2015年6月22日月曜日

61.ハリ(हरिः [hariḥ])- 苦しみを取り去る者

हरिः 
[hariḥ]

masculine - 苦しみを取り去る者


ハリの別名を持つ、ヴィシュヌ神

バガヴァーン、イーシュワラなどと並んで、

この宇宙の全体を指す名前のひとつです。

ハリというと、普通はヴィシュヌのことを指します。

こられ全ての名前は、ひとつのブランマンを指しているのです。

ハリの語源


「フル(हृ [hṛ] )」という、カタカナではなんとも表現しにくいですが、

「取り去る、持って行ってしまう」という意味の動詞の原型から派生した言葉です。

そこに、「~する者」という、行動の主体を表す接尾語の「イ(इ [i]」 が来て、

 हृ [hṛ] + इ [i]

接尾語がくると、動詞の原型の [ṛ] の音が [ar] に変化して、

= हर् [har] + इ [i]

になります。それらをくっつけると、

हरि [hari] ハリ

という名詞の原型になりましたね!

名詞の原型は、हरिः, हरी, हरयः ... といった具合に変化します。

日本語で言う、ハリが、ハリに、ハリと、、、といった感じです。

日本語では名詞の形は変わらず、「ガヲノニトハモヘ」 という助詞が付きますが、

サンスクリット語では名詞の形も変わってしまうわけです。

そういう面では、日本語は世界の言語の中で一番シンプルだと思います。

でも、日本語は理論的なディスカッション向きの言語ではありませんね。


何を取り去るのか?


 हृ [hṛ](取り去る) + इ [i](者)
= 取り去る者

が「ハリ」さんですが、何を取り去るのでしょうか?

伝統では、

ハラティ(取り去る者)、パーパーニ(苦しみを)、イティ(というのが)、ハリヒ(「ハリ」です。)
हरति पापानि इति हरिः ।

と教えられています。


苦しみ(パーパ)を取り去る者がハリなのです。


パーパって何?


一度聞いたら忘れられない言葉の響きですね。

ハリが取り去ってくれるパーパとは何なのでしょうか。

簡単に言うと、自分の思うように行かない状況を作る、自分自身の行為の結果です。

つまり、宇宙のあり方に調和しない行動を選択したとき、

例えば他の生き物を苦しめたり、嫌な思いをさせたりするような行動をしたときに発生する

マイナスポイントみたいなものです。


相対的な意味のパーパ


相対的な意味では、パーパとは「ラーガ・ドヴェーシャ」と呼ばれる、

正しい判断を狂わせるパワーのある、執着や嫌悪です。

ダルマの一線を越してしまう理由にはならない、

つまり害の無い、単なる好き嫌いは問題ありません。

しかし、人を傷つけてまでも、嫌な思いをさせてまでも、

これが無いと我慢できない!もしくは、これがあるから我慢できない!

というのがパーパです。

具体的には、苦手な人とか、嫌いな物とか、辛い状況とかです。

そいうものが私達の人生を惨めにしているのです。

そんなパーパを取りさらってくれるのが、我らがバガヴァーン、ハリです。

でも、どうやって?


ハリはヴィシュヌ、つまりバガヴァーンです。

バガヴァーンということは、この宇宙の法則の全てです。

法則の塊なので、そこに自分の行為を投入すると、それなりの結果が返ってきます。

バガヴァーンに「私のパーパを取り去ってください!」と祈ると、

祈りという行為をした訳なので、何らかの結果が出ます。

その結果のことを、サンスクリット語では「プンニャ(पुण्यम् (puṇyam)」 、

英語では「グレース(grace)」と言います。

その結果が、自分の望む方向へ流れを変えることを願って祈るのです。

また、その結果は、今まで自分を苦しめて来た人や物に対して、

「ま、いいんじゃない?別にそんなのどうってことないよ」

 と言える様になる大きさを自分に与えてくれるかもしれません。

祈るということ自体、この世の全ては自分独りで回っているわけではない、

だれが回しているのかというと、究極的にはバガヴァーンである、と認めているわけなので、

そういう大きなヴィジョンを持っている人にとって、パーパの影響は少なくなるのです。


ヴィシュヌの手は4本。
チャックラ(時間という必殺の武器)、蓮の花、
ガダ(これも武器)、そしてほら貝を持っています。
後ろは無限大のパワー(シャクティ)を示す、シェーシャ(蛇)。

絶対的な意味で

 

パーパとか、 苦しみとか、そういったことは相対的なものです。

時間と共に生まれ、時間と共に変化し、0.1秒後なり、10年後なり、

いずれ無くなるものです。そこに絶対的な存在はありません。

そんな相対的なものに、絶対的価値を見出しているのが、

無知の表れなのです。

無知を取り除いてくれるのは、 もちろん知識だけですが、

知識を得るのにも、多大なプンニャ(グレース)が必要です。

最低限、正しい先生に出会い、その先生の言っていることが

100%理解出来ないといけないのですから。

それの邪魔をするパーパも取り除き、

最終的には、自分にはパーパなど無かった!と気付かせてくれるのも、

バガヴァーン・ハリのお仕事なのです。


左がラーマ、右がクリシュナ。
どちらも「ハリ」の名前で知られるヴィシュのアヴァターラです。

マハー・マントラの謎

 

世界中で最も有名なマントラと言っても良い、

カリ・サンターラ・ウパニシャッド(कलिसन्तारोपनिषद्)

の中にある、一度聞いたら忘れられないマントラです。


ハレー ラーマ ハレー ラーマ 
ラーマ ラーマ ハレー ハレー 

ハレー クリシュナ ハレー クリシュナ 
クリシュナ クリシュナ ハレー ハレー 

हरे राम हरे राम राम राम हरे हरे ।
hare rāma hare rāma rāma rāma hare hare |
हरे कृष्ण हरे कृष्ण कृष्ण कृष्ण हरे हरे ॥
hare kṛṣṇa hare kṛṣṇa kṛṣṇa kṛṣṇa hare hare ||

ちなみに、イスコン(ハレークリシュナ)の人達は、

先にクリシュナのラインを唱えます。クリシュナが一番ですから!

って、ウパニシャッドのマントラ変えちゃってもいいの?

でも、ずっと繰り返して唱えるわけだから、2回目以降はどちらが先か、

もう分からなくなるから、いいか。


しかしこのマントラ、文法的にいうと、文章になっていません。

動詞が無く、呼びかけだけで構成されているからです。

マントラの中にある言葉は、16語。

種類で言えば3語のみ。1.ハレー、2.ラーマ、3.クリシュナ

3語とも、「サンボーダナ」と呼ばれる、お~い!って呼びかる時の形です。

マントラの全てが呼びかけなのです。

お~い!ハリ!(हे हरे!)

お~い!ラーマ!(हे राम!)

お~い!クリシュナ!(हे कृष्ण!)

と呼びかけているだけなので、動詞が無く、

文法的には文章として成り立ちません。

ウパニシャッドの言葉なのに、文章として成り立たないなんて?

しかも、神様の名前を呼びかけの形で連呼しているだけで、

それって神様に失礼では?

誰の名前でも、呼んでおいて、その後何も言わないって失礼ですよね?


左側がクリシュナとラーダー、右側が弟ラクシュマナ、ラーマ、そして妻シーターです。
ラーマの前で膝まづいているのがハヌマーン。

マハー・マントラの意味



インドの鉄道駅には、チャイ・ワーラーや、コーピー・ワーラ達が

絶え間なく往来しています。

チャイ・ワーラーとは、チャイ(インドの甘いミルクティー)を売る人、

コーヒー・ワーラーは、そう、コーヒーを売る人です。

彼らはポットと紙コップ(ちょっと前までは赤土で出来た使い捨てカップ)を

持ち歩きながら、「チャイ・ワ~ラ~」「コーヒー・ワ~ラ~」と自分で言いながら

プラットフォームを歩いています。

チャイが欲しい人は、「チャイ・ワーラー!」 と叫べばよいだけです。

呼びかけに気付いたチャイ・ワーラーは、別に「チャイ下さい」とわざわざ言われなくても、

無言で勝手にチャイをカップに注ぎ、それを客に渡して去って行きます。

誰かの名前を呼ぶときには、相手に何を期待しているかによって、

それに応じた名前で呼ぶのです。

「先生!」 と呼ぶ時は、何かを教えて欲しい時、

「社長!」と呼ぶ時は、何かをおごって欲しい時、

「チャイ・ワーラー!」と呼ぶときは、チャイが欲しい時で、

「コーヒー・ワーラー!」と呼ぶときは、コーヒーが欲しい時です。

呼んだ後に、チャイが欲しいの、とかコーヒー出来る?とか聞かなくてもいいのです。

じゃや、バガヴァーンのことを、

「お~い!ハリ!(へー!ハレー!)」と呼ぶ時は?

そう、ハラティ パーパーニ。パーパを取り払う者。

苦しみを原因ごとどっかに持って行って欲しい時です。

どうやって持って行くの?とかどれくらい?とか、いちいち気にしなくても、

相手はバガヴァーンなのです。

何がどうなのか、一番よく知っているからバガヴァーンなのです。

「へー!ハレー!」と祈ったら、あとは委ねればよいのです。


ハリはヴィシュヌの別名であり、ラーマもクリシュナもヴィシュヌのアヴァターラなので、

2人ともハリ、苦しみを取り去る者です。


アカンダ・サンキールタナ


ちなみに、このマハー・マントラ、インドでは

アカンダ(途切れなく)・サンキールタナ(栄光を唱えること)として、

24時間年中無休で、ハレー ラーマ ハレー ラーマ、、、と

唱え続ける場所を設けているアシュラムが幾つかあります。

私のふるさと、リシケシのスワミ・ダヤーナンダ・アシュラムでも、

毎日朝6時から夕方の6時まで、このマハー・マントラのアカンダがされています。




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ブランマ・ヴィディヤーを教えてくれる先生、という意味の
サンスクリット語の単語です。








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