कीटः
[kīṭaḥ]
masculine - (這う)虫
哲学的な話、時空を超えたレベルのトピックを今まで扱ってきた中で、
突如、地を這う小さな虫、「キータ(कीटः [kīṭaḥ] )」の登場です。
「キータ」の「タ」の音は、舌を反らせて出す、かわいい「タ」の音。
名前の音に表されているように、小さくて頼りない虫が「キータ」です。
ヴェーダーンタでは、運命に翻弄されている、無力な「個人(ジーヴァ)」の
例えとして、この「キータ」という言葉が使われることがあります。
小さな尺取虫君は、一生懸命葉っぱから葉っぱへと這いながら進んでいるけど、
自分でも結局どこに進んでいるのかをよく分かっていません。
周りは天敵だらけです。さらに、襲ってこられても戦える武器も手足すらも持っていません。
ごく稀に、人間の視界に入った場合、「あ、虫。」と払い除けられて、
ぜんぜん分からない場所に放り投げられたりします。
そんな情けない「キータ」君が、
これから紹介する「パンチャダシー3章」の冒頭に登場します。
नद्यां कीटा इवावर्तादावर्तान्तरमाशु ते।
nadyāṃ kīṭā ivāvartādāvartāntaramāśu te|
河の中に落ちて、波から波へとさらわれている虫たちのように、
व्रजन्तो जन्मनो जन्म लभन्ते नैव निर्वृतिम्॥ ३०॥
vrajanto janmano janma labhante naiva nirvṛtim|| 30||
生と死を繰り返しながら、あちこち移り渡っているけれども、何も達成出来ていません。
सत्कर्मपरिपाकात्ते करुणानिधिनोद्धृताः।
satkarmaparipākātte karuṇānidhinoddhṛtāḥ|
今まで積んできた徳が実った時、深い思いやりを持った先生に(河から)助け出されます。
प्राप्य तीरतरुच्छायां विश्राम्यन्ति यथासुखम्॥ ३१॥
prāpya tīratarucchāyāṃ viśrāmyanti yathāsukham|| 31||
河のほとりにある木陰で落ち着き、自分のあるがままの幸せの中で休みます。
उपदेशमवाप्यैवमाचार्यात्तत्त्वदर्शिनः।
upadeśamavāpyaivamācāryāttattvadarśinaḥ|
真実を知る先生からの教えを得て、
पञ्चकोषविवेकेन लभन्ते निर्वृतिं पराम्॥ ३२॥
pañcakoṣavivekena labhante nirvṛtiṃ parām|| 32||
パンチャコーシャ・ヴィヴェーカ(この章のタイトル)によって、絶対的達成を得ます。
ちなみに、パンチャコーシャとは何でしょうか。
「パンチャ」とは、数字の「5」、
「コーシャ」とは、刀を納める「鞘(さや)」のことです。
5つのコーシャは以下の通り:
「パンチャ」とは、数字の「5」、
「コーシャ」とは、刀を納める「鞘(さや)」のことです。
5つのコーシャは以下の通り:
- アンナマヤ・コーシャ
- プラーナマヤ・コーシャ
- マノーマヤ・コーシャ
- ヴィッギャーナマヤ・コーシャ
- アーナンダマヤ・コーシャ
パンチャコーシャの意味1:
刀はどこにある?と聞かれた時、
鞘(さや)の中で刀が見つかるように、
自分(アートマン)はどこに居る?と聞かれた時、
自分が見つかる場所、例えば自分の身体とか心とかのことを、
コーシャと呼びます。
パンチャコーシャの意味2:
鞘(さや)が刀を隠してしまうように、
自分(アートマン)の本質も、自分の身体や心によって隠されているようです。
この意味でもパンチャコーシャという言葉が使われます。
両方どちらの意味にしても、
自分はこれだとして認識しているけど、
本質的には自分でないものがパンチャコーシャです。
従って、パンチャコーシャが何なのかを正しく知れば、
それら5つのコーシャと取り違えられている、
本当の自分の意味が正しく理解できるのです。
この、自分に対する勘違いを正すプロセスが、
「パンチャコーシャ・ヴィヴェーカ」なのです。
ひとつひとつのコーシャの意味は、
後に出てくる 「コーシャ(कोशः [kośaḥ])」 の回で紹介しますね。
刀はどこにある?と聞かれた時、
鞘(さや)の中で刀が見つかるように、
自分(アートマン)はどこに居る?と聞かれた時、
自分が見つかる場所、例えば自分の身体とか心とかのことを、
コーシャと呼びます。
つまり、自分のことを認識している時に、
何を持ってして「自分」と認識しているのかを分析し、
何を持ってして「自分」と認識しているのかを分析し、
それを5つのレベルに分けたものが、パンチャコーシャです。
パンチャコーシャの意味2:
鞘(さや)が刀を隠してしまうように、
自分(アートマン)の本質も、自分の身体や心によって隠されているようです。
この意味でもパンチャコーシャという言葉が使われます。
両方どちらの意味にしても、
自分はこれだとして認識しているけど、
本質的には自分でないものがパンチャコーシャです。
従って、パンチャコーシャが何なのかを正しく知れば、
それら5つのコーシャと取り違えられている、
本当の自分の意味が正しく理解できるのです。
この、自分に対する勘違いを正すプロセスが、
「パンチャコーシャ・ヴィヴェーカ」なのです。
ひとつひとつのコーシャの意味は、
後に出てくる 「コーシャ(कोशः [kośaḥ])」 の回で紹介しますね。
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光線、太陽から注す光という、サンスクリット語です。
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