アーサナの語源
動詞の原型「アース(आस् [ās])」は、「座る」という動作を表します。
そこに、「アナ(अन [ana])」という、サンスクリット語によく出てくる接尾語がついて、
आस् [ās] + अन [ana] = आसन [āsana]
となります。
「アナ(अन [ana])」の意味は、実に様々です。
現在の世間一般で、「ヨガ」という言葉の意味となっている、
ポーズをとることによる健康法という意味での「アーサナ」という場合、
「アナ」 は、座るという動作をするための「方法、やり方」となります。
ゆえに、座法という漢訳(?)は正しいですね。
また、 「アナ」 を、座るという動作をするための「場所」とすると、
それは、座る場所、つまり座布団とか、椅子とかになります。
アーサナとは単なる健康法か?
先ほどアーサナを健康法と説明しましたが、
アーサナに思い入れのある人なら、単なる健康法なんかではない!
と思われるかもしれません。
しかし、ヴェーダの文化の全体構成をぐるりと見回す立場から見ると、
アーサナはあくまで、健康法です。
全ては、その限界を知ることから
ヨガでも、瞑想でも、美味しい食べ物でも、お金でも、物でも、地位でも、
どんなに素晴らしい人間関係でも、何でも全て、
それらの限界を知っておくことはとても大事です。
所有物や人間関係、仕事などにおいて、
「これこそが!」と絶対的価値を夢見てしまい、
全人生をかけて没頭してしまうのは、よくあることで、
そのような人に対して、横から囁くようなことはしてはなりませんが、
ヨガや瞑想に入れ込んで、そこで止まってしまうのは、
もったいないなぁ、と思います。
しかし、これもプラーラブダですが。
限界の見極めがつくまでは、人生は何回でも繰り返します。
全てを手に入れ成功する方法を教えてくれるのと同時に、
それらの限界もきっちり教えてくれるのが、ヴェーダなのです。
ここまで言いましたが、しかし、
アーサナが単なる健康法ではない、と言うことも出来ます。
なぜなら、ヴェーダの文化の全体構成に組み入れられているからです。
単なるポーズだけでなく、それを受け継いできた文化に尊敬の態度を持って目を向けると、
全体像が少しずつ見えてきて、ヨガ・アーサナの全体像の中でのポジションが自ずと見えてきます。
伝統の意味
現代の日本やアメリカのみならず、本場インドでも、
○○ヨガ、××ヨガ、、、とかなり現代風にアレンジされています。
私は、伝統を厳格に守るブランミンに囲われて生活しているので、
それらのヨガを、たまに垣間見たときには、絶句してしまいますが、
そのようなものが世界的に主流となっているのが現実です。
アーサナでも、音楽でも、ダンスでも、アーユルヴェーダや占星術、サンスクリット語も全て、
遠い日本で生まれ育った私達が、それらを始めるに至った背景には、
その知識を教え継いでいた先人の存在があります。
まず、その知識の伝承に感謝できるようになって、全てが始まります。
そして、「この伝統文化とは?」ということに興味を持って、
調べたり、実践したりすることは、現代まで伝承してくれた先生方につながり、
全体像につながり、そして自分が正しい知識を得ることにつながります。
こうして、全体像が見えてきて、本当のゴール、本当に手に入れるべきものは何か、
というプルシャ・アルタ・ニスチャヤが出来てくるのです。
馬車の例え
ヴェーダでは、人間の身体は馬車に例えられます。
馬車は走らせて、目的地に辿り着く為にあります。
馬車をチューンナップすることばかりに専念しても意味がありません。
車でも体でも、完全完璧は無理です。当たり前のことですが。
いかに少ない投資で、いかに多く働けるか、のバランスが必要です。
アーサナで造り上げた、しなやかで強く美しいボディで、
どこに向かって走るのですか?
インドの伝統では、プルシャ・アルタという人生の目的の見据え方がはっきりと教えられています。
それをインド人がちゃんと理解しているかどうかは全く別の話ですが!
しかし、日本ではプルシャ・アルタという概念が全く紹介されませんね。
アルタとカーマしか教えられない社会で生きていたら、
そりゃ不安と混乱に満ちた心になるよな、、、、
とインドの山奥で恐ろしく感じます。
交通網も、情報網も、医療機関も、何もかにも「発展」 しているのに、
何の為の発展なのか、その答を教えられるものが無く、
とりあえず楽しく!美味しいもの食べて!
出来るだけ多くのものを消費して!
出来るだけ多くの経験をして!長生きして!
ということぐらいしか教えられないのが現代日本社会です。
当然、空しくなりますね。
長時間座って、何をするべきなのか。
「アーサナ」 という言葉の意味からも分かるように、
結局は、長時間座っていられる身体を造るための実践されるべき智慧が、
ヨガ・アーサナという名前で一般的にしられている言葉の、あるべき意味です。
ヴェーダを基調とした伝統的・文化的な生活規範の全ては、
人間としての成長のためにあります。
自分のするべきこと、社会や家庭での役割・責任を果たすことによってのみ、
人間は成長できます。
これを、ダルマに基づいた生活と言います。
そのために機能できる身体を造り、心をサットヴァにするために、
アーサナのプラクティスは役に立ちます。
ダルマの生活を続けて、人間として成長した人は、
自ずとモークシャに向かうようになります。
最終的にはモークシャを見据えて、
シュラヴァナ、マナナ、二ディッティヤーサナという、
基本的には座りっぱなしの生活を続ける為の身体作りに、
アーサナは最も有効なのです。
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