2015年4月24日金曜日

55.バクティ(भक्तिः [bhaktiḥ])- 深く関わること、献身的に努めること

भक्तिः
 [bhaktiḥ]


feminine - 深く関わること、献身的に努めること


ハヌマーンは、ラーマが大好き。
ラーマの為だったら何でもします。

バクティの語源


「バジ-世話をする(भज् सेवायाम् [bhaj sevāyām])」という動詞の原型に、

「~すること」という意味の抽象名詞をつくる接尾語「ティ(ति [ti])」を付加します。

後ろの「ティ」につられて「バジ」の「ジ」がカ行の「グ」になり、

さらに濁音「グ」が清音「ク」になって、「バク」+「ティ」で、

「バクティ、世話をすること、親愛をもって深く関わること」といった意味の単語になります。
スリランカで緊急事態発生!
ラーマの弟、ラクシュマナを助ける為に、ヒマラヤの薬草が必要!
ハヌマーン、ヒマラヤにひとっ飛び!しかし、暗い山の中で薬草を探せない!
えい!そしたら山ごとひとつ、スリランカまで持っていくよ~!

「バクティ」の使われ方


この「バクティ」という文化がある国インドでは、

「グル・バクティ」「ヴィシュヌ・バクティ」といって、

自分の先生や、自分の好きなデーヴァターに対して、

せっせと祈ったりお世話をしたり、と何かにつけ毎日積極的に関わっていくことを指します。

日本にはこのような目に見えるカタチ(フォーム)が無いので、

「バクティ」といってもピンと来ないかもしれません。


バジャン?


インドでは、「バクティ」と聞くと、バジャンで恍惚となって神様の栄光を讃える、、、
チャイタニヤ・マハープラブ
いうイメージが、一般的です。日本ではどうでしょうか。
現代でも変わらない!楽しそう!
「カリユガにはバクティ=神の名前を歌うしかない!」と、
ヴェーダーンタを勉強する人を批判することもあるそうです。

それはそれで、とても美しいことです。

しかし、「神様の栄光を讃える」為には、その栄光を知らなくてはいけません。

それを知らずにただ賞賛するのは、

- アインシュタインがNYで拾ったタクシーの運転手が、

「あなたはとても素晴らしい物理学者ですね!」と褒め讃える -

というたとえ話のようなものです。



そもそも、「神様」って何なのか?

世界で多くの信者を持っている信仰宗教の神様はこんな感じです:

無形だけど男性で、無形だけど、今ここではない別の場所の天国に居て、

あなたに不幸な状況を与え続け、あなたを原罪人呼ばわりし、

死後に助けてあげるから、生きている間に出来るだけ神様に好かれるようにしなさい、

というような、ジャッジメンタルな神様でしょうか?

そんな人、居ないほうがいいですよね。賞賛にも値しません。


まず知ることから


この宇宙の全てのものであり、全ての知識であり、

そして全てのものに存在を与えている、イーシュワラです。

そのイーシュワラの存在を教えるのがヴェーダです。

イーシュワラは、正しく知って理解する為の対象です。信仰の対象ではありません。

1+1=2や、重力の法則などは、理解するためにあります。

先生は、それらを理解しなさいと教えます。それらを信じなさい、とは教えません。

イーシュワラについても同じです。

あなたの目の前にあるもの全て、経験してきたもの全て、

知っていること全てと、知らないこと全てを併せた、全てを指してイーシュワラと呼ぶのです。


「関わる」とは「関わっていない事など無い」と知ること


「私」が、この身体や心で区切られた「個人」であるならば、

「全体」と対比しての「個」なのですから、

「全体」と深く関わっている「私」があります。

どの時間も、どこの場所も、どの人間も対象物も、全ては「全体」に包括されています。

ゆえに私が、いつ、どこで、何をやっていても、

「全体」つまりイーシュワラと関わっていない事など無いのです。

その関わりを認識するのが「バクティ」です。


イーシュワラ、つまり「全体」について知ることにより、

自分の事を、イーシュワラと深く関わっている「私」で認識すること、

それが「バクティ」なのです。


4つのパス(道のり)という混乱


「バクティ」と聞いて思い出すのが、この4つの道のりの話:

外向的で行動的な人は、カルマ(行為)・ヨーガ、
情緒的で信仰心の強い人は、バクティ・ヨーガ、
知的な人は、ニャーナ(知識)・ヨーガ、
どれにも当てはまらない、good for nothingな人は、ハタ・ヨーガ!!

この話を聞いた事のある人は多いと思います。

しかし、このようなことは、ヴェーダの教えの伝統にはありません。

ある有名なアシュラムの、ある有名な先生が、何十年か前に言い始めたものです。


正しいプラマーナを使って、イーシュワラについて知ることにより、

イーシュワラとの関わっている自分を見つけることが「バクティ」なのだと理解出来たら、

4つの道のりは、つじつまが合わないことが分かります。


イーシュワラについて知ることが、「ニャーナ・ヨーガ」であり、

知りたいと思うこと、知る為の姿勢、全てが「バクティ」です。

自分とイーシュワラの理解にもとづく姿勢が「バクティ」であり、

そのバクティの姿勢をもって、自分の義務を果たすことにより

人間として成長する生き方が「カルマ・ヨーガ」です。

ハタ・ヨーガは、「ニャーナ・ヨーガ」や「カルマ・ヨーガ」の生き方に必要な、

身体と心のコンディションを整えるのにとても効果的です。

「バクティ」は、4つのうちの1つには成り得ません。


バガヴァーンの教える「バクティ」


バガヴァーン(=イーシュワラ)とは何かについて、

バガヴァーン自身が教えたのが、バガヴァッド・ギーターです。

その中にこのような詩節があります。

चतुर्विधा भजन्ते मां जनाः सुकृतिनोऽर्जुन ।
आर्तो जिज्ञासुरर्थार्थी ज्ञानी च भरतर्षभ ॥ ७-१६॥
[caturvidhā bhajante māṃ janāḥ sukṛtino'rjuna |
ārto jijñāsurarthārthī jñānī ca bharatarṣabha || 7-16||]

「幸運な人々は、4種類の方法で私(バガヴァーン)に関わっています。
1.困ったときの神頼みの人
2.成功の為に味方につける人
3.私について知りたいと願う人
4.私を(その人自身として)知っている人」

それぞれを見てみましょう

1.困ったときの神頼みの人(アールタ)

普段はバガヴァーンとかいったものに興味は無いけれども、

苦境に陥って、自分の力ではもうどうにもならない時、神頼みしかない!

と思いついて祈りを捧げる人。

その後うまく行っても、バガヴァーンのおかげ!と思うかどうかは別として、

一時的にも「バガヴァーンに祈る」という関係を持てた人です。


2.成功の為にバガヴァーンを味方につける人(アルタールティー)

普段から、商売繁盛や家内安全などの為に、バガヴァーンに祈る習慣がある、

しっかり者です。世の中が分かれば分かるほど、成功や失敗には

「予測不可能な要因」が多様に関わっていることが見えてきます。

自分で出来ることはしっかりやる。予測不可能な要因にも、しっかり手を打つ。

その手の打ち方のひとつとして、

予測可能・不可能な要因すべてを司っている全ての存在、バガヴァーンに祈りを捧げる、

という実用的な方法で、日常的にバガヴァーンと関わっている人です。

でも、その人の心は、商売繁盛や家内安全にフォーカスしています。


3.私(バガヴァーン)について知りたいと願う人(ジッニャース)

単なる信仰の対象から、理解の対象へシフトした人です。

2から3が、革命的に大きなジャンプです。

バガヴァーンって何?誰?知ってなにかいいことあるの?

知るためには、それなりのプラマーナが必要です。

数学を知るためには数学の教科書、天文学を知るには天文学の先生が必要です。

バガヴァーンについて教えるのがヴェーダと、ヴェーダに関する文献です。

文献だけだと、どうとでも取れてしまうので、

何を言わんとしているかの全体像を明瞭に理解し、

さらにそれを、生徒に伝えられる能力のある先生が必要です。



4.私(バガヴァーン)をその人自身として知っている人(ニャーニー)

ここにある宇宙の全てはバガヴァーンです。

バガヴァーンの本質は1つ、ゆえにそれはあなたの本質です。

ハヌマーンとラーマの関係は?
と聞かれたハヌマーンが答えます。
身体というレベルでは主と使いの関係です。
個人というレベルでは友達のような同等の関係です。
そして本質的には、私はラーマ自身です。
伝えられるべき事が伝わり続けている先生と生徒の代々続く流れを「伝統」と呼びます。

正しい伝統を受け継ぐ先生のところに行かなければ、

大学で何十年勉強しても、ヒマラヤの山奥で何十年修行しても、理解出来ません。

「理解は出来たけど、体験しなきゃ」というのは理解出来ていない証拠です。


次回は、同じ動詞の原型から派生した「バクタ」という単語と、

さらに、「バジャ・ゴーヴィンダン」の解説もしますね。



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一緒にいるだけで、自分を正しい方向へ、成長の方向へ、
明るい知識へと導いてくれる、大切な人々との繋がりを、
サットサンガと言います。









>> 次回 56.バクタ(भक्तः [bhaktaḥ])>>

バクティを持っている人がバクタです。

既存の「神様」の定義の問題点にも迫ります。