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2014年2月9日日曜日

8.イーシュワラ(ईश्वरः [īśvaraḥ])- 統治する者、権力者、神、宇宙の現象の全て

ईश्वरः
[īśvaraḥ]


masculine - 統治する者、権力者、神、宇宙の現象の全て




人生を豊かにしてくれる言葉とその知識


正しい伝統のもとでヴェーダーンタを勉強していると、

必ず聞く言葉、「イーシュワラ」。


普通に生きている人生において、必ず知っておきたい言葉であり、

自分の人生を生きながら、理解を深めて行くための言葉です。

なぜなら、イーシュワラの理解は、客観性、寛大で平穏な心をもたらしてくれるからです。

そんな心は、執着や葛藤、不安、憎しみ、後悔からどんどん自由になります。

そしてさらに客観性を増し、心の豊かさを増し、人生の意味がどんどん明らかになります。



そんな心はイーシュワラをより深く理解している心、もしくは知能といえます。


イーシュワラの意味を考える


上の見出しにある意味にはいくつありますが、

A. 統治する者、権力者 は文法的解釈。これは下で説明しますね。

B. 神 は一般的・宗教的解釈。

C. 宇宙の現象の全て は正しく理解するための手助けの言葉、です。

なんか、ばらばらのようで、ひとつのようで、、。

ゆっくり意味を見ていきましょう。


B.「」というと、信じる対象、つまり、信じたり信じなかったりすることが出来る対象です。

そして、今ここに居る自分とは違う場所、違う次元に居る感じがします。


C.「宇宙の現象の全て」とは、全てですから、今ここにいる私の体や心、

その生理学的、心理学的機構も全部含まれているのですよ。

もちろん、現在、過去、未来という全ての時間軸内、さらに全ての空間で、

起きている事、起こり得る事、全てです。

さらに、時間軸と空間軸に存在を与えている、全てを支えている、ボスです。

全てなのですから、さっきの神様のように、別の場所や次元で下を覗きこみながら、

私のことを嘲り笑っているわけにはいきません。

ということは、つまり、「全て=イーシュワラ」なのですから、

ここに在るもの全て、私の苦痛も、その原因も、将来の不安も、

都合の良いことも悪いことも、全てがイーシュワラなのです。


幸福の追求の為に必要な知識、それを教えてくれる聖典ヴェーダ


宇宙の創造のひとつとして、人間がうまく生きる為の智恵を教えるのが、

インドにある聖典、ヴェーダです。

何を教えているのかというと、全てはイーシュワラなのだ、と理解出来る為の、

心、もしくは知能を育む生活規範や文化を教えてくれているのです。


インドに生まれなくても、少しの自然科学の知識、常識、客観性を持っていたら、

自分は何を求めて、こんなに駆けずり回っているのだろうか?という疑問を持ち、

求めている自分=小さな自分、自分を圧迫している巨大な宇宙と時間、

それらはつまり、全部イーシュワラ、、と考えることを始められます。

イーシュワラについて教えているのはヴェーダだけです。

イーシュワラを少しずつ理解することによって、さらに客観性と心の豊かさを広げ、

本当の意味で「大人」、大きな人、つまり大きな心を持った人、に成長を続けるのです。

そんな人の心の中には平和あり、平和な心には幸せの意味の真実が見えるのです。


ヴェーダは全てサンスクリット語です。

ヴェーダの教えの伝統も、サンスクリット語を通して引き継がれています。

サンスクリット語を皆に分かりやすく紐解きながら、

イーシュワラの理解を、皆と共に深めていけますように。




イーシュワラの文法的解釈


サンスクリット語の文法にご興味がある方に。

前回のईशः [īśaḥ] と同じ意味です。

ईश् [īś] (司る、治める、権力を持つ)

というサンスクリット語の動詞の原形に、

前回は、अ [a] (~する者)という接尾語を付けましたが、

今回は、वर [vara](~する者)という接尾語を付けます。

(パーニニ・スートラ 3.2.175 のルールに拠る)

ईश् [īś](司る) + वर [vara](者) = ईश्वर [īśvara](司る者)

ですね。

このवर [vara]という接尾語は、「~する者」という意味の上に、

更に、

意味1.いつも~している人

意味2.もともと、~するようになっている人

意味3.~をするのが上手な人

という意味が重ねられています。


イーシュワラの統治とは、どういう意味のつながりで?


365日24時間、常に1秒も休まずに、

地球を回転させ、潮を満ち干させ、常温動物の体温を一定に保ち、

地球上にある物全てを、ふわふわ浮かないように地上に留めさせ、

カルマの法則によって、誰かを恋に落としたり、泣かしたり、

物理や生理や心理などのあらゆる法則の形で、

いつも統治しているのが「イーシュワラ」です。(意味1

そうする事が、イーシュワラの当然で自然な在り方なのです。(意味2

慣れないのにいやいや統治しているわけではありません。

イーシュワラの在り方自体が、様々な法則なので、

間違ったりする可能性はありません。

イーシュワラは統治が上手なのです。(意味3





== イーシュワラ(ईश्वरः [īśvaraḥ])が使われている文献 ==

バガヴァッド・ギーター18章61節

ईश्वरः सर्वभूतानां हृद्देशेऽर्जुन तिष्ठति ।
īśvaraḥ sarvabhūtānāṃ hṛddeśe'rjuna tiṣṭhati |
イーシュワラは、全ての生き物の心において、
(意識という形で)常にあります。

भ्रामयन् सर्वभूतानि यन्त्रारूढानि मायया ॥
bhrāmayan sarvabhūtāni yantrārūḍhāni māyayā ||
現象という形で混乱させて、
全ての生き物を、機械仕掛けのように動かし続けます。


ダクシナムールティ・ストートラム


ईश्वरो गुरुरात्मेति मूर्तिभेदविभागिने ।
īśvaro gururātmeti mūrtibhedavibhāgine |
イーシュワラ、先生、私、という様に、
別々の形であるかの様にで分け隔てる者、

व्योमवद् व्याप्तदेहाय दक्षिणामूर्तये नमः॥
vyomavad vyāptadehāya dakṣiṇāmūrtaye namaḥ||
空間の様に、全てに浸透し行き渡っている者、
そのダクシナムールティへ、この敬服を示します。






<< 前回の言葉 7.ईशः [īśaḥ] - イーシャ <<

宇宙の法則に、安心して委ねられる為の智慧、
イーシャーヤ、ナマハ。
   
 


>> 次の言葉 9.उदकम् [udakam] - ウダカ >>

水という意味のサンスクリット語。

水の神様、お風呂に入るときのマントラなど。

7.イーシャ(ईशः [īśaḥ])- 統治者

ईशः
[īśaḥ]


masculine - 統治者




イーシャの語源



「司る、治める、権力を持つ」という意味を持つサンスクリット語の動詞の原形、

「イーシュ(ईश् [īś])」から派生した名詞です。

「イーシュ」(司る)に、「ア」(~する者)という接尾語が付いて、

「イーシャ(ईश [īśa])」「司る者」という名詞の出来上がりです。

(パーニニ・スートラ 3.1.135 のルールに拠る)


イーシャとは


全世界、全宇宙を統治しているのが、イーシャ(ईशः [īśaḥ])です。

「全ての統治者、全てを司る者」と言われると、

「私は統治されてるの?私は彼に仕えてる訳ですか?」

と理不尽な上下関係のように思ってしまうかも知れません。

上司や、義父母や、その他の権力者から理不尽な服従を、

日頃から十分強いられているんですが!


イーシャの意味を教えるヴェーダ聖典


インド文化の源であるヴェーダは、 イーシャという言葉から、

私達に何を伝えようとしているのでしょうか。



全ての法則という形で、私達に見える統治者


手に持っているリンゴを、手から離すと、

重力の法則に従って、

リンゴは地球の中心の方へ落ちていきます。

両方の手のひらを、勢い良く同じ場所に持っていくと、

物理の法則に従って音がなります。

リンゴの落下、拍手の音、これらが「結果」です。


結果を出しているのは誰か?


物理の法則や、生物学の法則など、あらゆる法則の形として

結果を出すのがイーシャの仕事です。

「私が落とした」「私が鳴らした」と思っているけれども、

結果を出したのは、全宇宙の原因と結果のネットワークを司っている、

イーシャの仕事なんですね。


自由意志


では、どこからどこまでが私の仕事なのでしょうか?

自由意志を使って、「これをこうする/しない」と決めるところまでです。

あとは委ねてしまって、結果をグレースフル(優雅)に受け止めるだけです。

自分の自由意志も、結局は過去の結果に縛られている訳だから、

自由意志を使ってるとは言えないのでは?

もちろんそうです。意志が使える範囲は、自分では決められません。

しかし、”あたかも”であっても、意志は自分が自由に使えるように出来ているのです。

自由意志は私達が使う為にあるのです。

「自由意志なんて本当は無いんだから、

自分でもう何も決めな~い」と自堕落になるのはお馬鹿さんですね。

与えられた状況把握力と判断力をもって、

ベスト・オブ・ナレッジ(状況下で出来る限り)で、

自由意志を誠実に使いこなす事以外に、

私達がする事は無いのです。




因果関係の絶対確実性 - だから安心して委ねられる


今までに見たように、イーシャとは、

「全宇宙の原因と結果のネットワークを司っている者」の事です。

という事はつまり、イーシャとは、

「全宇宙の原因と結果のネットワークそのもの」の事です。

つまり、この宇宙の全ての、全ての時間の、全ての知識です。

全ての知識でなければ、私達みたいに、「うっかり」間違いをしてしまいます。

全ての統治者である「イーシャ」とは、

ここにあるもの全てのそのものを指しているので、

その統治は「infallible(絶対的確実性)」なのです。

寸分の狂いも無く、確実に結果を出す(infallible)「イーシャ」を、

物理や生理や心理などの法則として、

自分の中にも、他人の中にも認識する時、

そこには本当の意味でのリラックスがあります。

この認識が「ナマハ(नमः [namaḥ] )」なのです。

「イーシャーヤ・ナマハ」


「イーシャ」の意味を知れば知るほど、

この宇宙の動きの全てに浸透している「絶対的確実性」が見えてきて、

それに委ねて、それに安心して、

あらゆる宇宙の動きに対して、感謝と、祈りが生まれるのです。





<< 前回の言葉 6.इह [iha] - イハ <<
   
ヴェーダの教える、この世とあの世、天国の世界観






>> 次の言葉 8.ईश्वरः [īśvaraḥ] - イーシュワラ >>

ヴェーダーンタを勉強する上で、絶対はずせない言葉。

ゆっくり勉強しながら、ヨーガの生活を生きながら、
意味の理解を深めていきましょう。

2014年2月8日土曜日

6.イハ(इह [iha])- ここ、この場所、これにおいて

इह
[iha]


ind. ここ、この場所、これにおいて




この世が永遠でないように、天国も永遠ではない。


前回見た「イダム(इदम् [idam])」から派生した言葉です。

普通は、「別の場所/あの世/天国etc」とかと比較して、

「この場所/この世」、つまり今生きている世界を指す言葉です。

また、この体において、この生きている身体において、

つまり、「生きているうちに」、という意味でも使われます。

「人生のゴールは生きている内に達成するべき」

「死んでから行く天国は、ゴールじゃない。

だって、またこっちに帰ってくることになるだけだから。

1週間のハワイ旅行みたいに。」

この世の天国も、あの世の天国も、天国の定義は同じ。
「行っても、また元の世界に戻ってこないといけない場所、それが天国。」
यथा इह, तथा अमुत्र।
yathā iha, tathā amutra|

「ここ(इह [iha] )で通用するロジックは、あちら側(अमुत्र [amutra])でも通用する。」

という時などに使われます。


サンスクリット文法的説明


ここからは文法のお話。===

इदम् という代名詞を第7格(~において)で活用すると、

अस्मिन् 7/1 , अनयोः 7/2 , एषु 7/3  

と原形からはとてもかけ離れた形になります。

覚えるのが大変ですね。

もっと簡単な方法があります。

それは、「त्र [tra]」という接尾語を、代名詞の後ろにくっつけてしまえば、

第7格の意味はそのままに、活用しなくていい形(indeclinable)になるのです。

इदम् + त्र [tra]
= इह

って、これも原形を留めずに形が変わっているのですが。。。

そんなもんなんです。

以下のように、

代名詞+त्र [tra] 

で、様々なindeclinable(活用しない、簡単な名詞)が作れるのです。

サルヴァ(सर्व [sarva]) 代名詞. 全て
サルヴァットラ(सर्वत्र [sarvatra] indeclinable.) 全てにおいて

エーカ(एक [eka]) 代名詞. ひとつ
エーカットラ(एकत्र [ekatra] indeclinable.) 一箇所で

アンニャ(अन्य [anya]) 代名詞. 別の
アンニャットラ(अन्यत्र  [anyatra] indeclinable. )別の場所等において

タド(तद्  [tad]) 代名詞. それ
タットラ(तत्र [tatra] indeclinable.)そこ

ヤド(यद्  [yad]) 代名詞. それ(関係代名詞)
ヤットラ(यत्र  [yatra] indeclinable.) そこ (関係代名詞)

エータド(एतद्  [etad]) 代名詞. これ
アットラ(अत्र  [atra] indeclinable.) ここ
 
=== お勉強になりました。

全て頻出単語なので、サンスクリット語を勉強されている方は、メモっとくと良いですよ!




=== इह [iha] が使われいる文献 ===

タットヴァボーダ


इहामुत्रार्थफलोपभोगविरागः।
ihāmutrārthaphalopabhogavirāgaḥ|

”この世においても、あの世においても、

享楽や快適さといった結果を楽しむことについて

それらは、一時的なものであって、

本質的なものは与えてくれない、

ということを見抜いている事”

世界中の、天国に行くためにがんばってる人達は皆、

この本質が見抜けていないんですね。

科学や文学などで活躍している知的な人も沢山いるのに、、、。

明晰な頭脳に、天国行きを願うgullibleさが共存できるのは、

とても不思議です。



ケーナ・ウパニシャッド2章5節


इह चेदवेदीदथ सत्यमस्ति न चेदिहावेदीन्महती विनष्टिः ।
iha cedavedīdatha satyamasti na cedihāvedīnmahatī vinaṣṭiḥ |

”この世で(人間として生きている間に)(それを)知ったならば、

人間としてのゴールは達成された。

もし知ることが出来なければ、失うものは巨大だ。”


<< 前回の言葉 5.इदम् [idam] - イダム <<

この宇宙全て、私の身体も心も含めて、ここにある全ては、
「これ」と指をさせる対象物。
私はそれを対象化している、永遠の意識的主体。



>> 次の言葉 7.ईशः [īśaḥ] - イーシャ >>

唯一、絶対確実で信頼できるもの、
それは、この宇宙の法則。

その宇宙の法則に安心して委ねて生きる智慧を
教える為の言葉が、イーシャです。

2014年2月7日金曜日

5.イダム(इदम् [idam])- これ、この

इदम्
[idam]



pronoun これ、この





サンスクリット語の代名詞


サンスクリット語の名詞の中で、35種類あるसर्वनाम(代名詞)の中で、

このइदम् [idam]は、ある程度近くのものを指す代名詞です。


「これ」とか「それ」という意味の代名詞には4つあります。
1.एतद् [etad](エタド)
2.इदम् [idam](イダム)
3.अदस् [adas](アダス)
4.तद् [tad](タド)

1.自分に一番近いのが、एतद् [etad]。
2.次がइदम् [idam]。まだ「これ」の範囲。
3.少し離れて、अदस् [adas]から「それ」になる。でもまだ見える範囲。
4.तद् [tad]の「それ」は自分にはもう見えない範囲。

इदम् [idam]という代名詞は、サンスクリット言語の中で、

男性形、女性形、中性形と全ての性で活用するのはもちろん、

いろいろな接尾語が付いて、様々な形に変化し、頻繁に使われています。


イダムの哲学的意味


哲学的には、इदम् [idam]という言葉は、とても大事な意味で使われます。

その大事な意味とは、、、


इदम् [idam]=「これ」と、指さして”対象化”出来ることから、

「対象化出来るもの」と言う意味で使われます。


目の前の机はもちろん目や触覚で対象化出来ます。

テレビやラジオやインターネットで見聞きする情報は、

目の前のディスプレイのみならず、

扱われている情報も全て、

自分の頭(マインド、心)で対象化出来ます。

遠くにある土星や、視覚の届かない何処かの星雲やブラックホールも、

マインドの対象物です。

自分の身体も、見たり触ったり感じたり出来るので、対象物ですね。

自分の心も、自分にとっては対象物です。

嬉しい時も、悲しい時も、忙しい時も、全ては、

マインドの中で起きている事を私が対象化しているのです。

細胞も、原子も、素粒子も、対象物です。

時間も、空間も、私にとっての対象物です。

これら全て、対象化出来るものを、इदम् [idam]と呼ぶのです。


イダム(客体)を対象化している永遠の主体、私


では、対象化している、主体は?

それは、「私」です。

इदम् [idam]には絶対にならない、主体の「私」です。


茂木健一郎氏が、捜し求め続けている「クオリア」の正体は、

この「私」に他ならないのです。


研究も瞑想も必要なく認識できる、今ここにいる「私」が答えなのです。


(研究や瞑想に、時間や労力を投資すればするほど、
こんな簡単な答えを、受け止めるのが難しくなるようです。)


इदम् [idam]=「これ」という言葉で指せるものは全て、

「私」という主体に対しての、「対象物」なのです。

と言う事は、

इदम् [idam]=「これ」という言葉で指せるものは全て、

「私」では無いのです。

この世界、この人、この体、この心、、

「私」は対象化できない


最終的主体である「私」だけが意識的な存在であり、

それ以外の全ては、इदम् [idam]と言われる対象物なのです。


まず、इदम् [idam]を提示して、その意味を理解し、

それが、「私」の認識へと、導いてくれるのです。


茂木健一郎氏が「クオリア」を追い求め続けなければならないのは、

なぜかというと、「対象化できない、対象化の最終主体」を、

対象化の範囲で捉えようとしているからです。


意識的主体、私の正体


バガヴァッド・ギーター13章の最初から、

バガヴァーンが教えます。

इदं शरीरं कौन्तेय क्षेत्रमित्यभिधीयते ।
idaṃ śarīraṃ kaunteya kṣetramityabhidhīyate |

”「この」体は、「クシェートラ」です。”

クシェートラ=耕地=行動をして結果を刈り取る場所


एतद्यो वेत्ति तं प्राहुः क्षेत्रज्ञ इति तद्विदः॥१३-१॥
etadyo vetti taṃ prāhuḥ kṣetrajña iti tadvidaḥ||13-1||

”このクシェートラを(対象物として)知っているのが、クシェートラを知る者です。”

身体のことを「私」だと思いがちだけど、

その身体を対象化している「私」は身体とは別の、主体である。

ここまでは、わかり易いですね。


バガヴァーンは続けます。

क्षेत्रज्ञं चापि मां विद्धि
kṣetrajñaṃ cāpi māṃ viddhi

”そのクシェートラを知る者(つまり、あなた)が、

私(つまり、バガヴァーン)であると知りなさい。”

これは爆弾発言ですね。


バガヴァーンは続けてもう一つ爆弾を落とします。

सर्वक्षेत्रेषु भारत।
sarvakṣetreṣu bhārata|

”全てのクシェートラ(身体)において”

「私=バガヴァーン」でも、さっき十分びっくりさせられたのに、

「私=バガヴァーン=全員」って!


よくある疑問:

「私」は私にとっては、最終の主体だけれども、
他の人にとっては、私は対象物なんですけれども。

答え:

私の意識と、横で私を対象化している人の意識を、

2つのものとして隔てているものは何でしょうか?

身体や、心や、空間などですね。

それらは、全て対象化出来るものですね。


क्षेत्रक्षेत्रज्ञयोर्ज्ञानं यत्तज्ज्ञानं मतं मम॥१३-२॥
kṣetrakṣetrajñayorjñānaṃ yattajjñānaṃ mataṃ mama||13-2||

”クシェートラとそれを知る者についての知識が、
本当の知識であり、それは私のヴィジョンです。”


「本当の知識」の反対は、「そこそこの知識」=私達が知っている事全て。

「私のヴィジョン」とは、無知や誤解、混乱のないヴィジョン。


サンスクリットのボキャブラリーを紹介するだけのページにしようと思ったのに、

いつも、「書きすぎたかなぁ」と思ってしまいます。

ヴェーダーンタの教える知識を、インターネット上でこんなに公開してしまってよいのか?

という議論はいつもありますが、ここまで読んでくれる人は、

必ず「アディカーリン」(この知識を得る為の資格を持っている人)に違いない筈です。


=== इदम् [idam] が使われている文献 === 

チャーンドーギャ・ウパニシャッド6章2節マントラ1
सदेव सोम्य इदमग्र आसीदेकमेवाद्वितीयम् ...
sadeva somya idamagra āsīdekamevādvitīyam ...
”創造の前には、इदम् [idam] =この世界/宇宙は、
現れていない形で在った。(以下略)”


ここでは、इदम् [idam] は、この宇宙、創造という意味です。

対象化出来る物全て、と同じ意味です。



इदं सर्वम्
idaṃ sarvam
”この宇宙、創造の一切合切”

イーシャーヴァーシャ、タイッティリーヤ、マーンドゥーキャなど、

殆ど全てのウパニシャッドに登場する言葉です。

それゆえに、何度も繰り返し教えに耳を傾けながら、

しっかりと意味を把握するべき言葉なのです。

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