2015年3月13日金曜日

44.アヒムサー(अहिंसा [ahiṃsā])- 非暴力

अहिंसा
[ahiṃsā]


feminine - 非暴力




アヒムサーの語源


サンスクリットの動詞の原型の「हिंस् [hiṃs](傷つける)」を、

名詞化したものが「हिंसा [hiṃsā] (ヒムサー、暴力)」です。

「ヒムサー(暴力)」に否定の意味の「ア」をつけて、

「アヒムサー(非暴力)」となります。

マハトマ・ガンディが推奨していた言葉でもあります。



アヒムサーの意味


実は、アヒムサーの意味は、誰に教えてもらわなくても、

人間なら誰も知っています。

人間を創造をしたときに、人間のハートなり脳みそなりに、

マイクロチップのように、埋め込まれている知識が「アヒムサー」です。


アヒムサーとは知識


アヒムサーとは、知識です。

人間として生まれた者が、必ず先天的に持って生まれる知識です。

この知識を持っている者を、人間と呼ぶのです。

ゆえに、人間を人間たらしめている知識が、アヒムサーです。


一つ目の知識


動物でも植物でも、全ての生き物が必ず持っている知識があります。

それは、「私は誰からも傷つけられたくない」という知識です。

この知識は誰に教えてもらわなくても、生き物なら全員知っていることです。


二つ目の知識


そして、二つ目の知識は、

「私が誰からも傷つけられたくないように、他の生き物も傷つけられたくない」

という知識です。

この知識は、人間であれば、誰に教えてもらわずしても、必ず知っている知識です。

「汝、殺すなかれ」とわざわざ神様に石版に刻んでもらう必要もありません。

神様が私達人間の一体一体の精神にきっちり刻み込んでいるからです。


傷つけること(ヒムサー)とは


傷つけるとは、自分がされたら嫌なこと全部です。

殺されたり、切られたりするだけではなく、拘束されたり、食べられたり、

自分の家族が食べられたり、嘘をつかれたり、大切なものを奪われたり、

嫌な言葉を使われたり、助けが必要なときに無視されたり、

自分の見た目や過去でジャッジされたり、、、

全て、少しでも自分がされたら一生忘れないほど傷つくのに、

それを私達は日常的に他の人間や動植物に当たり前のようにしていないでしょうか。



ヒムサーをしなければ、自然とアヒムサーになる


何か行為をする時、特に言葉を発するとき、声に出すにしても、書くにしても、

実際に行動に移したり声に出す前に、

「たとえ微量にでも傷つけてしまう可能性があるのではなかろうか?」

とスクリーンを掛ける習慣をつけ、もし可能性があるなら、その場で取りやめる。

考えのレベルですら、これを実施する。

怒りや欲望に任せて行動するのではなく、

ヒムサーを避けるように意識的に行動する。

その時、その人の行動と、アヒムサーの知識とが、調和しています。

つまり、その人の中でも、そして外でも、調和が保たれているのです。



アヒムサーな行動を選ぶことが出来るのは、高貴な人間の証


アヒムサーを行動基準として、それをいつも実践している人のことを、

「聖人」といいます。

聖人とは、どこかヒマラヤの山奥に篭っている人のことではありません。

アヒムサーを最高の優先順位に置いて、周囲の痛みにとてもセンシティブに行動する、

そんな当たり前のことを、自然に出来ている人が「聖人」なのです。

誰だって、心がけ一つで聖人になれるのです。

聖人とは、その人の心の在り方のことなのですから。



人間の特権、自由意志


自分がどういう行動を取るか、自由に決定出来る意志の力を「自由意志」と呼びます。

「自由意志」という特権を与えられている生命体を、人間と呼びます。

しかし、人間に生まれたとしても、自由意志が自由な人はあまりいません。

生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされている人は、

自由に自由意志を使っている場合ではありません。

暴力を振るってでも、親しい人を裏切ってでも、生き延びようとするでしょう。


あなたの自由意志は自由ですか?


しかし、衣食住に不自由の無いはずの、洗練されて恵まれた生活を送っている人でも、

欲望という自分の内からのプレッシャーと、

宣伝広告やプロパガンダなどの外からのプレッシャーに負けて、

暴力を間接的・直截的に行使し、道徳に少しくらい違反して、

我がための悦楽に興じています。

そのような人は一見自由に振舞っているように見えますが、

人間の特権である自由意志が、完全にプレッシャーに押されているので、

本当の自由な人間とは言えません。


「アヒムサー」本当に自由な人間の選択


本当の自由な人間とは、自由意志が自由な人間です。

欲望や政治的・商業的プレッシャーから、完全に自由な自由意志を持っていて、

初めてアヒムサーの行動が選択が出来るのです。

アヒムサーを選ぶことが、いちばん人間として自由で高貴な選択なのです。



= 追記 =

まずは自分自身に対してアヒムサーを実践してみる


自分自身にケチをつけたり、人と比べて至らないとこを見つけたり、

怒ったり悲しんだりしている自分を、未熟な人間だとジャッジしたり、

もし、そんな自分に対するヒムサーをする癖があったら、

自分自身の味方になってあげて、自分いじめを辞めるのがアヒムサーです。

自分の良き理解者、応援者、良き友達に、自分自身がなるのです。

自分自身にしていることは、相手にもしてしまう。

そしてその逆でもあるので、どちらから始めても同じ結果が得られるものです。




関連記事: 心の平和とアヒムサー




[11]   1.ダルマ(その時その場所で自分が取るべき行動)


ヴェーダが教える「カルマの法則」という全体像から説明します。







[12] 2.アダルマ(ダルマとは別の行動)









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