2014年3月27日木曜日

サンスクリット/ローマ字 対応表 (母音編)

デーヴァナーガリー(サンスクリットの表記のひとつ)/ローマ字 対応表 (母音編)


デーヴァナーガリー
ローマ字表記
(IAST式)
a
i
u
e
o


参考図書: わかりやすいサンスクリット語の発音と表記 
(音源はダウンロード出来ます)

サンスクリットの母音の数は9個、または13個と言えます。

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シンプルな母音が5つ अ, इ, उ, ऋ, ऌ

それらの長音が4つ  आ, ई, ऊ, ॠ (ऌの長音は無し)

複雑な母音が4つ  ए, ओ, ऐ, औ

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ちなみに、便利なサンスクリットの文字の練習帳を作りました。
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5つのシンプルな母音と、4つの複雑な母音を足したら、9個、

それに、長音も足して数えたら、13個になります。

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2014年3月26日水曜日

サンスクリット/ローマ字 対応表 (子音編)

デーヴァナーガリー(サンスクリット表記)/ローマ字(ISAT)対応表


ख्    kh
ग्   g
घ्   gh
ङ्   

ह्    h
च्   c
छ्    ch
ज्   j
झ्   jh
ञ्   ñ
य्   y
श्    ś
ट्   
ठ्    ṭh
ड्   
ढ्   ḍh
ण्   
र्    r
ष्    
त्   t
थ्    th
द्   d
ध्   dh
न्   n
ल्   l
स्   s
प्   p
फ्   ph
ब्   b
भ्   bh
म्   m
व्   v



サンスクリットの子音は何個でしょう?

上の表を使って数えてみると、、、

左から、5列 X 5段 = 25個
6列目 (半母音)     =  4個
7列目(湯気のような音) =  4個
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合計            = 33個   ですね。


このテーブルの並びは、音声学的に並べられています。

詳しくは、わかりやすいサンスクリット語の発音と表記を参照してください。

サンスクリットの文字の練習帳もあります。


では、子音と母音をくっつけてみましょう

  >> サンスクリット/ローマ字 対応表(子音+母音)>>

<< サンスクリット/ローマ字 対応表 (母音編)

2014年3月25日火曜日

サンスクリット/ローマ字 対応表(子音+母音)

母音編で、サンスクリットの母音は9個あるいは13個あると学びました。

ということは、それぞれの子音には、13通りの組み合わせがあるということですね。

子音の表の、一番最初の音、क् [k] の音を例にして、見てみましょう。


1.क् [k] + अ [a] = क [ka]

2.क् [k] + आ [ā] = का [ā]

3.क् [k] + इ [i] = कि [ki]

4.क् [k] + ई [kī] = की [kī]

5.क् [k] + उ [u] = कु [ku]

6.क् [k] + ऊ [ū] = कू [kū]

7.क् [k] + ऋ [] = कृ []

8.क् [k] + ॠ [] = कॄ [k]

9.क् [k] + ऌ [] = कॢ [k]

10.क् [k] + ए [e] = के [ke]

11.क् [k] + ओ [o] = को [ko]

12.क् [k] + ऐ [ai] = कै [kai]

13.क् [k] + औ [au] = कौ [kau]

2014年3月19日水曜日

21.カター(कथा [kathā])- お話、特にラーマーヤナやバーガヴァタなどの、歴史や教訓を含んだ伝統的な話

कथा 
[kathā] 


feminine - お話、特にラーマーヤナやバーガヴァタなどの、歴史や教訓を含んだ伝統的な話




いままでに、母音から始まる言葉を20個学びました。

これからは、子音から始まる言葉を見て行きます。

クリシュナのお話は、カターで大人気。
歌や演奏と共に、聴衆に公演されます。

カターの語源


कथा [kathā] (カター)という言葉は、

कथ् [kath] = 「話す」という、動詞の原形から出来た言葉です。


一般的にインドで、कथा [kathā] (カター)と言うと、単なるお話ではなく、

大きなホールで数日間かけて催される、クラシック音楽隊を引き連れた公演会を指します。

ラーマーヤナなどの宗教的な物語を、ヴィヴィッドに朗誦するのは、

カター(お話を)カーラ(する人)と呼ばれ、人気を集めます。

人々も、ヴェーダーンタとか難しい話はちょっと。。。だけど、

カターなら、聞きやすいし、音楽もあるし、

面白い話がタダで聴けて(インドのこういった催しは必ず無料)、

宗教的にもクリーンな気分にさせてくれるので、

カターの公演に通う事は、とても良い事だと考えられています。

インドのみならず、世界中でकथा [kathā] (カター)を上演する、超有名なカターカーラもいます。

一回の公演は数時間にも及び、単にカリスマがあるだけではなく、

精神的、宗教的、肉体的、知能的に高い能力が要求されます。


ベイビー・クリシュナのお話も、カターの人気アイテムです。

天国に行っても、比較、嫉妬は変わらない


そんなカターカーラに関して、プージャ・スワミジが良くするお話を紹介します。

題して、「デリーのパットパット・ワラ(オートリキシャの運転手)」

デリーでとても人気のある、カターカーラがいました。

彼は、バーガヴァタ(インドの伝統的叙事詩のひとつ)のカターをするのがとてもうまく、

毎週毎週、何千、何万という人々に、ヒンドゥーの神々の話を聞かせて来ました。

「こんなに多くの人々に神様の話をするという善い行いをしているのだから、

俺は死んだ後、絶対にトップクラスのスワルガ(天国)に行くはずだ!」

という彼の確信の通り、このカターカーラは、死後にとても素敵なスワルガに行きました。

スワルガでは、大きな豪邸があてがわれて、上機嫌。

しかし、彼のお隣さんは、その数倍の大きさの、超大豪邸。

誰が住んでいるのか気になって調べてみると、なんと、その超大豪邸の住人は、

デリーのパットパット・ワラ(オートリキシャの運転手)!

「なんでこんな奴がスワルガに来て、しかも俺よりいい家に住んでいるんだ!?」

カターカーラはとても理不尽な思いに苛まれます。

理由を突き止めてみると、真実はこうでした。

デリーの大混乱の渋滞の中を荒い運転で切り抜けるパットパット・ワラは、

乗客に、常に神々の名前を思い出させ、心の底から神々に感謝させて来たのでした。

それが善行として認められ、天国に来たのでした。


このお話のターッパリヤ(要点)は、

天国だろうと何だろうと、経験的快楽/幸せの、

सातिशयत्वम् [sātiśayatvam](絶対的でない事、相対的である事)

= स(ह) [sa(ha)] (~がある)+ अतिशय [atiśaya](もっと良い事)+ त्व [tva](ステータス)

です。

生きている間に、物質や人間関係、瞑想などで、どんなによい経験をしても、

たとえ死んでから天国に行って、この世で味わえない経験をしても、

経験は経験、相対的なものであって、必ず終わりは来るし、

「最高!」と思っても、それよりももっと良い経験の可能性はある。

ここでも、天国でも、周りと比べて惨めになったり嫉妬したり、

そして時間が来れば終わってしまう。

程度は違えど、経験と言うものの本質は変わりませんよ、と言う事。

そもそも経験というものは、相対、UPアンドDownの範囲内であって、

絶対的幸せというものは、経験の範囲ではない、という事実を、

世界を見渡して、自分でしっかり見極める為のお話です。



<< 前回の単語 20.औष्ण्यम् [auṣṇyam] - アウシュニャ <<

熱いと言う意味のサンスクリット語です。


>> 次回の単語 22.कमलम् [kamalam] - カマラ >>

蓮の花という意味のサンスクリット語です。

20.アウシュニャ(औष्ण्यम् [auṣṇyam])- 熱、暑さ

औष्ण्यम् 
[auṣṇyam] 

neuter - 熱、暑さ





この言葉も、ऐश्वर्यम् [aiśvaryam] - アイシュワリヤ と同じように、

名詞から派生した言葉です。

もとの名詞は、उष्ण [uṣṇa] (ウシュナ)と言って、「暑い、熱い」という意味です。

そこに、「ष्यञ् [ṣyañ] 」(~である事)という接尾語が付いて、

औष्ण्यम् [auṣṇyam] - アウシュニャ、という言葉に成るのです。

縦書き筆算で見てみましょう。

उष्ण [uṣṇa]  + ष्यञ् [ṣyañ]
(熱い)   (という事)
उष्ण [uṣṇa]  + य [ya]                     まず、接尾語の記号が落ちる。
औष्ण [auṣṇa] + य [ya]                     そして、名詞の最初の母音がヴリッディに変わる。
औष्ण् [auṣṇ]   + य [ya]                     名詞の最後の母音が落ちる。

औष्ण्य [auṣṇya]                                        アウシュニャの出来上がり。

 **「ヴリッディ」とは**


आ [ā], ऐ [ai], औ [au] の3つの音です。

元の形であるउष्ण [uṣṇa] の उ [u] は、唇(オーシュタ)から発音される「オーシュティヤ」の音です。

3つあるヴリッディの音の中で、

喉(カンタ)と、唇(オーシュタ)とを使って発音される「カンタ・オーシュティア」である、

औ [au](アウ)の音が一番近いので、

 उ [u] が、औ [au] に変わるのです。

   ******

「ष्यञ् [ṣyañ] 」(~である事)という接尾語で終わっている単語は全て、中性名詞と決まっているので、

औष्ण्य [auṣṇya]  (アウシュニャ)の活用は、

औष्ण्यम् [auṣṇyam], औष्ण्ये [auṣṇye], औष्ण्यानि [auṣṇyāni]、、、

となります。

火(アグニ)の特徴は、光(テージャス)と熱(アウシュニャ)

という風に使うことが出来ます。



<< 前回の言葉 19.औषधी - [auṣadhī] アウシャディー <<

薬草、ハーブ、野菜、食べ物という意味のサンスクリット語です。

アヒムサー、ヴェジタリアンについても説明します。





>> 次回の言葉 21.कथा [kathā] - カター >>

お話という意味のサンスクリット語です。

2014年3月17日月曜日

パラマートマーナンダ・スワミジによるリシケシキャンプのご報告

नमस्ते [namaste]
ナマステー。


先月からリシケシのダヤーナンダ・アシュラムに滞在しながら、

ヴェーダーンタ・リトリートで参加しているので、アップデートがゆっくりになっています。


パラマートマーナンダ・スワミジ


今回ヴェーダーンタを教えられている先生は、2010年に日本に来られた、

パラマートマーナンダ・スワミジです。

博学さ、優しさ、そしてダルマに対するトータルなコミットメントは、

プージャ・スワミジの生き写しそのままのスワミジです。

笑顔が素敵。
パラマートマーナンダ・スワミジは、
日本人生徒をいつも気にかけてくれるし、
日本人生徒からもとても慕われている。

毎年リシケシで、1ヶ月間、1週間ごとに、4つの文献を題材にして、

スワミジが一般の人々に、ヴェーダーンタの教えるヴィジョンを教えてくれます。

私が始めて参加したのは2008年でした。

今回は、日本から来ているのヴェーダーンタの生徒さんたちの為に、

「振り返り」と題して、毎日その日の講義のまとめを解説させてもらっています。

3年コースでも、日本人のみならずインド人や外国人生徒達の為に、

毎日この「振り返り」をやってきたのですが、

今回のキャンプの生徒さん達の知識の吸収力は、3年コースの生徒さんたちと変わらず、

スルスルと理解してくれている事に、驚きと嬉しさを感じています。


キャンプの終わりの式典で、
サンスクリット・ティーチャートして、
花輪などを授与していただきました。

また、パラマートマーナンダ・スワミジの指示により、キャンプ参加者の為に、

サンスクリット語とチャンティングを教えています。

サンスクリット語のクラスでは、今回リリースした本を使って、

サンスクリット語のアルファベットを教えるように言われたのですが、

生徒さん達の、旺盛な知識欲と、多大な知的キャパシティーに応えて、

アルファベットに留まらず、一般に「高度」と言われる文法も説明させてもらっています。

理解が広がる事で、サンスクリットに対する、さらなる興味やつながりを感じてもらえたら、

と願っています。

ヨーガ・スートラを主題とした第4キャンプのグループ写真
チャンティングのクラスでも、シュローカの意味や、音のつながりのルールなどを

沢山説明させてもらっています。

乾いた砂が、水をスルスルと吸収するように、生徒さん達もグングン学ばれています。

スワミジの元で、それのお手伝いが出来る事は、とても光栄な事です。

このように、リシケシでも、先生達への感謝の気持ちに恵まれた毎日を送っています。

नमस्ते [namaste] ナマステー。

集合写真待ちでお喋り


<< 19.औषधी - [auṣadhī] アウシャディー

薬草、ハーブ、食べ物という意味のサンスクリット語です。









2014年3月16日日曜日

19.アウシャディ(औषधिः - [auṣadhiḥ])- 植物、薬、ハーブ、食物

औषधिः
[auṣadhiḥ]

feminine - 植物、薬、ハーブ、食物



ओषधिः [oṣadhiḥ](オーシャディ)と、औषधिः [auṣadhiḥ](アウシャディ)は、

音も似ていますが、意味も殆ど同じです。

辞書の意味では、植物や薬草を指しますが、

ヴェーダーンタの文献を見てみると、、、

単なる植物と言うよりは、「食べ物」の意味合いで使われています。



タイッティリーヤ・ウパニシャッド


तस्माद्वा एतस्मादात्मन आकशः सम्भूतः ।
tasmādvā etasmādātmana ākaśaḥ sambhūtaḥ |
その(ブランマン)から、アートマンから、アーカーシャ(空間)が生まれた。

आकाशाद् वायुः ।
ākāśād vāyuḥ |
アーカーシャからヴァーユ(風)。

वायोरगुनिः ।
vāyoraguniḥ |
ヴァーユからアグニ(火)

अग्नेरापः ।
agnerāpaḥ |
アグニからアプ(水)。

अद्भ्यः पृथिवी ।
adbhyaḥ pṛthivī |
アプからプリティヴィー(土)。

पृथिव्या ओषधयः ।
pṛthivyā oṣadhayaḥ |
プリティヴィーからオーシャディ(植物)。

ओषधीभ्योऽन्नम् ।
oṣadhībhyo'nnam |
オーシャディから人間の元。

अन्नात् पुरुषः ।
annāt puruṣaḥ |
人間の元から人間。

このことから分かるように、ヴェーダでは、人間の食べ物は、植物、

すなわちヴェジタリアンと決まっています。

アヒムサー(非暴力)が、人間としての、最も重要な価値観である時、

生きていく為に発生するヒムサー(環境に与える痛みや負担)を最小限にしようとするのは当然です。

北極や砂漠地帯などの極端な環境にいない限り、

食べ物に関して一番環境に負担が少ないのは、植物性の食べ物なのですから、

ヴェーダが、植物を食べ物として紹介しているのも当然です。

人間が幸せに生きる為のマニュアルであるヴェーダは、「肉を食べるな」と、はっきりと教えています。


ヴェジタリアンという、アヒムサーの選択


「ヴェジタリアン」と言ったとたん、「ノン・ヴェジタリアン」の人が、

拒絶や叱責を感じてしまうのは当然です。

ここでは、「ノン・ヴェジタリアン」をしている人間や人格を批判しているのではなく、

全ての人間が持っている、「考え」に対する怠惰さを批判しているのです。

「何を食べるか」という、重大な責任のある選択権を、

利益追求を優先するコマーシャルなプロパガンダに、みすみすと明け渡してしまっている、

という事実を明らかにしようとしているのです。


しかし、なぜ、アヒムサー(非暴力)が、人間としての、最も重要な価値なのでしょうか?

あらゆる生き物は、植物でも、動物でも、人間でも、誰でも、

他から傷つけられることを望みません。

この事実を、誰にも教えられずに、生まれた時から知っているのは人間だけです。

人間を人間たらしめているのは、この先天的な知識です。

この先天的な知識が土台となって、他者の痛みに共感できる優しさ、すなわち心の成長があるのです。

しかし、この大事な知識 -「自分が傷つけられたくないと思うのと同じように、

どんな生き物だって傷つけられるのは嫌なのだ」- という知識は、

コマーシャルや教育、習慣によって、覆い隠されてしまいます。

自分の快楽や便宜さの為に、他者を傷つけることに鈍感になってしまうのです。

周りに、不必要に痛みや負担をかけて、さらにそれに対して鈍感であることが、

すなわち人間としての幼稚さ、小ささなのです。

少し立ち止まって、考えたり、観察したりすると、

今まで肉食をしていたのは、あまりちゃんと考えていなかった結果であることが見えてきます。



バガヴァッド・ギーターでも、ヴェーダと同じことが言われています。

15章では、バガヴァーンが「全ては私である」と教えています。

「食べ物は私、食べる人も私、消化の力も私」と説明している中で、

पुष्णामि चौषधीः सर्वाः सोमो भूत्वा रसात्मकः॥
puṣṇāmi cauṣadhīḥ sarvāḥ somo bhūtvā rasātmakaḥ||

と、食べ物は、植物=औषधी - [auṣadhī] アウシャディーとして登場しています。


食べるという行為は、宇宙と自分の体との、物理的で直接的な関わりです。

空気を吸うときは、どのような空気を吸うかは自分で決められませんが、

どのような食べ物を食べるかにおいては、Freewill=自由意志が使えます。

日本の食生活のコマーシャルなあり方に流されるがままに、肉食をしているのは、

自由意志が、自由ではない証拠です。

自分の頭で「正しく」考えることにより、

自分の意志を、考えの足らない習慣の束縛からの解放、

すなわち自由にしてあげられるのです。


<< 前回の言葉 18.ऐश्वर्यम् [aiśvaryam] - アイシュワリヤ <<

>> 次回の言葉 20.औष्ण्यम् [auṣṇyam] - アウシュニャ >>


補足:

ヴェジタリアンと言うと、

「禁欲的で美味しいものは食べられない」というイメージがありますが、

それは間違いです。

特にインド料理は、スパイスが利いていて美味しいので、

ヴェジタリアンだと言わない限り気が付かれません。

日本でも本場の、ピュア・ヴェジの食料品が手に入ります。

http://www.ambikajapan.com/
インドで一般的なヴェジマークを、日本でも広めたいです。


マクロビのような、玄米と海草、豆類、野菜といった日本食もいいですね。

エコヴェジ」が日本に広まれば、と願っています。

まずは、一日のうちで一食を菜食にするだけでも、エコ効果があります。

意外ですが、菜食にするだけで、家庭でも産業でも、節電に貢献できるのですよ。




2014年3月2日日曜日

18.アイシュワリヤ(ऐश्वर्यम् [aiśvaryam])- 権力者であること

ऐश्वर्यम्
[aiśvaryam]


neuter - 権力者であること






アイシュワリヤの語源


前回のऐक्यम् [aikyam] アイキャ と同じように派生した言葉です。

「ईश्वर [īśvara] イーシュワラ」(権力者)という言葉に、

「ष्यञ् [ṣyañ] 」(~である事)という接尾語が付いて、

ऐश्वर्य [aiśvarya] (アイシュワリヤ)になります。

「ष्यञ् [ṣyañ] 」(~である事)という接尾語で終わる言葉は、

中性名詞と決まっているので、

ऐश्वर्यम्, ऐश्वर्ये, ऐश्वर्याणि ... と中性名詞の活用をします。


アイシュワリヤの意味


「ईश्वर [īśvara] イーシュワラ」という言葉の意味は、前に勉強しましたが、

それに(~である事)という接尾語が付くと、どのように使われるのでしょうか。


バガヴァーンとは


「バガヴァーン」の定義に、ऐश्वर्य [aiśvarya] (アイシュワリヤ)が出てきます。

バガヴァーンとは、文字通りに解釈すると、”「バガ」を持っている者”となります。

では、その「バガ」とは何ぞや?という事になりますね。

「バガ」の意味とは、、、

その1:

ऐश्वर्यस्य समग्रस्य धर्मस्य यशसः श्रियः ।
ज्ञानवैराग्ययोश्चैव षण्णां भग इतीरणा ॥
aiśvaryasya samagrasya dharmasya yaśasaḥ śriyaḥ |
jñānavairāgyayoścaiva ṣaṇṇāṃ bhaga itīraṇā ||

この宇宙にある全ての、そして絶対的な、以下の6つの要素のことを「バガ」と呼びます。
  1. ऐश्वर्यम् [aiśvarya] (アイシュワリヤ)・・・ 絶対的な統治/コントロールする力
  2. धर्मः [dharmaḥ](ダルマ)・・・ 全ての秩序
  3. यशः [yaśaḥ](ヤシャス)・・・ 全ての名声
  4. श्रीः [śrīḥ](シュリー)・・・ 全ての富
  5. ज्ञानम् [jñānam] (ニャーナ)・・・ 全ての知識
  6. वैराग्यम् [vairāgyam](ヴァイラーギャ)・・・ 絶対的公平
「全て」そして「絶対的レベル」は、壮大過ぎて把握出来無い感じがするので、

「個人レベル」から、この6つを見てみましょう。

  1. ऐश्वर्यम् [aiśvarya] (アイシュワリヤ)・・・統治/コントロールする力
個人の場合で考えると、目の前に歩いている小さなアリンコさんに対して、私達は、アイシュワリヤを持っています。

しかし、アリンコさんが、耳の中に入ってしまうと、私達にはもう、アイシュワリヤはありません。

このアイシュワリヤを、絶対的レベルで有しているもの ― それは全体であり、法則そのものでしか有り得ません。

     2. धर्मः [dharmaḥ](ダルマ)・・・ 秩序

サッティヤ(「ルタ」の項を参照)や、アヒムサー(「アウシャディー」の項で紹介予定)といった、価値や態度は、個人の場合だと、個人の限度や状況に応じて、妥協されまてしまいます。

個人の限度が無いのが、全体であり、絶対であるダルマです。

     3. यशः [yaśaḥ](ヤシャス)・・・ 名声

個人の名声は、いろんな意味で限られていますね。その限度が無いのが全体です。

     4. श्रीः [śrīḥ](シュリー)・・・ 富

これに関しては、個人の限度は分かりやすいですね。ここにある全ての富を指して、バガといいます。

    5. ज्ञानम् [jñānam] (ニャーナ)・・・ 知識
  
個人の知識は限られています。この宇宙の表現の全ては知識であり、その知識全体を指して、バガと呼ぶのです。

    6. वैराग्यम् [vairāgyam](ヴァイラーギャ)・・・ 公平

個人とは、沢山の好き嫌い=限度にまみれているので、公平さに欠けます。

全体の場合はその問題がありません。

これら6つの全体、そして絶対的レベルで有しているのが、バガヴァーンです。


その2:

話はぜんぜん変わりますが、南インドのケララ州の家庭の多くでは、

家屋の上部に、ラクシュミーの絵が飾られてあり、そこには、

「この家は、ラクシュミーのアイシュワリヤによって成り立っています」

と書かれているそうです。

伝統的なインドの文化では、結婚生活や、家庭を守っていく上で、

祈りの姿勢、つまりは「グレース」を認識する姿勢が、強調されています。

これも、家族や社会が、個人の為にうまく機能するための、ヴェーダ文化の智恵なのです。

結婚関係や家族関係が、

"個人の熱情や欲求を満たす事を目的とした関係”

ではなく、

"幸せを与えあいながら、成長できる関係”

として認識するには、ある程度の自分や世界についての理解が必要です。

自分は本当は何を求めているのか?

人間としての本当のゴールとは

世界は、私に対して、何の為にあるのか?

などの理解です。

どんな人間関係でも、そこに幸せや安定を探しているうちは、

いい気分と、がっかりした気分を交互に味わい続けるしかありません。


個人、宇宙全体の認識、祈り


「世界全体」という、もっと大きなヴィジョンを持つ為に、「祈り」があります。

大きなヴィジョンを持ちながら、人間関係を築く時、そこには、

責任感があり、宇宙全体に対する信頼感があり、

本当の意味での、心の平和があります。


このような祈りを思い出させてくれるような習慣が、

家庭の中で代々伝わっている文化は素晴らしいです。

この文化がこれからも伝わりますように。


== ऐश्वर्यम् [aiśvaryam] - アイシュワリヤ  が使われている文献 ==

ダクシナームールティ・ストートラム 最終節
सर्वात्मत्वमहाविभूतिसहितं स्यादीश्वरत्वं स्वतः
सिद्ध्येत् तत्पुनरष्टधा परिणतं चैश्वर्यमव्याहतम् ।
sarvātmatvamahāvibhūtisahitaṃ syādīśvaratvaṃ svataḥ
siddhyet tatpunaraṣṭadhā pariṇataṃ caiśvaryamavyāhatam |

ダクシナームールティ・ストートラムについて、プージャスワミジのレクチャーを元に、
意味だけでなく、文法的詳細を展開した本を書きました。
書き出すと長くなるので、この節の意味はまた今度。。。





<< 前回の言葉 17.ऐक्यम् [aikyam] - アイキャ <<

ひとつであること

   
        

>> 次回 19.アウシャディー औषधी - [auṣadhī] >>

薬草、ハーブ、野菜、食べ物を表すサンスクリットの言葉です。