6.シャシュ(षष् [ṣaṣ])
舌を反らしながら出す、「シャ」の音は、
シャンムカ(षण्मुखः [ṣaṇmukhaḥ])のシャ、と言われます。
シャンカラ(शङ्करः [śaṅkaraḥ]) のシャ、
サラッスヴァティー(सरस्वती [sarasvatī])のサ、
という風に、サンスクリット語に3つある「S」を区別するのです。
シャンムカ(षण्मुखः [ṣaṇmukhaḥ])
= 六つ(シャシュ、連音変化でシャン)の顔(ムカ)を持つ者
= カールティケーヤ
= ガネーシャの弟
= シヴァとパールヴァティーの次男
顔が六つでしょ |
南インド、とくにタミル・ナードゥでは大人気です。
スッブラマンニャ、クマール、カールティケーヤ、ムルガン、
といった名前で親しまれています。
こちらのアシュラムにも、丘の上にムルガン・テンプルがございます。
その名も、カッリヤーナ・ スッブラマンニャ・テンプル。
そう、結婚や良い縁談の祈りに適しています。そして健康にも。
7.サプタン(सप्तन् [saptan])
サプタパディー(सप्तपदी [saptapadī])とは、
ヴェーダの結婚の儀式で、もっとも大事なステップです。
儀式の火の回りを、新郎新婦が一緒に七歩進むことで、
結婚が成立します。
先述の、こちらのアシュラムの敷地内にある、
結婚に良いとされる、カッリヤーナ・ スッブラマンニャ・テンプルで、
結婚の儀式をされたのを、何度が見たことがあります。
私のような、白いサリーを着た尼の一歩手前は、結婚式に立ち会うのは不吉とされているので、(結婚とか家庭とか豊かさの追求から身を引きました、と宣言している身分なので)私自身はあまりそういう場にはうろつかないのですが、結婚に使われるマントラとその意味は聞いたことがあります。
ヴェーダの伝統に生きる人にとって、大事な節目である結婚。
そのの儀式で使われる、ヴェーダのマントラの意味は、
人生とは何の為にあるのかを分からせてくれます。
プリーストに来てもらったり、マントラをチャンティングしたり出来なくても、
マントラの意味だけは、結婚式に持ち込んでもいいと思います。
結婚に良いとされる、カッリヤーナ・ スッブラマンニャ・テンプルで、
結婚の儀式をされたのを、何度が見たことがあります。
私のような、白いサリーを着た尼の一歩手前は、結婚式に立ち会うのは不吉とされているので、(結婚とか家庭とか豊かさの追求から身を引きました、と宣言している身分なので)私自身はあまりそういう場にはうろつかないのですが、結婚に使われるマントラとその意味は聞いたことがあります。
ヴェーダの伝統に生きる人にとって、大事な節目である結婚。
そのの儀式で使われる、ヴェーダのマントラの意味は、
人生とは何の為にあるのかを分からせてくれます。
プリーストに来てもらったり、マントラをチャンティングしたり出来なくても、
マントラの意味だけは、結婚式に持ち込んでもいいと思います。
8.アシュタン(अष्टन् [aṣṭan])
パタンジャリの「アシュターンガ・ヨーガ」は聞いたことがある人は多いかもしれませんね。
アシュターンガ(अष्टाङ्गः [aṣṭāṅgaḥ])
= 八つ(アシュタ) の構成要素(アンガ)を持つもの
瞑想によって、精神(心・アンタッカラナ)の状態を
コントロール出来るようになるのを目的としたテクニックです。
アシュターンガ・ヨーガは、
1.身体のポーズが、心のポーズかの違いだけ
2.心の状態を整えるのは、その先にある本当のゴールの為の準備であって、瞑想自体がゴールではない
ということから、期待しすぎ、のめり込みすぎには注意してください。
というのがヴェーダーンタを知る者からの忠告です。
あと、
3. ヴェーダーンタと同等に考えないで!
なぜ、ヨーガ・スートラを勉強するの?
(考えることの出来る人なら誰でも分かることだけど)
「ヨガとはポーズだけじゃない」と気づいた人が、
その次は、、と求めて、「ヨガ」という語呂あわせで、
じゃあ、「ヨーガ・スートラを勉強しなきゃ」となるのが昨今のトレンドになっています。
しかし、人生の意味を満たすために、
ヨーガ・スートラの教える、アシュターンガ・ヨガは、
全ての人に必要なわけではありません。
常にダルマに沿った選択が出来る心を持ち、
ゆっくり座って、ヴェーダーンタの教えに耳を傾けることが出来て、
学んだことを熟考しながら、ダルマに沿った生活が続けられる。
それが出来るような身体と心の状態であれば、
ヨーガ・スートラを知っていなくても、全く問題ありません。
ヨーガ・スートラを勉強する時間があるのなら、
ギーターの勉強をすればいいのに!
と思うのですが、それはもう、その人のプラーラブダですね。
アーサナやプラーナーヤーマ、瞑想ばかりに目が行って、
ダルマの生活や、ヴェーダーンタの勉強に目が行かないのは、
非常にもったいない!
たとえ文献の勉強に辿り着いても、
正しい先生にめぐり合える人は、これまた少ない。
ほんとに、これだけは、その人の持つグレース(プンニャ)ですね。
この件は、後で「パタンジャリの祈りのシュローカの意味」というコラムを書くので、
そこでゆっくり検証しながら説明しますね。
9.ナヴァン(नवन् [navan])
ナヴァラートリー(नवरात्री [navarātrī])
= 九(ナヴァ)夜(ラートリー)
= 女神にプージャーをする、9日間続くインドのお祭り
= 九(ナヴァ)夜(ラートリー)
= 女神にプージャーをする、9日間続くインドのお祭り
ラーマのお父さんは、ダシャラタですね。
ダシャラタ(दशरथः [daśarathaḥ])
= 十の(ダシャ) 馬車・戦車(ラタ)を持つ者
直訳するとこうなりますが、一国の王様なのだから、実際はもっと持ってたと思うのですが。
ダシャーナナ(दशाननः [daśānanaḥ])
= 十の(ダシャ) 顔(アーナナ)を持つ者
= ラーヴァナ
ラーマの奥さん、シーターを誘拐・幽閉した、ラーヴァナの別名です。
顔が十もある、というのは、その人の人格が分裂していることを表しています。
ラーヴァナは、サーマヴェーダを歌うブラーンマナであり、
一国の王であり、ヴァイディカな家庭の出身という側面を持ちながら、
欲望や嫉妬、暴力といったアダルマな側面が自分でもどうしようもなく強い。
だから、頭の中はコンフリクト(葛藤)だらけで、アシャーンティで、
自分や周りの人間を破滅に追いやる存在になってしまう。
考えるという行為、言葉を発するという行為、
そして、身体を使った行動、
全てにおいて、どんな小さな事でも、
誰かを怖がらせたり、痛めつけたりするのではないか?
という疑いがあるのなら、
理屈をつけずに、潔く、さっさと辞めていく。
それだけで、葛藤からどんどん自由になれるのです。
これまでは、1、2、3という基数を見てきました。
次回は、第一、第二、第三、という序数を見ます。