今回は、アーユルヴェーダ(健康長寿の智慧)を授けた神として崇められる、
ダンヴァンタリ(धन्वन्तरिः [dhanvantariḥ])という名のデーヴァに向けての
祈りの句(シュローカ )を紹介します。
一語一語の意味を、文法的にもわかりやすく説明しますね。
ダンヴァンタリ(धन्वन्तरिः [dhanvantariḥ])とは、
ヴィシュヌがデーヴァター達の主治医として現れた形、
つまりヴィシュヌの化身のひとつです。
今回紹介するシュローカは、
アーユルヴェーダの施術を受ける前に、ダンヴァンタリが奉られる祭壇に向かって、
施術をする人とされる人の両方が一緒に、手を合わせて唱える祈りのシュローカです。
नमामि धन्वन्तरिम् आदिदेवं सुरासुरैर्वेन्दितपादपद्मम् ।
[namāmi dhanvantarim ādidevaṃ surāsurairvenditapādapadmam |]
लोके जरारुग्भयमृत्युनाशं दातारमीशं विविधौषधीनाम् ॥
[loke jarārugbhayamṛtyunāśaṃ dātāramīśaṃ vividhauṣadhīnām ||]
サンスクリット語の祈りのシュローカは全て、
文法的に分析できる文章から成っています。
文章は単語の集まりから構成されています。
文章の中で一番大事で一番最初に見つけるべきは、動詞です。
このシュローカの文章においての動詞は:
この動詞は、नम् [nam] という動詞の原型が活用したものです。
नम् [nam]は、単に「挨拶する」というよりも「尊敬を表現する」という方が良いでしょう。
尊敬する、ということはつまり、何が尊敬するべき価値かを知っているということです。
知識、特にヴェーダの知識を持っていることは、多大な尊敬に値します。
その価値を知っている人は、知識を持っている人に対して尊敬を表現する行動、
つまり手を合わせたりお辞儀してナマスカーラをします。
しかし、ヴェーダの知識を、いろいろある思想のひとつとして捉えている文化圏の人には、
ヴェーダの知識や、知識を持っている人に対して、尊敬すべき価値が分かりません。
ナマスカーラは、それをされる人の為にあるのではなく、
ナマスカーラをする人の価値感や姿勢を育てる為にあるのです。
シュローカの意味に戻りましょう。
私は誰に対して敬礼を示しているのでしょうか?
サンスクリット語の能動態の文章の中で「~に」という目的語に値する名詞は、
第2格で活用します。このシュローカの中には第2格で活用している名詞が6つあります。
私が敬礼を示している相手を説明する言葉が6つあると言うことです。
ミルクの海を、スラとアスラ(日本語の阿修羅)が攪拌して出てきた
アムリタを手に持って出現したヴィシュヌの化身の名前です。
「最初・始まり」という意味の「アーディ(आदि [ādi])」と、
この世界のあり方の法則、そして意識的な存在という意味の
「デーヴァ(देव [deva])」という言葉の複合語です。
あまり分かってもらえないですが、この世界には始まりも終わりも無く、
ぐるぐると、創造と破壊のサイクルを繰り返しているのです。
そこに「アーディ(最初)」など無いのですが、
一般に人々が最初と捉えている、その時にも既にいるので、
「アーディ」という形容詞が付くのです。
「パーダ(पाद [pāda])」とは「足」という意味です。
インドの伝統では、高い尊敬を表すとき、足を触ったり、洗ったり、プージャーしたりします。
足という部分は、プージャーする為の祭壇となるからです。
そんなプージャーに値する足は、蓮の花に例えられます。
蓮の花は「パドマ(पद्म [padma])」ですね。
そんなロータス・フィート(蓮の花のような足)は、
人間に栄光を与えられるスラからも、人間を混乱させるアスラからも、
敬礼されています。=「ヴァンディタ(वन्दित [nandita])」
वन्द् [vand] は、नम् [nam] と同じ意味です。
第7格で活用して「この世界において、この世界の中で」という意味になります。
「ジャラー(जरा [jarā])」は「老い」、「ルグ(रुग् [rug])は「病気」、
それらからの「バヤ(भय [bhaya])」=恐怖を、
そして「ムリッティユ(मृत्यु [mṛtyu])」=死を、
「ナーシャ(नाश [nāśa])」= 破壊する人
相対的には、健康や長寿を実現することにより、
老いや病からの恐怖や死を克服出来ますが、
絶対的には「アムリタ」にあるように、
自分の本質を正しく知ることによってのみ可能です。
「与える」という意味の「ダー(दा [dā])」という動詞の原型に、
「~する人」という意味の「トゥル(तृ [tṛ])」という接尾語を付加した派生語です。
「~する人」という意味の「ア(अ [a])」という接尾語を付加した派生語です。
意味は「イーシャ」のページをご覧下さい。
何を与えたり司ったりする者なのでしょうか、ダンヴァンタリという神様は?
विविधौषधीनाम्(ヴィヴィダウシャディーナーム [vividhauṣadhīnām])
「ヴィヴィダー(विविधा [vividhā])」とは「色んな種類の」という意味です。
「アウシャディ(औषधिः [auṣadhiḥ])」は、「薬草」または「薬」ですね。
「アー(आ [ā])」と「アウ(औ [au])」という母音が、この順番で連なった時は、
そう、ふたつの音がヴリッディになるのでしたね。
最後に意味をつなげ合わせると:
「スラからもアスラからも尊敬を示された、蓮の花のような足を持つ、
老いや病気の恐怖や死を破壊する、
様々な薬草を与え、司る者、最初のデーヴァ、ダンヴァンタリに
私はナマスカーラをし、恩恵を授かります。」
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仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味
シリーズ(1)、シリーズ(2)
ダンヴァンタリ(धन्वन्तरिः [dhanvantariḥ])という名のデーヴァに向けての
祈りの句(シュローカ )を紹介します。
一語一語の意味を、文法的にもわかりやすく説明しますね。
ダンヴァンタリ(धन्वन्तरिः [dhanvantariḥ])とは、
ヴィシュヌがデーヴァター達の主治医として現れた形、
つまりヴィシュヌの化身のひとつです。
今回紹介するシュローカは、
アーユルヴェーダの施術を受ける前に、ダンヴァンタリが奉られる祭壇に向かって、
施術をする人とされる人の両方が一緒に、手を合わせて唱える祈りのシュローカです。
नमामि धन्वन्तरिम् आदिदेवं सुरासुरैर्वेन्दितपादपद्मम् ।
[namāmi dhanvantarim ādidevaṃ surāsurairvenditapādapadmam |]
लोके जरारुग्भयमृत्युनाशं दातारमीशं विविधौषधीनाम् ॥
[loke jarārugbhayamṛtyunāśaṃ dātāramīśaṃ vividhauṣadhīnām ||]
サンスクリット語の祈りのシュローカは全て、
文法的に分析できる文章から成っています。
文章は単語の集まりから構成されています。
文章の中で一番大事で一番最初に見つけるべきは、動詞です。
このシュローカの文章においての動詞は:
नमामि (ナマーミ [namāmi]) = 私は敬礼を示します。
この動詞は、नम् [nam] という動詞の原型が活用したものです。
नम् [nam]は、単に「挨拶する」というよりも「尊敬を表現する」という方が良いでしょう。
尊敬する、ということはつまり、何が尊敬するべき価値かを知っているということです。
知識、特にヴェーダの知識を持っていることは、多大な尊敬に値します。
その価値を知っている人は、知識を持っている人に対して尊敬を表現する行動、
つまり手を合わせたりお辞儀してナマスカーラをします。
しかし、ヴェーダの知識を、いろいろある思想のひとつとして捉えている文化圏の人には、
ヴェーダの知識や、知識を持っている人に対して、尊敬すべき価値が分かりません。
ナマスカーラは、それをされる人の為にあるのではなく、
ナマスカーラをする人の価値感や姿勢を育てる為にあるのです。
シュローカの意味に戻りましょう。
私は誰に対して敬礼を示しているのでしょうか?
サンスクリット語の能動態の文章の中で「~に」という目的語に値する名詞は、
第2格で活用します。このシュローカの中には第2格で活用している名詞が6つあります。
私が敬礼を示している相手を説明する言葉が6つあると言うことです。
1.धन्वन्तरिम्(ダンヴァンタリム [dhanvantarim])= ダンヴァンタリに
ミルクの海を、スラとアスラ(日本語の阿修羅)が攪拌して出てきた
アムリタを手に持って出現したヴィシュヌの化身の名前です。
だいたいこんな感じで登場します。 |
2.आदिदेवम्(アーディデーヴァム [ādidevam])= 最初のデーヴァに
「最初・始まり」という意味の「アーディ(आदि [ādi])」と、
この世界のあり方の法則、そして意識的な存在という意味の
「デーヴァ(देव [deva])」という言葉の複合語です。
あまり分かってもらえないですが、この世界には始まりも終わりも無く、
ぐるぐると、創造と破壊のサイクルを繰り返しているのです。
そこに「アーディ(最初)」など無いのですが、
一般に人々が最初と捉えている、その時にも既にいるので、
「アーディ」という形容詞が付くのです。
सुरासुरैः (スラースライヒ [surāsuraiḥ])= スラとアスラによって
3.वन्दितपादपद्मम्(ヴァンディタ-パーダ-パッドマム [vanditapādapadmam])
= 敬礼された蓮の花のような足を持つ者に
「パーダ(पाद [pāda])」とは「足」という意味です。
インドの伝統では、高い尊敬を表すとき、足を触ったり、洗ったり、プージャーしたりします。
足という部分は、プージャーする為の祭壇となるからです。
そんなプージャーに値する足は、蓮の花に例えられます。
蓮の花は「パドマ(पद्म [padma])」ですね。
そんなロータス・フィート(蓮の花のような足)は、
人間に栄光を与えられるスラからも、人間を混乱させるアスラからも、
敬礼されています。=「ヴァンディタ(वन्दित [nandita])」
वन्द् [vand] は、नम् [nam] と同じ意味です。
लोके (ローケー [loke])= この世における
4.जरारुग्भयमृत्युनाशम्(ジャラルッグバヤムリッティユナーシャム [jarārugbhayanāśam])= 老いや病からの恐怖、そして死を破壊する者
「ローカ(लोक [loka])」とは「世界」という意味。「人々」という意味もあります。第7格で活用して「この世界において、この世界の中で」という意味になります。
「ジャラー(जरा [jarā])」は「老い」、「ルグ(रुग् [rug])は「病気」、
それらからの「バヤ(भय [bhaya])」=恐怖を、
そして「ムリッティユ(मृत्यु [mṛtyu])」=死を、
「ナーシャ(नाश [nāśa])」= 破壊する人
相対的には、健康や長寿を実現することにより、
老いや病からの恐怖や死を克服出来ますが、
絶対的には「アムリタ」にあるように、
自分の本質を正しく知ることによってのみ可能です。
5.दातारम् (ダーターラム [dātāram])= 与える者
「与える」という意味の「ダー(दा [dā])」という動詞の原型に、
「~する人」という意味の「トゥル(तृ [tṛ])」という接尾語を付加した派生語です。
6.ईशम् (イーシャム [īśam])= 司る者
「司る」という意味の「イーシュ(ईश् [īś])」という動詞の原型に、「~する人」という意味の「ア(अ [a])」という接尾語を付加した派生語です。
意味は「イーシャ」のページをご覧下さい。
विविधौषधीनाम्(ヴィヴィダウシャディーナーム [vividhauṣadhīnām])
= 様々な薬草の
「ヴィヴィダー(विविधा [vividhā])」とは「色んな種類の」という意味です。
「アウシャディ(औषधिः [auṣadhiḥ])」は、「薬草」または「薬」ですね。
「アー(आ [ā])」と「アウ(औ [au])」という母音が、この順番で連なった時は、
そう、ふたつの音がヴリッディになるのでしたね。
最後に意味をつなげ合わせると:
「スラからもアスラからも尊敬を示された、蓮の花のような足を持つ、
老いや病気の恐怖や死を破壊する、
様々な薬草を与え、司る者、最初のデーヴァ、ダンヴァンタリに
私はナマスカーラをし、恩恵を授かります。」
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仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味
シリーズ(1)、シリーズ(2)