての名前が「オーム」なら、なんでわざわざもう一個の名前、

「ハリヒ」をつけるのでしょうか?

誰かにものを頼むときは、して欲しい仕事の役職の名前でその人を呼びます。

チャイが飲みたい時は「おっちゃん!」ではなく「チャイ屋さ~ん!」と呼ぶように。



「ハリ(हरि [hari])」という言葉の起源は、

हरति पापानि इति हरिः । 「皆のパーパを取り払う者」です。

「取り去る」という意味の「हृ [hṛ]」という動詞の原型から成っています。



パーパとは、うまく行かない状況を作る原因のこと。

その原因は過去に自分がした行為。それが回りまわって自分の身に降りかかる。

自分の置かれている状況とは、過去の結果が直接的・間接的に現われているだけ。

行為の結果に対抗するには、それを中和する行為をとればよい。

直接的な結果を出せる行為だけでは全て手を打ったとは言えない。

間接的な結果を出せる行為もあるなら、そこにも手を打つ。

というのが実用的な人のものの考え方。

因果関係の全てを取り仕切っている、この宇宙の全ての法則が、

バガヴァーンとかイーシュワラとかという名前で呼ばれる神様です。

そんな神様に「勘弁してください。」とお願いするときは、

「ハリ(パーパを取り除く者)」という名前で呼びます。

口に出したり心の中で名前を繰り返したりする「行為」をするのです。

何でも出来る神様(ここに起こる事全てが神様なので)に、

パーパを取り払って欲しいときは、「ハリ」という名前で神様を呼ぶと、

神様という大きな存在が、その人の神様の理解のレベルに合わせて、

小さなものを大きく見せていた主観を取り除いてくれたりしながら平和を運んでくれます。


「हृ [hṛ]」という動詞の原型からの派生語の「ハリ」は、名詞の原型です。

名詞は必ず活用してから使わなければなりません。

シンプルにその名前を言いたいだけの場合は、第一活用型を使います。

「ハリ」はただ唯一なので、単数形ですね。

というわけで、名詞の原型「ハリ」を第一活用型・単数で活用すると、

「ハリヒ(हरिः [hariḥ])」になるんですね。

最後にヴィサルガ(:で表されるHの発音)が付くのです。

このことから、「ハリヒ・オーム」と、ちゃんとヴィサルガをつけて発音しなければならないのです。

ヴィサルガ・サンディは掛かりません。


何で「ハリ」と「オーム」が一緒に使われているのか?

なぜ一緒に使われたときにヴィサルガ・サンディが掛からないのか?

答は、ヴェーダでそのように使われているからです。



なんかサンスクリット語のポリスのようになっていますが、

ちゃんと意味を理解して、正しい発音をしましょう!というのは、

全ての言語に共通する良い習慣です。

難しい言葉を使わなくてもいいから、

自分が今から発する言葉の意味を、ちゃんと知ってから使う。

その為に辞書を引いたり、知識のある人と話し合ったりする。

世の中に溢れている言葉の殆どは、

どこかで聞いた言葉や文章を、意味を確認したり、熟考したりすることなく、

単に復唱しているだけではないか?

自分の言葉もそうなっていないか?と常にチェックしながら生きることは、

自分の考えの整理整頓にもなりますし、

周りの人も、意味の無い言葉に振り回されずに済みます。



長年使ってきた「ハリオ~ム」を、いまさら「ハリヒ・オーム」に変えるのに躊躇している方へ:

確かに「ハリヒ・オーム」はヴァイディカでお堅い感じなので、

ヴェーダのマントラを唱える以外には使わないほうがいいですね。

硬派な方や、サドゥーには「OM」だけで十分です。

カジュアルに、でも神様の名前をいつも!って方にお勧めは、

「ラムラ~ム!」です。そう、ヴィシュヌ・アヴァターラのラーマです。

ラーマのヒンディー訛りが「ラーム」です。




<< 前の単語 40.कैवल्यम् [kaivalyam] - カイヴァッリャ <<

サンスクリットは発音が大事!「ヨガ」は「ヨーガ」、「ヨギ」は「ヨーギー」、「ヨギーニ」は「ヨーギニー」です。

サンスクリットを習い始めた人に、どうか知って欲しいあれこれ

2014年11月16日日曜日

34.クリシュナ(कृष्णः [kṛṣṇaḥ])

कृष्णः 
[kṛṣṇaḥ] 

masculine - クリシュナ


インド関係のことを少しでも知っている人なら

誰でも知っているだろう、ということで、

クリシュナ、といきなり固有名詞を訳にいれました。

孔雀の羽をつけて、

笛を持って、

いつも微笑んでいて、

青黒い肌をした、

牛飼いのハンサムボーイ、

という容姿が伝統で私達に与えられています。


このような容姿や形のことを、伝統的には「ウパーサナ・ムールティ」と呼びます。

私達の心は、色、形状、音などの「フォーム」とやりとりするように出来ています。

色や形が無い、抽象的で、形而上のアイディアであっても、

私達の経験や考えの全ては、最終的には、脳波の形です。


なぜ、ウパーサナ・ムールティが伝統の中で教えられているのでしょうか?


なぜ、このような容姿が伝統で教えられているのか?



神様とは?全知全能とは?私達は何処から来た?

何のために生きている?死んだらどうなる?

この世の意味は?


といった人間として基本的な探求をする時に、

その人の心を、こういった容姿や形のものに持って行くと、

水先案内人のように、スムーズに答えに導いてくれますよ。

と伝統が教えているのです。

バガヴァッド・ギーターの冒頭の詩で、

रणनदी पाण्डवैः सोत्तीर्णा, कैवर्तकः केशवः ॥

’このマハーバーラタ戦争という、とても超え難い川を、

パーンダヴァ達は越す事が出来た。

なぜなら、ケーシャヴァ(クリシュナ)が水先案内人をしていたから。”

とあります。


クリシュナを味方につけるということは、

グレース(幸運)という、全ての成功に必要な要素の存在を認めて、

グレースを手に入れるために、ちゃんと手を打っている、と言う事です。


さらに、バガヴァッド・ギーターの中でクリシュナが教えを説きます。

先生を水先案内人として置く、ということは、

先生の教える智慧に、自分の思考とその基準を沿わせる、ということです。

道に迷ったら、出口を知っている人に道を聞くのと同じ事です。




ヴィシュヌ神の化身(アヴァターラ)とは?


クリシュナって誰?と聞くと、すぐに返ってくる答えが、

「ヴィシュヌ神の化身」「ヴィシュヌ・アヴァターラ」

ですが、それを聞いて何を分れと言うのでしょうか?

ヴィシュヌって誰?

神様に決まってるじゃん!

って、当たり前のように言ってるけど、

神様って誰よ?化身って一体何?


「神」の定義を試みてみましょう


宗教を持っている人も、持っていない人も、

「神様が、、」とか、「神様はいるの?」とか、「神様なんかいない!」とかも、

あたかも既に、神様が誰か知っているのが前提になっています。

それって、とっても変ですね。人間って面白いものです。

信仰の厚い人でさえも、「神様って何???」ってちゃんと真面目に考えている人は、

この世に殆どいないように見受けられます。


一般的に定義されている、神様とは、、、

「信仰の対象」― 信じないと存在出来無い神様なんて、頼りになるのでしょうか?

「人知を超えた存在」― 要するに、解からない、知らないってことでしょ?

そんな掴みどころのない神様に、世界の人口の殆どが、

すがりついたり、人生を捧げたりしている事自体が、摩訶不思議に他なりません。


今までの手垢のついた「神」の曖昧な定義は横において、

今から、一からきちんと定義しなおしてみましょう。

まず大前提として、「神」とは、信じる対象ではなく、理解されるべき対象である。

ということです。

全世界の大多数は、「神」と言ったとたんに、知能がOFFになっています。

大事な事は、知能をONにして、ちゃんと正面に向かって、考えるべきです。


「全知全能」というのが、神様によくついてくる形容詞ですね。

全知 = 全部知ってる。

私が今何を考えているとか、どんな状況に置かれているとか、

いちいち報告しないと知らなかったり、報告しても気づいてくれなかったりするのは神様じゃない。

私の考えも、自然環境の在り方も、宇宙の動きも、全て、

脳神経学、生物学、物理学、素粒子物理学、、、などの知識の表れです。

その識のて = 全知 

が、「全知」という言葉の本当の意味です。

これは、信じる必要性の全くない、理解出来ることです。

そして、理解されるべき事です。


全能 = 全ての能力

先ほど見た、「全ての知識」が、私の考えや体や、飼い猫や、お隣さんや、

政治情勢や、環境問題も含む、全ての「宇宙」として現れるために必要な能力のことです。

これも、信じるとか信じないとかいった議論ではないですね。


「全知全能」とは、理解し、認識するべき対象なのです。



全知全能の本当の意味が理解出来たら、

見るもの全ては全知全能の神の表れです。

しかし、そんなことを言われても、

「スケールが大きすぎて、把握できない。。」

というのが、人間の頭脳です。

それゆえに、理解につながるための第一段階として、

人間の頭脳で把握できる、「形」が伝統の中で提唱されているのです。

それが、ヴィシュヌであり、クリシュナであり、シヴァであり、ドゥルガーであり、、、

と人間の好みの数だけ、神様の形も用意されているのです。




「アヴァターラ」とは?



この前の、「ケーシャヴァ」の回で説明しています。

ヴィシュヌのアヴァターラとして良く知られているのがラーマとクリシュナ、

そして、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダもヴィシュヌのアヴァターラとして数えられています。

コーダンダという名の彼しか扱えない大きな弓を持って、
直立しているのが、ラーマの姿勢。
ダルマ=正義を表している。


いっぽう、クリシュナは笛を持って、
体をくねらせているのがいつものポーズ。
アーナンダ=幸せを表している。

ラーマが象徴するダルマ(正義、宇宙の秩序との調和)があって、

初めて、クリシュナの象徴するアーナンダが可能なのです。


ではでは、本題のクリシュナの意味を見てみましょう。


クリシュナの意味



1.永遠の幸福



कृष्णः [kṛṣṇaḥ] は、कृष् [kṛṣ] という動詞の原形から派生しています。

कृष् [kṛṣ] とは、「存在する」という意味です。

ण [ṇa] は、「幸福」を表しています。

伝統で語り継がれているクリシュナの容姿は、常に幸福を表しています。

笛を吹いたり、ダンスをしたり、周りの人達を皆幸せにしたり。。。

しかし、「存在する」を「幸福」とがどう繋がって、クリシュナになるのか?

आकृष् [ākṛṣ] という動詞の原形は「魅了する、心を引き付ける」という意味です。

人は誰でも、心が惹きつけられるものに幸せを見出します。

しかし、どんな幸せも長く続きません。

この宇宙の中にあるもの全ては、常に変わり続けているからです。

変化し続けているものは、それが「在る」といった瞬間に、既に変化しています。

私達の心も体も、物理的、心理的、様々なレベルで、変化し続けています。

そういったものを「絶対的な存在」と呼ぶ事は出来ません。

しかし、「じゃあ、無い」とも言えません。

私はここにいるし、つま先を机の角にぶつければ痛い。

つま先は在るし、机も在る。

姑に何か言われたらムカつく、ってことは、姑はいるし、ムカつく心も在る。

時間とともに生まれては無くなるものばかりだけど、ある、と言える。

その「在る」が、कृष् [kṛṣ] の意味である、「存在する」です。

そして、それが「幸福」のण [ṇa] なのです。

なぜ?

今までの人生の中で、来ては去っていった、沢山の幸せな時間を思い出してください。

私を幸せにしてくれた状況は、常に変化し続けている、宇宙の中の出来事でした。

その中で、常に、一定して在ったもの、、、

それは、「私」でした。

「存在」と「幸せ」のつながりが見えましたか?

そして、それが、私達が常に追いかけ続けているもの、心を惹きつけているものなのです。




2.青黒い色をした者



これが、上で言われている「ウパーサナ・ムールティ」のことです。




<< 前回の言葉 33.クリパー(कृपा [kṛpā])<<

マハーバーラタの戦い、アルジュナの心理、
バガヴァッド・ギーターの背景などを説明します。


   

>> 次回の言葉 35.ケーシャヴァ(केशवः [keśavaḥ])>>
          
クリシュナの別名、ケーシャヴァについてサンスクリット語文法を交えて説明します。

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