今日のプージャスワミジのクラスで浮上したトピック、「ハリオーム」を、
サンスクリット語は発音が大事!シリーズ第2回として紹介しますね。
リシケシを始め、インド中のヨーガ界、スピリチュアル界のいたるところで耳にする、
「ハリオーム!」という言葉。
インドでは、アシュラムに出入りする人を中心に、
話す前に「ハリオーム」、話し終わったら「ハリオーム」
道端で人に出会ったら「ハリオーム!」
電話に出るときも「ハリオーム!」
と、いつでもどこでも使えて便利な言葉です。
「ハリ」は神様の名前。「オーム」も同様です。
どちらも神様の名前なので、神様という言葉の意味を知ろうが知るまいが、
一日に何回も口に出して言って、自分や相手の心に神様を持ってくるのは良いことです。
この世界を動かしているのは自分や周りの人間だけじゃない。
お金や権力は、それ以上でもそれ以下の存在でもない。
そんな客観性を持たせてくれるのが、神様の名前です。
主観を通り越した妄信・迷信や、理屈の通らない天国行きをプロモートするような、
そんな神様像を教える宗教は、人間にせっかく与えられた知能を台無しにしてしまいます。
ヒンドゥーの神様とは、本当の意味では、信仰の対象ではなく、理解の対象なのです。
人間として生まれた目的を達成するには正しく論理的に考えられる知性が必要です。
なぜかというと、人間を人間たらしめているのは、論理的に考えられる知性だからです。
ここにあるもの全ての名前が「オーム」で、それが神様なのだから、
宇宙にある全ての名前と意味は「オーム」に包括されています。
ちょうど、日本の神社の入り口にある狛犬の「あ」と「ん」のように。
全ての名前が「オーム」なら、なんでわざわざもう一個の名前、
「ハリヒ」をつけるのでしょうか?
誰かにものを頼むときは、して欲しい仕事の役職の名前でその人を呼びます。
チャイが飲みたい時は「おっちゃん!」ではなく「チャイ屋さ~ん!」と呼ぶように。
「ハリ(हरि [hari])」という言葉の起源は、
हरति पापानि इति हरिः । 「皆のパーパを取り払う者」です。
「取り去る」という意味の「हृ [hṛ]」という動詞の原型から成っています。
パーパとは、うまく行かない状況を作る原因のこと。
その原因は過去に自分がした行為。それが回りまわって自分の身に降りかかる。
自分の置かれている状況とは、過去の結果が直接的・間接的に現われているだけ。
行為の結果に対抗するには、それを中和する行為をとればよい。
直接的な結果を出せる行為だけでは全て手を打ったとは言えない。
間接的な結果を出せる行為もあるなら、そこにも手を打つ。
というのが実用的な人のものの考え方。
因果関係の全てを取り仕切っている、この宇宙の全ての法則が、
バガヴァーンとかイーシュワラとかという名前で呼ばれる神様です。
そんな神様に「勘弁してください。」とお願いするときは、
「ハリ(パーパを取り除く者)」という名前で呼びます。
口に出したり心の中で名前を繰り返したりする「行為」をするのです。
何でも出来る神様(ここに起こる事全てが神様なので)に、
パーパを取り払って欲しいときは、「ハリ」という名前で神様を呼ぶと、
神様という大きな存在が、その人の神様の理解のレベルに合わせて、
小さなものを大きく見せていた主観を取り除いてくれたりしながら平和を運んでくれます。
「हृ [hṛ]」という動詞の原型からの派生語の「ハリ」は、名詞の原型です。
名詞は必ず活用してから使わなければなりません。
シンプルにその名前を言いたいだけの場合は、第一活用型を使います。
「ハリ」はただ唯一なので、単数形ですね。
というわけで、名詞の原型「ハリ」を第一活用型・単数で活用すると、
「ハリヒ(हरिः [hariḥ])」になるんですね。
最後にヴィサルガ(:で表されるHの発音)が付くのです。
このことから、「ハリヒ・オーム」と、ちゃんとヴィサルガをつけて発音しなければならないのです。
ヴィサルガ・サンディは掛かりません。
何で「ハリ」と「オーム」が一緒に使われているのか?
なぜ一緒に使われたときにヴィサルガ・サンディが掛からないのか?
答は、ヴェーダでそのように使われているからです。
なんかサンスクリット語のポリスのようになっていますが、
ちゃんと意味を理解して、正しい発音をしましょう!というのは、
全ての言語に共通する良い習慣です。
難しい言葉を使わなくてもいいから、
自分が今から発する言葉の意味を、ちゃんと知ってから使う。
その為に辞書を引いたり、知識のある人と話し合ったりする。
世の中に溢れている言葉の殆どは、
どこかで聞いた言葉や文章を、意味を確認したり、熟考したりすることなく、
単に復唱しているだけではないか?
自分の言葉もそうなっていないか?と常にチェックしながら生きることは、
自分の考えの整理整頓にもなりますし、
周りの人も、意味の無い言葉に振り回されずに済みます。
長年使ってきた「ハリオ~ム」を、いまさら「ハリヒ・オーム」に変えるのに躊躇している方へ:
確かに「ハリヒ・オーム」はヴァイディカでお堅い感じなので、
ヴェーダのマントラを唱える以外には使わないほうがいいですね。
硬派な方や、サドゥーには「OM」だけで十分です。
カジュアルに、でも神様の名前をいつも!って方にお勧めは、
「ラムラ~ム!」です。そう、ヴィシュヌ・アヴァターラのラーマです。
ラーマのヒンディー訛りが「ラーム」です。
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サンスクリットは発音が大事!「ヨガ」は「ヨーガ」、「ヨギ」は「ヨーギー」、「ヨギーニ」は「ヨーギニー」です。
サンスクリットを習い始めた人に、どうか知って欲しいあれこれ
サンスクリット語は発音が大事!シリーズ第2回として紹介しますね。
リシケシを始め、インド中のヨーガ界、スピリチュアル界のいたるところで耳にする、
「ハリオーム!」という言葉。
インドでは、アシュラムに出入りする人を中心に、
話す前に「ハリオーム」、話し終わったら「ハリオーム」
道端で人に出会ったら「ハリオーム!」
電話に出るときも「ハリオーム!」
と、いつでもどこでも使えて便利な言葉です。
「ハリ」は神様の名前。「オーム」も同様です。
どちらも神様の名前なので、神様という言葉の意味を知ろうが知るまいが、
一日に何回も口に出して言って、自分や相手の心に神様を持ってくるのは良いことです。
この世界を動かしているのは自分や周りの人間だけじゃない。
お金や権力は、それ以上でもそれ以下の存在でもない。
そんな客観性を持たせてくれるのが、神様の名前です。
主観を通り越した妄信・迷信や、理屈の通らない天国行きをプロモートするような、
そんな神様像を教える宗教は、人間にせっかく与えられた知能を台無しにしてしまいます。
ヒンドゥーの神様とは、本当の意味では、信仰の対象ではなく、理解の対象なのです。
人間として生まれた目的を達成するには正しく論理的に考えられる知性が必要です。
なぜかというと、人間を人間たらしめているのは、論理的に考えられる知性だからです。
ここにあるもの全ての名前が「オーム」で、それが神様なのだから、
宇宙にある全ての名前と意味は「オーム」に包括されています。
ちょうど、日本の神社の入り口にある狛犬の「あ」と「ん」のように。
日本語の最初の「ア」と最後の「ン」の間に全てが存在する。 日本語の50音表も梵語(サンスクリット)が起源だから、 やっぱり全てはインドから来たのだ!(インド人が好きなセリフ) |
全ての名前が「オーム」なら、なんでわざわざもう一個の名前、
「ハリヒ」をつけるのでしょうか?
誰かにものを頼むときは、して欲しい仕事の役職の名前でその人を呼びます。
チャイが飲みたい時は「おっちゃん!」ではなく「チャイ屋さ~ん!」と呼ぶように。
「ハリ(हरि [hari])」という言葉の起源は、
हरति पापानि इति हरिः । 「皆のパーパを取り払う者」です。
「取り去る」という意味の「हृ [hṛ]」という動詞の原型から成っています。
パーパとは、うまく行かない状況を作る原因のこと。
その原因は過去に自分がした行為。それが回りまわって自分の身に降りかかる。
自分の置かれている状況とは、過去の結果が直接的・間接的に現われているだけ。
行為の結果に対抗するには、それを中和する行為をとればよい。
直接的な結果を出せる行為だけでは全て手を打ったとは言えない。
間接的な結果を出せる行為もあるなら、そこにも手を打つ。
というのが実用的な人のものの考え方。
因果関係の全てを取り仕切っている、この宇宙の全ての法則が、
バガヴァーンとかイーシュワラとかという名前で呼ばれる神様です。
そんな神様に「勘弁してください。」とお願いするときは、
「ハリ(パーパを取り除く者)」という名前で呼びます。
口に出したり心の中で名前を繰り返したりする「行為」をするのです。
何でも出来る神様(ここに起こる事全てが神様なので)に、
パーパを取り払って欲しいときは、「ハリ」という名前で神様を呼ぶと、
神様という大きな存在が、その人の神様の理解のレベルに合わせて、
小さなものを大きく見せていた主観を取り除いてくれたりしながら平和を運んでくれます。
「हृ [hṛ]」という動詞の原型からの派生語の「ハリ」は、名詞の原型です。
名詞は必ず活用してから使わなければなりません。
シンプルにその名前を言いたいだけの場合は、第一活用型を使います。
「ハリ」はただ唯一なので、単数形ですね。
というわけで、名詞の原型「ハリ」を第一活用型・単数で活用すると、
「ハリヒ(हरिः [hariḥ])」になるんですね。
最後にヴィサルガ(:で表されるHの発音)が付くのです。
このことから、「ハリヒ・オーム」と、ちゃんとヴィサルガをつけて発音しなければならないのです。
ヴィサルガ・サンディは掛かりません。
何で「ハリ」と「オーム」が一緒に使われているのか?
なぜ一緒に使われたときにヴィサルガ・サンディが掛からないのか?
答は、ヴェーダでそのように使われているからです。
なんかサンスクリット語のポリスのようになっていますが、
ちゃんと意味を理解して、正しい発音をしましょう!というのは、
全ての言語に共通する良い習慣です。
難しい言葉を使わなくてもいいから、
自分が今から発する言葉の意味を、ちゃんと知ってから使う。
その為に辞書を引いたり、知識のある人と話し合ったりする。
世の中に溢れている言葉の殆どは、
どこかで聞いた言葉や文章を、意味を確認したり、熟考したりすることなく、
単に復唱しているだけではないか?
自分の言葉もそうなっていないか?と常にチェックしながら生きることは、
自分の考えの整理整頓にもなりますし、
周りの人も、意味の無い言葉に振り回されずに済みます。
長年使ってきた「ハリオ~ム」を、いまさら「ハリヒ・オーム」に変えるのに躊躇している方へ:
確かに「ハリヒ・オーム」はヴァイディカでお堅い感じなので、
ヴェーダのマントラを唱える以外には使わないほうがいいですね。
硬派な方や、サドゥーには「OM」だけで十分です。
カジュアルに、でも神様の名前をいつも!って方にお勧めは、
「ラムラ~ム!」です。そう、ヴィシュヌ・アヴァターラのラーマです。
ラーマのヒンディー訛りが「ラーム」です。
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サンスクリットは発音が大事!「ヨガ」は「ヨーガ」、「ヨギ」は「ヨーギー」、「ヨギーニ」は「ヨーギニー」です。
サンスクリットを習い始めた人に、どうか知って欲しいあれこれ