कूपः
[kūpaḥ]
いきなり生活臭のする言葉に降りてきました。
哲学的な言葉ばかりを選んできて、なぜ今、井戸なんでしょうかね?
理由は2つ。
ひとつ目の理由は、クー(कू [kū] )から始まる言葉ってあまり無いんですね。
ふたつ目の理由は、サンスクリット語のテキストとして長年流通している、
Antoine(日本語では「アントン」、フランス語では「アントワン」)
という著者のSanskrit Manual という本の中で、
一番最初に出てくる名詞の活用表に登場する言葉だからです。
サンスクリット語の名詞を勉強する時に、一番初めに習うのは、aで終わる男性名詞。
これが基本中の基本です。
そして、普通、aで終わる男性名詞と言えば「ラーマ(राम [rāma])」。
伝統的にサンスクリット語を学べば、必ず、例外なく、最初の言葉はラーマです。
ラーマとは、インド人なら12億人が全員知っている、あのラーマです。
アーヨーディヤーという国の王子、ダシャラタの息子、
シーターの夫、ラクシュマナの兄、そしてバラタの兄、ハヌマーンの最愛の主、
国民からはもちろん、おおくの聖者から、そして神々からでさえも、深く愛されているラーマ。
ラーマの人格、容姿、全てが人々の心を捉えます。
ラーマを賞賛する言葉だけで、何百何千という詞が出来てしまう、そんな人物がラーマです。
もちろん、ヴィシュヌのアヴァターラなので、ただの人じゃないのですが、
一人の地に足の着いた男性として、ラーマーヤナの中で描かれています。
ラーマーヤナを少しでも読むと、世界中のどんな人だって、
彼が正義の象徴であることが理解出来ます。
そして、どんな人だって、ラーマの話を少しでも聞くと、彼を愛さずにはいられません。
そんな完璧な人間なんて滅多にいないからこそ、
100%安心して尊敬出来る、そして愛し、見習える人物像が与えられているのです。
ラーマのような人物像と、絶対的な信頼に基いた関係を持つということは、
人間の精神的な成長に大きく関わるのだと思います。
ちなみに、ラーマという言葉を発するだけで、プンニャですからね。
ラーマを活用して何回も唱えるなんて、かなりのプンニャです。
そんなラーマの名前を、幸先のよい一番目のサンスクリット活用表から降ろし、
クーパ(井戸)なんて味気も無い言葉を持って来たのがアントワンです。
アントワンはなぜそのようなことをしたのでしょうか?
答えは簡単です。彼はのクリスチャンの修道士でした。
イギリスやヨーロッパが、インドを植民地化するために、
この何世紀間、現在までも、ヒンドゥー教潰しが盛んに行われています。
キリスト教の布教する人達が、ヒンドゥー教の文化に忍び入って、文化を学び、
ヒンドゥー文化を内側から潰そうとする事は、現在でも一般的に行われています。
アントワンもその一人でした。19世紀にインドにやって来てサンスクリット語を学び、
ヒンドゥー文化の語彙を一掃した教科書を作ったのです。
コンパクトにまとまっている本なので、現在でも一般的に使われている教科書ですが、
私のクラスでは使いません。
使わない理由は、彼の本意があまり正直に感じられない事もありますが、
実際的には、のちのちパーニニを勉強するに当たって、不都合な点が沢山出てくるからです。
アントワンを勉強した人に、パーニニを教えるのは、とても辛いことです。
そんなわけで、現在サンスクリット語を担任させてもらっている、
南インドでの3年コースにおいて、新しい教科書を作っています。
その名も「Sanskrit for Vedanta Student」。
そのうち日本語に訳されて、日本でも勉強し易い環境を提供できるようになりたいです。
<< 前回の言葉 31.クータスタ(कूटस्थः [kūṭasthaḥ])<<
不動、不変という意味のサンスクリット語の単語
>> 次回の言葉 33.ケーシャヴァ(केशवः [keśavaḥ])>>
クリシュナの別名「素敵な髪の毛を持った者」という意味の単語
[kūpaḥ]
masculine - 井戸
いきなり生活臭のする言葉に降りてきました。
哲学的な言葉ばかりを選んできて、なぜ今、井戸なんでしょうかね?
理由は2つ。
ひとつ目の理由は、クー(कू [kū] )から始まる言葉ってあまり無いんですね。
ふたつ目の理由は、サンスクリット語のテキストとして長年流通している、
Antoine(日本語では「アントン」、フランス語では「アントワン」)
という著者のSanskrit Manual という本の中で、
一番最初に出てくる名詞の活用表に登場する言葉だからです。
初級サンスクリットの勉強方法
サンスクリット語の名詞を勉強する時に、一番初めに習うのは、aで終わる男性名詞。
これが基本中の基本です。
そして、普通、aで終わる男性名詞と言えば「ラーマ(राम [rāma])」。
伝統的にサンスクリット語を学べば、必ず、例外なく、最初の言葉はラーマです。
ラーマとは、インド人なら12億人が全員知っている、あのラーマです。
「ラーマ」というアーキタイプ
アーヨーディヤーという国の王子、ダシャラタの息子、
シーターの夫、ラクシュマナの兄、そしてバラタの兄、ハヌマーンの最愛の主、
国民からはもちろん、おおくの聖者から、そして神々からでさえも、深く愛されているラーマ。
ラーマの人格、容姿、全てが人々の心を捉えます。
ラーマを賞賛する言葉だけで、何百何千という詞が出来てしまう、そんな人物がラーマです。
もちろん、ヴィシュヌのアヴァターラなので、ただの人じゃないのですが、
一人の地に足の着いた男性として、ラーマーヤナの中で描かれています。
ラーマーヤナを少しでも読むと、世界中のどんな人だって、
彼が正義の象徴であることが理解出来ます。
そして、どんな人だって、ラーマの話を少しでも聞くと、彼を愛さずにはいられません。
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100%安心して尊敬出来る、そして愛し、見習える人物像が与えられているのです。
ラーマのような人物像と、絶対的な信頼に基いた関係を持つということは、
人間の精神的な成長に大きく関わるのだと思います。
ちなみに、ラーマという言葉を発するだけで、プンニャですからね。
ラーマを活用して何回も唱えるなんて、かなりのプンニャです。
西欧サンスクリット学者の陰謀
そんなラーマの名前を、幸先のよい一番目のサンスクリット活用表から降ろし、
クーパ(井戸)なんて味気も無い言葉を持って来たのがアントワンです。
アントワンはなぜそのようなことをしたのでしょうか?
答えは簡単です。彼はのクリスチャンの修道士でした。
イギリスやヨーロッパが、インドを植民地化するために、
この何世紀間、現在までも、ヒンドゥー教潰しが盛んに行われています。
キリスト教の布教する人達が、ヒンドゥー教の文化に忍び入って、文化を学び、
ヒンドゥー文化を内側から潰そうとする事は、現在でも一般的に行われています。
アントワンもその一人でした。19世紀にインドにやって来てサンスクリット語を学び、
ヒンドゥー文化の語彙を一掃した教科書を作ったのです。
新しい改革的な教科書の必要性
コンパクトにまとまっている本なので、現在でも一般的に使われている教科書ですが、
私のクラスでは使いません。
使わない理由は、彼の本意があまり正直に感じられない事もありますが、
実際的には、のちのちパーニニを勉強するに当たって、不都合な点が沢山出てくるからです。
アントワンを勉強した人に、パーニニを教えるのは、とても辛いことです。
そんなわけで、現在サンスクリット語を担任させてもらっている、
南インドでの3年コースにおいて、新しい教科書を作っています。
その名も「Sanskrit for Vedanta Student」。
そのうち日本語に訳されて、日本でも勉強し易い環境を提供できるようになりたいです。
<< 前回の言葉 31.クータスタ(कूटस्थः [kūṭasthaḥ])<<
不動、不変という意味のサンスクリット語の単語
>> 次回の言葉 33.ケーシャヴァ(केशवः [keśavaḥ])>>
クリシュナの別名「素敵な髪の毛を持った者」という意味の単語