2015年2月19日木曜日

「ハリオ~ム」は「ハリヒ・オーム」

今日のプージャスワミジのクラスで浮上したトピック、「ハリオーム」を、

サンスクリット語は発音が大事!シリーズ第2回として紹介しますね。


リシケシを始め、インド中のヨーガ界、スピリチュアル界のいたるところで耳にする、

「ハリオーム!」という言葉。


インドでは、アシュラムに出入りする人を中心に、

話す前に「ハリオーム」、話し終わったら「ハリオーム」

道端で人に出会ったら「ハリオーム!」

電話に出るときも「ハリオーム!」

と、いつでもどこでも使えて便利な言葉です。


「ハリ」は神様の名前。「オーム」も同様です。

どちらも神様の名前なので、神様という言葉の意味を知ろうが知るまいが、

一日に何回も口に出して言って、自分や相手の心に神様を持ってくるのは良いことです。

この世界を動かしているのは自分や周りの人間だけじゃない。

お金や権力は、それ以上でもそれ以下の存在でもない。

そんな客観性を持たせてくれるのが、神様の名前です。

主観を通り越した妄信・迷信や、理屈の通らない天国行きをプロモートするような、

そんな神様像を教える宗教は、人間にせっかく与えられた知能を台無しにしてしまいます。

ヒンドゥーの神様とは、本当の意味では、信仰の対象ではなく、理解の対象なのです。

人間として生まれた目的を達成するには正しく論理的に考えられる知性が必要です。

なぜかというと、人間を人間たらしめているのは、論理的に考えられる知性だからです。



ここにあるもの全ての名前が「オーム」で、それが神様なのだから、

宇宙にある全ての名前と意味は「オーム」に包括されています。

ちょうど、日本の神社の入り口にある狛犬の「あ」と「ん」のように。

日本語の最初の「ア」と最後の「ン」の間に全てが存在する。
日本語の50音表も梵語(サンスクリット)が起源だから、
やっぱり全てはインドから来たのだ!(インド人が好きなセリフ)

全ての名前が「オーム」なら、なんでわざわざもう一個の名前、

「ハリヒ」をつけるのでしょうか?

誰かにものを頼むときは、して欲しい仕事の役職の名前でその人を呼びます。

チャイが飲みたい時は「おっちゃん!」ではなく「チャイ屋さ~ん!」と呼ぶように。



「ハリ(हरि [hari])」という言葉の起源は、

हरति पापानि इति हरिः । 「皆のパーパを取り払う者」です。

「取り去る」という意味の「हृ [hṛ]」という動詞の原型から成っています。



パーパとは、うまく行かない状況を作る原因のこと。

その原因は過去に自分がした行為。それが回りまわって自分の身に降りかかる。

自分の置かれている状況とは、過去の結果が直接的・間接的に現われているだけ。

行為の結果に対抗するには、それを中和する行為をとればよい。

直接的な結果を出せる行為だけでは全て手を打ったとは言えない。

間接的な結果を出せる行為もあるなら、そこにも手を打つ。

というのが実用的な人のものの考え方。

因果関係の全てを取り仕切っている、この宇宙の全ての法則が、

バガヴァーンとかイーシュワラとかという名前で呼ばれる神様です。

そんな神様に「勘弁してください。」とお願いするときは、

「ハリ(パーパを取り除く者)」という名前で呼びます。

口に出したり心の中で名前を繰り返したりする「行為」をするのです。

何でも出来る神様(ここに起こる事全てが神様なので)に、

パーパを取り払って欲しいときは、「ハリ」という名前で神様を呼ぶと、

神様という大きな存在が、その人の神様の理解のレベルに合わせて、

小さなものを大きく見せていた主観を取り除いてくれたりしながら平和を運んでくれます。


「हृ [hṛ]」という動詞の原型からの派生語の「ハリ」は、名詞の原型です。

名詞は必ず活用してから使わなければなりません。

シンプルにその名前を言いたいだけの場合は、第一活用型を使います。

「ハリ」はただ唯一なので、単数形ですね。

というわけで、名詞の原型「ハリ」を第一活用型・単数で活用すると、

「ハリヒ(हरिः [hariḥ])」になるんですね。

最後にヴィサルガ(:で表されるHの発音)が付くのです。

このことから、「ハリヒ・オーム」と、ちゃんとヴィサルガをつけて発音しなければならないのです。

ヴィサルガ・サンディは掛かりません。


何で「ハリ」と「オーム」が一緒に使われているのか?

なぜ一緒に使われたときにヴィサルガ・サンディが掛からないのか?

答は、ヴェーダでそのように使われているからです。



なんかサンスクリット語のポリスのようになっていますが、

ちゃんと意味を理解して、正しい発音をしましょう!というのは、

全ての言語に共通する良い習慣です。

難しい言葉を使わなくてもいいから、

自分が今から発する言葉の意味を、ちゃんと知ってから使う。

その為に辞書を引いたり、知識のある人と話し合ったりする。

世の中に溢れている言葉の殆どは、

どこかで聞いた言葉や文章を、意味を確認したり、熟考したりすることなく、

単に復唱しているだけではないか?

自分の言葉もそうなっていないか?と常にチェックしながら生きることは、

自分の考えの整理整頓にもなりますし、

周りの人も、意味の無い言葉に振り回されずに済みます。



長年使ってきた「ハリオ~ム」を、いまさら「ハリヒ・オーム」に変えるのに躊躇している方へ:

確かに「ハリヒ・オーム」はヴァイディカでお堅い感じなので、

ヴェーダのマントラを唱える以外には使わないほうがいいですね。

硬派な方や、サドゥーには「OM」だけで十分です。

カジュアルに、でも神様の名前をいつも!って方にお勧めは、

「ラムラ~ム!」です。そう、ヴィシュヌ・アヴァターラのラーマです。

ラーマのヒンディー訛りが「ラーム」です。




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サンスクリットは発音が大事!「ヨガ」は「ヨーガ」、「ヨギ」は「ヨーギー」、「ヨギーニ」は「ヨーギニー」です。

サンスクリットを習い始めた人に、どうか知って欲しいあれこれ

2015年2月10日火曜日

サンスクリットの正しい発音 (母音編)

サンスクリットは発音が肝心です。

多くの日本人生徒にチャンティングを指導した経験に基づき、
気付いた点を分かりやすく説明をつけてみました。

正しい発音の習得は必ず伝統的訓練を受けた先生から学びましょう。


サンスクリット語の発音表

アルファベットをクリックすると、その音から始まる単語の一覧へリンクします。
デーヴァナーガリー
IAST表記
発音
a
日本語の「あ」と同じ
口を大きく開けて
「あー」と2拍分のばす
i
口角を横にひっぱって「イ」
「イ」を2拍分のばす
u
唇をすぼめて「ウ」
「ウ」を2拍分のばす
唇を動かさずに巻き舌
2拍分のばす
l̥
英語のLの音
e
口角を横にひっぱって
「エー」と2拍分のばす
o
唇をすぼめて
「オー」と2拍分のばす
はっきり「アイ」
はっきり「アウ」

サンスクリット/ローマ字対応表にくっつけたかったけど、
HTMLの表の編集が難しかったので、別表にしました。



サンスクリットの表記文字を勉強するのにも、
良い学習教材が無い!
と常日頃思っていたので、自分で作りました。



スマホやタブレット、PCから
正しい発音の音声と、書き順の動画が確認出来る
電子書籍版も人気です。





サンスクリットは発音が大事!
「ヨガ」は「ヨーガ」、「ヨギ」は「ヨーギー」、
「ヨギーニ」は「ヨーギニー」です。
サンスクリットは発音が大事!第2弾「ハリオ~ム」は「ハリヒ・オーム」

40.カイヴァッリャ(कैवल्यम् [kaivalyam])- 唯一であること、モークシャ、人生のゴール

कैवल्यम् 
[kaivalyam] 

neuter - 唯一であること、モークシャ、人生のゴール




前回の「ケーヴァラ(केवल [kevala] - )」で見た、「唯一の、ただそれだけ」という意味に、

「~であること」「~というステータス」という言葉を作るための接尾語「ष्यञ्」をつけて、

となりまして、「カイヴァッリャ(कैवल्यम् [kaivalyam] )」が出来上がりです。

केवल + ष्यञ्  5.1.123
कैवल + य            7.2.117
कैवल् य                6.4.148


途中の番号が気になる方は、パーニニ文法を勉強してみましょう!

ऐश्वर्यम् [aiśvaryam] - アイシュワリヤ でも同じステップです。


なぜ、唯一であることが、モークシャと呼ばれる、人生のゴールなのでしょうか?

モークシャ(मोक्षः [mokṣaḥ] )とはちなみに、「自由になる」という意味です。

何から「自由になる」のでしょうか?

悲しい自分、苦しい自分、辛い自分、小さい自分、不健康な自分、

楽しくない自分、つまらない自分、こんな自分、あんな自分、、、

そんな自分から解放されたいが為に、物乞いから億万長者まで奔走を続けています。

かといって、「自分」からの自由、というわけではありません。

「自分」の前についている、あれやこれやの「形容詞」からの自由です。

形容するということは、区切りをつけている、つまり限界をつけているということです。

結局のところ、人間誰しも、自分の持っている限界が気に食わない訳です。

じゃあ、それから自由になるには?

ヴェーダは教えます。「あなたは、もともと限界から自由です。」

区切るものが無いから、だからたったひとつ、唯一の存在なのです。

へぇー、それは知らなんだ。そう、自分に対しての無知が原因なのです。

無知を取り除くには?知るしかない。


なぜモークシャにヴェーダーンタが必要なのか?


しかし、なぜヴェーダに教えてもらわないといけないのか?

私達に与えられている情報収集機能は、目鼻口などの五感と、

五感から得られたデータをベースにした推論だけです。

それらは全て、自分以外のことを知るためにあります。

色や形や言葉の意味も、全ては区切りであり限界です。

だから、自分自身の本質は、自分ではどうしても知ることの出来ないように出来ているのです。

とてもシンプルなことですが。

では、ヴェーダの言うことが正しいとして、理解出来れば、

「私はただ唯一の存在です。だから全ての限界から自由です。

だから、”~な自分”から逃げるための奔走から自由です。

今ここにいる自分でない自分になろうとして
行動しを繰り返し、生まれ変わりを続けること、
それが、サムサーラ(輪廻)

つまり、人生のゴールは私であり、それは私であるがゆえに、もう達成されているのです」

と言い切れるのです。

ヴェーダを分かったつもりで、でも理解出来てない人達が、

「分かったから、じゃあ、瞑想に入って、その無限とやらを体験しよう」と言い出すのです。


リミットレスは体験出来ない。理解するしかない。


瞑想して、サマーディや涅槃の境地に入っても、

「境地に入る」こと自体、限界を表しています。

入るということは、以前はそれに入っていなかった、

そしてまたいつかは出る、ということです。

全ての時間と場所に存在を与えているのが無限の存在なのです。

それがあなたなのです。

全く同じ理屈で、天国や地獄も、出たり入ったりの境地に過ぎません。

ハワイも罰ゲームも同じです。


人生を正しく生きれば、心が成長し、考えを歪ませる感情から自由になり、

物事を客観的に観察出来るようになります。

この世やあの世の全ての限界の見極めがついた時、

ヴェーダの言葉「あなたは無限の唯一の存在だ。」を理解するのはたやすい事なのです。


その時、目に見える無数の限界の全てはどうなるのでしょうか。

これをちゃんと教えないのが、中途半端なヴェーダーンタであり、

一般的に現代のヨガ界・スピリチュアル界で氾濫している考え方です。


自分の中にも外にもある限界、全ての現象とその因果関係を、

物理の法則や生物学の法則、心理学の法則など、

寸分の狂いも無い全ての法則の中にあるという理解が先に必要です。

これが、ヴェーダで教えられている、イーシュワラの理解であり、

それは客観的で成長した心の持ち主の世界観なのです。





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優しい月明かりという意味のサンスクリット語の単語です。

2015年2月5日木曜日

サンスクリットは発音が大事!「ヨガ」は「ヨーガ」、「ヨギ」は「ヨーギー」、「ヨギーニ」は「ヨーギニー」です。


サンスクリット語の音声学、文法学は、幾何学模様のように理路整然としてとても美しいんですよ。

サンスクリット語の美しさを鑑賞していただきたく、このコラムを書きました。





現在では「YOGA」は国際共通語になっていて、

それぞれの国の訛りの発音で、その国の言葉して定着していますね。


「ヨガ」も日本語になっているので、日本語としては私は口出ししませんが、

サンスクリット語として発音するとなると、

サンスクリット語の正統文法(パーニニ)を原文で伝統に沿って学び教える立場として、

ヴェーダという言葉から成る知識集合体を研究者として、

ちょっと待った!と言わなければなりません。

なぜなら、サンスクリットの音を発声すること自体が、神聖な行為で、

行為であるがゆえに結果を生むからです。


音自体が結果を生む言語、サンスクリット


サンスクリット語は音を基調とした言語であり、

文字自体に意味を持つ、漢字を使ったような言語ではありません。

その音そのものが結果を生むとされているので、

間違った音で発音すると、不本意な結果を招くとされています。

ヴェーダなどのサンスクリット語で教えられる知識は全て口伝であるゆえに、

サンスクリットの音の純粋さを守る為に、

とても理路整然としたサンスクリット語の音声学(発音の科学)があります。

これは、「シックシャー」という名前で呼ばれる学問で、

ヴェーダの朗唱を学ぶ際に最初に勉強する学問として、

伝統の中で今でも生きて受け継がれています。

タイッティリーヤ・ウパニシャッドも、第一章は

शीक्षां व्याख्यास्यामः । वर्णस्स्वरः । मात्रा बलम् । साम सन्तानः । इत्युक्तश्शीक्षाध्यायः ।
śīkṣāṃ vyākhyāsyāmaḥ | varṇassvaraḥ | mātrā balam | sāma santānaḥ | ityuktaśśīkṣādhyāyaḥ |

で始まりますね。


日本の旧体制サンスクリット語学界の問題


しかし、日本の大学では、「yoga」を「ヨーグ」とヒンディー訛りで教え、

「これが現代風サンスクリットの発音です」と教えているそうです。

それはサンスクリット学者としてはしてはいけない、あり得ないことです。恐ろしい!

さらに、大学の先生が「サンスクリットは今では使われていない!」と豪語しながら、

私に言いがかりをつけて来るという始末もありました。

大学の先生なのに、祈りとしてインド全国で何千年も毎日使われている事実を全く知らない様子でした。

祭司の間で、シックシャーと共に受け継がれている事実など、

そういうことに日本の学界はまったく無知のようです。

日本の従来のサンスクリット研究は、植民地時代の西欧の学者のインド研究を基にしているので、
それが様々な問題の元凶のようです。

それなのに、「我らこそがアカデミックな権威」と威張っているのは、とても危険なことです。


でも、今の時代、インドの伝統知識について学びたければ、そのままインドに行って、

インドの伝統を守る人々から直接学ぶことが出来るのは、本当にありがたいことですね。

私はインドの伝統的な文化を守る人々の中で、

何世紀も途切れなく教え継がれている方法(パーニニ・スートラ)で勉強させてもらっています。

本当に感謝です。。



サンスクリットの母音の発音


母音の長さに関しては、1拍、2拍、3拍の3種類があります。

サンスクリット語の母音の「O」は、2拍の「オー」と3拍の「オーー」しかありません。

日本語や英語のように、1拍の短い「オ」が無いのです。

ゆえに、短い「ヨ(YO)」も在り得ないのですね。


日本語は2拍の母音を「ー」という記号で表しているのを踏まえて、

音声学的な正誤をつけると、

誤:「ヨガ」     正:「ヨーガ」
誤:「ヨギ」     正:「ヨーギー」
誤:「ヨギーニ」  正:「ヨーギニー」

となります。

特に「ヨーギニー」が「ヨギーニ」と全く逆さまのあべこべになっているのは、

サンスクリット語からまず英語のローマ字表記「YOGINI」になって、

その上に、英語などの西洋語の訛りで発音されて、

それが日本語に表記されて、「ヨギーニ」と成ったのでしょう。

サンスクリットの正しい発音表はこちらを参照下さい。



「ヨーガ」、「ヨーギー」、「ヨーギニー」というそれぞれの言葉の形成はどのようになっているのでしょうか。

ひとつずつ見ていきましょう。


「ヨーガ」という言葉の形成


音だけで説明すると、

YUJ + A        動詞の原型 「ユジ(युज् [yuj])」に「ア」という接尾語が付く。

= YOJ + A     U が O に変わる

= YOG + A     J が G に変わる

= YOGA

意味の説明はこちらをご覧ください。



「ヨーギー」という言葉の形成


YOGA + IN     「~を持つ者、~がある人」という意味の接尾語「IN」がついて、

= YOG + IN    後ろに母音が来ると、Aで終わる言葉は、最後のAが落ちます。

= YOGIN        名詞の原型の出来上がり。

YOGIN(ヨーギン)が、主格・単数で活用すると、「ヨーギー」となります。

「I」が伸びて、最後の「N」が落ちるのですね。



「ヨーギ二ー」という言葉の形成


先ほど作った、YOGIN(ヨーギン)という言葉を、女性形にする場合、

最後に「Ī (イー)」という長母音の接尾語が付きます。

 YOGIN + Ī

=  YOGINĪ (ヨーギニー)


言葉の形成を知ると、その言葉をより深く鑑賞し、さらに正しく覚えやすくなりますね。

文法好きな人の為に、一番下に詳しい説明を載せておきますね。



第2弾 「ハリオ~ム」は「ハリヒ・オーム」
サンスクリットは発音が大事!第2弾 
「ハリオ~ム」は「ハリヒ・オーム」
サンスクリットを習い始めた人に、どうか知って欲しいあれこれ


文法好きな人の為に:

युज् + घञ्      घञ् is suffixed by 3.3.18 भावे । to make an abstract noun,
                      or by 3.3.19 अकर्तरि च कारके संज्ञायाम् ।, in other sense.
                      घञ् is an आर्धधातुकप्रत्यय by 3.4.114 आर्धधातुकं शेषः ।
                      घ् is इत् by 1.3.8 लशक्वतद्धिते ।, ञ् is इत् by 1.3.3 हलन्त्यम् ।
युज् + अ        अनुबन्धलोप by 1.3.9 तस्य लोपः ।
योज् + अ        Since घञ् is an आर्धधातुकप्रत्यय, गुण takes place on the penultimate short इक्
                      by 7.3.86 पुगन्तलघूपधस्य च ।
योग् + अ        Because घञ् has घ् as इत् letter, ज् becomes कवर्ग by 7.3.52 चजोः कु घिण्ण्यतोः।
योग               घञ्-ending word is masculine. Thus it declines like राम. i.e. योगः, योगौ, योगाः, etc.


योग + इनिँ    इनिँ is suffixed after अ-ending nominal base in the sense of "one who has ~"
                      by 5.2.115 अत इनिठनौ ।
                      इँ is इत् by 1.3.2 उपदेशेऽजनुनासिक इत् ।
योग + इन्      अनुबन्धलोप by 1.3.9 तस्य लोपः ।
                      The stem "योग" gets भ-संज्ञा by 1.4.18 यचि भम् ।
योग् + इन्      अवर्ण/इवर्ण-ending भ-stem loses its ending by 6.4.148 यस्येति च ।
योगिन्            इनिँ-ending word can be any gender.
                      When it declines in masculine, योगी, योगिनौ, योगिनः, etc.


योगिन् + ङीप्    ङीप् is suffixed to make a feminine word out of "yogin", a न्-ending stem
                        by 4.1.5 ऋन्नेभ्यो ङीप् ।
                        ङ् is इत् by 1.3.8 लशक्वतद्धिते ।, प् is इत् by 1.3.3 हलन्त्यम् ।
योगिन् + ई      अनुबन्धलोप by 1.3.9 तस्य लोपः ।
योगिनी            It declines like नदी; योगिनी, योगिन्यौ, योगिन्यः,  etc.


(上記の計算式のようなものは、パーニニ文法といわれるメタ言語システムを使って、サンスクリット語の派生を分かりやすく説明したものです。2千年以上に渡って、インドの学者やサドゥー達によって受け継がれてきた知識です。私もリシケシのガンジス川沿いの藁葺小屋で、サドゥー達からこれを学びました。)
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