शान्तिः
[śāntiḥ]
荒波が立っておらず、衝突が無くて、平和な状態。
そんな心の状態を、幸せと呼びます。
私達が幸せを感じている時とは、まさにシャーンティのことです。
シャーンティがあってこそ、幸せがある。
他とのエゴや主張に衝突が無い時、
精神的浮き沈みから自由な時、自分の考えや行動に矛盾が無い時、
そのような時、心は静かで平和です。
だから、好きな人や家族と居てエゴのぶつかり合いが無い時、
自然の中で広大な景色を眺めているとき、瞑想しているとき、
寝ている時、、、そんな衝突の無い、シャーンティの状態にある時、
私達は幸せを感じるのです。
それゆえに、そんな衝突の無い心の状態求めて、
私達は好きな人と仲良く集ったり、自然を観に行ったり、瞑想したり、
ゆっくり寝たりするために努めるのです。
勉強をする前、一日の生活を始める前、なにか大事なこと始めに、
「全てがうまく行きますように」と、障害物を鎮静(シャーンティ)させる為に
祈りを捧げる習慣がインドにはあります。
全ての祈りの句の最後には、必ず「シャーンティ」を3回唱えます。
それにはどのような意味があるのでしょうか。
障害物には3種類あり、それらを鎮静させる為に、
「シャーンティ」を3回唱えるのです。
「ターパ・トラヤ(3種の苦悩、熱し焦がすもの)」または、
「ヴィグナ・トラヤ(3種の障害物)」といって、
シャーンティの邪魔をする原因には3種類あるといわれています。
それらは:
1.自分に関する障害物
自分の健康状態、精神状態など。
2.周りの人間や動物などに関する障害物
蚊から始まって、人間関係など、心の平安を乱す人や動物など。
3.天災など、人間がコントロール出来ない範囲にある障害物
台風や地震など。
3種類の障害物全てがシャーンティであって、
初めて私達は何かを達成出来るのです。
自分が能力を発揮出来ること、思い通りにことを進められることを、
全ての条件が揃った奇跡だと捉えるとき、
その人は宇宙全体の動きを認識し、そこに畏怖と感謝、そして祈りが生まれます。
反対に、これらを当たり前の条件としてとらえていると、
条件に見合わないことばかりに気をとられて、自分 VS 世界の図式になるでしょう。
この3種類の障害物を鎮静することの出来る能力があるのは、
この宇宙の全ての知識と能力です。
宇宙の在り方との有効な関わり方として、伝統で教えられている方法が、
「祈り」という行為なのです。
シャーンティと唱えるときは、後ろに活用語尾の「ヒ」の音が付加されます。
ゆえに、「シャーンティヒ(शान्तिः [śāntiḥ])」となるのですが、
「サンディ(सन्धिः [sandhiḥ])」と呼ばれる連音変化のルールが適用され、
最初の2つの「シャーンティヒ」が「シャーンティッシュ」といったふうに発音されます。
3回続けて唱えると、
「シャーンティッシャーンティッシャーンティヒ(शान्तिश्शान्तिश्शान्तिः [śāntiśśāntiśśāntiḥ])」
カタカナで書いても分かりにくいので、ローマ字表記にすると、
śāntiśśāntiśśāntiḥ
このように、「シャーンティ」の間が、ダブルśになるのです。
最後の「シャーンティヒ」はそのままの発音でOKです。
アシュラムで勉強しているインド人でさえ、
殆どの人がこの発音について無知なのが現状です。。。
オームの発音も同様、インド人自体が混乱しております。。
ここにある全ては知識の現われであり、知識は言葉です。
私達の無知や混乱も、言葉という形で現われ、
そして言葉によってのみ正されるのです。
言葉に対する姿勢を正す、これが自分と向き合う第一歩です。
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[śāntiḥ]
feminine - 平安、平穏、鎮静、衝突の無い状態
シャーンティの語源
「シャム(शम् [śam])」はサンスクリットの動詞の原型で、
「静かになる」「落ち着かせる」「満足する」「平和を回復する」
という意味です。
「ティ(ति [ti])」は「~である」という意味の接尾語です。
「シャム(शम् [śam])」と「ティ(ति [ti])」を併せて、
最初の母音が伸びて、「シャーンティ(शान्तिः [śāntiḥ])」となります。
この接尾語「ティ」は、動詞の原型に付けられて抽象名詞を作ります。
「シャク(可能になる)」+「ティ」=「シャクティ(可能性)」
「ムチ(自由になる)」+「ティ」=「ムクティ(自由・モークシャ)」
「バジ(世話をする、讃える)」+「ティ」=「バクティ(世話をし、讃える姿勢)」
等など。全て女性形の名詞の原型になります。
「静かになる」「落ち着かせる」「満足する」「平和を回復する」
という意味です。
「ティ(ति [ti])」は「~である」という意味の接尾語です。
「シャム(शम् [śam])」と「ティ(ति [ti])」を併せて、
最初の母音が伸びて、「シャーンティ(शान्तिः [śāntiḥ])」となります。
この接尾語「ティ」は、動詞の原型に付けられて抽象名詞を作ります。
「シャク(可能になる)」+「ティ」=「シャクティ(可能性)」
「ムチ(自由になる)」+「ティ」=「ムクティ(自由・モークシャ)」
「バジ(世話をする、讃える)」+「ティ」=「バクティ(世話をし、讃える姿勢)」
等など。全て女性形の名詞の原型になります。
幸せとは、シャーンティ
荒波が立っておらず、衝突が無くて、平和な状態。
そんな心の状態を、幸せと呼びます。
私達が幸せを感じている時とは、まさにシャーンティのことです。
シャーンティがあってこそ、幸せがある。
他とのエゴや主張に衝突が無い時、
そのような時、心は静かで平和です。
だから、好きな人や家族と居てエゴのぶつかり合いが無い時、
自然の中で広大な景色を眺めているとき、瞑想しているとき、
寝ている時、、、そんな衝突の無い、シャーンティの状態にある時、
私達は幸せを感じるのです。
それゆえに、そんな衝突の無い心の状態求めて、
私達は好きな人と仲良く集ったり、自然を観に行ったり、瞑想したり、
ゆっくり寝たりするために努めるのです。
なぜ3回「シャーンティ」と唱えるのか?
勉強をする前、一日の生活を始める前、なにか大事なこと始めに、
「全てがうまく行きますように」と、障害物を鎮静(シャーンティ)させる為に
祈りを捧げる習慣がインドにはあります。
全ての祈りの句の最後には、必ず「シャーンティ」を3回唱えます。
それにはどのような意味があるのでしょうか。
障害物には3種類あり、それらを鎮静させる為に、
「シャーンティ」を3回唱えるのです。
3種類の障害物
「ターパ・トラヤ(3種の苦悩、熱し焦がすもの)」または、
「ヴィグナ・トラヤ(3種の障害物)」といって、
それらは:
1.自分に関する障害物
自分の健康状態、精神状態など。
2.周りの人間や動物などに関する障害物
蚊から始まって、人間関係など、心の平安を乱す人や動物など。
3.天災など、人間がコントロール出来ない範囲にある障害物
台風や地震など。
祈るという行為
3種類の障害物全てがシャーンティであって、
初めて私達は何かを達成出来るのです。
自分が能力を発揮出来ること、思い通りにことを進められることを、
全ての条件が揃った奇跡だと捉えるとき、
その人は宇宙全体の動きを認識し、そこに畏怖と感謝、そして祈りが生まれます。
反対に、これらを当たり前の条件としてとらえていると、
条件に見合わないことばかりに気をとられて、自分 VS 世界の図式になるでしょう。
この3種類の障害物を鎮静することの出来る能力があるのは、
この宇宙の全ての知識と能力です。
宇宙の在り方との有効な関わり方として、伝統で教えられている方法が、
「祈り」という行為なのです。
シャーンティを3回唱える時の発音のポイント
シャーンティと唱えるときは、後ろに活用語尾の「ヒ」の音が付加されます。
ゆえに、「シャーンティヒ(शान्तिः [śāntiḥ])」となるのですが、
「サンディ(सन्धिः [sandhiḥ])」と呼ばれる連音変化のルールが適用され、
最初の2つの「シャーンティヒ」が「シャーンティッシュ」といったふうに発音されます。
3回続けて唱えると、
「シャーンティッシャーンティッシャーンティヒ(शान्तिश्शान्तिश्शान्तिः [śāntiśśāntiśśāntiḥ])」
カタカナで書いても分かりにくいので、ローマ字表記にすると、
śāntiśśāntiśśāntiḥ
最後の「シャーンティヒ」はそのままの発音でOKです。
アシュラムで勉強しているインド人でさえ、
殆どの人がこの発音について無知なのが現状です。。。
オームの発音も同様、インド人自体が混乱しております。。
ここにある全ては知識の現われであり、知識は言葉です。
私達の無知や混乱も、言葉という形で現われ、
そして言葉によってのみ正されるのです。
言葉に対する姿勢を正す、これが自分と向き合う第一歩です。
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