एषः
[eṣaḥ]
サンスクリット語には、35種類の代名詞があります。
こう書くと偉く難しく聞こえますが、文法上の分類で35種類であって、
実際にサンスクリット語を使う時は、35個とかを意識する必要はありません。
35個ある代名詞の中で、「これ」「それ」という意味で、
頻繁に使われる代名詞は4つです。
4つの使い分けはどうなっているのでしょうか。
話す人と、代名詞によって指される言葉との間の距離によって、4つの代名詞を使い分けるのです。
1.話す人から見えない場所にある「それ」
तत् [tat]
2.話す人から見える場所にある「それ」
अदस् [adas]
3.話す人から近い場所にある「これ」
इदम् [idam]
4.話す人から最も近い場所にある「これ」
एतत् [etat]
4つとも、3つの性(男性形、女性形、中性形)で活用します。
今日のボキャブラリー、「एषः [eṣaḥ] - エーシャハ」は、
4番目の「これ」の男性形/単数/第一活用です。って漢字で書くと難しく見えますね。
しかし、日本語のサンスクリット文法の参考書を幾つか見たことがあるのですが、
すごく解かりづらいですね!これで勉強するのは不憫だとも感じてしまいます。
サンスクリット語は、パーニニ文法も含め、そんなに難しいものではありません。
難しいのは既存の参考書だけです。
なんでそんな解かりにくい形で説明するの?
本当にコミュニケートする気があるの?
自分の博学を見せびらかしたいだけじゃないの?
なんて勘ぐってしまいます。19世紀に英・仏・独語で書かれた参考書もしかりです。
日本語の教科書は、それらを訳して書かれているから、余計に難しくなるのでしょうか。
愚痴ってしまいました。
ここまで書いてしまったら、自分の書いてる参考書が本当に解かり易いのかどうか、より深く見直さないといけませんね。
本題に戻りましょう。
これら4つの代名詞が、ヴェーダーンタで使われる時は、
それぞれの代名詞には、ヴェーダーンタ的な意味が含まれています。
तत् [tat] は、ブランマンを、
इदम् [idam] の中性形は、対象化できるもの全て、ジャガット(世界・宇宙)を、
इदम् [idam] の男性形は、अयम् [ayam] となり、アートマン(個人、個人の本質)を、
एतत् [etat] は全ての性の形で、今議論中のトピックを、
指しています。
これを知っているだけで、随分とヴェーダーンタの文献が解かり易くなります。
「एषः [eṣaḥ] - エーシャハ」は、एतत् [etat] から来ているので、
「今議論されいるトピックです」と知らせるために使われます。
トピックって、議論を展開している間に、なんとなく、どこか遠くにいってしまう様です。
「この」アートマンの話をしているのに、「あの」アートマンの話になってしまうのです。
どこか遠くにあるトピックは、「あれ तत् [tat]」ですね。
話している側が、聞いている側の頭の中で、
「これ एतत् [etat]」が「あれ तत् [tat]」になってしまった、と気づいたら、その都度
”「あれ तत् [tat] 」って「これ एतत् [etat]」の話ね。”
と言って、聞き手のアテンションを、「これ एतत् [etat]」に引っ張って戻してやるのです。
このテクニックは、マントラでも、コメンタリーでも、よく使われる手段です。
下で実際の例を見てみましょう。
== एषः [eṣaḥ] - エーシャ が使われている文献 ==
तस्माद्वा एतस्मादात्मन आकशः सम्भूतः।
tasmādvā etasmādātmana ākaśaḥ sambhūtaḥ|
「その」ブランマン、すなわち「この」アートマンから、空間が生まれた。
「この」を使ってるから、聞き手は、「この私、アートマンの話をしている」と認識できる。
आकाशाद्वायुः । वायोरग्निः।..... अन्नात् पुरुषः ।
ākāśādvāyuḥ | vāyoragniḥ|..... annāt puruṣaḥ |
空間から風、風から火(が生まれた。).... 人の種から人間(が生まれた。)
しかし、ここまで来ると、聞き手は、「生まれた人間って、どこか遠くにいる人、例えばアダム?」という感覚を持ってしまっている。
そこで、
स वा एष पुरुषोऽन्नरसमयः ।
sa vā eṣa puruṣo:'nnarasamayaḥ |
「その」人間は、「この」人間、食べ物から作られた、この身体をもった、人間、あなたですよ!
と、トピックを自分に引き戻してくれているのです。
काम एष क्रोध एष रजोगुणसमुद्भवः ।
kāma eṣa krodha eṣa rajoguṇasamudbhavaḥ |
महाशनो महापाप्मा विद्ध्येनमिह वैरिणम् ॥
mahāśano mahāpāpmā viddhyenamiha vairiṇam ||
アルジュナが、
「やりたくないのに、やっちゃいけないって分かっているのに、
やってはいけないことを、やってしまう。あたかも付き動かれているように。
原因は何か?」と訊ねます。
その答えが、このシュローカです。
”これ(एषः [eṣaḥ] )こそが欲望、これ(एषः [eṣaḥ] )こそが怒り。
ラジャスから生まれた、欲望は尽きることなく、怒りは一線を越えさせる。
これらを、敵(自分を良くない立場に立たせる原因)と知りなさい。”
欲望や怒りはどこにあるのか?誰が持ってるのか?
「एषः [eṣaḥ] - エーシャ 」ここにあるでしょう。
と、聞き手を引き込むために、この代名詞が使われているのです。
<< 前回の言葉 13.エーヴァ(एव [eva])<<
~だけ、ONLY、と限定するときに使うサンスクリット語の言葉です。
>> 次回の言葉 15.オーム(ओम् [om] )>>
とても重要な言葉でありながら、
とても間違って認識されている言葉でもあります。
きっちりと正しい知識を得ましょう。
[eṣaḥ]
masculine - これ
サンスクリット語の代名詞の使い分け
サンスクリット語には、35種類の代名詞があります。
こう書くと偉く難しく聞こえますが、文法上の分類で35種類であって、
実際にサンスクリット語を使う時は、35個とかを意識する必要はありません。
35個ある代名詞の中で、「これ」「それ」という意味で、
頻繁に使われる代名詞は4つです。
4つの使い分けはどうなっているのでしょうか。
話す人と、代名詞によって指される言葉との間の距離によって、4つの代名詞を使い分けるのです。
1.話す人から見えない場所にある「それ」
तत् [tat]
2.話す人から見える場所にある「それ」
अदस् [adas]
3.話す人から近い場所にある「これ」
इदम् [idam]
4.話す人から最も近い場所にある「これ」
एतत् [etat]
4つとも、3つの性(男性形、女性形、中性形)で活用します。
今日のボキャブラリー、「एषः [eṣaḥ] - エーシャハ」は、
4番目の「これ」の男性形/単数/第一活用です。って漢字で書くと難しく見えますね。
より分かり易いサンスクリット文法書の必要性
しかし、日本語のサンスクリット文法の参考書を幾つか見たことがあるのですが、
すごく解かりづらいですね!これで勉強するのは不憫だとも感じてしまいます。
サンスクリット語は、パーニニ文法も含め、そんなに難しいものではありません。
難しいのは既存の参考書だけです。
なんでそんな解かりにくい形で説明するの?
本当にコミュニケートする気があるの?
自分の博学を見せびらかしたいだけじゃないの?
なんて勘ぐってしまいます。19世紀に英・仏・独語で書かれた参考書もしかりです。
日本語の教科書は、それらを訳して書かれているから、余計に難しくなるのでしょうか。
愚痴ってしまいました。
ここまで書いてしまったら、自分の書いてる参考書が本当に解かり易いのかどうか、より深く見直さないといけませんね。
本題に戻りましょう。
これら4つの代名詞が、ヴェーダーンタで使われる時は、
それぞれの代名詞には、ヴェーダーンタ的な意味が含まれています。
तत् [tat] は、ブランマンを、
इदम् [idam] の中性形は、対象化できるもの全て、ジャガット(世界・宇宙)を、
इदम् [idam] の男性形は、अयम् [ayam] となり、アートマン(個人、個人の本質)を、
एतत् [etat] は全ての性の形で、今議論中のトピックを、
指しています。
これを知っているだけで、随分とヴェーダーンタの文献が解かり易くなります。
「एषः [eṣaḥ] - エーシャハ」は、एतत् [etat] から来ているので、
「今議論されいるトピックです」と知らせるために使われます。
トピックって、議論を展開している間に、なんとなく、どこか遠くにいってしまう様です。
「この」アートマンの話をしているのに、「あの」アートマンの話になってしまうのです。
どこか遠くにあるトピックは、「あれ तत् [tat]」ですね。
話している側が、聞いている側の頭の中で、
「これ एतत् [etat]」が「あれ तत् [tat]」になってしまった、と気づいたら、その都度
”「あれ तत् [tat] 」って「これ एतत् [etat]」の話ね。”
と言って、聞き手のアテンションを、「これ एतत् [etat]」に引っ張って戻してやるのです。
このテクニックは、マントラでも、コメンタリーでも、よく使われる手段です。
下で実際の例を見てみましょう。
== एषः [eṣaḥ] - エーシャ が使われている文献 ==
タイッティリーヤ・ウパニシャッド
第2章1節तस्माद्वा एतस्मादात्मन आकशः सम्भूतः।
tasmādvā etasmādātmana ākaśaḥ sambhūtaḥ|
「その」ブランマン、すなわち「この」アートマンから、空間が生まれた。
「この」を使ってるから、聞き手は、「この私、アートマンの話をしている」と認識できる。
आकाशाद्वायुः । वायोरग्निः।..... अन्नात् पुरुषः ।
ākāśādvāyuḥ | vāyoragniḥ|..... annāt puruṣaḥ |
空間から風、風から火(が生まれた。).... 人の種から人間(が生まれた。)
しかし、ここまで来ると、聞き手は、「生まれた人間って、どこか遠くにいる人、例えばアダム?」という感覚を持ってしまっている。
そこで、
स वा एष पुरुषोऽन्नरसमयः ।
sa vā eṣa puruṣo:'nnarasamayaḥ |
「その」人間は、「この」人間、食べ物から作られた、この身体をもった、人間、あなたですよ!
と、トピックを自分に引き戻してくれているのです。
バガヴァッド・ギーター
3章37節काम एष क्रोध एष रजोगुणसमुद्भवः ।
kāma eṣa krodha eṣa rajoguṇasamudbhavaḥ |
महाशनो महापाप्मा विद्ध्येनमिह वैरिणम् ॥
mahāśano mahāpāpmā viddhyenamiha vairiṇam ||
アルジュナが、
「やりたくないのに、やっちゃいけないって分かっているのに、
やってはいけないことを、やってしまう。あたかも付き動かれているように。
原因は何か?」と訊ねます。
その答えが、このシュローカです。
”これ(एषः [eṣaḥ] )こそが欲望、これ(एषः [eṣaḥ] )こそが怒り。
ラジャスから生まれた、欲望は尽きることなく、怒りは一線を越えさせる。
これらを、敵(自分を良くない立場に立たせる原因)と知りなさい。”
欲望や怒りはどこにあるのか?誰が持ってるのか?
「एषः [eṣaḥ] - エーシャ 」ここにあるでしょう。
と、聞き手を引き込むために、この代名詞が使われているのです。
<< 前回の言葉 13.エーヴァ(एव [eva])<<
~だけ、ONLY、と限定するときに使うサンスクリット語の言葉です。
>> 次回の言葉 15.オーム(ओम् [om] )>>
とても重要な言葉でありながら、
とても間違って認識されている言葉でもあります。
きっちりと正しい知識を得ましょう。