2015年3月14日土曜日

45.シャーンティ(शान्तिः [śāntiḥ])- 平安、平穏、鎮静、衝突の無い状態

शान्तिः 
[śāntiḥ]


feminine - 平安、平穏、鎮静、衝突の無い状態



シャーンティの語源


「シャム(शम् [śam])」はサンスクリットの動詞の原型で、

「静かになる」「落ち着かせる」「満足する」「平和を回復する」

という意味です。

「ティ(ति [ti])」は「~である」という意味の接尾語です。

「シャム(शम् [śam])」と「ティ(ति [ti])」を併せて、

最初の母音が伸びて、「シャーンティ(शान्तिः [śāntiḥ])」となります。

この接尾語「ティ」は、動詞の原型に付けられて抽象名詞を作ります。

「シャク(可能になる)」+「ティ」=「シャクティ(可能性)」

「ムチ(自由になる)」+「ティ」=「ムクティ(自由・モークシャ)」

「バジ(世話をする、讃える)」+「ティ」=「バクティ(世話をし、讃える姿勢)」

等など。全て女性形の名詞の原型になります。


幸せとは、シャーンティ


荒波が立っておらず、衝突が無くて、平和な状態。

そんな心の状態を、幸せと呼びます。

私達が幸せを感じている時とは、まさにシャーンティのことです。

シャーンティがあってこそ、幸せがある。


他とのエゴや主張に衝突が無い時、

精神的浮き沈みから自由な時、自分の考えや行動に矛盾が無い時、

そのような時、心は静かで平和です。


だから、好きな人や家族と居てエゴのぶつかり合いが無い時、

自然の中で広大な景色を眺めているとき、瞑想しているとき、

寝ている時、、、そんな衝突の無い、シャーンティの状態にある時、

私達は幸せを感じるのです。


それゆえに、そんな衝突の無い心の状態求めて、

私達は好きな人と仲良く集ったり、自然を観に行ったり、瞑想したり、

ゆっくり寝たりするために努めるのです。


なぜ3回「シャーンティ」と唱えるのか?


勉強をする前、一日の生活を始める前、なにか大事なこと始めに、

「全てがうまく行きますように」と、障害物を鎮静(シャーンティ)させる為に

祈りを捧げる習慣がインドにはあります。

全ての祈りの句の最後には、必ず「シャーンティ」を3回唱えます。

それにはどのような意味があるのでしょうか。

障害物には3種類あり、それらを鎮静させる為に、

「シャーンティ」を3回唱えるのです。


3種類の障害物


「ターパ・トラヤ(3種の苦悩、熱し焦がすもの)」または、

「ヴィグナ・トラヤ(3種の障害物)」といって、

シャーンティの邪魔をする原因には3種類あるといわれています。

それらは:

1.自分に関する障害物

自分の健康状態、精神状態など。

2.周りの人間や動物などに関する障害物

蚊から始まって、人間関係など、心の平安を乱す人や動物など。

3.天災など、人間がコントロール出来ない範囲にある障害物

台風や地震など。


祈るという行為


3種類の障害物全てがシャーンティであって、

初めて私達は何かを達成出来るのです。

自分が能力を発揮出来ること、思い通りにことを進められることを、

全ての条件が揃った奇跡だと捉えるとき、

その人は宇宙全体の動きを認識し、そこに畏怖と感謝、そして祈りが生まれます。


反対に、これらを当たり前の条件としてとらえていると、

条件に見合わないことばかりに気をとられて、自分 VS 世界の図式になるでしょう。


この3種類の障害物を鎮静することの出来る能力があるのは、

この宇宙の全ての知識と能力です。

宇宙の在り方との有効な関わり方として、伝統で教えられている方法が、

「祈り」という行為なのです。


シャーンティを3回唱える時の発音のポイント


シャーンティと唱えるときは、後ろに活用語尾の「ヒ」の音が付加されます。

ゆえに、「シャーンティヒ(शान्तिः [śāntiḥ])」となるのですが、

「サンディ(सन्धिः [sandhiḥ])」と呼ばれる連音変化のルールが適用され、

最初の2つの「シャーンティヒ」が「シャーンティッシュ」といったふうに発音されます。


3回続けて唱えると、

「シャーンティシャーンティシャーンティ(शान्तिश्शान्तिश्शान्तिः [śāntiśśāntiśśāntiḥ])」

カタカナで書いても分かりにくいので、ローマ字表記にすると、

śāntiśśāntiśśānti

このように、「シャーンティ」の間が、ダブルśになるのです。

最後の「シャーンティヒ」はそのままの発音でOKです。

アシュラムで勉強しているインド人でさえ、

殆どの人がこの発音について無知なのが現状です。。。

オームの発音も同様、インド人自体が混乱しております。。


ここにある全ては知識の現われであり、知識は言葉です。

私達の無知や混乱も、言葉という形で現われ、

そして言葉によってのみ正されるのです。

言葉に対する姿勢を正す、これが自分と向き合う第一歩です。



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