2014年5月23日金曜日

26.キラナ(किरणः [kiraṇaḥ])- 光線

किरणः 
[kiraṇaḥ] 

masculine - 光線 





インド男性の一般的な名前のひとつです。

太陽や月から降りてくる光の筋、という感じです。

この言葉は、ヴェーダーンタの文献の中には頻繁にみられませんが、

アドヴァイタ・マカランダという、ヴェーダーンタのエッセンスを詞的に表した本の冒頭で、

とても美しい詩節の中に登場します。


कटाक्षकिरणाचान्तनमन्मोहाब्धये नमः।
kaṭākṣakiraṇācāntanamanmohābdhaye namaḥ |

अनन्तानन्दकृष्णाय जगन्मङ्गलमूर्तये॥१॥
anantānandakṛṣṇāya jaganmaṅgalamūrtaye ||1||



とても大きな複合語(サマーサ)の中に、किरणः [kiraṇaḥ] 「キラナ」という今日の言葉が使われています。

詩節の最初の複合語、[kaṭākṣakiraṇācāntanamanmohābdhaye]には、

6つの単語が含まれています。

[kaṭākṣa]  (クリシュナの)目の片隅 
[kiraṇa] 光線
[ācānta] 干上がった
[namat] (クリシュナを)認識している人達
[moha] 混乱
[abdhi] 海

複合語の中で使われている言葉は、それぞれに意味的なつながりを持っている必要があります。

これらの言葉が互いにどのように関わっているのでしょうか。


「(クリシュナの)目の片隅」”の”「光線」

クリシュナの目から光線が放っている、とすると、その端っこの部分です。

まっすぐに直視しているのではなく、焦点はどこか別の場所にあって、

やっと視界に入っている、といった感じです。

クリシュナのGrace(恩恵)を受けるのには、

真正面にいなくても、端っこにいても受けられるということです。


「(クリシュナの)目の片隅の光線」”によって”「干上がった」

そんな、片隅からのわずかな光線でも、何かを完全に干上がらせることが出来るのですね。

何が干上がるのでしょうか。


「混乱」”の”「海」

混乱とは、無知とか、間違った認識です。

例えば、薄暗い場所で、ロープをヘビと見間違えて、叫びながら逃げたり、

朝焼けの浜辺で、貝殻を硬貨と見間違えて、喜んで拾ってみたり、

ロープや貝殻に対する無知から来る、ヘビや硬貨と言う勘違いです。

人生そんなことだらけで、喜んだり悲しんだりしながら、

あちこち飛び回って一生の時間が終わります。

こんな混乱の中でアップアップしているところから、「混乱の海」と言われるのです。


「(クリシュナを)認識している人達」”の”「混乱の海」

クリシュナを認識している、とはどういう意味でしょうか。

クリシュナとは、ここでは「イーシュワラ」を指します。

世界にある、無数の対象物について、

見たり感じたり出来る部分だけを理解しているのではなく、

それらの存在が可能になっている原因、それらを支えている原因に対しても

その存在を認識し、理解に努めている人達を、

「クリシュナ(イーシュワラ)を認識している人達」と呼びます。


「混乱の海」は、全ての人間に例外なくあるものです。

その中でも、「クリシュナ(イーシュワラ)を認識している人達」の「混乱の海」は、

どのようになるのでしょうか?


「(クリシュナを)認識している人達の混乱の海」”は”「(クリシュナの)”目の片隅の光線によって干上がった」

混乱の海が干上がるとは、どういうことでしょうか。

毎日のアップアップな世界が丸ごと無くなってのでしょうか。

そんなことはありません。世界は存在し続けます。

しかし、その人の世界の理解、現実の理解が、混乱から正しい理解へと正された時、

世界に対する混乱の海が干上がった、という表現になるのです。

なぜそこに、クリシュナが登場する必要があるのでしょうか?

他の神様ではだめなのでしょうか?

世界を正しく理解する為だけなら、ある程度の認識能力さえあればいいのではないのでしょうか?

クリシュナとは、イーシュワラのこと。

イーシュワラとは、この世界の全てのことです。

God@heaven.comのような、天国のどこかで座っていて、

あなたを地獄行きに審判するために待っている、

一個人の神様では、意味がありません。

全てのことである、イーシュワラを認識しない限り、

自分の理解も、自分を含む世界の全ての理解もありえません。

目の前の出来事に完全に捕らわれている近眼なものの見方では、

全てについての正しい理解をすることなど出来ません。

イーシュワラを認識しているゆえに、海を乾かすことが出来る「目の光線」を得られるのです。

「あそこに良いお医者さんがいる」と認識して、そこに行き、

「治してください」と頼んで、初めて、そのお医者さんの恩恵が受けられるのです。


それゆえに、「クリシュナ(イーシュワラ)を認識している人達」のみの、「混乱の海」が、

「(クリシュナの)”目の片隅の光線によって干上る」のですね。

そして、「干上がる」とは、「もともと海なんて無かった」ということが解かることだけなのです。





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何?という意味のサンスクリット語の疑問詞、代名詞です。






 

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2014年5月22日木曜日

25.キム(किम् [kim])- 何

किम्
[kim] 

neuter - 何



このサイトのラベル分けでは、中性名詞としましたが、

किम् [kim] - キム という名詞は、ありとあらゆる形に七変化します。


1.不活用名詞として、活用せずに使う 


किम् [kim] - キム という、活用しない形で肯定文の中で使われると、

「?」が付いた、疑問文になります。

किं त्वं गच्छसि। [kiṃ tvaṃ gacchasi|]  君、行くの?


2.疑問代名詞として、3つの性で活用して使う 


疑問の対象となる名詞の性に合わせて、さらに格と数にも合わせて使います。

=男性形の活用例=

सः 1/1 कः 1/1 [saḥ kaḥ] 彼は誰?

रामः  1/1 कान् 2/1 वदति III/1 [rāmaḥ kān vadati] ラーマは誰に話しているの?

रामः केन गच्छति [rāmaḥ kena gacchati] ラーマは誰と行くの?

=女性形の活用例=

सा 1/1  का 1/1 [sā kā] 彼女は誰?

रामः 1/1  कया 3/1 गच्छति III/1 [rāmaḥ kayā gacchati] ラーマは誰(女性)と行くの?

=中性形の活用例=

तत् 1/1 किम् 1/1 [tat kim ] あれは何?

कानि 1/3 फलानि 1/3 [kāni phalāni] 何の果物(複数)ですか?



3.複合語(サマーサ)にして使う



疑問詞を複合語にするなんて、英語や他のインドの言語でさえも、考えられない事だから、

インド人にも、外国人にも、これを教えるのには、ちょっと苦労と時間が必要なのです。

さすが、サンスクリットならでは!と思いきや、、、

日本語にも、「其奴、何奴?」とか「お前、何者?」などという、

疑問詞が含まれた複合語ありました!

日本語の場合だと、「何」と「奴」とか「者」は同格で解かり易いですね。

サンスクリット語の場合だと、

त्वं किमभिधानोऽसि । [tvaṃ kimabhidhāno'si]

意訳だと、「あなたの名前は何ですか?」
直訳だと、「あなたは、あなたの名前は何か、という人です。」

となります。

以下のふたつの言葉が複合語になっています。

1.किम् [kim]  何

2.अभिधानम् [abhidhānam] 名前

ふたつ併せると、「その人の名前は何?と言う人」という複合語になるのです。

日本語で書くとなんとなくチンプンカンプンですが、

英語もしくはサンスクリット語で書くともうちょっとすっきりします。

英語:The one whose name is "what"

サンスクリット語: किम् अभिधानं यस्य सः  किमभिधानः (बहुव्रीहिसमासः)

になります。


== किम् [kim] - キム が使われている文献 ==

バガヴァッド・ギーター4章16節

किं कर्म किमकर्मेति कवयोऽप्यत्र मोहिताः ।
तत्ते कर्म प्रवक्ष्यामि यज्ज्ञात्वा मोक्ष्यसेऽशुभात् ॥ ४.१६॥
kiṃ karma kimakarmeti kavayo'pyatra mohitāḥ |
tatte karma pravakṣyāmi yajjñātvā mokṣyase'śubhāt || 4.16||

何(kiṃ)がカルマ(行い)で、何(kiṃ)がアカルマ(行いの無い事)なのか、
詩人(知識層の人々)でさえも、このことについて混乱している。
それを知ったら、サムサーラから自由になるという、
そのカルマというものを、あなた(アルジュナ)に教えましょう。






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時間という、とても深い意味のサンスクリット語です。
ヤマという死神のお話、そして永遠について考えます

   
 

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