कूटस्थ
[kūṭastha]
文法的に説明すると:
कूट [kūṭa] (クータ)という名詞に、
स्था [sthā] (スター)という動詞の原型が組み合わさった、
複合語(サマーサ)が、「クータスタ(कूटस्थ [kūṭastha])」です。
स्था [sthā] (スター)は、to stay, to stand という意味の動詞の原形です。
英語の音と良く似ていますね。
ラテン語などのヨーロッパの言語と、サンスクリット語を比べると、
類似している言葉が沢山あります。
ヨーロッパの西端から、朝鮮半島そして日本までは、殆ど陸続きなので、
交易商の流通と共に、文化や哲学、様々な学問、史記(噂話?)が
東西に往来しているのも当然です。
この「クータスタ(कूटस्थ [kūṭastha])」という複合語には、
2種類の展開が、バガヴァッド・ギーターのシャンカラーチャーリアの
コメンタリー(バーシャ)の中でされています。(12章3節)
1.कूटे तिष्ठति । kūṭe tiṣṭhati |
कूट [kūṭa] = 騙すもの、マーヤー、この世の現象の原因。
その中に、तिष्ठति [tiṣṭhati] 存在しているもの。
どのようにして存在しているのか?間借りしている居候のように存在しているのか?
いいえ。そのकूट [kūṭa] と呼ばれる、この世の現象の原因に、
存在を与えているもの、司っているもの、それが「कूटस्थः [kūṭasthaḥ] (クータスタ)」です。
時間的にも空間的にも果てしない、この変わり続ける宇宙の中で、
どれだけ見回しても、何一つ「これ」と名指す事の出来る、絶対的な存在はありません。
なぜなら、一瞬も留まる事無く変化し続けているからです。
この変化し続ける現象の原因が、マーヤー、あるいはクータです。
それに存在を与えているもの。
宇宙は「在る」と言えます。目の前のコンピューターも「在る」。
私もここに「在る」。
ブッディスト(仏教学者、禅学者)のように、「無い」とは言わせませんよ。
だって、「無い」と言っているあなたが「在る」でしょう。
「在るかな、無いかな、うーん、分からない」と言う人も、まずその人が存在して、
初めて、在るとか無いとか分からないとか言えるのです。
どこに在るのか聞かれたら、今ここに居る私、この意識として存在するのです。
存在を疑うにしても、この意識的存在を無しにしては、疑えないでしょう。
サット(存在)=(イコール)チット(意識)なのです。
これ以上簡単なことはありません。
今そこに居る、私、という意識的存在。これを見つけるのに瞑想も何も要りません。
そしてこの、今ここにいる私、という意識的存在は、絶対的存在で、
全ての宇宙と言う、移り変わる相対的存在に、存在を与えているのです。
何を突然スケールのでかすぎる事を!と思うかもしれませんが、
よくよく考えると、これほどはっきりしていて、筋の通っている事実はありません。
茂木健一郎さんという科学者が、人生をかけて突き詰めようとしている
「クオリア」という物体(?)も、それを探求している人自身の本質なのです。
自分のおへそから出てくるいい匂いを探し続けて、
草原を四方八方に走り回り、疲れ果てて死に行く鹿。
という例えとして、インド哲学によく出てくるやつです。
是非、彼にも知っていただきたい。
話は戻って、この宇宙が「在る」と認めるなら、
その原因のマーヤーも「在る」と認めざるを得ない。
でも、それらは変わり行くものだから、それらだけでは存在してると言えない。
では、それらの存在はどこから借りているのか?
それが、クータ(マーヤー)の中で、存在を与えるものとして居る(スタ)もの。
つまり、「クータスタ(कूटस्थः [kūṭasthaḥ] )」であり、
それが、ブランマンであり、それは、私(アートマン)として理解されるのです。
では、「クータスタ(कूटस्थः [kūṭasthaḥ] )」という言葉の2つ目の解釈。
2.कूटवत् तिष्ठति । kūṭavat tiṣṭhati |
ここでの「クータ」は、山のように大きく積み重なって動かないもの、
或いは、鉄を打つ時の、台のことも「クータ」と言います。
どちらにしても、「動かないもの」という意味です。
熱い鉄を打って、いろんな形のものが出来上がります。
そのプロセスの中で、形の変化する為の土台を与えているのが「クータ」なのです。
動かないもの、変わらないもの、という意味ですね。
= कूटस्थः [kūṭasthaḥ] - クータスタ の出て来る文献 =
バガヴァッド・ギーター12章3節
ये त्वक्षरमनिर्देशमव्यक्तं पर्युपासते ।
ye tvakṣaramanirdeśamavyaktaṃ paryupāsate |
सर्वत्रगमचिन्त्यं च कूटस्थमचलं ध्रुवम् ॥१२.३॥
sarvatragamacintyaṃ ca kūṭasthamacalaṃ dhruvam ||12.3||
もうちょっと話をしますね。
永遠(ニッティヤ)という言葉には、3種類の使われ方があります。
相対的に長い時間。例えば1兆年とか。
「天国に行ったら、そこで楽しく快適に、永遠の時間を過ごせます。」
という時に使う「永遠」です。
気の遠くなるほど長い時間ですが、やっぱり時間の範囲内。
時間が経てば、1週間のハワイ旅行から会社へ帰ってくるのと同じように、
また人間の体の中に生まれてきて、せっせと徳と不徳を積む為に、一生汗をかくのです。
絶対的な永遠のこと。
つまり、時間の範囲でない事。
時間の範囲でないものはどこに存在している?
時間を対象化している、主体のことです。
それってどこにあるの?
あなたです。
20年前とか、5年前とか、昨日とか、明日とか、
そんな時間と、時間にある事象を対象化し続けている主体。
それ自体は全く変わらない主体。
それが、永遠=timeless=時間の範囲外 = あなたなのです。
違う!とは言えないでしょう?
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[kūṭastha]
adjective - 不動の、不変の
クータスタの語源
文法的に説明すると:
कूट [kūṭa] (クータ)という名詞に、
स्था [sthā] (スター)という動詞の原型が組み合わさった、
複合語(サマーサ)が、「クータスタ(कूटस्थ [kūṭastha])」です。
स्था [sthā] (スター)は、to stay, to stand という意味の動詞の原形です。
英語の音と良く似ていますね。
ラテン語などのヨーロッパの言語と、サンスクリット語を比べると、
類似している言葉が沢山あります。
ヨーロッパの西端から、朝鮮半島そして日本までは、殆ど陸続きなので、
交易商の流通と共に、文化や哲学、様々な学問、史記(噂話?)が
東西に往来しているのも当然です。
クータスタの2つの意味
この「クータスタ(कूटस्थ [kūṭastha])」という複合語には、
2種類の展開が、バガヴァッド・ギーターのシャンカラーチャーリアの
コメンタリー(バーシャ)の中でされています。(12章3節)
1つ目の意味:マーヤーの中の存在
1.कूटे तिष्ठति । kūṭe tiṣṭhati |
कूट [kūṭa] = 騙すもの、マーヤー、この世の現象の原因。
その中に、तिष्ठति [tiṣṭhati] 存在しているもの。
どのようにして存在しているのか?間借りしている居候のように存在しているのか?
いいえ。そのकूट [kūṭa] と呼ばれる、この世の現象の原因に、
存在を与えているもの、司っているもの、それが「कूटस्थः [kūṭasthaḥ] (クータスタ)」です。
時間的にも空間的にも果てしない、この変わり続ける宇宙の中で、
どれだけ見回しても、何一つ「これ」と名指す事の出来る、絶対的な存在はありません。
なぜなら、一瞬も留まる事無く変化し続けているからです。
この変化し続ける現象の原因が、マーヤー、あるいはクータです。
それに存在を与えているもの。
宇宙は「在る」と言えます。目の前のコンピューターも「在る」。
私もここに「在る」。
ブッディスト(仏教学者、禅学者)のように、「無い」とは言わせませんよ。
だって、「無い」と言っているあなたが「在る」でしょう。
「在るかな、無いかな、うーん、分からない」と言う人も、まずその人が存在して、
初めて、在るとか無いとか分からないとか言えるのです。
どこに在るのか聞かれたら、今ここに居る私、この意識として存在するのです。
存在を疑うにしても、この意識的存在を無しにしては、疑えないでしょう。
サット(存在)=(イコール)チット(意識)なのです。
これ以上簡単なことはありません。
今そこに居る、私、という意識的存在。これを見つけるのに瞑想も何も要りません。
そしてこの、今ここにいる私、という意識的存在は、絶対的存在で、
全ての宇宙と言う、移り変わる相対的存在に、存在を与えているのです。
何を突然スケールのでかすぎる事を!と思うかもしれませんが、
よくよく考えると、これほどはっきりしていて、筋の通っている事実はありません。
茂木健一郎さんという科学者が、人生をかけて突き詰めようとしている
「クオリア」という物体(?)も、それを探求している人自身の本質なのです。
自分のおへそから出てくるいい匂いを探し続けて、
草原を四方八方に走り回り、疲れ果てて死に行く鹿。
という例えとして、インド哲学によく出てくるやつです。
是非、彼にも知っていただきたい。
話は戻って、この宇宙が「在る」と認めるなら、
その原因のマーヤーも「在る」と認めざるを得ない。
でも、それらは変わり行くものだから、それらだけでは存在してると言えない。
では、それらの存在はどこから借りているのか?
それが、クータ(マーヤー)の中で、存在を与えるものとして居る(スタ)もの。
つまり、「クータスタ(कूटस्थः [kūṭasthaḥ] )」であり、
それが、ブランマンであり、それは、私(アートマン)として理解されるのです。
2つ目の意味:山のように不動の存在
では、「クータスタ(कूटस्थः [kūṭasthaḥ] )」という言葉の2つ目の解釈。
2.कूटवत् तिष्ठति । kūṭavat tiṣṭhati |
或いは、鉄を打つ時の、台のことも「クータ」と言います。
どちらにしても、「動かないもの」という意味です。
熱い鉄を打って、いろんな形のものが出来上がります。
そのプロセスの中で、形の変化する為の土台を与えているのが「クータ」なのです。
動かないもの、変わらないもの、という意味ですね。
カイラーサ山 |
バガヴァッド・ギーター12章3節
ये त्वक्षरमनिर्देशमव्यक्तं पर्युपासते ।
ye tvakṣaramanirdeśamavyaktaṃ paryupāsate |
सर्वत्रगमचिन्त्यं च कूटस्थमचलं ध्रुवम् ॥१२.३॥
sarvatragamacintyaṃ ca kūṭasthamacalaṃ dhruvam ||12.3||
永遠(ニッティヤ)の3つの意味
もうちょっと話をしますね。
永遠(ニッティヤ)という言葉には、3種類の使われ方があります。
1.アーペークシカ・ニッティヤ(आपेक्षिक-नित्यम् [āpekṣika-nityam])
相対的に長い時間。例えば1兆年とか。
「天国に行ったら、そこで楽しく快適に、永遠の時間を過ごせます。」
という時に使う「永遠」です。
気の遠くなるほど長い時間ですが、やっぱり時間の範囲内。
時間が経てば、1週間のハワイ旅行から会社へ帰ってくるのと同じように、
また人間の体の中に生まれてきて、せっせと徳と不徳を積む為に、一生汗をかくのです。
2.プラヴァーハ・ニッティヤ प्रवाह-नित्यम् [pravāha-nityam]
これは英語でperennial と呼ばれる、永遠です。
つまり、絶え間なく流れ続ける、変化し続ける、その時間の流れです。
例えるなら、川の流れのようなものです。枯れる事無く流れ続けるけど、
流れている水の形は、一瞬たりとて、同じではありません。変化をし続けています。
この宇宙の創造も、ビッグ・バンがあって、創造が続いて、
そしてビッグ・クランチとして現象が無くなった状態になり、
― つまり可能性の形、例えば種や卵のように ―
また次のビッグ・バンの原因の形となるのです。
そうして、現れては、また見えなくなって、それがまた現れて、、、
と繰り返し続ける、永遠の時間を、プラヴァーハ・ニッティヤと言います。
3.クータスタ・ニッティヤ कूटस्थ-नित्यम् [kūṭastha-nityam]
絶対的な永遠のこと。
つまり、時間の範囲でない事。
時間の範囲でないものはどこに存在している?
時間を対象化している、主体のことです。
それってどこにあるの?
あなたです。
20年前とか、5年前とか、昨日とか、明日とか、
そんな時間と、時間にある事象を対象化し続けている主体。
それ自体は全く変わらない主体。
それが、永遠=timeless=時間の範囲外 = あなたなのです。
違う!とは言えないでしょう?
<< 前回の言葉 30. कुलम् [kulam] - クラ <<