2014年2月7日金曜日

5.イダム(इदम् [idam])- これ、この

इदम्
[idam]



pronoun これ、この





サンスクリット語の代名詞


サンスクリット語の名詞の中で、35種類あるसर्वनाम(代名詞)の中で、

このइदम् [idam]は、ある程度近くのものを指す代名詞です。


「これ」とか「それ」という意味の代名詞には4つあります。
1.एतद् [etad](エタド)
2.इदम् [idam](イダム)
3.अदस् [adas](アダス)
4.तद् [tad](タド)

1.自分に一番近いのが、एतद् [etad]。
2.次がइदम् [idam]。まだ「これ」の範囲。
3.少し離れて、अदस् [adas]から「それ」になる。でもまだ見える範囲。
4.तद् [tad]の「それ」は自分にはもう見えない範囲。

इदम् [idam]という代名詞は、サンスクリット言語の中で、

男性形、女性形、中性形と全ての性で活用するのはもちろん、

いろいろな接尾語が付いて、様々な形に変化し、頻繁に使われています。


イダムの哲学的意味


哲学的には、इदम् [idam]という言葉は、とても大事な意味で使われます。

その大事な意味とは、、、


इदम् [idam]=「これ」と、指さして”対象化”出来ることから、

「対象化出来るもの」と言う意味で使われます。


目の前の机はもちろん目や触覚で対象化出来ます。

テレビやラジオやインターネットで見聞きする情報は、

目の前のディスプレイのみならず、

扱われている情報も全て、

自分の頭(マインド、心)で対象化出来ます。

遠くにある土星や、視覚の届かない何処かの星雲やブラックホールも、

マインドの対象物です。

自分の身体も、見たり触ったり感じたり出来るので、対象物ですね。

自分の心も、自分にとっては対象物です。

嬉しい時も、悲しい時も、忙しい時も、全ては、

マインドの中で起きている事を私が対象化しているのです。

細胞も、原子も、素粒子も、対象物です。

時間も、空間も、私にとっての対象物です。

これら全て、対象化出来るものを、इदम् [idam]と呼ぶのです。


イダム(客体)を対象化している永遠の主体、私


では、対象化している、主体は?

それは、「私」です。

इदम् [idam]には絶対にならない、主体の「私」です。


茂木健一郎氏が、捜し求め続けている「クオリア」の正体は、

この「私」に他ならないのです。


研究も瞑想も必要なく認識できる、今ここにいる「私」が答えなのです。


(研究や瞑想に、時間や労力を投資すればするほど、
こんな簡単な答えを、受け止めるのが難しくなるようです。)


इदम् [idam]=「これ」という言葉で指せるものは全て、

「私」という主体に対しての、「対象物」なのです。

と言う事は、

इदम् [idam]=「これ」という言葉で指せるものは全て、

「私」では無いのです。

この世界、この人、この体、この心、、

「私」は対象化できない


最終的主体である「私」だけが意識的な存在であり、

それ以外の全ては、इदम् [idam]と言われる対象物なのです。


まず、इदम् [idam]を提示して、その意味を理解し、

それが、「私」の認識へと、導いてくれるのです。


茂木健一郎氏が「クオリア」を追い求め続けなければならないのは、

なぜかというと、「対象化できない、対象化の最終主体」を、

対象化の範囲で捉えようとしているからです。


意識的主体、私の正体


バガヴァッド・ギーター13章の最初から、

バガヴァーンが教えます。

इदं शरीरं कौन्तेय क्षेत्रमित्यभिधीयते ।
idaṃ śarīraṃ kaunteya kṣetramityabhidhīyate |

”「この」体は、「クシェートラ」です。”

クシェートラ=耕地=行動をして結果を刈り取る場所


एतद्यो वेत्ति तं प्राहुः क्षेत्रज्ञ इति तद्विदः॥१३-१॥
etadyo vetti taṃ prāhuḥ kṣetrajña iti tadvidaḥ||13-1||

”このクシェートラを(対象物として)知っているのが、クシェートラを知る者です。”

身体のことを「私」だと思いがちだけど、

その身体を対象化している「私」は身体とは別の、主体である。

ここまでは、わかり易いですね。


バガヴァーンは続けます。

क्षेत्रज्ञं चापि मां विद्धि
kṣetrajñaṃ cāpi māṃ viddhi

”そのクシェートラを知る者(つまり、あなた)が、

私(つまり、バガヴァーン)であると知りなさい。”

これは爆弾発言ですね。


バガヴァーンは続けてもう一つ爆弾を落とします。

सर्वक्षेत्रेषु भारत।
sarvakṣetreṣu bhārata|

”全てのクシェートラ(身体)において”

「私=バガヴァーン」でも、さっき十分びっくりさせられたのに、

「私=バガヴァーン=全員」って!


よくある疑問:

「私」は私にとっては、最終の主体だけれども、
他の人にとっては、私は対象物なんですけれども。

答え:

私の意識と、横で私を対象化している人の意識を、

2つのものとして隔てているものは何でしょうか?

身体や、心や、空間などですね。

それらは、全て対象化出来るものですね。


क्षेत्रक्षेत्रज्ञयोर्ज्ञानं यत्तज्ज्ञानं मतं मम॥१३-२॥
kṣetrakṣetrajñayorjñānaṃ yattajjñānaṃ mataṃ mama||13-2||

”クシェートラとそれを知る者についての知識が、
本当の知識であり、それは私のヴィジョンです。”


「本当の知識」の反対は、「そこそこの知識」=私達が知っている事全て。

「私のヴィジョン」とは、無知や誤解、混乱のないヴィジョン。


サンスクリットのボキャブラリーを紹介するだけのページにしようと思ったのに、

いつも、「書きすぎたかなぁ」と思ってしまいます。

ヴェーダーンタの教える知識を、インターネット上でこんなに公開してしまってよいのか?

という議論はいつもありますが、ここまで読んでくれる人は、

必ず「アディカーリン」(この知識を得る為の資格を持っている人)に違いない筈です。


=== इदम् [idam] が使われている文献 === 

チャーンドーギャ・ウパニシャッド6章2節マントラ1
सदेव सोम्य इदमग्र आसीदेकमेवाद्वितीयम् ...
sadeva somya idamagra āsīdekamevādvitīyam ...
”創造の前には、इदम् [idam] =この世界/宇宙は、
現れていない形で在った。(以下略)”


ここでは、इदम् [idam] は、この宇宙、創造という意味です。

対象化出来る物全て、と同じ意味です。



इदं सर्वम्
idaṃ sarvam
”この宇宙、創造の一切合切”

イーシャーヴァーシャ、タイッティリーヤ、マーンドゥーキャなど、

殆ど全てのウパニシャッドに登場する言葉です。

それゆえに、何度も繰り返し教えに耳を傾けながら、

しっかりと意味を把握するべき言葉なのです。

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