今回は、サンスクリットとインドに関する、
当たり前と思っていたけど当たり前ではなかった事実を4つ紹介しますね。
その1.
サンスクリットは、サンスクリット語ではサンスクリットではない
その2.
もともとあるのはサンスクリットなので、もともとサンスクリットなんて無い
その3.
インドはインドではインドでない
その4.
ヒンドゥーはヒンドゥーではヒンドゥーとは言わない
では、ひとつひとう見ていきましょう。
事実 その1:
サンスクリットは、サンスクリット語ではサンスクリットではない
じゃあ、何なのでしょうか。
最後にちゃんと म् をつけて下さい。 現代インドでは、12億総サンスクリット語オンチ現象が蔓延してます。 |
サンスクリットを、サンスクリット語で書くと、
サムスクリタム(संस्कृतम् [saṃskṛtam])となります。
私達が普段使っている、「サンスクリット」とは、
サムスクリタム[saṃskṛtam]が、英語風に訛ってサンスクリット[sanskrit]になったものを、
カタカナで表記しているのです。
ちょうど、サンスクリット語の言葉、ヨーギニー[yoginī]が、英語で「ヨギーニ」に訛り、
それが日本でカタカナで使われているのと同じような現象です。
(詳しくは「サンスクリットは発音が大事!」のコラムをどうぞ。)
最後をアヌッスヴァーラ(上の点)で終わらせるのも、 サンスクリット語ではあってはならないことです。 これも、12億総サンスクリット語オンチ現象のひとつです。 原因のひとつは、サンスクリットから堕落して派生したヒンディーなどの言語と 混ざってしまっていることです。 なりよりまず、人間のだらしなく考る傾向が一番の原因です。 |
事実 その2:
もともとあるのはサンスクリットなので、
もともとサンスクリットなんて無い
またまた謎めいたタイトルですが、これもちゃんと意味が通っています。
サンスクリットとは、「洗練された(言語)」 という意味です。
「洗練された」言語があるなら、それは「洗練されていない」言葉の存在が前提になっています。
精製米という名前がつくのは、無精製米があるからです。
全世界の米というものは全て、自然な状態から既に精製米だったら、
わざわざ「精製」と付けなくても、「米」という名前だけでよいはずです。
同じような理由から、サンスクリットという名前も、
相対的な名前であって、それ自身では名前を必要しないのです。
ヴェーダの言語、サンスクリット
この宇宙は、生れては消えゆくという、創造と破壊をを延々と繰り返しています。
その始まりも終わりも無い想像と破壊のサイクルの中では、
人間のような自由意志を持った生命体が、あちらこちらで出現します。
人間の出現には必ず、ヴェーダの出現が伴います。
そして、ヴェーダの言語はサンスクリット語と決まっているのです。
創造担当のブランマージも、ちゃんとヴェーダを持っています。 四つの顔を持つブランマージ自体がヴェーダと創造の象徴です。 |
ヴェーダ自身からの視点では、自らの言葉自体が言語そのものなので、
自分の言葉のことを、わざわざ「サンスクリット語」と呼ぶ必要がありません。
別の言語が出てきて始めて、それと区別する為の言葉が必要になるのです。
サンスクリット(洗練された言語)から見て、
そんなに洗練されていない言語は、
プラークリタ(自然のままの、つまり精製・加工されていない)と呼ばれます。
ヴェーダの言語、つまり、人間の言語というものは、サンスクリットであり、
それが劣化した言語を、本来の言語と比較して、プラークリタと呼ぶのです。
ヴェーダは毎回必ずサンスクリット語
ヴェーダの言語はどの回の創造でも、毎回サンスクリット語と決まっているそうです。
「サンスクリット語勉強するの面倒だから、
ヴェーダが日本語で出現するカルパ(創造の単位)を待って、その時に生まれ変わってから、
ヴェーダーンタの勉強すればいいや」
という考え方は出来ません。
そう言う訳で、サンスクリット語の勉強は、
来世に先延ばしせず、今生で勉強しましょうね。
ちなみに、「日本」 も相対的な名前です。
日のもと、つまり東側に位置する国、ということは、
西側で日の出を拝んでいる人達、つまり大陸側の人から見た名前です。
サンスクリット語が洗練されているという訳
私は、サンスクリット文法の講師であり、
元在米プログラマ・SEで、パーニニ・スートラの講師でもあるので、
これについて語りだすと止まりません。
でも、簡単に言うと、サンスクリット語の言葉は、
まず発音がはっきりしている。そして発音システムが確立されている。
そして、サンスクリット語の単語は、きちんと種類分けされた有限数のパーツから、
これまたきちんと分類された有限数の規則を、規則正しい順番で応用することにより、
文法的派生を説明できるという特性があります。
これらの真価を味わうには、まずは発音からきちんと学ぶ必要があります。
イーシュワラとは何かを教えるヴェーダの伝統の知識は、
サンスクリット語の発音ひとつひとつに、自分という小さな個人と、
イーシュワラという全宇宙の知識体が、全く離れていない、
ひとつの存在であることを証明し、その事実を自分のものにしてくれます。
本場インドの3年半コースでサンスクリット語講師を担当させていますが、
いまだに一番の基本である「ア」「アー」「イ」「イー」を
新しく来る人達に、興奮と共に教えられるのは、
このサンスクリット語の発声システムという、「イーシュワラの知識」 を、
自分の体で実感してもらえるからです。
事実 その3:
インドはインドではインドでない
この一見意味の分からないセンテンス、まさにインドですね!
ナンセンスのように見えて、実はそこには深い意味がある。これもインドですね。
インドでは、自分の国のことを「バーラタ(भारत [bhārata])」と呼びます。
ラーマの弟のバラタが、ラーマの帰りを待ちながら、
ラーマのパードゥカー(サンダル)に毎日プージャーしながら、
ラーマの代わりに誠実に治めた国が、
バラタの末裔と言う意味の「バーラタ」となり、
それが、インドの国名となっています。
パードゥカー・プージャ- |
シンドゥ(सिन्धुः [sindhuḥ])という川の名前から来た、西洋人がつけた名前です。
そして、もうひとつちなみに、Japanと日本は同じです。
「日本」 の中国語読みの西洋諸国語(ポルトガル?)訛りがJapanの由来です。
事実 その4:
ヒンドゥーはヒンドゥーではヒンドゥーとは言わない
さらには、「ヒンドゥー教」なるものすらもないのです。
宇宙に遍在する物理の法則を、宗教と呼ぶことは出来ないのと同じです。
ヒンドゥーの人々は、宇宙に遍在する法則の全てを、
「サナータナ・ダルマ(सनातन-धर्मः [sanātana-dharmaḥ])」と呼びます。
直訳すると「永遠・恒久の在り方」です。
火に指をつっこむと火傷を負う。
他の生き物を痛めつけると、回りまわって結局自分も痛い思いをする。
宇宙の在り方に逆らわず、調和しながら生きることが、
人間として成長する方法なのだと教え、
人間として成長した人には、人間として生まれてきた意味を教えるのが、
ヴェーダなのです。
ヒンドゥーも、シンドゥ(सिन्धुः [sindhuḥ])という川の名前から来た名前です。
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こちらも:
サンスクリットを習い始めた人に、どうか知って欲しいあれこれ
50.ヴェーダ(वेदः [vedaḥ])- 知る手段
24.カーラ(कालः [kālaḥ])- 時間