ऐक्यम्
[aikyam]
ナマステ、
ただ今リシケシです。
日本語で「ひとつであること」と書くと、なんか寂しい感じがしますが、
英語で言うと、"oneness"(ワンネス)って聞こえがいいですね。
サンスクリットをはじめ、他の言語でも、
名詞の後ろに、接尾語を付けることにより、新しい名詞を作ることが出来ます。
名詞 + 接尾語 = 新しい名詞
「一つ」という名詞に、「~であること」という意味の接尾語を付けると、
「一つであること」になりますね。
英語でも、「one」という名詞に「~ness」という接尾語を付ければ、
「oneness」になります。
サンスクリット語で「1」「一つ」は、「エーカ एक [eka]」という名詞です。
== ऐक्यम् [aikyam] - アイキャ が使われている文献 ==
जीवेश्वरैक्यम्
jīveśvaraikyam
ジーヴァ(個人)とイーシュワラ(全体)が本質的には、ひとつであること
を解いているのがヴェーダーンタです。
<< 前回の言葉 16.ओष्ठः [oṣṭhaḥ] - オーシュタ <<
くちびると言う意味のサンスクリット語です。
>> 次回の言葉 18.アイシュワリヤ(ऐश्वर्यम् [aiśvaryam] )>>
[aikyam]
neuter - 一つであること
ナマステ、
ただ今リシケシです。
日本語で「ひとつであること」と書くと、なんか寂しい感じがしますが、
英語で言うと、"oneness"(ワンネス)って聞こえがいいですね。
サンスクリットをはじめ、他の言語でも、
名詞の後ろに、接尾語を付けることにより、新しい名詞を作ることが出来ます。
名詞 + 接尾語 = 新しい名詞
「一つ」という名詞に、「~であること」という意味の接尾語を付けると、
「一つであること」になりますね。
英語でも、「one」という名詞に「~ness」という接尾語を付ければ、
「oneness」になります。
サンスクリット語で「1」「一つ」は、「エーカ एक [eka]」という名詞です。
「ष्यञ् [ṣyañ]」という接尾語は、「~であること、~ness」という意味です。
「エーカ एक [eka] +「ष्यञ् [ṣyañ]」=「アイキャ ऐक्य [aikya]」
となるわけです。
音がえらく変わりましたが、何が起きているかというと、
1.最初の母音に「ヴリッディ(वृद्धिः [vṛddhiḥ])」 が起きた。
「ヴリッディ(वृद्धिः [vṛddhiḥ])」 とは、आ [ā], ऐ [ai], औ [au] の3つの音を指します。
- अ [a] ⇒ आ [ā]
- इ [i] ⇒ ऐ [ai]
- उ [u] ⇒ औ [au]
- ऋ [ṛ] ⇒ आर् [ār] (आ [ā]に र् [r] がくっついた)
のように変わります。
2.最後の音がドロップして、接尾語の「य [ya]」がくっつく。
接尾語は「ष्यञ् [ṣyañ]」でしたが、「ष् [ṣ] 」と「ञ् [ñ]」が落ちて、「य [ya]」だけ残るんですね。
ここなへんは、パーニニ文法勉強会を参考にして下さい。
このように、2つの変化が起きて、
「エーカ एक [eka]」(ひとつ)が、「アイキャ ऐक्य [aikya]」(ひとつであること)
になるわけです。
同じように、
सवर्णः [savarṇaḥ ] ⇒ सावर्ण्यम् [sāvarṇyam ]
समानाधिकरणम् [samānādhikaraṇam ] ⇒ सामानाधिकरण्यम् [sāmānādhikaraṇyam ]
विरागः [virāgaḥ ] ⇒ वैराग्यम् [vairāgyam ]
विलक्षणम् [vilakṣaṇam ] ⇒ वैलक्षण्यम् [vailakṣaṇyam ]
निश्चल [niścala ] ⇒ नैश्चर्यम् [naiścaryam ]
सुखम् [sukham ] ⇒ सौख्यम् [saukhyam ]
दुर्बलम् [durbalam ] ⇒ दौबल्यम् [daubalyam ]
कृत्स्नम् [kṛtsnam ] ⇒ कार्त्स्न्यम् [kārtsnyam ]
おっと文法の話が長くなってしまった。
「ひとつであること」 とわざわざ言うからには、
2つ以上のものがある事が前提にある訳です。
この世界には、無数のものが存在していますね。
無数のものも、突き詰めると2つになります。
私と、それ以外のもの全てです。
「私 VS(対) 世界」の世界観で、私達は戦いながら生きています。
ヴェーダーンタは教えます。
私も、世界も、本質的には一つなのだと。
例えるなら、私も世界の全ても、真っ白の画用紙に描かれた絵のようなものです。
どんな図柄でも、本質は、ただただ真っ白は一つのキャンパスなのです。
本質的には一つだけど、その上に無限に広がる様々な色や形があり、
その中の、小さな小さな点のような存在が、この私。。。
いやいや、その小さな点が私じゃなくて、それに存在を与えている画用紙が本当の私。
だって、色や形は、画用紙無しには存在出来無いでしょう。
無限に広がる色や形の全てが、イーシュワラ。
それは私と、本質的にも、表現的にも、全く離れていない。
在るのはただ一つ。
もし、そうなら、私が手に入れるべくして追いかける対象、
今ここにいる私以外の、2つ目のものなど、もう何も無い。
満たされるべき望みは、「在るのはただ一つ」という知識によって、
いっぺんに満たされてしまった。
== ऐक्यम् [aikyam] - アイキャ が使われている文献 ==
जीवेश्वरैक्यम्
jīveśvaraikyam
ジーヴァ(個人)とイーシュワラ(全体)が本質的には、ひとつであること
を解いているのがヴェーダーンタです。
<< 前回の言葉 16.ओष्ठः [oṣṭhaḥ] - オーシュタ <<
くちびると言う意味のサンスクリット語です。
>> 次回の言葉 18.アイシュワリヤ(ऐश्वर्यम् [aiśvaryam] )>>