2015年10月18日日曜日

67.カーリー(काली [kālī]) ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:1

काली
[kālī]
カーリー


1.カーラ(シヴァ)の伴侶

2.黒い色をした女神




ナヴァ・ラートリーとは


カールティカ月の新月の次の日から、九夜続けて、

女神に祈りを捧げる期間が、ナヴァ(9)・ラートリー(夜)です。

どの日にどの女神に祈りを捧げるかは、地方によって異なります。

女神はサンスクリット語で「デーヴィー (देवी [devī])」です。

デーヴィーは全て、「シャクティ(शक्तिः [śaktiḥ])」と呼ばれる、

創造する力、可能性を象徴しています。



今日はまず、パールヴァティーの姿のひとつである、

カーリーを紹介しますね。

「カーリー(काली [kālī])」の定義のひとつめ、

1.カーラと呼ばれる、シヴァの伴侶が、カーリー。


कालस्य शिवस्य पत्नी ङीष्

「カーラ」に女性形の接尾語「イー」がついて、

それが原因で「カーラ」の最後の「ア」がとれて、

「カーリー」と成るわけです。

カーラ(कालः [kālaḥ])」とは、「時間」という意味。

破壊を象徴するシヴァの名前のひとつです。

時間は、全てのものを破壊に導きますね。

微生物も、巨大な恒星も、全ては時間の中に存在します。

毎秒、時間に蝕まれ続けているのです。

ゆえに、カーラは死神の名前でもあります。


しかし、シヴァは死神よりももう一歩上を行きます。

「カーラカーラ」は、もうひとつのシヴァの名前です。

意味は「カーラ(時間の)カーラ(破壊者)」。

時間ってどうやって破壊できるの?

ふたつの切り口から説明できます。

時間も創造の一部。作られては消えていくものです。

時間は絶対的な存在ではありません。

最近の物理学もそれに気付き始めています。

では、時間はどこから表れて、時間はどこへ消え去るのか?

それが、シヴァです。

創造が始まり、創造が維持され、創造が幕を閉じる、

創造が存在できているのは、存在とは離れていない、

でも独立した存在。

もうひとつの切り口は、

「自分は時間の範囲内にある」という、

サムサーラの根源となる、無知からくる考えにピリオドを打つ、

「私は時間の範囲内にはいない」というウパニシャッドの知識です。

アムリタのところで見ましたね。

2Dの絵を見るためには、自分はもうひとつ別の次元にいなければならない。

この世界は3D。ってことは、この世界を見ているあなたは、何次元にいるの?

時間をもうひとつの次元と数えるなら、

時間を対象化しているあなたは、時間と言う次元からも、

もうひとつ別の存在であるはず。

こんなにシンプルなのに、誰もまともに受け入れられない、

ウパニシャッドの知識です。

その知識の理解が、カーラを破壊してしまう、という意味です。


知識の宿る、人間として成熟した心


ちなみに、なぜまともに受け入れられないかというと、

心の準備ができていないからです。

心の準備は、アヒムサーに代表される、ダルマの生き方を

生きることによってのみ、培われます。

ダルマの生き方とは、家族・社会・環境(デーヴァター)へ

奉仕・配慮・貢献といった、義務を果たす生き方です。


シヴァの伴侶とは?


そんなシヴァと、ひとときたりとも離れていない存在。

2人別々に存在出来てしまうのなら、それはドヴァイタですからね。

「ブランマン+マーヤー=イーシュワラ」といった、

ヨーガ界にまかり通っている、危険な方程式です。

そんなことを教える人は混乱していますし、

混乱している人に限って、多くのデヴォーティーを抱え、

さらにその混乱を広めているのです。まぁ、世の中そんなものですが。


デーヴィーはシヴァから存在を得ているけど、

シヴァは独立した存在です。

それを表しているのが、これらの絵なのです。

2.黒い色の者(女性形)



「カーラ」は「黒」という意味もあります。

そこに女性形をつくる接尾語「イー」が付いて、「カーリー」です。


謎めかしい絵の意味


カーリー女神を表す絵は、怖いですね。

しかし何で、こんな恐ろしい形相で、しかも伴侶のシヴァを踏みつけているのでしょうか。

この絵の象徴するものは一体何なのでしょうか。



創られたものは全て、破壊の道を辿る。

それが創造のあり方です。それが創っては破壊し続ける女神のあり方です。

それに私達は目を奪われて、時間の範囲の中で一生ジタバタして、

彼女の思う壺、ペロンと食べられます。

彼女を支えているシヴァも、彼女の創造のパワー(シャクティ)に

圧倒されているかのよう。私達の目には入ってきません。

当の本人のシヴァは、彼女を支えているにも関わらず、

血なまぐさい光景に巻き込まれず、シャーンティです。

変わり続ける現象を、変わらない意識という存在で見続けている、

絵のこちら側、現象のこちら側の、自分と言う意味の意識なのです。


この絵に関して、いろいろ薀蓄を言う人々はいるでしょうが、

つまらない薀蓄に心を奪われて、大事な点を逃し、

カーリーの絵の中に飲み込まれないように、気をつけて下さいね。



カーリー信仰


マハラーシュトラでは、ガネーシャ、

グジュラートではクリシュナ、

タミルではムルガンが人気であるように、

ベンガル地方では、カーリーが人々の信仰を集めています。


かの有名な、パラマナムサ・ラーマクリシュナも、カーリーの信仰者でした。

ラグ・ヴァムシャを著した、カーリダーサも、「カーリーの召使・信仰者」という意味です。


毎日、デーヴィーの祈りの句を紹介しますね。

या देवी सर्वभूतेषु शक्तिरूपेण संस्थिता ।
yā devī sarvabhūteṣu śaktirūpeṇa saṃsthitā |
नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमस्तस्यै नमो नमः ॥
namastasyai namastasyai namastasyai namo namaḥ ||


この宇宙にある全てのものの中で、

シャクティという形で表現される、

デーヴィー(女神)に対して、

繰り返し、尊敬と感謝の認識を表現(ナマハ)します。



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ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:2  ドゥルガー(दुर्गा [durgā])
http://sanskrit-vocabulary.blogspot.in/2015/10/durga.html

ナヴァ・ラートリー・スペシャル 女神の名前シリーズ:3  ラクシュミー(लक्ष्मीः [lakṣmīḥ])
http://sanskrit-vocabulary.blogspot.in/2015/10/laksmih.html




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