2016年10月18日火曜日

新刊『サンスクリットの祈りの詩節集』 を発刊しました

インドのアシュラムや家庭で日常的にチャンティング(朗唱)されている

数々のサンスクリットの祈りの詩節(シュローカ)の中から、

著者が日本の読者に向けて選んで集め、

サンスクリットの原文から日本語訳と解説を付けました。
 
http://amzn.to/2dG8big
音源はGoogleDriveまたはSoundCloudからダウンロードできます。

従来の混乱した認識・手垢のついた陳腐な専門用語は意識して使用せず、

読者に腑に落ちて理解してもらうための簡潔・適格な日本語に訳すように努めました。

インド悠久の智慧の言葉は、単に気分を良くするためにあるのではなく、

自分の存在の意味として、理解するためにあるからです。


10月11日のヴィジャヤ・ダシャミーという吉日に、
新刊『サンスクリットの祈りの詩節集』 のKindle版を発刊し、
紙の書籍版『サンスクリットの祈りの詩節集』(白黒・カラー)の入稿を済ませ、
アマゾンでの発売が始まりましたのでお知らせします。


Kindle版には、音源あり音源無しの両方がありますが、
どちらを選ぶべきかは、こちらを参考にしてください。

1.サンカタ・ナーシャナ・ガネーシャ・ストートラム
2.ガネーシャ・ストートラム
3.ハヌマット・スタヴァナム
4.ラーマ・ストートラム
5.シヴァ・マーナサ・プージャー
6.リンガ・アシュタカム
7.マールガ・バンドゥ・ストートラム
8.ガンガー・ストートラム
9.シャーラダー・ストートラム
10.マハー・ラクシュミー・アシュタカム
11.デーヴィー・マーハートミャム
12.サラッスヴァティー・ストゥティヒ
13.トゥラシー・プージャー
14.アーディッティヤ・リダヤム
15.ナヴァ・グラハ・ストートラム
16.スマールタ・サヴィトゥル・マントラハ
17.プージャー・シュローカーハ
18.プラータッスマラナム
19.ダクシナームールティ・ディヤーナ・シュローカ
20.ダクシナームールティ・ストートラム
21.グル・ストートラム
22.グル・パードゥカー・ストートラム
23.グル・アシュタカム
24.トータカ・アシュタカム
25.バジャ・ゴーヴィンダ
26.ニルヴァーナ・シャタカム
27.ギーター・ディヤーナム
28.バガヴァッド・ギーター15章

コラム目次
§  バジャン、バクティの語源、「バジ (भज् bhaj)
§  「ナム (नम् nam)」とは
§  ダルマとは
§  カルマ、そしてプンニャとパーパとは
§  サムサーラとは
§  サラッスヴァティー
§  「あなたに祈りを捧げます」
§  ブッディ(知性)
§  人間として生まれてきた意味
§  曜日と関連するデーヴァター
§  プージャー
§  oの意味
§  グルとは
§  四つのプルシャ・アルタ(人生のゴール)
§  ヴィヴェーカ
§  ヴァイラーギヤ
§  ヴェーダーンタ

2016年10月15日土曜日

80.ダンヴァンタリ(धन्वन्तरिः [dhanvantariḥ])医学・薬学の原理、ヴィシュヌの姿のひとつ

アーユルヴェーダを学ぶ人にはおなじみの、ダンヴァンタリ様。


こちらのアシュラムに付属しているアーユルヴェーダの施設でも、

トリートメントを行うまえに、施す人と施される人が一緒に、

施術部屋にあるダンヴァンタリ様の神棚の前でお祈りをします。

お祈りとその意味は前にこちらで紹介しましたね。

ところで、ダンヴァンタリという名前はどういう意味なのでしょうか?

ヴェーダーンタとは直接関係ないので、そんなん知らんがな、なのですが、
最近何人かの人に聞かれたので、辞書を引いてみました。


ダンヴァンタリの語源


 शब्दकर्पद्रूमः というサンスクリットの百科事典を引いてみると、、、

धनुरुपलक्षणत्वात् शल्यादिचिकित्साशास्त्रं तस्य अन्तम् ऋच्छति इति । देववैद्यः, स भगवदवतारः ।


ダヌ(医学の知識の) + アンタ(終わりまで) + アリ(行く)

というデーヴァのお医者さん、ヴィシュヌのアヴァターラということです。

まず、ダヌ(弓、धनु [dhanu])とは、
シャッリャ(矢、शल्य [śalya])という名前の文献に代表される、

医学の知識の集合体を表しているそうです。

それの、アンタ(最後、結論、अन्त [anta])まで行く、もしくは得る。

つまり、 全ての医学の知識を有している者、となります。


次に、वाचस्पत्यम्  という辞書を引いてみますと、

धनोः तन्निमित्तशल्यस्यान्तं पारमृच्छत।

ダヌ(弓、武器全般の代表)による痛みのアンタ(終わり、向こう側)に行く、

となっています。


ダンヴァンタリの登場する文献


プラーナという文献ですね。

ブランマヴァイヴァルタ、ヴィシュヌプラーナ、バーガヴァタなどに登場するそうです。

プラーナとは、

シュルティ(ヴェーダ)、スムリティ(マハー・バーラタ等)に続くプラマーナとされる文献で、

ヒンドゥーの神様をモチーフにしたお話の殆どは、プラーナで見つかります。

 プラーナの中の数々のお話しの根底はヴェーダーンタであり、

シャンカラーチャーリヤは、自身のコメンタリーの中でヴィシュヌ・プラーナを

しばしば引用していますが、

なぜか、一番有名で大きいバーガヴァタからの引用はひとつもないということです。


インドには、プラーナの話を民衆に聴かせるのに特化した、

「ポウラーニカ」と呼ばれる学者がたくさんいます。

でも、ヴェーダーンタを勉強する人とは、かなり色が違います。。


ダンヴァンタリの誕生祭


ダンテラス(Dhanteras)という名前で、ディーパ―ヴァリ(ディワリ)の前の、

トラヨーダシー(満月から13日目)です。地域や宗派によって違いはあると思いますが。

2016年は、10月28日です。



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文法的にもうちょっと知りたい人は====

ダヌ + アンタ + アリ

ヌの最後の音「ウ(u)」は、後ろに母音(ここではア)が来ると、

Vの音に変化しますね。そう、ヤン・サンディです。

アリは、ऋ(行く) + इ(者、行動の主体)から成ります。

(उणादिसूत्रम्) ४.१४० अच इः ।

अन्त と अरि は、、、शकन्ध्वादिगण が आकृतिगण なのでそこで पररूपम् にしてしまう?

====================
http://sanskrit-vocabulary.blogspot.in/2016/03/patanjaliprayer.html

ヨガとアーユルヴェーダと文法と、
ヴェーダーンタの関係 
- パタンジャリへの祈りから読み解く








<< アーユルヴェーダのプレーヤー(祈りの句) <<

ダンヴァンタリへの祈りの句です。






2016年10月2日日曜日

仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(5)

シリーズも5回目を数えます。

最初にも書きましたが、仏教用語の解説ではなく、

仏教用語になった、サンスクリット語そのものの、

サンスクリットの文化(ヴェーダの文化)に基づく解釈です。

その中でも、私はアドヴァイタ・ヴェーダーンタを学び・教える立場なので、

それも考慮に入れておいてくださいね。

禅(ぜん)


サンスクリット語では「ディヤーナ(ध्यानम् (dhyānam))」です。

ध्यै चिन्तायाम् という、「考える」という意味の動詞の原型から造られていることから、

「熟考」「そればかりを考えたり、思い描いたりすること」

という一般的な意味から、

ヨーガの修行法として「神経を集中させること」 「瞑想」、

そしてヴェーダでは、「ヴェーダで教えられている神々の姿を心に想い続ける行為」

「ヴェーダで教えられている言葉の意味を心に置き続けること」

などといったように、心を一点に置くといった意味は共通していますが、

何に、どのような目的で、などに関しては、意味に大きな幅があります。

他のサンスクリット語の言葉の多くがそうであるように、


どのようなコンテキスト(文脈・内容)で使われているかによって、

同じ言葉でも意味が変わる言葉です。

 

檀那・旦那(だんな)


サンスクリット語では「ダーナ(दानम् (dānam))」。

これは前回見ましたね。「与えること」と言う意味です。

(文法が好きな方へ: 「与える人」を造るためのल्युの付くनन्द्यादिगणにदाはありません。)

ダーナがどうやって檀那・旦那さんとなったのか、

サンスクリットの文化をもとに考察してみると、繋がりが見えてきます。
 
यज्ञदानतपःकर्म न त्याज्यं कार्यमेव तत् । yajñadānatapaḥkarma na tyājyaṃ kāryameva tat |
祈り、与えること(ダーナ)、タパスというカルマは、
(人生のどのステージにおいても)放棄するべきではなく、
常に実践されるべき行為です。
(バガヴァッド・ギーター第18章5節)


ダーナは、上のギーターのシュローカで教えられているように、

1.学生、2.家庭人(結婚したり、パートナーのいる人)、3.リタイアした人、

そして、4.ヴェーダーンタの勉強の為に全てを放棄した人、

という四つのアーシュラマ(人生のステージ)において、

最後に全てを放棄するまでの三つのアーシュラマの中で、

心の成長のために実践されるべきことです。


しかし、この三つの中で、生産・稼働しているのは、家庭人だけであり、

他の三つのアーシュラマに生きる人を支えるのは家庭人だけであることから、

ダーナは、家庭人に対して特に奨励される行為です。

より多くを得て、貯め込むのが家庭人の役割ですが、

時間が来れば、第一線から退いて、静かに暮らし、

ひとつひとつ手放して行かなければならないので、

手放すことも早いうちから実践して学ばなければなりません。

現代の日本では、結婚とは個人的なものだと捉えられていて、

学生期とも、家庭期とも、林住期とも区別のつかない生活をしていても問題ありませんが、

ヴェーダの世界では、学生期を終えたら、すぐに結婚して、社会に貢献する義務が発生し、

孫が生まれる頃には、主権を手放して、引退しなければならない。

単に好きだからという理由だけではなく、

社会的責任を一手に背負う覚悟が結婚には必要なのです。

でも、それ位の覚悟を持っていなければ、何においても成功しませんね。



南無(なむ)


サンスクリット語では「ナマハ(नमः [namaḥ]) 」です。

「ナマハ(नमः [namaḥ]) 」の意味は、ナマステ―のところで解説しています。

「ナマハ(नमः [namaḥ]) 」は、不活用名詞です。

名詞の原型は、 「ナマス(नमस् [namas]) 」と、「S」で終わる言葉です。


ナマハ? ナモー? ナマス? ナマ?


「ナマス(नमस् [namas]) 」の後に何の音も続かず、単品で使う場合、

「ナマハ(नमः [namaḥ]) 」となります。

後ろに有声音(日本語では濁音と、ナ行、マ行、ヤ行、ラ行、ワ行)が来た場合、

「ナモー(नमो [namo])」 となります。

こういった、後ろの音によって前の音が変わる、とかいう変化を、

「サンディ(連音変化)」と呼びます。

日本の教科書で勉強する人は、ここでくじけるみたいですが、

伝統的なパーニニのシステムに沿ってきちんと勉強すれば、

整然として、そんなに難しいものではない、ということが分かってもらえると思います。


サンスクリット文法の学習の秘訣


文法はどんなトピックでも、すんなりと勉強できる秘訣は、

「チャンティングから入る」ということ。

正しい発音をきちんと学び、

すらすらと口から出るようになれば、

後でその意味を教えられた時、

もしくは、それがなぜそのような形になるのかを教えられた時に、

「あ~なるほど!」

と、まさに茂木健一郎さんの「アハ体験」のように、

脳内で快感と共にシナプスが繋がっていくのです。

逆に、音を学ばずに、意味だけを学ぼうとしても、

「意味を教えてもらっているときには理解できるのだけど、

その後、何を習ったのか、頭に残らない」症候群になってしまいます。


今日はこのくらいで、、、

あと、奈落(ならく)とか、涅槃(ねはん)とか、波羅蜜(はらみつ)、

波羅門(ばらもん)、仏陀(ぶっだ)、盆(ぼん)、曼荼羅(まんだら)、

夜叉(やしゃ)、羅刹(らせつ)などを予定しています。

あと2回くらいかな。


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仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(4)

仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(3)


仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(2)

仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(1)