ऋतम्
[r̥tam]
この言葉には様々な意味がありますが、
ヴェーダーンタ・シャーストラ(文献)で使われている意味を見てみましょう。
「ऋतम् [r̥tam] - ルタ」と聞いてまず思い出すのが、
タイッティリーヤ・ウパニシャッドの最初の章のシャーンティ・パータです
あの有名な、शं नो मित्रं शं वरुणः... śaṃ no mitraṃ śaṃ varuṇaḥ... というマントラです。
このシャーンティ・パータの中で、
ऋतं वदिष्यामि । ṛtaṃ vadiṣyāmi |
「私は真実(ルタ)を話します」
と出てきます。そして、間髪をいれずに、
सत्यं वदिष्यामि ।satyaṃ vadiṣyāmi |
「私は真実(サッティヤ)を話します」
と続きます。
ルタ(ऋतम् [r̥tam] )と サッティヤ(सत्यम् [satyam])は両方とも
「真実」という意味です。
同じ意味の言葉が同時に使われている場合は、
双方の意味の違いを探さなくてはなりません。
これは、文献を読む伝統の中のテクニックのひとつです。
意味の違いは、下でゆっくり見ていきます。
वदिष्यामि [vadiṣyāmi] は「(私は)話します」という意味なので、
合わせてると、どちらも「私は真実を話します」になります。
しかし、マントラの前の行から「त्वाम् [tvām] あなた(ブランマン)」が降りてくるので、
「私は、あなたである真実を話します」となります。
それってどういう意味なのでしょうか?
言葉を一つずつ見て行きましょう。
ここでの真実、ऋतम् [r̥tam] (ルタ)は、
特に「何をすべきか」「何を言うべきか」に関して、
自分が正しいと思っているだけではなく、文献や伝統を参考にして、
しっかり正しい事を確認するステップを踏んだ真実です。
人間は無知を持って生まれてくる訳ですから、
自分が正しいと思っていることが間違っていても当然なのです。
そこを、面倒くさがらずに、頼れる情報源に頼り、自分でもしっかり思考して、
きっちり責任を持って「正しい」と言える真実です。
「私は、あなたである真実(ルタ)を話します」とは、
「だらしない考え」を持たない、と言う誓いです。
物理的にだらしない人はあまりいません。
みんな、朝から晩まで、いろんな事に走り回りながら「時間が無い」と言っています。
しかし、なぜそんなに忙しいのか、しっかり考える事を人はしません。
「幸せになりたい」事と、「忙しく走り回る」事との関係を深く検証しないのは、
「思考的だらしなさ」です。
何をするべきか、するべきでないか、何を言うべきか、何を言うべきでないか、
それらをはっきりさせるには、様々なサポートシステムが必要です。
サポートシステムとは、
正しい考えに導いてくれる人が周りにいること。
サンスクリット語で「サット(善い人達の)・サンガ(集まり)」です。
ヴェーダなどの文献は、それらをはっきりさせるための文献ですが、
その文献の理解ににアクセスがあること。
正しい考えが出来る、執着や嫌悪から自由な、客観的理論的な思考が持てること。
これらを持つには、多大なグレース(幸運さ)が必要です。
無知を持って生まれた自分独りではどうにもなりません。
「助けが必要」と認めた時初めて、「助けを受け取る」事が出来るのです。
何をするべきか、何が正しいのか、何が真実なのか、
の正しい理解は、全てがうまくアレンジされてこそなのです。
だから、全てがうまくいくように、全てであるあなた(ブランマン)が、
全てを私の為にうまくアレンジして下さい。=(イコール)グレースを与えてください。
バガヴァーン(=ブランマン)は、全てなので、
24時間何処にいても、サポートが受けられます。
その24時間365日のサポートを受け取る準備が自分に出来ているでしょうか?
祈りは、助けを受け取る準備を、自分の中で整えてくれます。
この祈りが「私は、あなたである真実(ルタ)を話します」に含まれているのです。
「思考的だらしなさ」を克服し、正しく考える習慣を持つ事が、
ゆくゆくは、人生の意味を見抜く事につながるのです。
考えや理解のレベルでの真実が「ऋतम् [r̥tam](ルタ)」である時、
それを言動に移すのが「सत्यम् [satyam] (サッティヤ)」です。
自分が何をすべきかについて、正しい理解が持てる事、
そして、それを言葉や行動に移せる事、
そのためのグレース(幸運さ)への祈りが、
このタイッティリーヤのシャーンティ・パタにこめられているのです。
== ऋतम् [r̥tam] - ルタ が使われている文献 ==
ṛtaṃ pibantau sukṛtasya loke ...
ここでの意味も、ऋतम् [r̥tam] = सत्यम् [satyam] (サッティヤ)ですが、
「必ず実を結ぶ」という意味で、カルマの結果を指しています。
(シャンカラ・バーシャ:ऋतं सत्यम् अवश्यंभावित्वात् कर्मफलं पिबन्तौ।)
カルマの結果とは、つまるところ、
自分の身体や心理も含めた、この宇宙の現在過去未来の全てです。
タイッティリーヤの中で「ऋतम् [r̥tam](ルタ)」と呼ばれている
ブランマンが全てである事と、ここで繋がっているのです。
>> 次回 12.ऋक् [ṛk] - ルク(リグ)>>
[r̥tam]
neuter - 真実
この言葉には様々な意味がありますが、
ヴェーダーンタ・シャーストラ(文献)で使われている意味を見てみましょう。
「ऋतम् [r̥tam] - ルタ」と聞いてまず思い出すのが、
タイッティリーヤ・ウパニシャッドの最初の章のシャーンティ・パータです
あの有名な、शं नो मित्रं शं वरुणः... śaṃ no mitraṃ śaṃ varuṇaḥ... というマントラです。
このシャーンティ・パータの中で、
ऋतं वदिष्यामि । ṛtaṃ vadiṣyāmi |
「私は真実(ルタ)を話します」
と出てきます。そして、間髪をいれずに、
सत्यं वदिष्यामि ।satyaṃ vadiṣyāmi |
「私は真実(サッティヤ)を話します」
と続きます。
ルタ(ऋतम् [r̥tam] )と サッティヤ(सत्यम् [satyam])は両方とも
「真実」という意味です。
同じ意味の言葉が同時に使われている場合は、
双方の意味の違いを探さなくてはなりません。
これは、文献を読む伝統の中のテクニックのひとつです。
意味の違いは、下でゆっくり見ていきます。
वदिष्यामि [vadiṣyāmi] は「(私は)話します」という意味なので、
合わせてると、どちらも「私は真実を話します」になります。
しかし、マントラの前の行から「त्वाम् [tvām] あなた(ブランマン)」が降りてくるので、
「私は、あなたである真実を話します」となります。
それってどういう意味なのでしょうか?
言葉を一つずつ見て行きましょう。
真実のステップ1 裏を取る
ここでの真実、ऋतम् [r̥tam] (ルタ)は、
特に「何をすべきか」「何を言うべきか」に関して、
自分が正しいと思っているだけではなく、文献や伝統を参考にして、
しっかり正しい事を確認するステップを踏んだ真実です。
人間は無知を持って生まれてくる訳ですから、
自分が正しいと思っていることが間違っていても当然なのです。
そこを、面倒くさがらずに、頼れる情報源に頼り、自分でもしっかり思考して、
きっちり責任を持って「正しい」と言える真実です。
インテレクチュアル・レージネス(思考のだらしなさ)を捨てる
「私は、あなたである真実(ルタ)を話します」とは、
「だらしない考え」を持たない、と言う誓いです。
物理的にだらしない人はあまりいません。
みんな、朝から晩まで、いろんな事に走り回りながら「時間が無い」と言っています。
しかし、なぜそんなに忙しいのか、しっかり考える事を人はしません。
「幸せになりたい」事と、「忙しく走り回る」事との関係を深く検証しないのは、
「思考的だらしなさ」です。
サットサンガ(サポートシステム)があってこそ
何をするべきか、するべきでないか、何を言うべきか、何を言うべきでないか、
それらをはっきりさせるには、様々なサポートシステムが必要です。
サポートシステムとは、
正しい考えに導いてくれる人が周りにいること。
サンスクリット語で「サット(善い人達の)・サンガ(集まり)」です。
グレース(恩恵、幸運)があってこそ
ヴェーダなどの文献は、それらをはっきりさせるための文献ですが、
その文献の理解ににアクセスがあること。
正しい考えが出来る、執着や嫌悪から自由な、客観的理論的な思考が持てること。
これらを持つには、多大なグレース(幸運さ)が必要です。
無知を持って生まれた自分独りではどうにもなりません。
「助けが必要」と認めた時初めて、「助けを受け取る」事が出来るのです。
何をするべきか、何が正しいのか、何が真実なのか、
の正しい理解は、全てがうまくアレンジされてこそなのです。
だから、全てがうまくいくように、全てであるあなた(ブランマン)が、
全てを私の為にうまくアレンジして下さい。=(イコール)グレースを与えてください。
グレースは何処にでもある。それを受ける態勢に自分がなっているか?
バガヴァーン(=ブランマン)は、全てなので、
24時間何処にいても、サポートが受けられます。
その24時間365日のサポートを受け取る準備が自分に出来ているでしょうか?
祈りは、助けを受け取る準備を、自分の中で整えてくれます。
この祈りが「私は、あなたである真実(ルタ)を話します」に含まれているのです。
「思考的だらしなさ」を克服し、正しく考える習慣を持つ事が、
ゆくゆくは、人生の意味を見抜く事につながるのです。
真実のステップ2 話す。
考えや理解のレベルでの真実が「ऋतम् [r̥tam](ルタ)」である時、
それを言動に移すのが「सत्यम् [satyam] (サッティヤ)」です。
自分が何をすべきかについて、正しい理解が持てる事、
そして、それを言葉や行動に移せる事、
そのためのグレース(幸運さ)への祈りが、
このタイッティリーヤのシャーンティ・パタにこめられているのです。
== ऋतम् [r̥tam] - ルタ が使われている文献 ==
カタ・ウパニシャッド 1・3・1
ऋतं पिबन्तौ सुकृतस्य लोके ...ṛtaṃ pibantau sukṛtasya loke ...
ここでの意味も、ऋतम् [r̥tam] = सत्यम् [satyam] (サッティヤ)ですが、
「必ず実を結ぶ」という意味で、カルマの結果を指しています。
(シャンカラ・バーシャ:ऋतं सत्यम् अवश्यंभावित्वात् कर्मफलं पिबन्तौ।)
カルマの結果とは、つまるところ、
自分の身体や心理も含めた、この宇宙の現在過去未来の全てです。
タイッティリーヤの中で「ऋतम् [r̥tam](ルタ)」と呼ばれている
ブランマンが全てである事と、ここで繋がっているのです。
>> 次回 12.ऋक् [ṛk] - ルク(リグ)>>