2014年6月7日土曜日

27.キータ(कीटः [kīṭaḥ])- (這う)虫

कीटः
[kīṭaḥ] 

masculine - (這う)虫




哲学的な話、時空を超えたレベルのトピックを今まで扱ってきた中で、

突如、地を這う小さな虫、「キータ(कीटः [kīṭaḥ] )」の登場です。

「キータ」の「タ」の音は、舌を反らせて出す、かわいい「タ」の音。

名前の音に表されているように、小さくて頼りない虫が「キータ」です。

ヴェーダーンタでは、運命に翻弄されている、無力な「個人(ジーヴァ)」の

例えとして、この「キータ」という言葉が使われることがあります。

小さな尺取虫君は、一生懸命葉っぱから葉っぱへと這いながら進んでいるけど、

自分でも結局どこに進んでいるのかをよく分かっていません。

周りは天敵だらけです。さらに、襲ってこられても戦える武器も手足すらも持っていません。

ごく稀に、人間の視界に入った場合、「あ、虫。」と払い除けられて、

ぜんぜん分からない場所に放り投げられたりします。

そんな情けない「キータ」君が、

これから紹介する「パンチャダシー3章」の冒頭に登場します。




नद्यां कीटा इवावर्तादावर्तान्तरमाशु ते।
nadyāṃ kīṭā ivāvartādāvartāntaramāśu te|
河の中に落ちて、波から波へとさらわれている虫たちのように、

व्रजन्तो जन्मनो जन्म लभन्ते नैव निर्वृतिम्॥ ३०॥
vrajanto janmano janma labhante naiva nirvṛtim‌|| 30||
生と死を繰り返しながら、あちこち移り渡っているけれども、何も達成出来ていません。

सत्कर्मपरिपाकात्ते करुणानिधिनोद्धृताः।
satkarmaparipākātte karuṇānidhinoddhṛtāḥ|
今まで積んできた徳が実った時、深い思いやりを持った先生に(河から)助け出されます。

प्राप्य तीरतरुच्छायां विश्राम्यन्ति यथासुखम्॥ ३१॥
prāpya tīratarucchāyāṃ viśrāmyanti yathāsukham‌|| 31||
河のほとりにある木陰で落ち着き、自分のあるがままの幸せの中で休みます。

उपदेशमवाप्यैवमाचार्यात्तत्त्वदर्शिनः।
upadeśamavāpyaivamācāryāttattvadarśinaḥ|
真実を知る先生からの教えを得て、

पञ्चकोषविवेकेन लभन्ते निर्वृतिं पराम्॥ ३२॥
pañcakoṣavivekena labhante nirvṛtiṃ parām‌|| 32||
パンチャコーシャ・ヴィヴェーカ(この章のタイトル)によって、絶対的達成を得ます。


ちなみに、パンチャコーシャとは何でしょうか。

「パンチャ」とは、数字の「5」、

コーシャ」とは、刀を納める「鞘(さや)」のことです。

5つのコーシャは以下の通り:


  1. アンナマヤ・コーシャ
  2. プラーナマヤ・コーシャ
  3. マノーマヤ・コーシャ
  4. ヴィッギャーナマヤ・コーシャ
  5. アーナンダマヤ・コーシャ


パンチャコーシャの意味1:

刀はどこにある?と聞かれた時、

鞘(さや)の中で刀が見つかるように、

自分(アートマン)はどこに居る?と聞かれた時、

自分が見つかる場所、例えば自分の身体とか心とかのことを、

コーシャと呼びます。

つまり、自分のことを認識している時に、

何を持ってして「自分」と認識しているのかを分析し、

それを5つのレベルに分けたものが、パンチャコーシャです。


パンチャコーシャの意味2:

鞘(さや)が刀を隠してしまうように、

自分(アートマン)の本質も、自分の身体や心によって隠されているようです。

この意味でもパンチャコーシャという言葉が使われます。


両方どちらの意味にしても、

自分はこれだとして認識しているけど、

本質的には自分でないものがパンチャコーシャです。

従って、パンチャコーシャが何なのかを正しく知れば、

それら5つのコーシャと取り違えられている、

本当の自分の意味が正しく理解できるのです。

この、自分に対する勘違いを正すプロセスが、

「パンチャコーシャ・ヴィヴェーカ」なのです。


ひとつひとつのコーシャの意味は、

後に出てくる 「コーシャ(कोशः [kośaḥ])」 の回で紹介しますね。