सरस्वती
[sarasvatī]
1. 芸術と学問を司る女神
2. サラス(水)を持つもの
ナヴァラトリーの間に全ての女神の記事を
上げるつもりでしたが、新刊の入稿に追われておりました。
でも、
無事にアマゾンで公開されました!
同じ師を持つ心強い人々に助けてもらい、
いろんな意味でドキドキ、ワクワクしながら本作りが出来ました。
本当に皆様、ありがとうございます。
紙の書籍ももうすぐ発刊されます。楽しみです。
では、本題に入りましょう。
本来の発音に近いのは「サラッスヴァティー」ですが、
日本語では「サラスワティ」として広く知られていますね。
1.芸術と学問を司る女神
「サラッスヴァティーは、日本では弁財天という名で知られています」
とサラリと説明して「そーなんだー」と言ってもらうことも出来ますが、
私はそういう説明はどうかな?と思います。
なぜなら、日本人は学校でも家でも塾でも、勉強する前や楽器を弾く前に、
毎日毎回、必ず弁財天様にお祈りなんてしませんね。
インドでは、クラスの始まりごとにサラッスヴァティーに祈りを捧げ、
マントラ、シュローカ、ストートラ、スークタムなどを唱えたり、
ジャパをしたりして、一日に何回もサラッスヴァティーを思い出す習慣があります。
本や楽器をサラッスヴァティーそのものの表れとして拝み、
ナマスカーラをしたり、クンクマをつけたりし、
本を床に置かない、足に触れたり上に座ったり絶対しない、
食べ物や飲み物を触った手で絶対に触らない、
という規律を守って尊敬を表します。
もし誤って、足で触れてしまったり、落としてしまったりしたら、
本に対して頭や目を付けて謝罪します。
インドのサラッスヴァティーは、毎日このように扱ってもらっています。
それほど、サラッスヴァティーと、私達の毎日の生活、
そして私達の知識に対する態度とが密接に、
深く深く個人的に関っているのです。
神社やお寺の中ではなく、
私の舌の上に、私の頭の中に居てください、
と毎日お願いし、
私が話したり書いたり考えたり出来るのは、
全てサラッスヴァティーのおかげ、
と毎日認識する習慣を幼い頃から植え付けるのがインドの文化です。
一方、日本の弁財天様はどうでしょうか。
「弁財天」と言ってしまうと、ちょっと遠いイメージになってしまうので、
私はインドの神様を、日本の神様を通して説明するのには抵抗があるのです。
オン・ソラソバテイエイ・ソワカ
ちなみに、弁財天様の真言「オン・ソラソバテイエイ・ソワカ」は、
もちろんですが、サラッスヴァティーのマントラ
「ॐ सरस्वत्यै स्वाह [om sarasvatyai svāha]」が訛ったものですね。
「スヴァーハ(स्वाह [svāha] )」はデーヴァターに対して
捧げものをする時に発する言葉です。それが「ソワカ」と訛ったのですね。
ちなみにご先祖様に対しては「スヴァダー(स्वधा [svadhā])」です。
デーヴァターの名前は第4格で表されます。
「サラッスヴァティー」の第4格は、
「サラッスヴァッティヤイ(सरस्वत्यै [sarasvatyai])」です。
それが「ソラソバテイエイ」と訛った。わかりやすいですね。
「オン」は「
オーム(ओम् [om])」ですね。
「ॐ」という書き方は、単なる風習で、その形自体に意味はありません。
ヴェーダの伝統では、「オーム(ओम् [om])」は音のシンボル(プラティーカー)であり、
形のシンボル(プラティマー)では無いからです。
「ॐ」の形について薀蓄を言うのは、伝統の外にある人達です。
サンスクリット語の単語の2種類の意味
辞書に載せられているような、よく使われるサンスクリット語の名詞には、
通常2種類の意味があります。
ひとつは「ヨーギカ・アルタ(योगिकार्थः [yogikārthaḥ])」といって、
文法的な語源を元にした意味です。
もうひとつは「ルーディー・アルタ(रूढ्यर्थः [rūḍhyarthaḥ])」と呼ばれる、
一般によく知られて通用している意味です。
ヨーギカとルーディーが同じでない場合は、
ルーディーの意味が優先されます。
サラッスヴァティーのヨーギカ・アルタは「水を持つ者=川」ですが、
ルーディー・アルタは「学問の神様」です。
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ラクシュミーを真ん中にして、
ガネーシャとサラッスヴァティーという構図が
よく見かけられます。
世間一般の優先順位なのでしょうか。 |
2. サラス(水)を持つもの
サラッスヴァティー川は、現在のインドとパキスタンの国境辺りにあったとされています。
衛生写真で見ると、地形や古い町の分布から、
その存在が明らかだとする研究をしている人の発表を見たことがあります。
物理的にどうであれ、それに対する個人の態度が、
その人の学問に対する姿勢、
そしてその学問が教えてくれる知識に対する姿勢に影響するのです。
サラッスヴァティーの絵の意味
両手に持っているのは、「ヴィーナー(वीणा [vīṇā])」と呼ばれる
古くからある弦楽器です。現在でもいくつかの種類が残っています。
中でもルッドラ・ヴィーナーという種類のヴィーナーは特に珍しく、
現在それを演奏できる人はごく僅かです。
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伝説の故ヴィーナー・マハラージ
ルッドラ・ヴィーナーを轢くことが出来た最後の一人、
とリシケシで誰かに教えてもらいましたが、
南インドにはまだいます。 |
ちなみに、弁天さんが持っている琵琶(びわ)は、
ヴィーナーが訛ったものみたいですね。今回初めて気付いた!
バラモンがブラーンマナが訛ったものであるということも、ごく最近気付きました。
右手に持っているのは、スパティカ・マーラー、水晶の数珠です。
スパティカは、その透明性から、明瞭な思考・理解を象徴しています。
左手に持っているのは、ヴェーダですね。
ちなみにサラッスヴァティーの伴侶は、
4つのヴェーダを象徴する4つの顔を持つ、ブランマージーですね。
サラッスヴァティーは普通、蓮の上に座っています。
乗り物(ヴァーハナ)は、ハムサ(हंसः [haṃsaḥ])白鳥です。
白鳥は、水の混じったミルクが与えられても、
ミルクだけを飲むことが出来る、という言い伝えがあり、
それが「ヴィヴェーカ(विवेकः [vivekaḥ])」を表しています。
ヴィヴェーカとは、見た目は似ているけど、本質は違う、
二つのものが混じっているとき、それを見分ける能力です。
人間が人間として生まれて来た意味を満たすために、
一番大事で、必要不可欠な能力が、ヴィヴェーカなのです。
ヴィヴェーカについては、また今度ゆっくり説明しますね。
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ラクシュミーとサラスワティ
या देवी सर्वभूतेषु मातृरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu mātṛrūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||
या देवी सर्वभूतेषु शक्तिरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu śaktirūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||
या देवी सर्वभूतेषु लक्ष्मीरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu lakṣmīrūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||
या देवी सर्वभूतेषु बुद्धिरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu buddhirūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||