2015年5月4日月曜日

56.バクタ(भक्तः [bhaktaḥ])- バクティを持っている人

भक्तः 
[bhaktaḥ]


masculine - バクティを持っている人




バクタの語源


「バクタ」とは人を指す言葉です

前回で説明した「バクティ(भक्तिः [bhaktiḥ])」を持っている人が

「バクタ(भक्तः [bhaktaḥ])」です。

भक्तिः अस्य अस्ति इति भक्तः । (文法は下を参照のこと)

つまり、バガヴァーンとの繋がりを持っているひとが「バクタ」です。



バガヴァーンとは


この宇宙の全てのもの、全ての場所、全ての時間、それらの全ての知識、

空間、全ての元素、全ての力、全ての感情、全ての関係、

原因と結果の法則の全て、知っているものと知らないものをあわせた全てを

バガヴァーンと呼びます。

つまり、バガヴァーンとは、この宇宙の全てを指すのですから、

バガヴァーンと離れている人などいないのです。



あなたとバガヴァーンは別の存在では無い


あなたの怒りも、悲しみも、病気も健康も、全てバガヴァーンです。

それなのに、「自分は宇宙から切り離された存在なのだ」と、

誰もが疑いの余地も無く信じています。

怒りという感情は、「自分 VS 自分とは別のもの」といった、

自分と宇宙との隔たりや対抗を強く感じている、というものです。

悲しみも痛みも、人間が嫌う全ての感情はそんなものです。

そんな感情にバガヴァーンを見出すというのは、

「こういう状況に置かれれば、こんな嫌な感情が表れる。

そんな方程式が全人類に通用する。それが普遍の法則なのだ。

だから、こんな嫌な感情を味わっているというのは、

私の心の全ては、宇宙の法則の表れに他ならない」

という理解が、「バガヴァーンとの繋がり」なのです。

これは理解によるもので、想像や思い込みやポジティブシンキングではありません。



一般的な「神」の定義とその落とし穴


ヴェーダーンタを教える時には、「バガヴァーン」という言葉は使っても、

「神」や「God」という言葉は普通は使われません。

なぜなら、聞き手が勘違いするような言葉は避けるべきだからです。


「神」という言葉を、聞き手はどう受け取るでしょうか。

・ いるかいないか判らない者

・ 自分以外の誰か別の存在

・ 信じる対象

・ 非日常、この世の者ではない

・ 自分を審判するジャッジメンタルな存在

このような、既存の宗教が直接・間接的に植えつけた、

「神」という言葉のイメージが先行して、正しい理解を阻害してしまうからです。


ひとつひとつ駄目出しをしてみると、

問:いるかいないか判らない者?

答:この目の前にあるもの全てをバガヴァーンと呼びます。

目の前にあるものなんか無い!と言うのなら、それを言っているあなたが在るでしょう。

有るとか無いとか言う議論は、まずそれを議論する人が在る必要があります。


問:自分以外の誰か別の存在?

答:宇宙の全ての場所、全ての時間、それらの全ての知識、
それらに存在を与えている、ひとつの意識的存在がバガヴァーンの定義なのですから、
あなた以外の別の存在では在り得ません。


問:信じる対象?

答:信じないと存在出来ない神様なら信じるしかありませんが、
ヴェーダで教えられているバガヴァーンは、理解する為の対象です。


問:非日常、この世の者ではない?

答:「今、ここ、私」という意識的な存在がバガヴァーンの本質です。
日常も、非日常も、この世も、あの世も、どの場所も時間も全を指して、バガヴァーンという名前をつけているのです。


問:自分を審判するジャッジメンタルな存在?

答:そんな神様を信じてまで受け入れる価値はありますか?



ゆえに、手垢のついていない理解に繋がる言葉、例えば

「全体」とか「宇宙の法則」とか「宇宙の原因」とか

「イーシュワラ」とか「バガヴァーン」といった言葉を使って、

ヴェーダーンタを教えるのです。


繋がりとは、理解のこと


「バガヴァーンとの繋がり」とは「バクティ(भक्तिः [bhaktiḥ])」であり、

つまり「バガヴァーンとの繋がり」とは「バガヴァーンの理解」なのです。

理解が深まれば深まるほど、繋がりが深くなる、と言うことが出来ます。

これが分かると、バガヴァッド・ギーターでバガヴァーン・クリシュナが、

バクタ(भक्तः [bhaktaḥ])を4種類で説明した理由が解りますね。

1.困ったときの神頼みの人(アールタ)

2.成功の為にバガヴァーンを味方につける人(アルタールティー)

3.私(バガヴァーン)について知りたいと願う人(ジッニャース)

4.私(バガヴァーン)をその人自身として知っている人(ニャーニー)


知るためには適切なプラマーナが必要


この小さな自分について、

私を小さな存在にさせているこの世界について、

そして宇宙の全てであるバガヴァーンについて、

混乱した理解を正すのが、ヴェーダーンタの勉強です。

理解ベースであるがゆえに、プラマーナ(知る手段)が必要です。


バガヴァッド・ギーターは、バガヴァーン自身が教えている、

バガヴァーンについての知識です。


ギーター・アーチャーリャ(ギーターの先生)
クリシュナ

バガヴァーンついて、つまり自分を含めたこの宇宙の在り方について、

知れば知るほど、混乱が解ければ解けるほど、人生の意味がはっきりします。

自分に与えられた身体、家庭環境、社会環境の意味がはっきりします。

自分に与えられた、自分の自由意志で操ることの出来る、

手や足や目や口は、何か行動をする為にあります。

私の身体と感覚器官は、バガヴァーンの身体と感覚器官です。

何をするべきか?

それも自分に与えられています。

自分に与えられた家庭環境や社会環境、そして自分の置かれたその瞬間瞬間の状況、

それらが自動的に「今ここで何をすべきか」を決定しています。

それを実行しているとき、宇宙との調和があります。

つまり、バガヴァーンとの繋がりを持っている人です。

そこには「自分 VS 全宇宙」という、今まで自分を苦しめて来た図式では無く、

もっと大きくて、宇宙の中で心地よく調和している自分がいます。

何をするべきかがはっきり判断出来ない時は、

ダルマに沿った賢い先人を見習えば良いと教えられています。



宇宙と調和した行動を「ダルマ」と呼び、それは人間の心を成長させます。

常に要求している小さな自分から、与える側の大きな自分に成長するのです。

そんな成長した心を育てる為に、宇宙と調和した行動を選ぶ人を、

「カルマ・ヨーギー」と呼びます。

バガヴァーンと繋がっているという理解があるからこそ、

行動基準にダルマやアヒムサーといった価値感や姿勢が反映されるのです。

ゆえに、「カルマ・ヨーギー」は「バクタ」です。

「バクティ・ヨーガ」、「カルマ・ヨーガ」と別々に数えることは出来無いのですよ。


まずバクタがいる


社会で生きていれば、人間関係は避けられません。

人間関係には必ず絶対に問題が付きまといます。これも避けられません。

しかしよく見ると、自分の抱えている全ての問題は、

自分が演じている役割に関わる問題です。

私達は毎日様々な役割を演じています。

息子・娘、父・母、会社員、社会人、恋人、、、

これら全ての役柄を演じているのは誰でしょうか?

一つの役から、もう一つの役に、代わる代わる演じている役者は、

全ての役柄から自由な、独立した人間です。

それが、私です。

その私が、バガヴァーンの理解を深めると、いろんなことが分かってきます。

役割を与えたのは、宇宙の法則であるバガヴァーンです。

そして役割に付いてやってくる台本も、バガヴァーンによって書かれています。

全ての役柄をこなしているのは、バガヴァーンについて理解を始めた、

「バクタ」の私。

役柄を演じる前に、バクタの私がいる。

役柄に関する問題に巻き込まれる前に、バガヴァーンと関わっていれば、

役柄と自分の間にスペースが出来て、巻き込まれずに済む。

自分とバガヴァーンとの関係が深まるにつれ、

自分の役柄と関わっている相手からのジャッジメントを恐れたり、

無理解に傷ついたりしなくなります。

相手からどう勘違いされようと、結局は私とバガヴァーンの関係なのです。

そして、社会の真っ只中で様々な役割を熱心に演じながらも、

宇宙の在り方のなかで、リラックスしていられるのです。




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feminine - 深く関わること、献身的に努めること









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あなたを幸せ(シャム)にする者(カラ)。

幸せの意味から深く考察します。






文法:
भक्ति + सुँ + अच्     5.2.127 अर्शआदिभ्योऽच् । ~ तदस्यस्त्यस्मिन्निति
प्रातिपदिकसंज्ञा        1.2.46 कृत्तद्धितसमासाश्च । ~ प्रातिपदिकम्
भक्ति +  अ              2.4.71 सुपो धातुप्रातिपदिकयोः । ~ लुक्
भ-संज्ञा                    1.4.18 यचि भम् ।
भक्त्+  अ                6.4.148 यस्येति च । ~ भस्य लोपः
भक्त