कीर्तिः
[kīrtiḥ]
「名声」とか「有名人」とか聞くと、
ハリウッドとか、芸能界とか、ビジネスや政治で成功した人とか、
いかにも俗世間的な感じがしますが、
ヴェーダーンタ・シャーストラで使われる場合は、
もちろん、もっと深い意味で使われます。
名声を得る、ということは、何かの分野で成功した証です。
成功を収めるには、それなりの能力や資源が必要です。
ビル・ゲイツは、相当な働き者だろうし、頭もいいし、
鋭いビジネス感覚や先見の明を持っているはずです。
優れた人材や、時代の風潮にも恵まれていたでしょう。
その全ての能力や資源は、誰のものなのでしょうか?
「俺だよ!俺が人一倍頑張ったんだよ!」と言う権利はもちろんビル・ゲイツにありますが、
彼が頑張れるのも、その能力が彼に与えられていたからです。
ヒンドゥーの子供たちが、一般的に教わる毎日のお祈りの中に、
朝一番にまず自分の手のひらを見ながらするお祈りがあります。
कराग्रे वसते लक्ष्मीः [karāgre vasate lakṣmīḥ]
手の先にはラクシュミー(あらゆる富の女神)が住んでいる。
करमध्ये सरस्वती । [karamadhye sarasvatī |]
手の中程にはサラッスヴァティー(あらゆる知識の女神)が住んでいる。
करमूले तु गोविन्दः [karamūle tu govindaḥ]
手の付け根にはゴーヴィンダ(全ての現象に存在を与えている意識)が住んでいる。
प्रभाते करदर्शनम् ॥ [prabhāte karadarśanam ||]
朝に手を見ること。
「バガヴァーン」という時の6つのバガに、
この कीर्तिः [kīrtiḥ] 「キールティ(名声)」と同じ意味の 、
यशः [yaśaḥ]「ヤシャス(名声) 」が含まれています。
人が名声を得た時、成功を収めた時、
自分にばかりに意識が行ってしまって、大きなヴィジョンを逃さないように、
「名声とは、バガヴァーンのものなんですよ」と思い出させてくれているのです。
自分が持っている能力や資源を、バガヴァーンのものと見なし、
「私はそれらをうまく使うように管理を任されているだけ」
といった態度で仕事をする時、
その人には、リラックスした客観的姿勢が生まれ、
もっと大きな意味でのさらなる成功を収めやすくなるのです。
= कीर्तिः [kīrtiḥ] - キールティ が使われている文献 =
タイッティリーヤ・ウパニシャッド1章18節
कीर्तिः पृष्ठं गिरेरिव । [kīrtiḥ pṛṣṭhaṃ gireriva | ]
トリシャンクという名のリシ(聖者)が、ヴェーダーンタの知識を得たときの発言だとされる。
「私の名声は(kīrtiḥ )山の(gireḥ)頂上(pṛṣṭhaṃ )の様(iva )だ。」
つまり、知識を得た人、つまりジーヴァンムクティを讃える為の表現。
または、その人はイーシュワラであることから、無限の名声を持つという表現。
<< 前回の言葉 27.कीटः [kīṭaḥ] - キータ <<
サンスクリット語で「小さな虫」という意味です。
パンチャ・コーシャについても。
>> 次回の言葉 29.कुमारः [kumāraḥ] - クマーラ >>
シヴァとパールヴァティーの息子、ガネーシャの弟の
「クマール」くんのお話。
[kīrtiḥ]
feminine - 名声、有名であること
キールティの意味
「名声」とか「有名人」とか聞くと、
ハリウッドとか、芸能界とか、ビジネスや政治で成功した人とか、
いかにも俗世間的な感じがしますが、
ヴェーダーンタ・シャーストラで使われる場合は、
もちろん、もっと深い意味で使われます。
自分の能力は誰のもの?
名声を得る、ということは、何かの分野で成功した証です。
成功を収めるには、それなりの能力や資源が必要です。
ビル・ゲイツは、相当な働き者だろうし、頭もいいし、
鋭いビジネス感覚や先見の明を持っているはずです。
優れた人材や、時代の風潮にも恵まれていたでしょう。
その全ての能力や資源は、誰のものなのでしょうか?
「俺だよ!俺が人一倍頑張ったんだよ!」と言う権利はもちろんビル・ゲイツにありますが、
彼が頑張れるのも、その能力が彼に与えられていたからです。
自分の行動と能力に神を見る
ヒンドゥーの子供たちが、一般的に教わる毎日のお祈りの中に、
朝一番にまず自分の手のひらを見ながらするお祈りがあります。
कराग्रे वसते लक्ष्मीः [karāgre vasate lakṣmīḥ]
手の先にはラクシュミー(あらゆる富の女神)が住んでいる。
करमध्ये सरस्वती । [karamadhye sarasvatī |]
手の中程にはサラッスヴァティー(あらゆる知識の女神)が住んでいる。
手の付け根にはゴーヴィンダ(全ての現象に存在を与えている意識)が住んでいる。
प्रभाते करदर्शनम् ॥ [prabhāte karadarśanam ||]
朝に手を見ること。
どういう意味なんでしょうか?
手は、人間の行為の道具の象徴です。
ラクシュミーは全宇宙の富や資源の象徴です。
サラッスヴァティーは全宇宙の智恵。
毎朝、行為の象徴である自分手の中に彼女たちの存在を思い出し、
「私が仕事が出来るのは、彼女たちのパワーのおかげ。
私の行為のひとつひとつを可能にしているのは、彼女たちである資源と智恵。
私が今日一日の中でする仕事の中に、彼女たちの恵がありますように。」
と祈るのです。
手の付け根で彼女たちを支えている=存在を与えているのは、
ゴー(言葉によって)ヴィンダ(得られる)=クリシュナ。
ヴェーダーンタ・シャーストラ(文献)によって得られる知識についても、
毎朝ちゃんと思い出すのです。
イーシュワラを見せる仕掛けがいっぱい詰まったヒンドゥー生活様式
ヒンドゥーの生活文化には、朝起きてから寝るまで、
全てにイーシュワラを見出す為の仕掛けが、そこらじゅうに散りばめてあります。
最初は???と思わざるを得ない習慣だらけですが、
シャーストラを勉強すればするほど、そこに隠されている意味が見えてきます。
人間の傾向や心理までよく見透かした、とても深い仕掛けです。
この कीर्तिः [kīrtiḥ] 「キールティ(名声)」と同じ意味の 、
यशः [yaśaḥ]「ヤシャス(名声) 」が含まれています。
人が名声を得た時、成功を収めた時、
自分にばかりに意識が行ってしまって、大きなヴィジョンを逃さないように、
「名声とは、バガヴァーンのものなんですよ」と思い出させてくれているのです。
自分が持っている能力や資源を、バガヴァーンのものと見なし、
「私はそれらをうまく使うように管理を任されているだけ」
といった態度で仕事をする時、
その人には、リラックスした客観的姿勢が生まれ、
もっと大きな意味でのさらなる成功を収めやすくなるのです。
= कीर्तिः [kīrtiḥ] - キールティ が使われている文献 =
タイッティリーヤ・ウパニシャッド1章18節
कीर्तिः पृष्ठं गिरेरिव । [kīrtiḥ pṛṣṭhaṃ gireriva | ]
トリシャンクという名のリシ(聖者)が、ヴェーダーンタの知識を得たときの発言だとされる。
「私の名声は(kīrtiḥ )山の(gireḥ)頂上(pṛṣṭhaṃ )の様(iva )だ。」
つまり、知識を得た人、つまりジーヴァンムクティを讃える為の表現。
または、その人はイーシュワラであることから、無限の名声を持つという表現。
<< 前回の言葉 27.कीटः [kīṭaḥ] - キータ <<
サンスクリット語で「小さな虫」という意味です。
パンチャ・コーシャについても。
>> 次回の言葉 29.कुमारः [kumāraḥ] - クマーラ >>
シヴァとパールヴァティーの息子、ガネーシャの弟の
「クマール」くんのお話。